2025年4月号
特集
宇宙データセンタ実現に向けたAI推論技術
- 宇宙データセンタ
- AI推論
- イベント駆動型AI
本稿では、宇宙データセンタ(宇宙DC)に関する研究について紹介します。近年の宇宙開発の進展に伴い、人工衛星の数が増加し、特に地球観測や通信においてAI(人工知能)推論技術の活用が期待されています。NTTグループでは、静止軌道(GEO)衛星を利用した新たな宇宙インフラの構築をめざしており、GEO衛星によるデータリレーやデータストレージについて検討しています。そうしたユースケースの実現に不可欠な、イベント駆動型AIや差分検知技術など、データ分析の効率化に向けた具体的なアプローチについて紹介します。
江田 毅晴(えだ たけはる)/宇田川 拓郎(うだがわ たくろう)
Monikka Busto/牧野 浩之(まきの ひろゆき)
山崎 育生(やまさき いくお)
NTTソフトウェアイノベーションセンタ
はじめに
近年、宇宙開発が加速しており、特に地球観測や通信のための人工衛星の数が飛躍的に増え続けています。人工衛星では地球観測のためのセンサや通信ターミナル、ソーラーパネル等に加えてオンボードコンピュータが搭載されており、衛星の制御や通信などの用途に利用されてきました。従来は設計段階から放射線耐性を高めた宇宙専用の組込コンピュータを開発し搭載していましたが、最近は商用の計算機(COTS: Commercial Off-The-Shelf)に対して放射線対策を施したコンピュータを宇宙へ適用することが一般化したことで、よりさまざまな用途にオンボードコンピュータが使われるようになってきました。特に高分解能センサを搭載する地球観測衛星(観測衛星)*1では、データの圧縮やAI(人工知能)による高度な分析にオンボードコンピュータを利用することが期待されています。
一方で、地球観測に使われる低軌道を周回する低軌道(LEO: Low Earth Orbit) 衛星*2は小型化が進んでおり供給電力も小さいため、計算能力、計算可能な時間が限られるという課題があります。そのため、最近のトレンドである高精度モデル(Vision&Languageモデルなど)を使った高度なAI解析を、究極のエッジとも呼べる宇宙空間の衛星上(オンボード)で利用するのは簡単ではありません。また、ほかの観測衛星で撮影されたデータや地上から取得したメタデータを使った比較分析をオンボードで実現することも同様に難しくなっています。
*1 地球観測衛星、通信衛星、人工衛星:さまざまなセンサを搭載して地球観測するための人工衛星、通信のための衛星(LEO衛星を利用した衛星コンステレーション、常時接続可能なGEO衛星を利用したデータリレーなどがあります)。
*2 低軌道衛星: 地上から約2000kmまでの位置を周回する人工衛星。周期は90分程度のものが多く、地表との距離が近いことを利用して、観測衛星や通信向けの衛星コンステレーション等に利用されます。
宇宙データセンタ事業の実現
Space Compass社は、静止軌道(GEO: Geostationary Earth Orbit)衛星*3における宇宙データセンタ(宇宙DC)*4事業を立ち上げることをめざしており、新たなインフラ構築に挑戦しています(1)。GEO衛星ではLEO衛星と比べて十分な電力、また豊富な計算能力を持ち、観測データを保存するためのデータストレージを提供し、LEO衛星との大容量・準リアルタイムなデータ伝送が可能となることが期待されています。また、GEO衛星に複数のLEO衛星から観測データをアップロードして情報を集約したり、過去のアーカイブとの比較分析を行うなど、より高度な地球観測データの分析を可能にすることが期待できます。
宇宙DCに関する関連研究として、Caltech/JPL(カリフォルニア工科大学/ジェット推進研究所)は2019年にワークショップを開催し、従来の個々の科学的目標の達成をめざす宇宙ミッションからパラダイムシフトし、効率的で持続的なサービスを提供するために、計算機・データストレージ・ネットワーク・クラウドなどをインフラとして提供するNebulaeというビジョンを提案しました(2)。現在では、主に防衛用途を中心に世界中で官民をまたがるかたちで多数の宇宙空間のインフラ構築に向けた取り組みが加速しており(3)、NTTグループも宇宙統合コンピューティングによって、地上と非地上のインフラを統合し持続可能な社会を実現することをめざしています(1)。
Space Compassは、複数のGEO衛星を打ち上げて、宇宙データセンタ事業を開始することをめざしています。3機以上のGEO衛星を打ち上げることで、ほとんどのLEO衛星および地上局からの常時接続が可能になります。宇宙データセンタ事業は、光データリレーとスペースエッジコンピューティングからなります。光データリレーは、90分で地球を1周し地上局と常時通信はできないLEO衛星と地上局の間を GEO衛星経由の光通信でつなぐ高速ネットワークサービスであり、セキュアでリアルタイムな衛星データの活用を実現します。ただし、観測データはデータサイズが大きいため、観測データ数が増えるとGEO衛星と地上局の通信路がボトルネックになり、地上局での分析が遅れる可能性があります。そこで、GEO衛星上の計算機を利用し(スペースエッジコンピューティング)、観測データの分析を軌道上で行って地上局にダウンロードすべき重要なデータを選別して地上へのデータ転送量を削減することにより、真に重要なデータについての分析のリアルタイム性を向上させることが期待できます(3)。
さらに、観測衛星(一般的にはLEO衛星)と常時接続をすることのできるGEO衛星は、衛星データのためのデータハブとして最適です。図1に、宇宙データセンタとして考えられる代表的なユースケースを3つ示します。
*3 静止軌道衛星:地上から約3万6000km の位置を周回する人工衛星。地上から静止した軌道を選択できるため、気象衛星等に使われています。
*4 宇宙データセンタ(宇宙DC):人工衛星を利用したネットワーク・コンピューティングの統合インフラ・サービスです。
■ユースケース#1:観測衛星向けのストレージサービス
観測衛星は小型化が進んでおり、十分なデータ保存領域を提供することが難しいです。宇宙データセンタを常時接続可能なデータストレージとして利用することで、バックアップを作成する、他衛星とデータを共有する、といったことが可能になると考えられます。
■ユースケース#2:地上との通信なしのコマンド実行
宇宙データセンタ上でデータを分析しAIによる判断をすることで、地上局や人間を介さずに新たなコマンドを別の衛星に発行することが可能になります。例えば、ある観測衛星が撮影したデータに異常を発見した際に、高性能なセンサを持つ別の観測衛星に同地点の撮影を依頼することで、より詳しい分析を宇宙空間で完結することが可能になると考えられます。
■ユースケース#3:ほかの観測衛星の撮影データや地上データとのデータ融合
宇宙データセンタ上に撮影データをアップロードし、種類の異なるセンサ〔光学、SAR(Synthetic Aperture Radar)*5、ハイパースペクトル等〕によるデータを突き合わせることで、同一地点を複数の観点から分析する、光学センサでは見えないものをSARデータで補完する、といったことができるようになります。また、過去アーカイブと最新スナップショットとの差分を検知することで異常を発見する、処理対象を制限するといったことも可能になります。地図やAIS(Automatic Identification System:船舶自動識別装置)といった地上で取得できる情報を突き合わせることで、高度な分析を行うことも期待できます。
これらのユースケースに共通するのは、軌道上の宇宙データセンタを利用することで膨大な観測衛星のデータを圧縮し不要なデータは破棄することで、地上との通信量の削減につなげている点であり、この点は前述した光データリレーにおいて軌道上で分析する効果と同様です。NTTソフトウェアイノベーションセンタでは、宇宙データセンタのための基盤技術として、イベント駆動型AI技術(4)(5)、軌道上のオンボードコンピュータ上でAI推論を利用したアプリケーションを作成するための最適化技術(6)、軽量な差分検知技術(7)などの研究開発を進めてきました。
*5 SAR:マイクロ波の反射を利用した地球観測方式。
イベント駆動型AI技術
SARデータを対象とするイベント駆動型AI処理の例を図2に示します。
最近のSARは性能が高く高分解能であるため、データサイズが非常に大きく、画像化し圧縮しても数100MB以上の大きさになります。高速に地球を周回するLEO衛星で撮影したSARデータをすべて地上に落とすのはコストが高く時間もかかるため、オンボードコンピュータを利用して1回目の粗い推論を行い、より詳細な分析が必要と考えられるデータだけを地上にダウンロードし詳細な分析(2回目の推論)を行います。私たちが行った実験では、前段のAIモデルとして比較的軽量な物体検知モデルを用いて、LEOのオンボードコンピュータとして多数の採用実績を持つUnibap ix10 とAIチップである Intel Myriad X VPU(Vision Processing Unit)*6を用いた検証を行いました。検知したい物体の出現頻度にも依存しますが、公開されている船のデータセットを用いた実験では、軌道上で58.7〜80%のデータ容量の削減に成功しています(5)。ix10を用いた実験では、VPUを用いることで CPU に比べて消費電力、実行時間ともに大きく改善し、十分に衛星上のオンボードコンピュータでAI分析が可能であることを確認しています。また、ix10上で動作する船検知アプリケーションを組み上げ、NTT R&Dフォーラム2024等の展示会にてデモを行いました(図3)。
*6 VPU:画像処理専用のASIC。Myriad X は、Intelが買収した Movidius社のチップであり、放射線耐性が確認されているため、多数の軌道上での利用実績があります。入力は画像だけに限定せず、中規模程度のAIモデルまでに対応しています。
軽量な差分検知技術
イベント駆動型AI処理は、事前にどのようなイベントが起きそうかある程度の推測ができなければ適用することができません。事前に推測ができない場合でも利用できる方法の1つとして、過去データとの差分を検知して、変化があった個所だけに着目し処理を行う差分検知があります。差分検知を行うことで、変化があった個所だけを保存しデータ容量を削減し、計算範囲を絞ることで計算コストを削減することが期待できます。図4に示すように、課題設定としては、2つの入力の変化位置を示す Change map を出力する問題になります。差分検知技術は昔から研究されており、多数の手法が提案していますが、私たちは軌道上のオンボードコンピュータ上でより軽量に差分検知を行うために、既存のTransformerに基づいた差分検知アルゴリズムに対して早期出口(Early Exit)の付与とデコーダの軽量化という2つの改良を施した新しい手法を提案しました(7)。早期出口とは、入力データに対する回答に自信がある場合には、ニューラルネットの計算を最終層まですることなく、途中で結果を出力するというアイデアで、今回は距離学習に基づいた学習を行うことで早期出口を実現しています。
実験の結果、平均して 30%程度のデータ転送量の削減を達成しました。
おわりに
本稿では、GEO衛星を活用した宇宙データセンタにて想定される3つのユースケースと、それらのユースケースを実現し、地上との通信量そしてデータ分析のリアルタイム性向上に寄与するアルゴリズムとして、SARデータに対するイベント駆動型AI推論技術および軽量な差分検知技術について紹介しました。今後、NTTソフトウェアイノベーションセンタでは、LEO衛星での軌道上実証に向けた開発と検証を行いつつ、スタンドアロンのオンボードコンピュータから発展させた衛星コンステレーションのための分散宇宙コンピューティングの実現に向けて研究開発を実施していきます。
■参考文献
(1) https://group.ntt/jp/newsrelease/2021/05/20/210520a.html
(2) https://sites.astro.caltech.edu/xaisc/
(3) 堀:“─世界を変える宇宙通信─ Space Compassが目指す地上・非地上のインフラ統合,”電気通信協会フォーラム,2024.
(4) T. Eda, A. Yamanaka, K. Tabata, and I. Yamasaki:“Case Study: Two-Phase AI Prediction Techniques for Space Edge Computing,”IEEE IGARSS,2023.
(5) M. R. Busto, T. Eda, T. Udagawa, and T. Sekine:“Case-Study: Two-Phase AI Prediction for Onboard Synthetic Aperture Radar (SAR) Data Processing,”IEEE IGARSS,2024.
(6) T. Eda, M. Busto, T. Udagawa, N. Ishihama, K. Tabata, Y. Matsuo, and I. Yamasaki:“Technical Challenges for AI in Space Data Centers,”IEEE IGARSS, 2024.
(7) M. R. Busto, S. Nouri, and T. Eda: “Parameter and Data Efficient Framework for Lightweight Change Detection,”IEEE IGARSS,2024.
(上段左から)江田 毅晴/宇田川 拓郎/Monikka Busto
(下段左から)牧野 浩之/山崎 育生

NTTソフトウェアイノベーションセンタでは、クラウドやAIの知見を活かし、宇宙という厳しい制約下での課題を解決しつつ、複数の組織とも密に連携しながら、事業化に向けた宇宙コンピューティング基盤の研究開発を進めていきます。