NTT技術ジャーナル記事

   

「NTT技術ジャーナル」編集部が注目した
最新トピックや特集インタビュー記事などをご覧いただけます。

PDFダウンロード

特集 主役登場

新原理コンピュータへの取り組み

量子技術の限界に挑戦する

Leonid Abdurakhimov
NTT物性科学基礎研究所
リサーチスペシャリスト

1991年にIBMの著名な科学者ロルフ・ランダウアが「情報は物理的な実在である」と主張しました。実際、あらゆる情報処理には物理的なハードウェアが必要です。これまでのところ情報技術は、主に半導体トランジスタに依存してきました。コンピュータの計算能力は、チップ中のトランジスタの数が2年ごとに倍になるというムーアの法則に支えられ、ここ数十年で劇的に向上しました。しかし、トランジスタのサイズが原子と同程度まで小さくなるという原理的な限界が近づいています。経済や社会に利する情報技術を持続的に発展させるためには何をすべきでしょうか。多くの科学者が新しい原理に基づく革新的な計算機が必要であると考えています。量子計算機はこのような発想の中から生まれた新しい計算機であり、情報処理に量子デバイスを利用します。量子デバイスは量子力学で記述される特異な原理に基づいて動作するため、私たちは全く新しい設計思想に基づき計算機を構築します。私は、超伝導回路を用いた量子デバイスの物理的実装に興味があり、NTTで研究を始めました。
NTTにおける研究を通して、革新的な技術の開発は常にチャレンジングであることを経験しました。パワーポイントの発表資料に量子デバイスの図面を描くことは簡単ですが、実際のデバイスを作製するのは非常に困難です。例えば、私が現在研究している容量シャント型磁束量子ビットは2007年に理研のグループから理論提案されましたが、実験室で実現されたのはごく最近になってからです。私たちにとって難しかった課題は、デバイス作製だけではなく、量子ビットをいかにノイズ源から切り離して長寿命を達成するかという点です。例えば、超伝導量子ビットを冷却するための希釈冷凍機の中に、高周波部品を最適配置するために多くの時間がかかりました。最初は量子ビットの寿命が数μs程度でしたが、すべての最適化を終えた後は約100 μsまで延長することに成功しました。当時私は「自分の量子ビットがついにまともに動作した」と感動したのを覚えています。彫刻家が石から最適な形状の彫刻を削り出したときのような達成感を感じました。実際に、これまでに報告されているどの磁束量子ビットよりも長寿命を記録したのです。
長寿命磁束量子ビットを基に、私たちはより複雑な量子デバイスを研究することが可能です。しかし、今まで以上に量子計算機の実現は究極の挑戦であると感じるようになりました。将来の量子計算機実現に向け、何が最適なアプローチなのかを自問しています。Hardware-efficientな量子計算に関していくつかの有望な提案がありますが、実用的に動作するものが判明するまでに数年、あるいはさらに時間を要するかもしれません。このような状況の中で、超伝導量子ビットの短期的な応用先として、量子センシング、量子シミュレーション、量子暗号などの可能性を検討することは重要であると考えています。多くの課題を乗り越えて量子技術が急速に発展してきたように、私たちはこれからも可能な限り量子技術の限界に挑戦していきます。