トップインタビュー
シンプルに、正直に向き合い、伝える。実績に裏打ちされた「直観力」を磨き上げる
2023年に新中期経営戦略「New value creation & Sustainability 2027 powered by IOWN」を発表したNTTグループ。この実現に向け、NTT R&Dは「研究者が志をもち、わくわくし続けること」「圧倒的なテクノロジーでスケーラブルかつ持続的に社会に役立つこと」「未来を予測するのではなく、創造すること」「直観力を鍛え、独創的であること」を行動指針に掲げ、世界最高の研究開発を遂行しています。木下真吾NTT研究開発マーケティング本部 研究企画部門長にNTT R&Dの強みとトップとしてのあり方を伺いました。
NTT執行役員
研究開発マーケティング本部 研究企画部門長
木下真吾
PROFILE
1991年日本電信電話株式会社入社。2008年NTT情報流通プラットフォーム研究所 人事担当部長、2012年NTT研究企画部門 担当部長、2021年 NTT人間情報研究所 所長を経て、2023年6月より現職。
70年余の歴史と世界トップクラスの人財の宝庫、NTT R&D
研究企画部門長となられて1年余りが経ちました。NTTのR&Dの置かれている状況などをお聞かせいただけますでしょうか。
2023年6月に研究企画部門長に就任し1年が経ちましたが、2023年3月にIOWN1.0の商用サービスを開始し、11月にはNTT版大規模言語モデル(LLM: Large Language Models)「tsuzumi」を発表し、2024年3月にはtsuzumiの商用サービスを開始する等、注力してきた研究が実用化やビジネスとして展開するフェーズへと移行しており、忙しくも充実した日々を過ごしました。研究の成果がビジネスとして展開されていくという大きな営みですから、お客さまはもちろんのこと、事業会社をはじめ多くの人と連携しながら進めてきました。
ご存じのとおり生成AI(人工知能)は世の中の動きが速く、社会のニーズにこたえるためにはそのスピードに合わせて研究開発を進める必要があるのですが、tsuzumiは当初の予定を半年前倒しして研究開発を急ピッチで進めてきました。
ところで、NTT R&Dの研究開発費や研究員数は、世界的なICT企業の中では、実はそれほど大きくありません。現在、NTT R&Dの研究員は約2200人、研究開発費は約1200億円程度です。国内では大規模ですが、GAFAM等と比較すると、研究員は数分の1、研究開発費に至っては数10分の1です。
驚きました。研究開発投資額、研究員数において「桁違い」のリソースを持つ世界的な企業とどうやったら互角に戦えるのでしょうか。
NTT R&Dの強みとして、豊富な人財があげられます。非常に優れた研究員が数多く在籍しているのです。研究開発費の差を埋めるべく、成果を上げるための創意工夫をしていますし、私たちマネジメントも資金や人材面において最大限にサポートするようにしています。
研究レベルを評価する尺度として投稿論文数がありますが、NTT R&Dは、ICT関連の企業の中で世界9位にランクインしています。特に、光通信、情報セキュリティ、神経工学、音声認識、量子計算機等の分野においては、論文数はGoogleやIBMにも勝る世界1~2位を誇っています。研究員数や研究開発費の規模がこれだけ違う中で、この実績を上げることができるのは、まさに研究員の質の高さによるものです。これをさらに確たるものとしていくために、論文数ランキングを数年後に5位にまで押し上げたいと思っています。
また、NTT R&Dには人財に加えて70年余の歴史があります。GAFAM等は研究所の歴史はそれほど長くなく、人材も流動的であったりします。一方、私たちは70年近くをかけて先輩から後輩へと脈々と受け継がれてきた研究の歴史を持っています。加えて、ネットワークからAIや量子までとても広範囲な研究領域の研究者が「同僚」として交流できますからシナジーが生まれやすいのです。これは外部においてはオープンイノベーションと呼びますが、私たちは研究所内でも幅広いイノベーションを起こすことができます。
また、研究者のモチベーションが高いことも強みです。研究者にとって金銭的な報酬も重要ですが、それ以上に取り組む研究テーマの自由度や快適な研究環境に加えて、誰と研究できるかがもっとも大切です。NTT研究所には、世界的にも著名な研究者、例えば、暗号、ブロックチェーンの世界的権威である岡本龍明フェロー、大容量スケーラブル光ネットワーク基盤技術であれば宮本裕フェロー、音声音響信号処理・符号化であれば守谷健弘フェロー等、各分野で名だたる研究者が多数在籍しており、こうしたトップランナーをロールモデルに研究スタイルやスピリットが受け継がれているとともに、これが研究者の求心力となって歴史が築かれているのです。この意味でNTTのR&Dは人財の宝庫なのです。
IOWN構想とNTT版LLM「tsuzumi」の社会実装に向けて
現在のR&Dの代表的な取り組みをご紹介いただけますか。
まず、2023年11月に報道発表したNTT版LLM「tsuzumi」を紹介します。tsuzumiは軽量、高い言語性能、柔軟なカスタマイズ、マルチモーダルの4つの特長を持っています。
1番目の特長は軽量性です。tsuzumiには超軽量版tsuzumi-0.6Bと軽量版tsuzumi-7Bの2種類があります。代表的なLLMであるGPT-3クラスには大規模な計算機が必要になります。例えば開発時には原子力発電所の原子炉1基・1時間分の電力を必要としますし、利用時には上位のGPUが複数台必要となります。一方、tsuzumiの場合は、電力もGPU数も数10分の1まで低減できます。
2番目の特長は高い言語性能です。生成AIの性能評価手法であるRakudaベンチマークで評価すると、tsuzumiはGPT-3.5に80%以上の勝率を誇り、ほかの日本のトップクラスの4つのLLMにも圧倒的な勝率を誇ります。
3番目の特長は、柔軟なカスタマイズです。LLMは、一般的な質問に対して答えることは得意ですが、特定の業界や企業に特化した質問に対しては回答が難しくなります。tsuzumiは、それを解決するために、さまざまなチューニング方法を備えています。
最後の特長はマルチモダリティです。一般的なLLMは、言語で質問し、言語で回答しますが、tsuzumiは、言語だけでなく、図表や写真、音声など視覚や聴覚等を理解することができます。
ではこのような優れた特長を非常に短期間で開発できたのか。それはNTT研究所の技術力によるところが大きいのです。
例えば、LLMは、AI分野の中でも自然言語処理が非常に重要ですが、その分野の難関国際会議の論文数ランキングでは、世界トップクラスで、国内では1位となっています。また、翻訳等の世界コンペティションで1位を獲得したり、国内研究会でも多くの賞を受賞しています。
また、LLMの開発にあたっては質の高い学習データを大量に用意する必要がありますが、私たちは事前学習用に日英だけではなく、21言語さらにプログラミング言語を含む1兆以上のトークン(テキスト解析の最小単位)の学習データを用意しました。領域も各種専門分野からエンタテインメントまで非常に幅広い分野をカバーしています。また、事前学習のあとのインストラクションチューニングにおいては、広範囲なデータを新規作成するとともに、40年という長年の自然言語処理研究で蓄積してきた翻訳・要約・対話・読解などの既存の学習データを活用しました。
実用化が待ち遠しいですね。それにはIOWN構想の進展もかかわるのでしょうか。進捗をお聞かせいただけますか。
IOWN構想は2019年の発表から研究・開発・実用化と進めて、2023年3月には初の商用サービスとなるIOWN 1.0を開始しました。現在は、光電融合デバイスの実用化や、通信領域およびコンピューティング領域への適用、そして、それらを最大限活用するデジタルツインコンピューティングや次世代汎用AIなどに取り組み、IOWN構想の社会実装をめざして研究開発を進めています。
次のマイルストーンであるIOWN 2.0、3.0、4.0について紹介します。
IOWN 1.0では、データセンタ間を電気変換することなくすべて光で接続しますが、IOWN 2.0では、第2世代の光電融合デバイス PEC-2を用いてデータセンタ内の計算機ボード間をすべて光で接続します。さらに、IOWN 3.0では、第3世代光電融合デバイス PEC-3を用いて計算機ボード内の半導体パッケージ間を、IOWN 4.0では、第4世代光電融合デバイス PEC-4を用いて半導体パッケージ内のダイ(チップ)間をもすべて光で接続できるようになります。光の適用領域が半導体パッケージの中に入り込むことで、圧倒的な高速広帯域性、低消費電力性を実現していきます。
また、IOWNはLLMの研究開発にとっても重要な役割を果たします。例えば、今回のtsuzumiの開発にあたっては、学習データを横須賀に、GPUクラスタを三鷹に設置し、その間をIOWN 1.0のAPNで接続することによって、100kmという距離を感じさせない効率的なLLMの学習環境を実現することができました。
IOWN 2.0以降はLLMの研究開発においてさらに重要になっていきます。既存の計算機では、CPUやGPUの構成が固定化されており、CPUがボトルネックとなってGPUの性能を十分に引き出せないケースも出てきます。一方、IOWNによって必要な数のCPUやGPUを部品単位で光によりダイレクトに接続し、柔軟な構成をとることができるようになります。これによって、LLMの学習や推論に最適化されたCPU、GPUの組合せをダイナミックに制御できるようになります。
さらに未来の話になりますが、NTTがめざすAIの世界として、AIコンステレーションというものを考えています。これは1つのモノシリックな巨大なLLMをつくるのではなく、小さく専門性を持ったLLMを複数組み合わせることによって、1つの大きなLLMより賢く、より効率的に実装することができないか、ということで次世代のアーキテクチャを考えています。
例えば学生、高齢者、小学校教諭、子育て中の親、医師のようなさまざまなキャラクターを持ったAIが「人口が減っている我が地域の活性化に何が必要ですか」という問題に対して、それぞれが自分たちの意見を言いながら、その意見を組み合わせたり、あるいは合意形成を取ったり、たまに人が入ってインタラクションを取りながら1つの合意形成をつくっていく仕組みができないかと考えています。大量に分散したAI間の連携を効率よく行うためにもIOWNが非常に重要となります。
4つの行動指針の下、相互にフェアに評価し合える環境を整える
トップとして大切にしていることをこれまでの歩みを踏まえて教えていただけますか。
私は1991年に研究者としてNTTでの道を歩み始めました。それはNTTが民営化された直後で、インターネットは黎明期を迎えたころです。私は大学で物理を専攻していたのですが、この領域の研究の難しさを感じていたことや、NTTやコンピュータの新しさに魅力を感じ研究所に飛び込んだのです。
正直、通信に関しては何の知識もありませんでしたから入所してから相当苦労しました。それでも、非常に優秀な先輩方がいろいろ教えてくださって一気に研究が好きになりました。私は新しいものが好きなので、新しい研究テーマに出会うとまるでおもちゃをもらったようにわくわくし、論文が学会に採択されたり、引用されたりするととても嬉しかったです。
また、東京オリンピックでは数百人を束ねる大規模な実用化研究にも取り組みました。フェーズによって研究の醍醐味は違いますが、研究、開発、実用化のどのフェーズもそれぞれの面白さがあります。やはり、研究成果によって世の中に貢献できる喜びは大きいです。
こうした背景から研究企画部門長という立場となった今は、研究者1人ひとりの喜びややりがい、特性をかんがみてバランスよく配属し、研究活動に勤しめるように環境を整えることに努めています。
私は物事と向き合うとき、シンプルであり、正直であることを大切にしています。組織で働くと多方面に配慮や調整をした結果、物事が必要以上に複雑化したり、本来のあるべき姿からずれてしまうことがあります。こういうときこそ研究者は、誰が見ても分かりやすく、納得感のある研ぎ澄まされたシンプルさを大切にすべきだと思っています。
時に、複雑にねじれてしまっても、方向修正が大変なため、仕方がなく受け入れてしまうことがあるかもしれませんが、中長期的な観点では、その段階で原点に立ち返り、シンプルにあるべき姿に戻す方が近道になります。何事もあきらめることなく、自分に正直に向き合っていきたいですね。
今後、NTTのR&Dはどのように展開されるでしょうか。
私は「研究者が志をもち、わくわくし続けること」「圧倒的なテクノロジーでスケーラブルかつ持続的に社会に役立つこと」「未来を予測するのではなく、創造すること」「直観力を鍛え、独創的であること」をNTT研究所の行動指針として示しています。
通信ネットワークや計算機などの研究が途に就いた当時は、速くて安いものをつくれば、必ず使ってもらえました。つまり、研究者が考える「いいもの」を研究・開発・実用化すれば、「世に恵を提供する」ことができたのです。しかし、昨今の社会は、変化が激しく、複雑で、価値観が多様化しているため、研究者が考える「いいもの」と社会が求める「いいもの」とは嚙み合わないようになってきました。特にグローバルではその傾向が顕著です。
こうした世の中において、掲げた行動指針の下、吉田五郎初代電気通信研究所長の言葉「知の泉を汲んで研究し実用化により世に恵を具体的に提供しよう」を改めて心に刻んで研究開発をリードしていきたいと思います。すなわち、世界最高峰の地位を確固たるものにできるよう「知の泉を汲んで研究し」、「実用化により」IOWN構想を世の中に実装し、さらに、マーケットニーズをベースに、研究を企画・推進していくマーケットイン型研究と、マーケットも気付いていない未来を自らが創造するプロダクトアウト型研究をバランスよく取りながら、「世の中に具体的な価値を提供」する覚悟をもって取り組んでいきます。
そして「直観力」を大切にしたいと思います。研究の世界では、その分野を極めた人だけが持つ研究の勘というものがあります。実績に裏打ちされた直観は「あの人が言うならば…」と人を動かす力を持ちます。だからこそ、研究者の皆さんには実績を積み上げていただきたいと考えています。一方で、実績を積み上げている若い研究者の皆さんの直観も受け取る力を私たちマネジメントも養い続けていきたいと考えています。その意味で、研究者として互いにフェアに評価し合える環境で数多くの研究成果を輩出していきます。パートナーはじめ社会の皆様、世界最高の研究開発を遂行する私たち研究者を、そして研究成果を使い倒してください。
(インタビュー:外川智恵/撮影:大野真也)
プラチナのロングヘアにフューシャピンクのネクタイ。スタイリッシュなスーツ姿で颯爽とインタビュー会場に登場した木下部門長。穏やかな語り口で、研究開発の実際と展望を包み隠さずお話しくださいました。例えば、R&Dが次々に発信する世界に誇る研究成果を淡々と話されながら「ビジネスとして成立させるには、ターゲットの文化的なコンテクストも理解しなくてはなりません」と、現状の課題も正直にお話しくださるのです。
一方で、ちょっとした冗談や昔話には目を細めて笑われて、周囲を和ませてくださるというあたたかさもお持ちの木下部門長。目下の息抜きは散歩だといいます。時間のあるときは1時間、2時間と自然を感じながら歩かれるとか。そんな木下部門長に、どんなトップになりたいかを伺うと「カジュアルに付き合える人でありたいですね。どんな立場の研究者ともストレートに意見の言い合える仲でありたいのです。研究者にとって技術が正解ですから、嘘をついたらばれてしまいます。だからこそ、技術について正直に遠慮なく議論し合える相手でありたいと思います」とおっしゃりました。曇りのない言葉や、人としてのぶれない軸を感じ、その姿勢が信頼を勝ち取っているのだと実感したひと時でした。