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挑戦する研究者たち

同調圧力に鈍感であれ。自由な時間は成功要因の1つである

実世界の多様な質感を人間の脳が認識するメカニズムの多くは謎として残されています。そのメカニズムの解明は、人間の感覚情報処理の科学的理解だけではなく、情報工学技術の発展にとっても不可欠な課題です。NTTコミュニケーション科学基礎研究所は所内外の研究者とともに情報科学、神経科学、心理物理学等の学際的な観点から「質感」の研究を牽引しています。「質感学」という新分野は、国内外から注目を集めており、その研究成果と研究者としての姿勢について西田眞也NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員に伺いました。

西田 眞也 上席特別研究員
NTTコミュニケーション科学基礎研究所

世界を牽引する質感知覚研究

現在、手掛けている研究について教えてください。

私は「質感認識」を研究しています。人間は視覚をはじめ五感を通じてさまざまな質感を認識し、物性や材質、状態、感性的な価値まで瞬時に判断します。こうした質感を認識する能力は人間の活動において重要な役割を果たしています。なぜなら人間は対象を認識し、評価して行動を選択して、身体活動を通じて環境世界とかかわっており、そのすべてのフェーズに質感認識が深く関係しているからです(図1)。
私が研究対象としている質感は、ものの物性(光沢感・透明感など)、材質(陶器・金属など)、状態(乾燥・凍結など)といった「物理的質感」、そして美醜や好悪などの「感性的質感」の2つに大別できます。
質感認識とは人間が質感を認知する能力、脳による物体の本性の解読のことだと私は考えています。実世界の多様な質感を人間の脳が認識しているメカニズムの多くは謎として残されています。そのメカニズムの解明は、人間の感覚情報処理の科学的理解だけではなく、実物体の質感認識や質感生成等の分野を通して、情報工学技術の発展にとっても不可欠な課題です。
私は、いろいろな仲間とともに、世界に先駆け1990年代の半ばから質感知覚研究を開始して、2010年までの間に、光沢質感の画像特徴を発見するなどしました。そして、文部科学省の「新学術領域研究」という共同研究グラントを利用して、世界に先駆けた学際的な質感研究を進めてきました。まず、2010〜2014年度新学術領域「質感脳情報学(質感認知の脳神経メカニズムと高度質感情報処理技術の融合研究)」(1)において、「質感認知にかかわる視聴触覚情報の心理物理的分析」という1つの研究チーム(計画班)を率いました。そこでは、光沢感の認識メカニズムと光沢に関する色・輝度相互作用の仮説の提案、動きの情報に基づいて液体の質感を認識するメカニズムの解明を行いました。さらにこのような人間の特性を利用して、静止画が動いているように見える光投影技術「変幻灯」の開発等を行いました。
それに引き続く2015〜2019年度新学術領域「多元質感知(多様な質感認識の科学的解明と革新的質感技術の創出)」(2)においては、領域代表として情報科学、神経科学、心理物理学の観点から追究を進め、視覚、触覚、聴覚、言語分野において基礎研究から応用研究までをカバーする「質感学」を確立しました。また、「信号変調に基づく視聴触覚の質感認識機構」という計画班の代表として、輝度や色の統計量に基づく物体表面の濡れの知覚(3)(図1)や画像コントラスト低下に基づく極細構造の知覚を解明するとともに、人工神経回路による液体質感知覚メカニズムの分析を行いました(4)(図2)。さらに、変幻灯の原理を発展させ、ステレオ眼鏡なしで見たときに画像ボケを生じない新しい両眼立体視法「Hidden Stereo」を開発しました。
これら2つの新学術領域研究で発展させてきた「質感学」は学際性と視野の広さにおいて国際的にも傑出していると高く評価されました。

新学術領域を確立されたのですね。これまで謎とされていた部分の解明に期待が高まりますね。

私は、自分の「見えている」という状況、人間の情報処理に関することに非常に興味があります。政治や社会においても人間が行動する理由に大いに関心を持っています。心理学等の既存の学問だけではなく、自分が納得できる方法で人間を理解することはできないかと常にアプローチを模索しています。
新学術領域の研究活動は新たなフェーズに突入し、2020年、学術変革領域研究(A)「深奥質感(実世界の奥深い質感情報の分析と生成)」(5)において領域代表として研究をスタートさせました。質感の本質的理解には、感覚器がとらえた入力情報を質感属性変数や質感カテゴリーの言語ラベルに結びつけるような表層的な質感情報処理だけでなく、その背景にある深奥質感と呼ぶべき処理階層を理解する必要があるのです。
私たちが想定する深奥質感処理は次の4つです。1番目は、質感情報から事物の多面的な生態学的意味や価値を計算する過程です。身体内部に情動的な反応を誘発する過程も含みます。2番目は質感と他の感覚属性の統合により外界モデルを脳内に構築することによって、行動の結果を事前に予測し、適切な行動選択をするような過程です。3番目は質感情報処理が、処理の主体である人間の個性(例えば年齢、脳機能障害、文化背景、経験)によって影響される過程。最後に、実際の事物を出発点として、五感でとられた感覚情報の処理を介してリアルとフェイクを見極める過程です。
この研究では、人間の深奥質感処理を脳認知科学的に解明し、革新的な質感技術を開発することをめざしています。人間にリアルな深奥質感を体験させる感覚情報の本質を理解し、深奥質感を認識する機械認識技術や深奥質感を思いのままに制御するメディア技術を開発し、質感科学をアートに接続します。図3のような研究体制で、計画研究は3つの研究項目、10のチームで深奥質感の謎に迫る予定で、私はそのうち心理物理・感覚工学分野を担当し、視覚・聴覚・触覚・言語情報からの深奥質感認識の統一的理解について多角的に検討します。

機械が人間に追いついた結果生まれたパラダイムシフト

以前にこのコーナーでお話を伺ったのは2012年でしたが、この間に研究環境はどのように変化しましたか。

以前にお話した2012年は、さまざまな知能において、まだ人間の能力が機械に勝っていました。ところが、約8年の歳月を経て、AI(人工知能)、機械学習の発展などにより、限定的ではありますが機械が人間を凌駕する知的能力も現れています。このパラダイムシフトは人間をテーマとした研究者である私にとって相当のインパクトがあります。今までは人間の複雑な認知・行動等のメカニズムを理解することによって、人間に匹敵する能力を持つ機械を開発するヒントを得ようとしていました。しかし、現在は全く逆のアプローチが一般的になりつつあります。つまり、人間の能力を持つ機械の中身を分析して、人間の情報処理を理解しようという試みです。ニューロサイエンス分野をはじめとするいくつかの分野において、既存のアプローチや発想の転換が進んでいます。深奥質感の研究もその流れの中にあります。質感という重要なテーマに対して、今までとは違う方向で研究を進めていきたいと思っています。
こうした技術や研究が目覚ましく発展したこともあり、若い人と一緒になって新しいことを日々勉強しています。インターネットで論文が発表され、その数は想像を超えるほどのものとなり、取捨選択も大変です。現在は、立場上研究以外の仕事も多いので、これらをキャッチアップする時間を設けるのも一苦労です。次々に押し寄せてくる新しい波に心躍らせながら、常に自分が最先端にいることは困難であると感じています。そういう中で、新しく得た知識とこれまで培った経験や知見を融合するところにオリジナリティを出せないかと考えて、研究を進めています。人間の感覚に関する研究の基軸が、心理学だったところから、機能的MRIなどを使った脳の機能の可視化へと移り、さらに現在はAI研究との融合へと時代は流れています。こうした変遷を、身をもって体験し、理解していることは、最新の状態しか知らない研究者と比べて強みになると期待しています。
このような速さで時代が移り変わるのは自分にとって初めてのことではないでしょうか。聞いた話ですが、機械学習、AI系を研究テーマとしている博士課程後期の学生にとって、初年度に手掛けていた研究は3年次には古くなっていて発表価値がなくなっているのだそうです。現代は世界中にライバルがいて、自分が研究成果を発表したら、1年もたたないうちに別の研究者がその先の成果を発表してしまう時代です。このスピード感に心が休まらないと聞きます。AI分野の研究者は、エキサイティングだけれど、熾烈な戦いを強いられ、精神的にも厳しい時代を生きているといえるでしょう。

すさまじい展開を見せる研究領域において、一貫して研究活動を続けてこられた原動力は何でしょうか。

難しい質問ですね。私はどちらかというと新しいものに飛びつく傾向にあります。1つのことを貫いているように見えたとしても、自分自身の中で興味の対象は常に変化し、進化しています。私にとってはそれが重要です。研究者について1つのテーマを貫いているストーリーを描きがちですが、私は少し違って「面白いことをしたい」という意識を貫いているのだと思います。
研究対象の「質感」はとても難しい問題でもあるので、自らを律する意味も含めてプロジェクトを立ち上げていますから、1つのテーマを貫いているようにも見えるでしょう。しかし、プロジェクトに参画している多くの研究者から新しい話を聞くことができ、それがとても刺激的で面白いと思っている自分がいます。
一方で、「正しい」と自分が思うことに関しては頑固ではあります。たとえ興味の対象であっても何にでも迎合するわけではなく、逆に自分自身がこれはと思ったら、よく知らない新しいものであっても、取り入れていきたいと考えています。興味の対象はさまざまに変化しますが、研究者としての歩みを貫いているのにはいくつか理由があります。1つは人に命令されないからです。私は若いころからあまり人の指示に従うことはしませんでした。それを許容していただいた上司には感謝しています。NTT基礎研究所は、研究者を尊重し、やりたいことをやらせてくれます。こうした環境がなくなると研究者から見た魅力が減っていくのだと思います。

若い研究者の皆さん、あなた方の時代が到来したのです

研究者はその自由を獲得するために、研究環境を選ぶことも必要なのですね。

研究の成功は「偶然の連続」であるとも思います。その偶然を最大限得るためにも、自然な展開の中で自由に動けることが大切です。研究費をいただいている以上、企画や計画を立てて研究を進めていくことは大切ですが、多くのノーベル賞受賞者も話しているとおり、ある程度研究者に任せて采配の自由度を高め、99%が失敗しても1%成功することを奨励していくことが重要ではないかと考えます。そうしないと未来は拓けないし、未来を拓くためにも無駄が必要なのです。良い成果を求めるために、この無駄を許容できるかどうかが大切ですね。
NTTにはその自由を担保する体力があります。私は大学の教員でもありますが、大学教員は研究費の獲得に非常に苦労していますが、NTTの研究者はそこまでの苦労はありません。また、研究者は変人で、変わった存在かもしれません。だからこそ、変わった何かを生み出すことができると考えれば、自由に追究できるように環境を整えることで未来は拓けるようにも思います。
一般的には、こうした自由な研究環境が日本には少なくなってきており、研究者のなり手も減ってきています。若い研究者は数少ない研究ポストを獲得しようと非常に苦労しています。日本における研究活動の歴史において、企業の研究所は応用研究ばかりではなく、基礎研究も支えてきました。中でもNTTはかつて公社であったころの使命・文化もあって、じっくりと基礎研究に向き合える環境が残っていると思います。日本の研究にとってNTT研究所の果たす役割はまだまだ大きいと思います。
私は日本学術会議第一部(人文・社会科学)の会員でもありますが、その立場からこうした現状をかんがみて、日本はこれから価値を生み出す若い世代の育成についてかなり戦略的に挑まなければならないのではないかと思います。その点において、多くの優秀な若手研究者を採用し、研究モチベーションを維持できるような自由な裁量を与えて育成していく力がNTTにはあります。NTTには今後もその力を発揮して、日本の未来に貢献してもらいたいと思います。

後進の研究者、そして、研究者の卵たちへ一言お願いいたします。

私は、文系出身で半分理系に足を突っ込み、企業の研究者で大学教員でもあるという背景がありますから、複眼的に物事を見つめ、考える経験を積んできました。この利点を活かして若手研究者の育成にあたりたいと考え、さまざまな機会に人材育成についても積極的に発言していきたいと思っています。
また、若手の研究者をみたときに、NTT研究所の後進研究者と学生とは立ち位置が異なることから、指導も違うと考えています。NTTの研究者は博士号を取得している人も多く、すでに研究者としての能力も覚悟も備わっていますから、研究を通じた切磋琢磨を促します。一方で、学生は将来研究者として歩むかどうかも定まっていないので、研究者としての道を強く奨めることはせず、どこかで何かの役に立ったらいいなと思いながら研究指導を行います。
こうした思いの中で、若い研究者へのメッセージとして、同調圧力に鈍感になってください。米国のように研究者が起業するような風潮を同調圧力の1つととらえれば、同調圧力がうまく機能することで底上げにもつながるのかもしれません。しかし、日本では、大学まではいわゆる「いい子でいる」「皆と同じようにふるまう」ように育てられてきたところもあり、自己規制が強いのではないでしょうか。自己規制を取り払い、同調圧力に鈍感になって研究活動に臨んでほしいと思います。1人の研究者として、あえて出る杭になってみるのも良いかもしれません。
最先端の研究に関して、国際学会における論文発表がインターネット上にすぐに公開され、新しいことが次々と出てくるエキサイティングな時代です。このような時代においては、とくに情報系の研究者は大きな研究所に所属しているメリットを感じにくくなっているかもしれません。他の分野のように自分の研究に必要となる大型の実験装置や技術が研究所にしかないというアドバンテージがあるわけではなく、アイデアとそれなりの計算機環境があれば在野の研究者も勝負のリングに上がることができる状況になってきています。つまり、アイデア勝負の熾烈な戦いを日夜繰り広げなければならない時代に皆さんは生きているのです。新しいアイデアや方向性は最先端の研究に常に触れている研究現場からしか生まれてきません。共通業務に忙しい皆さんの上司が指導してくれることは期待できません。とすれば、若い研究者の皆さん、まさにあなた方の時代が到来しているのです。

■参考文献
(1) http://shitsukan.jp/BISS/
(2) http://shitsukan.jp/ISST/
(3) M. Sawayama, E. H. Adelson, and S. Nishida:“Visual wetness perception based on image color statistics,” Journal of Vision, Vol. 17, No. 5, pp. 7-24, 2017.
(4) J. J. R. van Assen, S. Nishida, and R. W. Fleming:“Visual perception of liquids: Insights from deep neural networks,”PLoS Computational Biology, Vol, 16, No. 8, e1008018-29,2020.
(5) http://shitsukan.jp/deep/