2026年9月号
特集2 主役登場
計算の反復の先に、数の秩序を探して

佐野 薫
NTT コミュニケーション科学基礎研究所
NTT 基礎数学研究センタ
研究主任
方程式を数値的に解く方法の1つにNewton法があります。近似値から接線を用いて新たな近似値を求め、これを繰り返すことで厳密解へ近づけていく手法です。しかし見方を変えると、Newton法は同じ関数を反復する力学系でもあります。複素数の世界では、収束する解ごとに初期値を色分けすると、境界には非常に入り組んだかたちが現れます。単純な計算規則から、カオス的な振る舞いが生まれるのです。こうした反復のアイデアは最適化や機械学習、さらにはAI(人工知能)や量子計算の中にも現れます。
私が研究している数論的力学系も、このような規則の反復が生み出す現象を調べる分野です。多項式や有理関数への代入を反復したとき、有理数や代数的数はどのような軌道を描くのか。周期的に戻ってくる点はどれくらいあるのか。素朴にみえる問いが、周期点、代数曲線の有理点、ガロア群、高さ関数といった現代の整数論の対象へとつながる所に面白さがあります。
反復を象徴する存在が、Mandelbrot(マンデルブロ)集合です。二次多項式の反復を考えるだけで現れる図形ですが、その境界には無限に複雑な構造があり、拡大しても次々に似たかたちが現れます。このかたちを理解するうえで重要なのが、Mandelbrot集合の境界上にある、放物型パラメータと呼ばれる特別な点たちです。これを調べることは、Mandelbrot集合の部品のつながり方や全体の輪郭を理解することにつながります。さらにMandelbrot集合は、二次多項式だけの特殊な図形ではありません。力学系のさまざまな場面で、よく似た構造が現れます。Newton法のような方程式を解く計算手続きの中にも、その普遍的な姿が顔を出します。計算の収束を考えていたはずが、いつの間にかMandelbrot集合やカオスの問題に出会う。そこに反復の奥深さがあります。カオスは単なる無秩序ではありません。まだ十分に言語化されていない構造が多様に絡まり合っており、その一部だけがみえているのだと思います。放物型パラメータを調べること、有理数の軌道を調べること、反復が生み出す代数的構造を調べることは、カオスの理解と、数の世界に潜む未知の秩序を探ることにつながっています。実際に、私の最近の研究では、放物型パラメータの数としての性質を調べることで、Mandelbrot集合に潜む整数論的な秩序の一部を明らかにしました。
NTT R&Dには「知の泉を汲んで研究し実用化により世に恵を具体的に提供しよう」という言葉があります。基礎数学の成果は、すぐに社会に還元できるとは限りません。しかし、純粋な好奇心から生まれた数学が、長い時間を経て通信・暗号・計算を支える言葉になってきました。Newton法のような身近な計算から、Mandelbrot集合の普遍的な姿へ。そして、そこから数論的力学系の未知の世界へ。単純な規則を繰り返したカオスにどのような秩序が現れるのか。その問いに向き合い、未知の数学と技術を支える「知の泉」を少しでも豊かにしていきたいと思います。
