特集2
個人の快適性と省エネを両立したパーソナル空調
- 空調制御
- AI
- パーソナライズ
現状のオフィスは画一的な空調制御がなされており、人によって寒く感じたり暑く感じたりするなど快適な環境を空間が提供できていません。そこで私たちは、個々人の好みに合った温度の空調を提供することで、オフィスの利用者がより働きやすく快適でパフォーマンスを発揮できるオフィスの実現をめざしています。本稿では、消費エネルギー削減と個々人の快適性を両立させる空間制御の取り組みについて紹介します。
三枝 知史(みえだ さとし)/酒井 聡太(さかい そうた)
秦 崇洋(はた たかひろ)
NTTコンピュータ&データサイエンス研究所/
NTTスマートデータサイエンスセンタ
はじめに
NTTスマートデータサイエンスセンタ(SDSC)では、ビルの共用部において来訪者の増減を予測し空調を最適制御することによって、来訪者の快適さを維持しつつ消費エネルギーを削減する空調最適制御シナリオ算出技術(1)を確立してきました。SDSCでは、これまで人が滞在するビルの専有部と比較して、人が移動する共用部において、個人の好みを考慮せずに多数の人が快適と感じる温度を維持しつつ、あらかじめ人の増減を予測することで無駄のない空調制御を行い、消費エネルギーを最大50%削減することに成功しました。一方で、人が長時間滞在する専有部では、個人の好みが満たされない場合の不満も大きく、その人の好みの温度に合わせた空調制御が求められていると考えています。そこで私たちは、ビル全体のエネルギー効率を改善することをめざし、個人の好みとエネルギー削減を両立するパーソナル空調技術の確立をめざしています。
本稿では、従来のむらのない均一な環境をめざす空調制御にはない、個人の好みをオフィスなどの1つの空間で実現するパーソナル空調技術について、どのような手段で実現しようとしているのかを解説します。
パーソナル空調技術の目標
オフィスなどのビルでは、その利用形態で共用部と専有部の2つに大別されます。廊下やロビーなどは一般的に共用部と呼ばれ、人が長時間とどまることが少なく、常に移動するような場所です。共用部では1人の人の滞在時間が短く、多くの人が入れ替わり立ち替わり通行します。そのため多数の人にとって快適と感じられる環境をつくることが重要と考えています。一方でオフィスビルに入居している各テナントの専有部では、利用者が専有部内に長時間滞在することになり、個人の温度に対する感じ方の違いや不満が共用部に比べて大きく、快適性に影響すると考えています。具体的な人の動きを考えてみると、個人作業や複数人での会議など、専有部では利用者の行動はさまざまに変化するほか、オフィス内での利用場所もさまざまに変化します。「暑がり寒がり」と表現されるように温湿度に対する好みには個人差があり、また上記のように専有部では人は用途や場所を変化させながら長時間滞在することから、快適な空調制御を柔軟に提供し1人ひとりが満足する環境を提供することが必要だと私たちは考えています。
このように専有部では快適性が重要である一方で、ビルの消費エネルギーのうち半分近くが空調により消費されています(2)。一般的に、夏季や冬季など空調をより多く稼動させる季節において、快適性を求めると消費エネルギーが大きくなる傾向にあるため、単純に快適性を求めた空調制御を行うことは消費エネルギーの増加につながると考えています。SDSCでは、冒頭で述べた共用部における空調と同様に、パーソナル空調の実現においても快適性と消費エネルギー削減の両立をめざしています。
さて、近年はリモートワークの普及により、オフィス内の座席がすべて利用されることが当然ではなく、あまり利用されていない座席やエリアが従来と比較して増えていると考えています。こうした前提の下では、専有部においてすべての場所で均一に温度を維持することはエネルギー消費量の観点から好ましくない場合があります。このため、パーソナル空調では個人の場所を考慮して空調を強める場所と弱める場所をつくることで、あえて上下方向ではなく水平方向の温度むらをつくり、先述した個人の快適性と消費エネルギー削減の両立を図ります(図1)。
従来のビル空調制御との比較
■通常の空調制御
一般的なオフィスの空調では、部屋全体または区画ごとに温度設定がされており、均一な温度をめざした空調制御が行われています。そのため、作業内容や個人の温度への好みの違いから、すべての人にとって快適な環境は提供できていないと考えています。またオフィス内で暑い・寒いがある場合は、利用者からの申告に基づいてその場所を担当する「吹き出し」の温度設定の変更などが行われています。温度変更が行われた場合には、申告者の周辺の温度も変更されることになり、周囲の人の快適性を損なうことがあると考えています。またリモートワークの普及も進み、人がまばらなオフィスで、従来どおりの一定温度で均一に空調制御を行うことによる消費エネルギーも課題であると考えています。
■空調最適制御シナリオ算出技術(PMV空調技術)
これまでSDSCでは、共用部の空調をターゲットにして、快適性と省エネを両立する空調最適制御シナリオ算出技術(PMV空調技術)に取り組んできました。PMV(Predicted Mean Vote)*1とは人の快適性を示す指標であり、温度や湿度、放射、気流、活動量や着衣量から求められます。PMV空調技術では、廊下やロビーなど多くの人が行き交う共用部において、PMVの値を推奨快適範囲に保ちつつ、人の増減を予測した無駄のない空調制御を行うことで、最大50%の消費エネルギー削減をすることができました(3)。この技術では多数の人の快適性を保つことはできますが、専有部で求められる個人の温度の好みに応じた快適性を実現できていません。そのため私たちは、PMV空調で検討してきた強化学習による空調制御を基にして、個人の好みの温度に合わせた空調制御(パーソナル空調技術)を検討しました。
*1 PMV:予想平均温冷感申告。人が感じる温冷感の指標。
■パーソナル空調技術
オフィスのような専有部において、これまでの空調制御のように利用者がいるところもいないところも一様に空調を動作させるのではなく、温度むらをつけることで、利用者1人ひとりの快適性を実現しながらも、できる限り無駄をなくした快適性と省エネ性を両立した空調制御をめざします。専有部内で個人個人の好みの温度を反映した、あるべき温度むらを理想温度分布として算出し、その理想温度分布を目標として、AI(人工知能)により空調制御シナリオを求めます。この空調制御シナリオは、空調システムが複数の吹き出し口の風量や温度をどのように設定し空調制御をするか運転計画を示したものです。この空調制御シナリオに従った空調制御を自動的に行うことで、個人に快適かつ省エネとなることをめざします。次にパーソナル空調技術の構成について説明します。
パーソナル空調技術の構成
オフィス内に各利用者の温度嗜好に基づいた温度むらとなる理想温度分布を実際のオフィスへ再現するために、私たちは、温度分布生成部、空調エージェント部、座席レコメンド部の大きく3つの部品から構成されるパーソナル空調技術を開発しています(図2)。
温度分布生成部では、各利用者の温度嗜好と出社状況に応じて、オフィス内で実現すべき理想温度分布を算出します。まず利用者が出社する予定かどうかを事前に把握するために、出社予測機能により予測を行います。そして利用者それぞれの温度嗜好は、外気温などにより変化する可能性があると考えており、温度嗜好推定機能により推定を行います。これらの機能で求めた温度嗜好と出社状況の情報を基にして、理想温度分布算出機能を用いて、オフィス内で実現すべき理想温度分布を算出します。
空調エージェント部では、先に算出した理想温度分布を目標として、シミュレーション環境で空調の制御方策を立てて、最適な空調運転シナリオを算出し温度むらのある温度分布を再現します。
そして、座席レコメンド部では、空調の制御予測に基づいた将来の温度分布から、利用者の快適性に応じた作業場所の推薦を座席レコメンド機能により行います。以降では各機能部について詳細に説明します。
■温度分布生成部
温度分布生成部では、空調エージェントが空調を制御するために必要となる、目標となる温度分布(理想温度分布)を生成します。まず利用者の好みの温度を反映した場所をつくるために、温度希望のオーダ履歴を利用して温度嗜好を推定します。そして利用者の滞在に合わせて空調制御するために、利用者1人ひとりの出社を予測します。これらの情報とオフィス内の空調負荷の特性(居室特性)から理想温度分布を計算し、空調エージェントの目標分布として用います。
(1) 温度嗜好推定
利用者からの自己申告による温度嗜好を利用して理想温度分布を生成し温度むらを空調制御することも可能ですが、利用者が自身の好みの温度嗜好を正確に把握することは難しいと考えられます。利用者の好みの温度を細かく把握するために、統合アプリなどを通してオフィス内での場所や温度希望のオーダを取得します。オフィス内で利用者が滞在している場所の温度と、暑い(涼しく)や寒い(暖かく)といった温度希望の履歴情報から、各利用者の温度嗜好を推定します。
(2) 出社予測
利用者が出社したタイミングから好みの温度を反映した温度分布の生成を行うためには、出社するかどうかを把握することが必要となります。統合アプリなどを利用して各利用者の出社履歴を学習データとして蓄積し、利用者が出社するかどうかを予測することで、理想温度分布の生成に利用します。
(3) 理想温度分布生成
温度嗜好情報と出社予測情報の2つの情報と、オフィス内の各場所の温まり・冷えやすさを分析した居室特性情報および、そのときの温度分布を利用して、理想温度分布を生成します。外気温や日射、空調の吹き出し口の配置などの影響からオフィス内でも温度の高低がつきやすい場所があり、空調負荷に影響すると考えています。エネルギー効率の良い空調制御を行うために、複数日の空調制御時のオフィス内の温度分布を分析して、居室特性を求めます。この居室特性と各利用者の温度嗜好情報と出社予測情報から、利用者の快適性を満たしつつ省エネとなる理想温度分布を生成します。
■空調エージェント部
空調エージェントでは、オフィスの環境を再現した環境シミュレータを利用して、強化学習により理想温度分布を再現するための空調制御シナリオを出力します。空調機はこの空調制御シナリオに従った空調制御を自動的に行うことで、各時刻に吹き出し口や給気温度の設定変更を行い、個人に快適であり省エネとなる空調制御を行います。
これまでPMV空調技術においても環境シミュレータと強化学習により、空調制御シナリオを算出し制御を行ってきました。パーソナル空調技術では、温度センサを細かく配置してシミュレーション環境を詳細に構築すること、利用者の座席ごとに制御目標となる温度を設定した目標温度分布を用意し、給気温度、吹き出し温度(風量)、気流装置といった複数の制御対象を組み合わせて強化学習をすることで、個人の快適性を満たし省エネとなる空調制御を行います。
PMV空調技術およびパーソナル空調技術では、空調制御を強化学習により制御シナリオを算出しています。空調制御によるエネルギー効率などの報酬の評価は、ある瞬間で空調への負荷が低下しても後ほど空調負荷が増加しエネルギーの消費量が増えることがあり、その瞬間のみでは評価ができません。1日をとおした空調制御で目標温度を到達しつつ、エネルギー消費を抑制できているかを評価する必要があります。複数の吹き出し口から出る風量や、各吹き出し口への給気温度などの制御点を複雑に制御し、長期的に評価を行うために、強化学習を用いて空調制御シナリオを算出しています。
(1) CFDシミュレーション環境
強化学習により空調制御を行うためには、環境内の温度条件に応じて給気温度設定や吹き出し温度設定などをさまざまに変更・制御することで最適な空調制御を探索し、目標となる温度分布に向けた最適な制御方法を獲得する必要があります。多数の条件と多数の制御設定による数万に及ぶ試行が必要となるため、現実空間で実際に試行することは困難です。そのため温度や気流をシミュレーションすることができるCFD(Computational Fluid Dynamics)*2を用いて環境の再現を行います。通常CFDを用いるためには流体力学に関する専門的な知識を用いて複雑なパラメータ設定が必要となるのですが、専有部内で複数の温度センサを配置してCFDのパラメータ推定を行います。この環境を用いて空調制御をシミュレーションします。
(2) 強化学習による制御シナリオ算出
空調制御のシナリオを算出するためにシミュレーション環境で強化学習を行います。シミュレーション環境を利用して、ある温度分布のときに空調の給気温度と風量をどのように制御設定すれば、消費エネルギーを抑えながら目標となる温度分布が達成できるかを学習します。シミュレーション環境を用いることで多数のバリエーションで試行錯誤することはできますが、さまざまな目標温度分布に対する最適な空調制御を探索することは計算コストが大きくなる問題があります。シミュレーション環境内で再現された温度分布と目標となる温度分布から、座席など利用者の滞在が想定される場所のサンプリングをすることと、各サンプリング点で再現された温度と目標温度の差分を学習の入力として利用することで、計算量を削減し効率的に最適な空調制御を探索します(図3)。
*2 CFD:数値流体力学。流体の運動に関する方程式をコンピュータで解くことで流体の動きをシミュレーションする手法。本技術では、居室内の温度変化の再現に利用します。
■座性レコメンド部
レコメンド部では、利用者の温度嗜好、オフィス内での温度変更希望、現在と将来の居室内に再現される予定の温度分布を利用して、各利用者が居室内で快適に過ごせる場所をレコメンドします。
(1) 現在の温度分布
利用者が移動したいタイミングにオフィス内の最適な座席や場所を提案するには、そのときの温度分布が必要になります。専有部内のすべての座席や場所に温度センサを設置して各場所の温度を計測することはコストや設置場所の確保から難しいため、離散的に配置された複数温度センサから取得される温度情報を基にオフィス内全域の温度分布を予測して現在の温度分布を算出します。各地点の温度センサ情報の履歴からオフィス内の温度予測モデルを生成し、温度センサが配置されていない場所についても温度を予測します。
(2) 将来の温度分布
利用者が出社したときや座席の移動を行う場合には、将来再現される予定の温度分布が必要になります。将来の温度分布は、空調エージェント部の求めた運転シナリオとシミュレーション環境での空調制御を基にして、将来の各時刻の温度分布を求めます。
(3) 快適座席レコメンド
利用者が出社したタイミングや、温度変更希望をオーダしたときなど、利用者の快適性を満たす場所や将来的に快適性を満たす場所をレコメンドします。他の利用者の快適性への影響がある場合や空調のエネルギー効率を悪化させる場合などには、空調を大きく変化させるよりも人を動かすほうが多くの利用者の快適性を満たし、かつ消費エネルギーの削減に適切な場合があります。その時点でのオフィス内の温度分布と将来予定される温度分布から、長期的に利用者の温度嗜好を満たす場所を算出し、利用者の温度嗜好に合う場所をレコメンドします。
課題と今後の展望
パーソナル空調技術の実現に向けて以下のような課題があると考えています。
(1) 利用者の屋内移動予測
現在は出社の有無を予測していますが、利用者の移動に合わせて空調を制御するために、利用者の居室内での滞在場所を予測し、理想温度分布に反映することが必要と考えています。
(2) 再現する温度分布の高解像度化
複数の利用者の温度希望をピンポイントに制御するために、空調に作用する制御対象を増やすなどにより、空間方向および時間方向に高解像度化する必要があると考えています。
今後、ユーザの嗜好温度に合わせたオフィス内座席レコメンドおよび実際の利用者の行動に合わせた空調制御の検証を進める予定です。
■参考文献
(1) https://group.ntt/jp/newsrelease/2021/11/01/211101a.html
(2) https://www.eccj.or.jp/office_bldg/01.html
(3) https://group.ntt/jp/newsrelease/2021/11/01/211101a.html
(左から)三枝 知史/酒井 聡太/秦 崇洋
問い合わせ先
NTTコンピュータ&データサイエンス研究所/
NTTスマートデータサイエンスセンタ
E-mail sdsc@ntt.com
SDSCの街づくりへの取り組みの中で、ビルの空調制御について紹介しました。オフィスなどで過ごす人への新たな価値提供に向けて検討を進めていきます。