挑戦する研究者たち
光波のアナログ操作によるニューラルネットワークや量子コンピュータの実現をめざして
ネットワーク内のトラフィックが急速に増大傾向にある中で、「光」を用いた高速・大容量・低遅延の通信により、こうしたトラフィックの増大への対応が可能となります。さらにIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)の実現により、こうした特長がさらに強化されるだけではなく、省エネルギー化にもつながります。こうした光による通信はデジタル信号を光の波としての性質を利用して伝送しています。情報処理の世界はデジタルの世界ですが、光を波としてアナログ的に操作することで、より高速で省エネルギーな情報処理が可能となります。光を波としてアナログ的に操作することにより、ニューラルネットや量子コンピュータの実現に向けて挑戦する、NTT先端集積デバイス研究所 橋本俊和上席特別研究員に、「光を用いた計算に向けた光デバイス技術」とその応用、外の人と連携することで刺激を受け、学びを得て難しい課題にチャレンジする思いを伺いました。
橋本俊和
上席特別研究員
NTT先端集積デバイス研究所
大規模な計算の限界の克服に光による計算で挑む
現在、手掛けていらっしゃる研究について教えていただけますでしょうか。
「光を用いた計算に向けた光デバイス技術」というテーマに取り組んでいます。これは前回(2021年11月号)以前から引き続いて行っているもので、光を波としてアナログ的に操作することで、情報処理を高速にし、エネルギー消費を抑える技術です。私の取り組み内容はほとんど変わっていませんが、前回から変わったのは、計算技術に対する要求がより一層高くなった、ということです。生成AI(人工知能)あるいは大規模言語モデル(LLM)では、コンピューティングリソースの大規模化により性能が向上するというスケーリング則が見出され、より優れた性能をめざして計算規模の拡大競争が行われるようになりました。それらの計算に必要とされるエネルギー消費は莫大で、消費電力の削減という課題が社会課題となりつつあります。ムーアの法則が終焉を迎えているといわれる中で、計算量そのものの増大に対応するために、計算プロセッサそのものを革新する技術も求められています。そのような課題に対して、私たちは、従来のデジタル計算とは異なる光を波としてアナログ的に操作して計算を行う大規模計算技術の創出に取り組んでいます。IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想では光電融合技術により、通信を含めたコンピューティングシステムのエネルギー消費の低減をめざしていますが、それをメインストリームの技術とすると、私たちが行っている研究は少し異なった観点で将来のコンピューティング技術の創出をめざすものになります。
光を波としてアナログ的に操作して計算を行う大規模計算技術(大規模アナログ光計算技術)は、究極的には、現在の電子回路技術では制御ができないような光の持つ周波数領域や時間領域、さらには光量子の自由度を使い尽くして計算を行う技術です。そして、電気による操作が難しい光が持っている可能性を使い尽くすには、光が持っている性質そのものを使って制御するのが基本的な方針です。図1に、扱う計算・扱う情報の粒度に対する、従来の電子回路で情報処理の領域(光は伝送媒体として用いられ、情報をもった光の出し入れに光回路を用いる領域)と大規模アナログ光計算技術の領域を示します。現在、図中に示されている、「光リザーバコンピューティング」「光メタサーフェス」「光量子コンピュータ」という技術をテーマとして取り組んでいます。
空間・時間・量子の軸で光の可能性を追求
現在取り組んでいる技術はどのように大規模な計算の限界の克服につながっていくのでしょうか。
大規模アナログ光計算技術において大規模な計算に対応していく方向性としては「時間領域」「空間領域」「量子領域」の3つの軸があります。「光リザーバコンピューティング」「光メタサーフェス」「光量子コンピュータ」はそれぞれの軸の方向に大規模化する例となっています(図2)。
私たちの研究で実現している「光リザーバコンピューティング」は情報を乗せた光のパルスから、そのパルスより細かく時分割したサブパルスに、もとの光パルスと同程度の時間遅延を与えて混ぜ合わせて複雑な相関を生成し、それらの組合せから所望の出力得るという計算手法です。電子回路では難しいサブパルスの生成やもとの光パルスに相当する時間遅延を与えて混ぜ合わせるといった「時間領域」の信号処理を光回路で実現しています。
「光メタサーフェス」は、透明な板(基板)に柱状の誘電体の微細パターンを敷き詰めたもので、光を透過させることで波面を制御する板状のデバイスです。入射した光が各柱を通過して放射される際に、柱の幅で位相が変化することを使い、柱の幅で位相変えた光1つひとつを波源として、それらを互いに干渉させて像(波面)を形成するものです。柱は光の波長よりも細かい間隔で配置され、1つの板上に数億本の柱を並べることが可能です。そこから出射された像は、その柱で生じた異なる位相の光どうしの相互干渉パターンとなるため、数億の2乗の積和に相当する情報が含まれることになります。このことは「光メタサーフェス」が「空間領域」を使って板を光が通過する一瞬で莫大な計算が可能であることを示していて、あとは、柱の幅で位相変えることがどのような情報の操作に相当するか、あるいは、どうすれば干渉像から意味のある情報を取り出せるかについての知見があれば「空間領域」を使った超高速で大規模な計算が可能となります。
「光量子コンピュータ」では量子の重ね合わせと量子もつれを使うことにより大規模化が実現されます。量子的に重ね合わせた状態をつくり、さらに重ね合わせ状態から互いに量子的に相関を持った状態(量子もつれ状態)を形成して、その状態に情報処理操作することで、多くの状態やその組合せに対してまとめて情報処理を行ったのと同様の結果を得ることが可能になります。これは量子コンピュータ全般にいえることで、従来の古典コンピュータでは事実上困難な計算が「量子領域」を用いることで計算可能となる理由の1つです。私たちの取り組みでは、光パルスに量子状態を形成し、それらの量子もつれをつくることで時間軸上に巨大な量子もつれ状態を生成することで「量子領域」の大規模化をめざしています。
光による大規模な計算によりもたらされるもの
具体的にどんなことが実現されていますか。
いずれの研究も若手の研究者が中心となって進めていて、素晴らしい成果を創出してくれています。
「光リザーバコンピューティング」ではニューラルネットワークとして大規模積和計算が可能であることを示すとともに、アナログ計算に適した機械学習のアルゴリズムを創出しました。リザーバコンピューティングは、リザーバからの出力信号に重み付けを行い、重みを最適化して所望の出力を得るという方法になります。リザーバは複雑なネットワークであれば固定されたものでよく、複雑なダイナミクスを持った物理的な媒質を用いる物理リザーバコンピュータが数多く提案されています。私たちは、光通信で培ってきた、光ファイバや光回路といったデバイス技術を適用して数10Gbit/sクラスのパルス信号を16個の光の周回回路中で32個に分け512のノード(ニューロン)を「時間領域」につくって、1波長当り1秒間に1013の積和演算が可能な世界最大規模の光リザーバコンピュータをつくり上げています。この光リザーバを多層化した多層光リザーバコンピュータも実現しています。また、東京大学中嶋研究室と共同で拡張DFA(Direct Feedback Alignment)法という、誤差逆伝搬不要な、アナログ計算に適した計算手法を提案し、多層光リザーバコンピュータと組みわせることで、アナログ計算機として世界最高性能を達成しました。さらに、この方法が一般的なニューラルネットワークに適用できることを示し、難しいといわれていたアナログ計算によるニューラルネットワークの学習が可能であることも示しています。
「光メタサーフェス」ではカラーイメージセンサの高感度化が可能であることを実証しました。レンズとカラーフィルタに代えて、RGBに色分解して、それぞれ別の受光素子上の集光させる光メタサーフェスを実現し、カラーフィルタで不要な波長の光を除去して色分解する従来の方法に比べて3倍以上明るいイメージセンシングが可能であることを示しました。また、普通のカメラに「光メタサーフェス」でつくったレンズを装着することでハイパースペクトルイメージングが可能となることも実証しています。こちらは、圧縮した画像データからAIを含めた数理最適化に基づいて画像再構成するNTTコンピュータ&データサイエンス研究所の成果と光メタサーフェスによるレンズ技術を組み合わせたものになります。色、すなわち、波長ごとに集光の仕方を変えられるレンズを実現して、そのレンズを通して撮影した1枚の画像を圧縮した画像データと見なして、画像再構成技術により波長ごとの画像を生成します。言い換えると波長ごとのピンぼけ具合の違いをもとに1枚の画像から波長ごとの画像を再構成するカメラで、普通のカメラに「光メタサーフェス」によるレンズを装着するだけでハイパースペクトルイメージングを実現できる世界初の技術を実現しています。「光メタサーフェス」の応用範囲は幅広く、今後もさまざまな応用が期待されるものと思われます。
「光量子コンピュータ」では東京大学古澤研究室や理化学研究所等と連携し、連続量光量子による量子情報処理を用いた量子コンピュータの実現をめざして取り組んでいます。連続量光量子コンピュータでは、光の振幅と位相に情報を載せて量子情報処理を行います。光通信でも光の振幅と位相に情報を載せて大容量伝送を行っています。光通信では一般的なレーザ光を波として用いるのに対して、「光量子コンピュータ」では量子状態のもつれや重ね合わせを実現するためにスクイーズド光と呼ばれる特殊な波の状態を用います。この特殊な波の状態を生成する部分に、NTTの通信向けの光デバイス技術が活かされています。NTTではPPLN(Periodically Poled Lithium Niobate)という非線形光学素子を用いて光通信向けに超低ノイズ光アンプ技術を20年以上にもわたって培ってきました。このデバイスの使い方を少し変えると光の周波数を半分に変換してスクイーズド光をつくり出すことができます。NTTでは世界最高性能を実現するPPLNのアンプ技術をすでに実現しており、これを転用してスクイーズド光生成モジュールを実現し、Tz級の帯域を持ちながら量子性を表す指標であるスクイージングレベルで8dB以上という世界最高性能を達成しました。さらに、そのスクイーズド光生成モジュールを用いることで、大規模クラスタ生成への適用可能性や高速な光パルスによる量子状態の生成等、「光量子コンピュータ」の基本要素を実現し動作実証しています。現在、それらの要素をまとめて、最初の「光量子コンピュータ」実機を実現する予定です。光量子に限らず、量子コンピュータはノイズに弱いという課題があり世界の中の研究者がノイズに耐性のあるコンピュータの実現をめざしています。私たちは、まず2030年ごろまでにノイズ耐性を備えた量子コンピュータの実現をめざし、さらに将来的には、2050年ごろに全光型の光量子コンピュータをチップに集積したかたちで実現することを目標としています。これにより、従来のコンピューティングでは困難だった複雑かつ大規模な計算を可能にし、社会課題の解決等に貢献していければと考えています。
これらの成果は、直近の応用という意味ではばらばらで、互いに関連を持っていないようにみえますが、根底にあるのは電気でできない領域を光で実現するということです。電気では難しい超高周波あるいは時間領域の信号を光回路で処理し、光学的な画像情報を光のまま扱い、量子性の高い状態を非線形光学素子で実現しています。また、これらの技術は将来的に関連し合うことで、より大規模な光による情報処理を可能にし、現在の計算技術では困難な計算を可能にする光による計算を実現するための要素技術となると考えています。
また、今後に向けて2つのポイントに注目しています。1番目は、現在の技術ではすべてを光で処理することが困難である点です。光に情報を重畳したり、光から情報を取り出したりする際には、電気・電子回路技術が必要です。電気では難しい部分を光で補うことが可能でも、逆に光では困難な部分も多く存在し、それらは電気によって補う必要があります。このように、電気と光が互いに補完し合うことで、光を使った計算が実現できると考えています。2番目は、学術的な興味に関するものです。大規模な計算を実現するためには、多数の自由度を利用できるようにすることが鍵となりますが、そうすることで、物理系の性質として予想外の現象が現れる可能性に期待しています。例えば、空間的に離散化された位相パターンを持つ光メタサーフェスを用いたレンズでは、波長より大きな空間的周期性が存在すると、回折光と呼ばれるノイズが発生します。しかし、波長よりも短い(より細かい)周期にすることで、理論的には滑らかな球面レンズのように、回折光を完全に抑えることができます。これは「予想外」というよりもすでに知られている現象ですが、自由度が増えることで質的に変化する例の1つです。また、ニューラルネットワークについては、自由度が無限に大きければ任意の関数を近似できることが数学的に証明されています。自由度が増えることで制約が減り、むしろ最適化が容易になる場合もあります。さらに、統計的な性質を活用しやすくなることから、少数の自由度では得られない新しい特性が生み出される可能性にも期待しています。
外の人と連携することで、刺激を受け、学びを得て難しい課題にチャレンジ
研究者として心掛けていることを教えてください。
前回(2021年11月号)は、自分自身の気付いていない思い込みや考え方の癖が制限要因にならないように、判断は自然(実験や世の中の反応)に任せて、自分が面白いと思うこと、楽しいと思うことにトライする、ということをお話ししました。これは個人に限らずチームとしても同じであると考えています。チームの中では、私は他のメンバよりも多くの経験を積んでいるので、チームのメンバがやっていることに、アドバイスという大義名分のもと、一言いいたくなる衝動に駆られます。そのとき気を付けているのが、その一言で研究者の持っている勢いを止めることにならないか、ということです。自分の経験をメンバに伝えて失敗を回避するよりも、メンバには経験をしてもらうことが大切だと考えています。本当にやりたいことをやってもらうために、“一言”を自戒しているつもりです。実際そうなっているのかは全く自信がありません。
もう1つ心掛けているのは、メンバが各自でチーム(研究グループ)の外にチームをつくってもらうようにするということです。研究グループとしての大きなテーマは設定していますが、各自のテーマは非常にバラエティに富んでいて「個人商店の集合」と揶揄されることもしばしばです。私としては、研究グループ内の連携は緩いものでよく、各人のテーマに関連する大学や企業の方々のところに出向いて、一緒にやってくれる人を探し、技術を補い合える連携体制をつくり、研究を広げていくという営みが、大切だと考えています。外の人と連携することで、自分たちだけでは気付かなかった得意なところ、不足しているところに気付き、技術を補い合って研究をより価値のあるものに変えていくことができると考えています。何より一番期待しているのは、研究グループのメンバが、外部との連携を通して、刺激を受ける、ということです。技術や仕事の進め方が自分と違う多くの人がいて、その人たちが何をやっているのかを肌で感じることで、自分の殻に閉じこもらずに広い視野で研究開発を進めてもらえると考えています。特に若手研究者は研究を小さくまとめてしまわずに、将来的に長い視野を持って取り組んでもらえればと思います。
後進の研究者へのメッセージをお願いします。
研究者は難しい課題にチャレンジし続ける人だと思います。ときには、どのようにすれば課題を解決できるかに悩み、限界を感じることもあるか思います。そういった課題をとことんまで見つめて考え続けることも大切ですが、ときには視野を広げることも大切なように思います。視野を広げるというのは、インプットを増やすという意味もありますが、それに加えて、視点を変える、つまり課題の整理の仕方を変えるという意味もあります。視野を広げるため、学会に参加したりするのも良いと思いますし、ただ机から離れて知らない場所にいくだけでもいいのかもしれません。街並みを眺めたり、先方には迷惑かもしれませんが理由をつけて取引先の企業に出向いてメールでしかやり取りしていなかった人に会ったりする。それだけで、自分の考えている課題を相対化することができて、新たな切り口が見えてくる場合もあるのではないでしょうか。普段とは違う体験を意識的にやって、そこで刺激を受けて、それをきっかけにさまざまなことに興味を持ち、自分の研究をとらえ直して、そこから得られた知識だけでなく視点をうまく取り入れることで研究に活かしていってもらえるといいと思います。