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明日のトップランナー

電波伝搬特性の推定・予測技術による完全な無線通信の実現

現在のネットワークは、多様な無線通信システムにより絶え間なく進化を続けています。無線通信は今や至る所で日常に溶け込み、私たちの生活に恩恵をもたらしています。しかし今後の無線通信はさらなる複雑化が予測されており、これに対応するため無線ネットワークの進化もまた求められています。今回は「人がネットワークを意識せずに使いこなせるようにしていくことが大事」と話す佐々木元晴特別研究員に、「電波伝搬特性の推定・予測技術による完全な無線通信の実現」の研究などトップランナーに向かう取り組みについてお話しを伺いました。

佐々木 元晴
NTTアクセスサービスシステム研究所特別研究員

PROFILE

2009年九州大学大学院博士前期課程修了。同年、日本電信電話株式会社入社。NTTアクセスサービスシステム研究所に所属。2015年九州大学大学院博士後期課程修了。2022年よりNTTアクセスサービスシステム研究所特別研究員。電波伝搬特性の瞬時の推定技術・未来の特性予測技術の研究開発に従事。2013年電子情報通信学会論文賞、2016年IEEE AP-S Japan Young Engineer Award、2019年日本ITU協会賞奨励賞。

複雑な無線ネットワークの課題を克服して“完全な”無線通信を実現

■「電波伝搬特性の推定・予測技術による完全な無線通信の実現」とはどのようなご研究でしょうか。

「電波伝搬特性の推定・予測技術による完全な無線通信の実現」では、主に2つの研究を行っています。まず1つは各種センシングデータを活用して電波伝搬特性を瞬時に推定し、さらに未来の特性を予測する技術です。そしてもう1つは、この電波伝搬特性の推定・予測技術を活用して、無線通信システムのユーザやシステム提供者が意図せずシステム全体に協力的に振る舞うインセンティブコントロール技術です。この2つの技術を確立することによって、最終的にはさまざまな無線通信システムが高度に連携・統合する“完全な”無線通信の実現をめざしています。
この研究の背景として、現在では公衆セルラが4G(第4世代移動通信システム)/LTE(Long Term Evolution)から5G(第5世代移動通信システム)へ発展し、ローカル5Gなどの自営セルラや無線LANに加え、LPWA(Low Power Wide Area)のようなIoT(Internet of Things)向けの無線通信システムなど、広範な周波数帯において多種多様な無線通信システムが拡大しています。今後はさらにIoTやM2M(Machine to Machine)といった多種多様な用途が広がる見込みで、無線通信システムとその使われ方は一層複雑化していくと考えられます。このような状況の中で、時々刻々と変化するユーザの通信要求を処理するためには、複雑な無線ネットワークを適切に活用してくことが必要不可欠です。しかし一方で、複雑な無線ネットワークを上手く使いこなすことは一筋縄でいかず、電波状況の変動により高品質・安定的な利用が担保できなくなる(電波の不完全性)、一時的なトラフィック増加時に空いている他の無線システムを簡単に利用することが難しい(利用方法の不完全性)など、さまざまな課題があります(図1)。このような複雑化した無線ネットワークの課題を克服するのが、私が研究している「電波伝搬特性の推定・予測技術による完全な無線通信の実現」です。

■具体的にどのようなご研究をされているのでしょうか。

私はNTTに入社以来、無線通信システム構築の基礎となる電波伝搬特性の把握やモデル化といった研究開発に取り組んできました。そこでは事業会社の無線通信に関するトラブルに携わることも多く、もっとも頻繁に聞いたのは「電波が目に見えないためどのように飛んでいるか分からない」という電波の特性に端を発する相談事でした。また「実際には電波はちゃんと飛んでいるが、他の利用者の無線通信の利用状況などによって通信品質が悪くなる」という声も多く聞いていました。こうして実際に事業会社からの声にきっかけを得て研究を始めました。
目に見えない電波の挙動の把握を、さまざまな電波状況を瞬時の推定・将来予測により可能にします。具体的なアプローチとして、まずは建物・CAD・BIM(Building Information Modeling)データなどの静的な情報だけではなく、画像・LiDAR(Light Detection and Ranging)・測位データなどの動的なデータを含めた各種センシングデータを集めます。そしてこのデータから各種変動分布のパラメータを用いて、電波の確率的な振る舞いを含めた予測をすることで、従来では不可能とされていた伝搬変動の瞬時推定・未来の特性予測が可能になるのです。この技術確立によって、各端末・基地局が周囲の電波伝搬環境を把握可能になり、無線通信を最適化できると考えています。
さらに無線通信システムの管理者や利用者に対してインセンティブをうまく設定して、各人が意図せずにシステム全体に協力的に振る舞うようなインセンティブコントロール技術にも取り組んでいます。ここではブロックチェーンを用いた無線ネットワーク共用の仕組みにより、ユーザとシステム提供者が自然とお互いに協力し合い、さまざまな無線通信システムがあたかも統合された1つのシステムとして動作するようになります。これにより、従来の「他者と無線リソースを棲み分ける・奪い合う世界」から「協力し合う世界」をめざしています(図2)。

■ご研究で苦労されているのはどのような点でしょうか。

電波伝搬特性の推定・予測技術では、特に公衆セルラのような商用利用されているネットワークの場合に、把握不可能な情報がある中で推定・予測を行わなければならないのが難しい点です。例えば従来の電波伝搬特性の検討では、基地局位置と端末位置両方が既知である前提の検討が主で、距離によってどの程度電波が減衰するかなど類推が容易でした。しかし本研究では、基地局位置や細かいネットワーク側のパラメータを未知として扱わなければならないこともあります。そのため、さまざまな周囲の情報や端末で把握可能なパラメータから、データ分析をとおして推定・予測可能な情報に置き換えていくところが取り組みのメインとなっています。
そしてインセンティブコントロール技術では、ブロックチェーンを活用した技術の研究開発を進めており、「無線通信 ブロックチェーン」という新しい領域での取り組みに苦労しています。これまで無線通信分野では、ブロックチェーンの考え方を取り入れるのは前例のないことでした。そのため事業会社でのサービス化に向けては無線通信とブロックチェーンの両方にノウハウが必要となり、事業会社における単一組織での対応は大きなハードルがあると考えています。またこのようなブロックチェーンを用いて無線LAN AP(アクセスポイント)を共用するという仕組みは、現状の法制度との整合も新たに考えるべき点があり課題と認識しています。

■これまでのご研究の成果を教えてください。

電波伝搬特性の推定・予測技術については、5秒程度先の受信電力などの無線通信品質を予測する技術として確立し、移動ロボットの無線通信の安定化などを目的とした事業会社とのPoC(Proof of Concept)やデモなどで活用しています。さらに現在では、受信電力などから通信速度などの無線通信品質を予測する技術へと発展させて検討を進めています。またインセンティブコントロール技術では、ブロックチェーンを用いてさまざまな個人が持つ無線LAN APを共用するという技術の実証実験を行い、2023年4月に報道発表を行いました。今まで通信分野でブロックチェーンの仕組みを用いるという検討はされていたものの、このような活用方法はほとんどありませんでした。そうした背景もあり、この研究は多方で驚きや賞賛の反響をいただき、今後の実装を強く期待していただいています。
今後の研究の見通しとして、伝搬特性の推定・予測技術については技術発展を進めながら事業会社等との実証実験などにより効果の実証を進め、IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)時代の技術として実用化を進めていく予定です。またインセンティブコントロール技術については2024年度にいったん技術確立を行い、サービス化へ向けて進展させていきたいと考えています(図3)。

IOWNの未来を加速させる“成果を出す”研究にこだわる

■ご研究内容とNTTが提唱するIOWN構想とのかかわりについて教えてください。

IOWN構想によって実現される、超高速・超低遅延な通信サービスをユーザの端末まで届けるためには、無線通信の活用が重要な要素の1つです。現状の無線通信システムでは、提供できるスループット・距離・消費電力・品質の安定性などをネットワーク事業者などがそれぞれの特徴に応じて必要なものを選択し、システム構築し、サービス提供しています。IOWNの世界では、これらの無線方式の違いをユーザが意識することなく自然につながり、必要な無線通信の性能を得られることをめざしています。このようなサービスのコンセプトはエクストリームNaaS(Network as a Service)と呼ばれており、私の研究ではその提供基盤の実現に向けて取り組んでいます。
またエクストリームNaaSを実現するための技術として、複数の無線通信システムを組み合わせナチュラルな使用感を実現する制御技術群をNTT研究所ではCradio®と名付け、研究開発を進めています。こちらの研究でも目標の実現・加速を支え、IOWNの基盤となる技術として貢献します。

■NTT研究所にはどのような印象をお持ちでしょうか。

NTTアクセスサービスシステム研究所は、NTTビルからお客さままでのアクセス回線を支える研究開発を幅広く行っています。世界を相手にした学術的な成果や標準化などの成果のみならず、事業会社とのつながりも強いためサービスにおける課題を解決するなど直接的な実用面での貢献も多く、「世界最先端・現場最先端の研究開発を行う」とうたっているとおりの研究所と認識しています。私は修士1年のときにインターンシップでNTT研究所へ来て、シミュレーションによる机上検討や試作機を用いた実験評価などを4週間取り組ませてもらいました。大学でやっていたこととは違う分野の検討で苦労したのですが、指導者の方にフォローいただきながら、大学とは違う実用化を見据えた研究開発を着実に進めているという実感を得られたことが入社を志すきっかけになったと思います。NTT研究所と他社との大きな違いとして、メーカのように個々の製品をつくるのではなく、誰もが使うインフラに携わることができる環境です。この影響力の大きな仕事に興味を持ち、入社してから実際に幅広いシステムに活用できる研究開発にいろいろ携わることができており、当時の感覚は間違っていなかったと思います。
またNTTアクセスサービスシステム研究所以外にも、NTTにはさまざまな研究開発領域を持つ研究所があります。そこには多様な領域の専門性を持つ人材が集っていて、これこそがNTT研究所の最大の強みだと考えています。実際に私のブロックチェーンを用いた研究では、他の研究所の方からのアドバイスもいただきながら検討を進められたところもあり、その恩恵を強く感じています。

■最後に研究者・学生・ビジネスパートナーの方々へ向けてメッセージをお願いします。

私は日々の研究生活において、「成果を出すこと」をとても大切にしています。一般的に研究開発は長いスパンでの取り組みとなることが多く、日々の研究で多少遅れたとしても全体スケジュールへの影響はあまりないように思えます。しかしこれが積み重なると、気付いたときには取り返しのつかない遅れにつながってしまいます。そのため「いかに早く検討を進め、タイムリーに成果を出していくか」ということを常に意識しながら取り組むことが大切だと思っています。そして日々の研究開発ではロジカルな進め方はもちろん大事ですが、最終的には気合いで自身を律して取り組むことが、他に差をつける成果につながると考えています。
現在無線通信の分野は技術的にどんどん進化しており、1つの無線通信システム・規格をとってもキャッチアップが難しいものになっているように思えます。さらに多様な無線通信システムが日々続々と登場し複雑化もまた進んでいます。このように無線通信は、今や至る所で日常的に使われ非常に便利になっている一方、まだそのポテンシャルを十分に引き出せているわけではないようにも思います。
現在のネットワークは、人が使い方を考えてネットワークに合わせることで構築・利用しています。これを「人がネットワークを意識せずに使いこなせるように」していくことが、そのポテンシャルを最大限に活かすために大事だと考え日々研究を進めています。私の研究がめざすゴールは「すべての無線通信システムがあたかも1つのネットワークとして振る舞い、ネットワークを意識せずに使っていける世界」の実現。これを達成するためには、多方面の研究開発と実用化までの試行錯誤がまだまだ必要です。ぜひ多くの方に仲間となっていただいて、多様な背景を持つ方々と協力しながら新たな世界を切り拓いていきたいと願っています。