挑戦する研究者たち
単電子転送素子と国際連携で電流標準の実現をめざす
2019年に国際単位系における電流の単位、アンペアの定義が、従来の物理的にインプリメント不可能なものから、量子デバイスを用いて実現可能なものに変更されました。この量子電流標準の実現に向け、世界各国で研究が進められています。電流標準実装の基本的要素の1つである、シリコン単電子転送素子を開発し、国際連携により電流標準の実現に向けて挑戦する、NTT物性科学基礎研究所 藤原聡上席特別研究員に、シリコン単電子転送素子による電流標準実現に向けたアプローチと、それを実行する場としてのコミュニティ、そして切磋琢磨と議論により世界に挑戦する思いを伺いました。
藤原 聡
上席特別研究員
NTT物性科学基礎研究所
1個1個の電子を制御する単電子転送素子の動作を、量子メトロロジートライアングルにより高精度計測して、電流標準実現に向けた条件クリアの基盤となる
現在、手掛けていらっしゃる研究について教えていただけますでしょうか。
電子が動くことで電流となりますが、電流を構成する1個1個の電子を精密に制御する技術に取り組んでいます。
2019年に国際単位系(SI:International System of Units単位)における電流の単位、アンペアの定義が「真空中に1メートルの間隔で平行に配置された無限に小さい円形の断面を有する無限に長い2本の直線状導体のそれぞれを流れ、これらの導体の長さ1メートルにつき1000万分の2ニュートンの力を及ぼし合う直流の電流、またはこれで定義したアンペアで表した瞬時値の2乗の1周期平均の平方根が1である交流の電流」という実験的にインプリメント不可能なものから、「電気素量(電子の持つ電荷)を10の19乗分の1.602176634クーロンとすることによって定まる電流」に変更され、これにより半導体デバイス等で単位標準としてのアンペアを直接的に表現可能となり、電流標準の実現をめざして世界を相手に競争していることを前回のインタビュー(2021年12月号)でお話ししました。
実現のアプローチとして、単電子転送素子に周波数fのクロックを印加し、クロック1周期当り1つの電子を運ぶことにより、電流値が周波数と1つの電子の持つ電荷量(電気素量)を掛けたものと合うことで、正確な電流を生成するという方法があります。これを実際の電流標準として応用するためには、高速・高精度化が必要になります。私たちはシリコンナノ加工技術により、電子1個1個を格納しては放出するシリコン量子ドットを作製し、量子ドットに電子がほぼ必ず1個だけ入るというような動作状況を実現しています。クロック信号に合わせて電子を1個ずつ運ぶことで、周波数と電子の持つ電荷量を掛けた正確な電流を生成することができる単電子転送素子を開発し、これにより高速・高精度化を可能としてきました(図1)。
もう1つのアプローチとして、量子メトロロジートライアングル(QMT: Quantum Metrology Triangle)におけるオーム則による方法があります。オーム則は電圧(V)=電流(I)×抵抗(R)で表現される法則で、QMTは、これを量子力学の世界で行うことで、正確な抵抗標準と正確な電圧標準から単電子電流標準を生成するもので、ある周波数から超伝導を用いたジョセフソン電圧標準を生成し、その電圧と量子ホール抵抗標準の効果で電流標準を生成します。一方、周波数から電流標準を生成する方法がまだ確立しておらず、それがNTTのデバイスで実現できる可能性があり、これに取り組んでいます。
これらが実現すれば電流標準になるのでしょうか。
シリコン単電子転送素子は転送に伴うエラーや結晶欠陥などの影響により、1つの量子ドットに完全に1個ずつの電子が出入りするわけではなく、0個や2個といったエラーも極めて低い確率ですが発生します。また、電流標準となるためには、複数の素子で普遍的な高精度動作すること(ユニバーサリティ)が必要です。そして、極微小電流ではどの程度エラーが発生しているかを測定する精度が下がるので、測定精度を上げるためにより大きな電流が必要となりますが、これを実現するために素子が生成する極微小な電流を集めて、より大きな電流を得ること(単電子転送素子の並列動作化によるナノアンペア電流生成)が必要になります。これらの要求条件への適合性を確認するためには、複数の素子が要求レベルの範囲に収まっていることを精密に測定することが必要となります。
この測定を、微小電流を正確に測定する精密電流計測技術を有する国立研究開発法人 産業技術総合研究所(産総研)との共同研究で行いました。複数個の単電子転送素子の並列動作(電流の比較や合成)を行うための多数の素子を希釈冷凍機温度で個別測定可能なサンプルホルダを設計開発し、NTTのGHz動作シリコン単電子転送素子のうち良好な特性を示す2個の素子を、産総研が開発したQMT実験用の希釈冷凍機により世界最高精度で測定しました。
実験は、「2つの単電子転送電流の比較実験」「2つの単電子転送電流の合成実験」を行い、「2つの単電子転送電流の比較実験」では、1GHz動作で0.4ppm以下で2つの電流が一致したことを確認しました。これは、1秒間に10億個の電子を転送し、電子400個以下の違いしかないことを意味し、シリコン単電子転送素子のユニバーサリティの検証に成功しました(図2(a))。最終目標精度は0.01ppm(10-8)なので、さらにその達成に向けて取り組んでいます。また、「2つの単電子転送電流の合成実験」では、ppmレベルの高精度を保ったまま、電流の逓倍(2倍)に成功しました(図2(b))。この結果は、量子電流標準の実現に向けてユニバーサリティが確認されたこと、量子メトロジートライアングルの検証に向けて技術的課題がクリアされたことを意味するもので、量子電気標準体系の完成に向けて大きな前進となりました。
また、ここで得られた結果は、電子計測機器の校正やポータブル型量子電気標準の開発につながり、産業基盤や計量標準分野への貢献や、抵抗精密評価、単一分子・化学反応センサ、放射線センサの材料、化学、工業、医療分野など電気量の関連する広範な領域への応用が可能となり、微小電流計測等の極限計測技術への応用が期待されます。さらに、シリコン量子ドットの精密並列動作が実証され、量子ドット集積化技術につながるものです。
なお、本研究は、日本学術振興会 科学研究費補助金基盤研究(S)「単電子制御による量子標準・極限計測技術の開発」JP18H05258の助成を受けて行われたものです。
産総研との共同研究以外にも電流標準の確立に向けてさまざまな連携をされているそうですね。
研究が独りよがりになってしまっては標準にはならないので、標準化のためには、例えばNTTはデバイスをつくる、それを他の人が高精度に測定して評価するなど、標準化に協力してくれる仲間づくりが非常に大事です(図3)。
2003~2012年は米国国立標準技術研究所(NIST)と共同研究を行いました。2003~2004年には私もNIST客員研究員として現地に滞在して研究活動を行ってきました。2014~2024年は英国国立物理学研究所(NPL)とシリコン単電子転送素子の高速高精度動作実証等の共同研究を行っており、2024年9月からNPLの客員フェローに就任しました。また、NPLとの共同研究をベースとして、NPL、ドイツ国立物理工学研究所(PTB)を中心とする欧州標準研究所等と2016~2019年に量子電流標準プロジェクト(e-SI-Amp)で協力し、NTTの素子の精度が高いことを実証し、2020年にはNPT、フィンランド技術研究センター(VTT)等の3つの異なる測定計で1GHz、サブppmの動作を確認し、トランスポータブルな標準応用を実証しました。この連携は今も続いており、PTBやNPL等が新しく立ち上げた2024~2027年の先端量子技術・電流計測プロジェクト(AQuanTEC)にもNTTの素子を活用して協力することを計画しています。
こうした連携による共創の活動は日本国内でも精力的に取り組んでおり、前述の科研費による「単電子制御による量子標準・極限計測技術の開発」をはじめ、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の先導研究プロジェクトとして2023年から「量子トレーサブル超微小電流センシングの開拓」というテーマで研究を進めています。NTTが「ピコ~フェムトアンペアレベルの超微小量子電流源の開発」、日本ファインケム(現在:三菱ガス化学ネクスト)が「精密超高抵抗器(1TΩ)の開発」を担当し、産総研を中心に東京工業大学(2024年に東大に移管)を含むチーム全体で、「超高性能微小電流計測システムの開発(微粒子や放射線計測、化学反応・生体計測)」に取り組んでいます。
さて、単電子制御に関しては、前述の取り組みのほか、現在「シリコン量子ドット内の単電子の量子ダイナミクスの理解と制御」というテーマで、QMT実現に必要な高速動作下での単電子精密制御に向けて、理論と実験の両面で研究が進行中です。また、異分野との連携も進めており、これまで得られた知見を活用し、「分子素子を用いた単電子シャトル」というテーマについても、東京大学、フランス国立科学研究センター(CNRS)との共同研究を行っています。これはDNAの先端に付けられた分子が電子1個を格納し、上下の電極間をブラウン運動することにより、単電子シャトル輸送による電流を生成させ、分子ダイナミクスの電気的計測を行うというものです。単電子計数理論に基づく電流やノイズの解析、Fokker-Planckシミュレーション(物理モデルに基づく数値計算)による分子粒子のダイナミクスに関して理論サポートを行っています。バイオ、電気化学センサ応用が可能であるとともに、新しい電流標準としての可能性も秘めています。
切磋琢磨と議論、そして研究の出口論を意識して、いろいろな人が自然に集まってくるようなコミュニティに貢献することで成果につなげる
研究者として心掛けていることを教えてください。
私は研究を進めていくうえで、「コミュニティ」「切磋琢磨と議論」「研究の出口論」「ワークライフバランス」の4つのポイントを意識しています。
「コミュニティ」については、自身が1人でこつこつ論文を書いて世界にアピールするという唯我独尊をめざすスタイルよりも、いろいろな人が参加できるようなコミュニティを形成して、そこに貢献していくことでさらにコミュニティを拡大、活性化し、その結果コミュニティで多くの創造的な成果が産み出されていくという状況が好ましいと考えています。私がテーマとしている電流標準は、前述のとおり世界中で協力して進めなければ標準にはなりません。さらに、この領域自身は量子電気標準体系の構成要素として非常に重要ではあるのですが、産業応用の視点からは必ずしもメジャーな分野ではありません。それぞれの研究者がばらばらに活動していては、標準どころか衰退して消滅するかもしれないリスクがあります。だからこそ「コミュニティ」なのです。コミュニティの一員として貢献し、参加者皆で活性化・拡大していけるように尽力していきたいです。
「切磋琢磨と議論」については、これもコミュニティと関係するのですが、同じ領域の研究者どうしなので、当然誰が最初に論文を出すのかといった競争もあり、そしてこの競争によって自身が磨かれていくことも大いにあります。しかし、コミュニティの仲間として真摯に議論することで、独りよがりにならず、全体として大きく前進し、新しいことを生み出す努力をしていくことが大事だと思います。現在、私には年齢・役職に関係なく議論ができる環境が社内外にあり、それにより非常にいい刺激を受けています。コミュニティには、国・所属等を越えた議論の場と環境があり、だからこそNTT内部にとどまらずに外に向けて出ていき、その中で切磋琢磨と議論を重ねていくことが必要になります。
「研究の出口論」について、どういった分野でその研究成果を応用していくのかという研究の出口に関することなのですが、純粋基礎研究でない限り、常に意識して基礎研究として掘り下げる学術的意義と整合するシナリオを考えていく必要があると思います。時には基礎と実用のベクトルが合ってないことに気付くこともあり、逆にそれによって研究者としての立ち位置も明確になり、軌道修正をかけることもできます。
「ワークライフバランス」については、研究を続ける中で、自分を追い込んで結果を追い求めるというフェーズがどうしても出てきます。こういった状態があまりに長く続くと、精神的にも体力的にもきつく、柔軟な思考の妨げになることがあります。普段からワークライフバランスを意識して、趣味のようなことを細々とでも構わないので続けることにより、追い詰められたようなときに趣味に「戻れる場所」があれば、そこに身を置いて充電することができ、それが良い結果を生み出すことにつながります。私は、ピアノ演奏やダンスを積極的に楽しむようにしています。
さて、コロナ禍もひと段落し、北欧で開催された国際会議に参加して招待講演を行った後に、単電子素子のコミュニティで世界的権威であるフィンランド人の教授の研究室を訪問し、先生と議論をする機会を得ました。訪問に際してはぜひセミナーを開催させてほしいとお願いしたところ、快諾していただき、実際に久しぶりの再会の場面ではハグで出迎えてくださいました。この先生は私のあこがれの研究者であると同時に、私の研究成果を理解してくださる存在でもあり、この再会に大きな幸せを感じました。研究も所詮人の行っている活動であり、人と人とのつながりは研究の動機としてとても大切です。これからも、真のプロの研究者として1つでも新しいことを実績として残して貢献していきたい、コミュニティを盛り上げていきたい、という思いを新たにしました。
自分の強みと弱みを理解して世界に挑戦する
後進の研究者へのメッセージをお願いします。
グローバル化という言葉が一般化して久しく、NTTでもさまざまなビジネスのグローバル展開が進んでいます。NTT研究所は、海外との共同研究や、国際標準化活動のように早くからグローバルの場で活動しており、IOWN Global Forumのような国際的な仲間づくりを先導的な立場で行っています。
こうした素晴らしい環境にあるので、日本やNTTの中で安住しないで、切磋琢磨や議論等をとおして積極的に世界に挑んでいってほしいと思います。まずは身近な境界条件として、国内や社内などローカルな評価を気にする人もいるかもしれません。しかし、研究は世界共通の言語として行うものであり、国内・社内でどれだけ評価されても(それもとても重要なことですが)、世界で通用しないのではもったいないし、不十分だと思います。国内・社内におけるローカルな最適化や評価は、グローバルな視点での最適化・評価のごく一部に過ぎないのです。
世界に挑戦するにあたっては、その志が大事であることはいうまでもありませんが、独りよがりにならないためにも出口論を含む研究の外側の世界にも意識を持ち、自分の強みと弱みをきちんと理解したうえで仲間・コミュニティづくりをしながら挑戦に臨むことが大切ではないかと思います。