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挑戦する研究者たち

約100年前に登場した理論を掘り起こして、世界トップデータを実現

スマートフォンの登場で一気に普及が進んだ移動通信。そして、高速・大容量、低遅延、他端末同時接続等の特長がある5G(第5世代移動通信システム)サービスも広まりつつあり、さらに、国際標準化機関である3GPP(3rd Generation Partnership Project)では6G(第6世代移動通信システム)についての初期検討も始まっています。こうした移動通信の発展を技術的基盤として支えているのが、無線通信技術です。サブテラヘルツ帯を用いて合計1.44Tbit/sの大容量無線伝送に世界で初めて成功した、NTT未来ねっと研究所 李斗煥上席特別研究員に、世界トップデータを出した技術、「電波を使い切る」研究、「研究で社会や人を幸せにするためには、自分が幸せになる必要がある」という思いを伺いました。

李 斗煥
上席特別研究員
NTT未来ねっと研究所

無線技術における高速・大容量化の限界に、OAM技術によりブレークスルーを引き起こす

現在、手掛けていらっしゃる研究について教えていただけますでしょうか。

私は、学生時代からNTT入社後も無線通信に関する研究を行ってきました。無線通信の研究といっても、電波伝搬に関する研究、干渉の抑制や制御に関する研究、電波に信号を載せる方式の研究等、その分野は広範にわたっています。その中で、無線による高速・大容量通信に関して追究してきました。
無線技術で高速・大容量をめざすには、MIMO(Multiple Input Multiple Output)のような空間多重数の増加、伝送帯域幅の広帯域化、変調多値数の増加といった技術で対応してきましたが、変調多値数の増加技術は、ほぼ限界にきており、数10%の改善は見込めるものの、10倍、100倍といった改善は望めそうもありません。そこで、空間多重数の増加技術において、新たな発想が必要と考え、OAM(Orbital Angular Momentum:軌道角運動量)の概念を無線通信へ適用したOAM多重伝送に着目しました。
OAMとは、電波の性質を表す物理量の1つであり、電波の進行方向の垂直平面上で位相が回転しながら進行することで、分かりやすくいうと同一位相の軌跡が進行方向に対してらせん形状に現れます(図1)。そして一般的に、この位相の回転数をOAMモードと呼びます。例えば、図1の左側の図は、上から、OAMモード1、OAMモード2、OAMモード3の同一位相の軌跡を表します。OAMの性質を持つ電波は、送信時と同じOAMモードを持った受信機を使うことで受信することができます(例えばボルトとナットの関係のようにらせん構造の合ったものどうしでなければ受信できません)。また、異なるOAMモードを持つ複数の電波を同時に送信しても、それぞれの送信時のOAMモードに合った位相の回転数を持った受信機を用意すれば、それぞれの電波を互いに干渉することなく分離することができます。したがって、それぞれのOAMモードにデータを載せることで、複数の異なるデータを多重伝送することができます(1)(図1右側)。そして、OAMモードは理論的に無限に増やせることができるため、多重数を無限大に増やすことができます。一方、OAMの性質を持つ電波は、電波の進行により電力が空間的に広がる性質があり、OAMモードが高くなるほど(位相の回転数が多くなるほど)これが顕著になります。電波の広がりにより、受信アンテナサイズが一定の場合、伝送距離が長いほど受信できる電力が低下することから、OAMモードが高いほど伝送距離が伸びず、伝送距離の限界となります。
さて、OAMは、20世紀初頭には机上の理論として登場しているのですが、実現手段がなかったことから、実際の環境における検証は行われてきませんでした。近年になり、高周波数帯における無線通信技術の成熟につれ、ミリ波帯での広い帯域幅を用いたOAM多重伝送が実現してきました。実験室レベルの結果としては、米国の南カリフォルニア大学により、2014年に28GHz帯で、2016年に60GHz帯を用いてそれぞれ32Gbit/sの伝送が報告されています。そして、2018年にはNTTにおいて、ミリ波帯などを用いて世界で初めて100Gbit/sの容量を10 mの距離でのOAM多重伝送を実現し、2020年に100mの距離での伝送に成功しました。

OAM多重伝送により世界で初めてサブテラヘルツ帯において1.44Tbit/s無線伝送に成功したそうですね。

私たちは、伝送距離を少しでも伸ばすために高いOAMモードを利用することなく、かつ、異なるOAMモード間で互いに干渉しない性質を維持しつつ、複数セットのOAM多重伝送を同時に行うことにより大容量化を図るために、広く利用されているMIMO技術を融合させたOAM-MIMO多重伝送技術を考案し、28GHz帯で無線伝送を行える送受信装置を試作しました(図2)。この送受信装置は、5つのOAMモードの電波を送受信ができる円形アレーアンテナ(UCA)を4個、中心にアンテナ素子1個を備えています。中心の1つのアンテナで構成されるUCA#0以外のUCA#1~4は、それぞれOAMモード-2、-1、0、1、2を生成し、5つのOAMモードの電波を多重することができます。同一のモード内で多重された信号は、受信機でMIMO技術により分離します(図3)。これらの素子を介して、合計最大21のデータ信号の同時伝送が可能です(図3の構成の場合)。
この送受信装置を用いた、100Gbit/s級の伝送容量を達成するための信号処理技術は、各信号の受信品質を考慮して変調多値数とチャネル符号化率を適応的に判断する適応変調符号化技術(AMC:Adaptive Modulation and Coding)、送信電力制御技術、受信側の信号分離技術から構成されます。これらを活用し、多重数10を超える多重伝送により100Gbit/sのデータ信号をエラーなく伝送するエラーフリー伝送を10 mの距離で実現し(2018年)、さらに100 mの距離で実現しました(2020年)。
さらに私たちは、1Tbit/sを超える大容量通信において、異なるOAMモードの電波間の干渉を除去するための膨大なデジタル信号処理を低減することができる、Butler Matrixと呼ばれるアナログ回路(Butler回路)を用いて複数のOAM波を多重処理することにより、空間多重数を増加させるアプローチを採用し、広帯域かつ低損失で動作するアンテナ一体型Butler回路を開発することに成功しました(図4)。このアンテナ一体型Butler回路は、135GHzから170GHzの周波数において非常に広い帯域で、8個の異なるOAM波を同時に生成および分離できるように設計されており、これを用いることで8個のデータ信号を多重して伝送することができます。
ところが、Butler回路により8つのOAM波を同時に伝送するためには、電波の位相を極めて高い精度で制御する必要があります。電波の位相の進み方は周波数によって異なるため、アナログ回路によって広帯域にわたり位相を均一に制御することは非常に困難です。そこで、自由空間とは異なる導波路内の特有の電波伝搬を解析し、理論的に広帯域にわたって位相の進み方を均一にそろえることが可能な位相回路を考案しました。そして、性能劣化要因である回路の平面交差をなくし、すべての経路が電気的に等しい長さになるように、先述の位相回路を含む多層立体経路(図5)を設計することにより、35GHz幅以上にわって各OAMモードに必要な位相を与えることができるButler回路を試作し、8個のデータ信号を多重して伝送することを可能としました。さらに、異なる2つの偏波でそれぞれOAM多重伝送を行うことで、互いに干渉することなく2倍の16個のデータ信号を同時に多重して伝送できます。
このアンテナ一体型Butler回路を用いて伝送試験を実施し、135.5~151.5GHzと152.5~168.5GHzのサブテラヘルツ帯を用いて合計1.44Tbit/sの大容量無線伝送に世界で初めて成功しました(2023年3月)。これにより、光伝送系に匹敵する広帯域かつ高速な無線伝送を実現するとともに、OAM波の多重処理をアナログ回路が担うため、多重処理のための複雑なデジタル信号処理システムを要することなく、シームレスに無線伝送系と光伝送系を接続可能とすることをめざします。
今後は、100mを超える長距離での実証実験に取り組み、さらに伝送距離を伸ばすことで、移動通信基地局間の無線バックホール・フロントホールや中継伝送などへの応用等により、IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)・6G(第6世代移動通信システム)時代に対応する無線通信技術として、VR(仮想現実)・AR(拡張現実)や高精細映像伝送、コネクティッドカー、遠隔医療など、将来の多様なサービスの創出および普及を支えていくことが期待されます。

「電波を使い切る」究極の研究者をめざす

過去の理論を掘り起こして世界トップデータを記録するとは、面白いアプローチですね。この先、どのような研究者をめざしているのでしょうか。

OAMについては、約100年前の理論を近年になって実証できるようになり、今後の実用化に向けた展開が期待されるところです。電波の物理的な特性で今まで使われていない、あるいは着目されてこなかった別の特性も多々あり、それを使うことでさらに無線の使い方の自由度を上げる、無線技術の幅を広げることをテーマにしたいと考えています。
例えば、電波には直進性があるので、進行方向の先に障害物があるとそこで止まってしまいます。これを何とか回避して障害物の先に進めるようにする、回折という特性もあるのですが、一部が漏れて障害物の裏に回り込むだけなので、そうではなく電波のビームそのものを曲げて障害物を回避する技術が考えられます。また、電波には広がる特性があるので、これが受信電力を弱める原因になっていますが、逆にこれを現在のビームよりもさらに絞り込むことができれば、受信電力を高めることができます。光は電波の周波数が極めて高くなったものですが、光にはレーザのようにビームがかなり絞り込まれたものが存在するのですが、電波ではまだ実現していません。また、干渉は無線通信においては厄介者といった扱いを受けることが多いのですが、逆にこれを利用して通信効率を上げることができるのではないか等、ふと考えただけでもいくつかあります。
こういった研究を極めることで、これまでの発想にない無線通信が可能になると思います。こうしたことを繰り返していくうちに、まさに「電波(の特性を)を使い切る」「電波を支配する」といったような究極の世界に到達できるのではないでしょうか。そして、その残された最後の特性を私が使い切るという役割を担いたいと思っています。

いいアイデアは余裕が生み出す。余裕は自分がWell-beingであることで生まれる

研究者として心掛けていることを教えてください。

研究者として第一人者となるためには、常に研究のことを考えてそれに没頭する、生活の中でも研究を意識することが必要だというイメージを持つ人がいると思います。研究者として研究に取り組む中では、研究に没頭することが必要な場合やタイミングもありますが、そればかりだと壁にぶつかった場合、そこですべてが終わってしまいます。私はむしろ、研究は余力から生まれると思っています。自分の生活や体力、時間等に余裕がなくて、非常に不安な状況では研究に関するアイデアも出ません。身体的にも心理的にも、そしてプライベートでも仕事でも、余力・余裕があってこそ、研究アイデアにつながると考えています。入浴中にいいアイデアが出たような話を聞いたことがありますが、まさに入浴中はリラックスしている人が多いと思いますので、余裕があるときなのです。私も余力・余裕といえるかどうか分かりませんが、歯磨きをしているときに特許につながるアイデアが出たことがあります。
そのために私は、余力が出るような生活を送ろうと心掛けています。ワークライフバランスを考えた勤務時間を励行し、運動もしっかりやろうとしていますし、家族やプライベートもしっかり守ろうとしています。自分の状況が非常に落ち着いて、余力が出るようにすると、自分のプライベートな人生も幸せになるし、そこから自然に研究アイデアも出るようになると思いますので、自分を極端に追い込まないようにしています。似たような話ですが、6GのユースケースとしてWell-being関連が研究されていますが、自分がWell-beingにいないと、Well-beingの研究もできないのではないかと思います。研究の成果は終局的には、社会や人を幸せにするものと思っており、人を幸せにする研究は、自分が幸せでないとできないのです。まず自分がWell-beingを楽しんで、自分が幸せになることが大切で、そこから人を幸せにする研究ができるのではないかと思っています。

後進の研究者へのメッセージをお願いします。

前述のとおり、自分がWell-beingとか、豊かな生活、幸せであることを経験する中で、研究も豊かで充実したものになり、その結果自分も満足し、豊かに、幸せになるという正のスパイラルが出来上がってきます。こうすることで、研究を楽しみながらできるようになれます。とはいえ、時間は限られており、期限という概念もあります。そこで、仕事の順番や進め方を工夫することで、時間的な余裕が生まれ、それをWell-beingなことに回せば、それがまさに正のスパイラルにつながるのです。
ただ、自分にとってのWell-beingとは何か、自分の生活のリズムはどのようなものなのかといったことは、個々人で異なるため、正のスパイラルは全員が同じものではなく、あくまでも1つのイメージです。そこで、自分としての正のスパイラルをつくっていくうえでも、自分にとってのWell-beingとは何か、自分の生活のリズムはどのようなものなのかといったことを一度考えてみる必要はあります。自分のことは自分にしか分かりません。自分は自分に対する専門家なのです。

■参考文献
(1) 李・笹木・八木・山田・加保・清水:“NTTがめざす5Gの次世代を実現する伝送技術,”電波技術協会報FORN,Vol.10,No.328,pp.22-25,2019.
(2) https://group.ntt/jp/newsrelease/2018/05/15/180515a.html
(3) https://group.ntt/jp/newsrelease/2023/03/30/230330a.html