2025年5月号
挑戦する研究者たち
原子1層からなる原子層物質におけるキャリアダイナミクスの学理構築と機能開拓に挑む
IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想の実現におけるコアデバイスとして、半導体チップ内における光電融合や光による信号増幅・制御を行う光トランジスタがあります。光トランジスタに限らず、現在の情報通信で利用されている能動的デバイスのほとんどは半導体がベースになっています。一方、原子1層からなる原子層物質は、2004年のグラフェン作製以来、新たな物質も登場し、次々と新たな現象・特性が発見・解析され、その特性を応用した新たなデバイス開発に向けて、研究が進められています。原子層物質におけるキャリアダイナミクスの学理構築と機能開拓に挑む、NTT物性科学基礎研究所 熊田倫雄上席特別研究員に、原子層物質の組合せとパフォーマンスの関係を理解することにより、超高速デバイスの実現をめざす研究の成果、そして研究プロセスの楽しさを伺いました。
熊田倫雄
上席特別研究員
NTT物性科学基礎研究所
世界最速のグラフェン光検出器の実現と、世界最短のグラフェンプラズモン波束の電気的発生・伝搬制御・計測に成功
現在、手掛けていらっしゃる研究について教えていただけますでしょうか。
原子層物質と呼ばれる物質を利用して、特に超高速な電気信号を読み出し、電気的な制御を行う研究で、具体的には「オンチップTHz(テラヘルツ)電流測定による原子層物質キャリアダイナミクスの学理構築と機能開拓」というテーマに取り組んでいます。
原子層物質というのは、原子1層からなるシート状の物質で、結晶から原子層1枚を剥離することで作製されます。代表的なものにグラファイトから原子層1枚だけ剥離することで、2004年に世界で初めて作製が可能となったグラフェンがあり、このグラフェンの製法により英マンチェスター大学の2名の博士が2010年にノーベル物理学賞を受賞しています。その後、さまざまな物質で原子層物質を作製可能になってきています。さらに異なる原子層物質を積層させることで、新たな特性を持つ別の物質が作製されるため、物性研究において新たに注目を集める分野の1つになっています。一方で、作製にあたっては、手で単原子層を剥離して積み重ねることから、その特性などの測定手法が限られてくるため、まだ十分にその真価が評価されていないという状況です。このように、原子層物質は実現レベルでは非常に歴史の浅い分野であることから、未知の領域も多く、世界中の多くの研究者がそれぞれの立場でその特性分析や応用開拓にチャレンジしています。
さて、既存デバイス、例えば半導体受光素子では、電気抵抗により動作速度の制限があり、動けない電子と自由電子とのエネルギーの差であるバンドギャップにより対応可能な光の帯域の制限があります。また、シリコンフォトニクスでは光の回折限界からサイズの制限があります。こうした既存デバイスの制限を打破する新たな物質・物理現象・制御技術の開拓をめざして、私たちは原子層物質中の電子の、1ピコ秒という非常に短い時間内の動きを詳細に測定しています。デバイスに光を当てた瞬間に中の電子が動き、それが電気信号に変換される、という光検出器の動作を詳細に解析・理解し、原子層物質の組合せとパフォーマンスの関係を理解することで、種々のデバイスの作製を提案するところを目標としています。
広帯域高速光検出器材料としてのグラフェンの有望性実証と、テラヘルツ周波数の超高速信号処理の実現に貢献
最近、2つの成果が出たそうですね。
「世界最速、グラフェン光検出器のゼロバイアス動作220GHzの実現と光-電気変換プロセスを解明し、広帯域高速光検出器材料としてのグラフェンの有望性実証〔国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)と共同〕」と「世界最短のグラフェンプラズモン波束の電気的発生・伝搬制御・計測に成功し、テラヘルツ周波数の超高速信号処理の実現に貢献(国立大学法人東京大学およびNIMSと共同)」という2つの成果を出すことができました。
グラフェン光検出器に関する成果については、これまでグラフェンは、THz波から紫外光までの超広帯域で動作すること、わずか原子1層で2.3%の光を吸収するため高効率化が可能であることが理論的に示されています。一方、ソース・ドレイン電極間に電圧を印加しないで行うゼロバイアス下の実証動作速度は、デバイス構造や測定機器の問題により70GHzに制限されており、グラフェンが本来持っている応答を調べることができませんでした。このため、200GHz(理論的動作速度は200GHz以上)の動作速度を実証するとともに、グラフェンにおいてどのようなプロセスによって光信号が電気信号に変換されているのか、といった本質的な物性を明らかにすることが、グラフェンによる広帯域高速光検出器実現の課題でした。
実験は、サファイア基板上に、絶縁体であるNIMS製造の六方晶窒化ホウ素(hBN)でグラフェンを挟んだものに、金属のソース・ドレイン電極を接続した構造のデバイスを作製し、表面をアルミナ(Al2O3)絶縁膜で覆った後、一般的な金属ゲートで生じる電流遅延を回避するために酸化亜鉛(ZnO)をゲートとして成膜したグラフェン光検出器を作製しました(図1)。このグラフェン光検出器にポンプ光(280fsのレーザパルス)を照射することで生じた光電流はドレイン電極を伝搬し、光伝導スイッチにプローブ光を照射することで検出され、ポンプ光とプローブ光の時間差を変えることによる光電流の波形を計測しました(図2)。その結果、グラフェン光検出器が本来持つと期待されていた高速動作(220GHz)を実証することに成功しました。また、品質の異なるグラフェンを用いて作製した光検出器の特性を比較することで、動作速度と感度にトレードオフの関係があることを示しました。
さらに、これらの結果を解析することで、グラフェンにおける光-電気変換プロセスを解明しました。特に、これまでの常識とは異なり、電流の応答時間は光検出器の大きさにほとんど依存しないこと、および光照射後に電流が発生するまでの時間を電荷密度によって100fs以下から4ps以上まで大きく変化させることが可能なことを示しました。この成果は、情報処理やセンサ等の用途に合わせてグラフェン光検出器を設計するために不可欠な情報であり、2022年8月25日に英国科学誌『Nature Photonics』に掲載されました。
今後は、さまざまな原子層物質で同様の測定を行うことで、光検出器の動作速度を1THz以上まで上げていくことにトライするつもりです。
もう1つの成果はどのようなものでしょうか。
高速な無線通信やセンシング、イメージングに有望なTHz領域は長年未開拓領域とされてきましたが、自由空間を伝搬するTHz波のユースケースとしての社会実装への道筋が見えつつあります。一方、回路中のTHz電気信号の制御技術はまだ発展途上にあり、一般的に集積回路が取り扱うことができる信号帯域はギガヘルツ(GHz)帯で律速されています。この限界を突破し、より高速な信号処理を実現する新しい方法論としてグラフェンプラズモン*1に注目しています。
実験は、パルス幅が1.2ピコ秒のTHz電気パルスをグラフェンに印加することで、グラフェンプラズモン波束*2を発生・伝搬させ(図3)、金属ゲートによりグラフェンプラズモンの位相・振幅を制御し、ZnOゲートにより電気パルスとプラズモンの変換効率を高め、その実時間波形をサブピコ秒の時間分解能で計測することで、伝搬特性およびその制御性、プラズモン発生効率を評価しました(図4)。
この実験により、次の3点が初めて明らかになりました。
① 1.2ピコ秒の超短グラフェンプラズモン波束をチップ上で発生・伝搬制御・計測することに成功しました。このパルス幅は入射前の電気パルスの時間幅と同等であり、電気的に励起されたプラズモン波束として世界最短であることが分かりました。これはTHz領域の電気信号を歪ませることなく伝送できていることを示しています。
② グラフェンの電荷密度をゲートにより電気的に変調することで、プラズモン波束の位相と振幅を制御できることが分かりました。位相と振幅の制御は、あらゆる信号処理を実現するための基本的な操作であり、THz領域の電気信号を扱う新しい素子動作を実証できたことを意味します。
③ ゲート電極の材料を最適化することで電気パルスからグラフェンプラズモン波束への変換効率が最大で35%に達することが確認できました。この値は、従来の光からプラズモンへの変換効率を数桁上回るものであり、グラフェンプラズモンはTHz領域の電気信号を扱うことに本質的に適していることを示しています。また、変換効率だけでなく閉じ込め効果や伝搬速度、パルス幅がゲート電極によって大きく変化することを明らかにしました。これらの知見により、目的に応じてデバイス構造を最適化することが可能になります。
この成果は、2024年7月17日に英国科学誌『Nature Electronics』に掲載されました。
今後は、広帯域かつ高速な信号を電子回路中で制御する技術であるプラズモニクスへの応用に展開すること、別の切り口から、量子情報処理応用として、電子の飛行量子ビットについて極低温THz測定、超短単一電子パルス励起につなげ、量子もつれ対のオンデマンド生成・配送に展開していきたいと考えています。
*1 グラフェンプラズモン:プラズモンとは電荷密度の振動であり、光のような波としての性質を有しながら、自由空間の光に比べて極めて小さな領域に電磁場を閉じ込められる特徴があります。特に、グラフェン中の自由電子の振動であるグラフェンプラズモンは、THz領域でロスが小さいことが知られており、さらに電子密度を変化させることにより波長や伝搬速度等を制御できる特徴があります。
*2 波束:限られた範囲にだけ存在する波。移動する1個の波動の塊のように振る舞います。
発生する現象の詳細なプロセス、メカニズムを解明し、最終的に最適な物質を探すことにつなげる研究で成果を出し、それをアピールすることで興味を誘い、トップランナーをめざす
研究者として心掛けていることを教えてください。
現在取り組んでいる研究分野は、グラフェンの実物が登場するようになって以降、理論の検証ばかりではなく、さまざまな新たな物理現象も発見されてきています。また、グラフェン以外の原子層物質も登場し、まさに新しい世界が一気に広がってきたような状況です。各研究者はそれぞれの研究対象を見つけて取り組んでおり、いわば、誰もがトップランナーをめざすことができるような分野です。
こうした中、現在の半導体デバイスのブラッシュアップの延長では絶対到達できないようなパフォーマンスを、別な物質で示し、それを発表したいという思いを持って研究に取り組んでいます。その意味では私の研究対象分野においてはトップランナーをめざしているところです。そのために、基礎研究者として、各プロセスで発生する現象について、詳細なメカニズムで解明すること、例えば、光を当てたときに励起された電子が最終的にエネルギーを失って元に戻るときに、何かと相互作用して、最終的に元に戻る途中にどのような電気信号を、どのようなプロセスで発生させるのかといったメカニズムの解明が、最終的に最適な物質を探すことにつながるはずだ、という信念でその研究を行い、結果をアピールしていくことを意識しています。
さらに、同じ手法で研究を行っているグループが少ないこともあり、多くの人に興味を持ってもらえるようなアピールも重要だと思っています。先端的な研究は国際的なチームで共同研究することも多く、そのチームメンバーを選んだり選ばれたりするような入り口段階においては、興味を持ってもらえるかどうかという点が非常に大きな意味を持ちます。このため、学会や国際会議といったアピールの場、タイミング、プレゼンテーションの仕方1つで参加者の興味の持ち方が変わってくるので、いろいろと作戦を考えて対応しています。もちろん一番大切なことは、アピールするべき成果なのはいうまでもありません。幸いなことに前述のとおり同じ分野の研究者の数はまだ少なく、分野の狭い範囲ではそれぞれがトップランナーでもあるので、お互いに発表内容を理解し合い、そこに対する相互リスペクトもしやすく、さらにより多くの人に興味を持ってもらいたいという意識は共通なので、お互いに切磋琢磨していくことでこうした課題が解決していくのではないかと思っています。
こうした状況から、最近、ヨーロッパのコンソーシアムのファンドに、パートナーとして議論に参加できるようになり、また、前述の2つの成果のインパクトが大きかったので、招待講演なども増えており、少しずついい方向に向かっている気がします。こういったチャンスを活かして良い状況を継続していきたいと思っています。
研究のプロセスを楽しむ
後進の研究者へのメッセージをお願いします。
私自身は「たとえ小さな発見であっても、誰も見たことないところを見て、それを学術的に整理して、外部に対して発表し、それを世界中の人に認めてもらう」というプロセスが面白く、楽しいと思って研究しています。私と同じような考え方の人もいると思いますし、何か目的を達成したくて研究している人もいると思いますが、そういった初心を忘れずに研究を進めていただきたいと思います。
