明日のトップランナー
パラダイムシフトの中で実現する新時代のペタビット級空間多重光伝送
光ファイバを基盤とした大容量光通信インフラは、これまで40年以上にわたりさまざまな技術革新によって、伝送可能な通信容量を増やしてきました。しかし既存の光ファイバでは、やがて伝送容量の物理限界が訪れることが見え始めています。今回は「空間多重光ファイバ」と呼ばれる新しい構造の光ファイバを利用して、従来のテラビット級容量からペタビット級容量へ飛躍的なスケーリングをもたらす次世代の「ペタビット級高密度空間多重光伝送技術」について、芝原光樹特別研究員にお話を聞きました。
芝原光樹 特別研究員
NTT未来ねっと研究所
PROFILE
2010年京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻にて修士号を取得。同年、日本電信電話株式会社に入社。2017年京都大学大学院情報学研究科通信情報システム専攻博士課程修了。2022年よりNTT未来ねっと研究所特別研究員。次世代大容量光伝送技術基盤に関する研究開発に従事。2016年The Tingye Li Innovation Prize〔Optica(旧:Optical Society of America)〕、2017年電子情報通信学会学術奨励賞を受賞。
「ペタビット級高密度空間多重光伝送技術」で未知なる光通信基盤をめざす
◆「ペタビット級高密度空間多重光伝送技術」とはどのようなものなのでしょうか。
「ペタビット級高密度空間多重光伝送技術」とは、空間多重光ファイバと呼ばれる新しい構造の光ファイバを利用し、従来と比較してはるかに大きな伝送容量を実現する技術です。現代社会において、例えばSNSを通じて自宅から地球の裏側と情報をリアルタイムに把握・発信できるのは、光ファイバを伝送媒体として構成されている光通信インフラのおかげです。これまで光通信インフラは、さまざまな技術革新によって伝送可能な通信容量を着実に増やしてきましたが、一方で既存の光ファイバではやがて伝送容量の物理限界が訪れると予想されています。その理由として、光ファイバはガラスからできているため、各波長チャネルの光パワーを増やしていった場合にガラスが溶けてしまうといった問題が生じます。またさらに光信号がガラスの物理的特性によって歪みを受けてしまうといった問題も発生します。このような問題により、長距離向けのネットワークでの伝送容量は1本のファイバ当り、おおむね毎秒100テラビットが上限と見積もられています。
そこで「空間多重光ファイバ」と呼ばれる新しい構造の光ファイバを利用することで、現在のテラビット級通信容量からペタビット級通信容量へ飛躍的なスケーリングをもたらす、次世代の「ペタビット級高密度空間多重光伝送技術」の実現に取り組んでいます。
◆「ペタビット級高密度空間多重光伝送技術」を実現するために、どのような研究を行っているのでしょうか。
これまでの光通信インフラの大容量化は、主に新しい「多重化軸」を開拓することにより実現されてきました。例えば「波長分割多重光伝送技術」では波長軸で多重化を行い、異なる情報をそれぞれ異なる光の色に載せた後に束ね、1本の光ファイバで伝送しています。同様に本研究の「空間分割多重光伝送技術」では、光ファイバの中の空間軸に「コア」や「モード」と呼ばれる光の通り道を複数用意して束ねることで、光ファイバ1本当りの通信容量拡大を実現しています。これによって例えばファイバの中に複数のコアを配置したマルチコアファイバは、各コアの中に光信号を束ねて入れることで、コアの本数をn増やすと理論上の通信容量がn倍になるといったように、コアの本数分だけ通信容量拡大が可能です(図1)。
しかしここでの大きな問題として、コアの中に通し方を変えた複数の光信号を通すことができるマルチモードファイバでは、伝送する際に「モード分散」と「モード依存損失」という現象が発生します。「モード分散」とは、マルチモードファイバで伝送をする際に時間的な遅れが発生し、出口側での到着時間が変わってくるという現象です。ファイバ内の光伝搬は全反射の現象として例えられることが多く、従来のシングルモードでは反射角が非常に大きいのに対して、次数の高いモードの場合には反射角が小さくなり反射の回数が多くなるため、到着時間が遅れてしまいます。そのため、モードに載せた信号の到着時間を補正する手間が発生し、伝送性能を制限してしまいます。また「モード依存損失」では、ファイバの中の各モードの強度分布がそれぞれ異なり、ファイバの接続点でズレが発生したかたちで接続されてしまうと損失が発生するという問題が生じます。
この「モード分散」と「モード依存損失」は距離によって累積していき、特に長距離陸上光ネットワークや海底光ネットワークのような1000kmを超えるような伝送領域を「大容量」「高品質」に実現するためには、解決しなければならない大きな技術課題でした。
◆「大容量」「高品質」通信のための技術課題解決へ向けて、どのような研究をされているのでしょうか。
これらの現象の影響低減のため「巡回モード置換」や「干渉キャンセラ」といった基盤技術の提案を行っています。1000km級の長距離伝送では、途中で光信号の増幅を行う光増幅中継器というものがあり、「巡回モード置換」では、この光増幅中継器でモードの入れ替えを行います。こうして1つのモードで長距離の伝送を行うのではなく、各区間でモードの形態を変えながら伝送することによって「モード分散」や「モード依存損失」の影響を平均化して、大きな課題であった伝送における損失を低減することができます。また「干渉キャンセラ」では、光伝送において信号が互いに干渉して混ざり込んでしまうという現象(クロストーク)を信号処理で取り除き高品質な伝送を可能にしています。これは元々無線分野で広く知られた技術だったのですが、光伝送路のような変動の速い世界において検討し提案することで、クロストークを低減し「大容量」「高品質」な伝送基盤に貢献することができています。これらの、世界に先駆けて提案・実証してきた基盤伝送技術「巡回モード置換」「干渉キャンセラ」を用いて、さまざまな技術課題の解決策を提示していきたいと考えています。
◆実際にどのような研究成果を上げられているのでしょうか。
これまでに「マルチモードファイバやマルチコア・マルチモードファイバでの世界最長の光伝送記録樹立」をNTTとして達成しています。2018年には3モードファイバを使って6300km、同じく2018年にはマルチコア・マルチモードファイバを使って3000km、2020年に6モードファイバを使って3250kmの報告をしており、いずれも世界最長の記録となっています。
これらの研究成果によって、マルチコアファイバを用いた長距離光伝送だけでなく、マルチモードファイバを用いた伝送でも光信号が長距離伝送可能であることを示しました。空間多重光ファイバを実装したケーブルの問題として、空間多重構造・形態の差異により伝送性能以外にも製造コスト・耐久性・周辺デバイスとの接続親和性などの違いが出るという特性があります。そのため、将来の海底光ネットークに対して実現形態の候補を増やすことで、将来のシステム実現へ向けた低コスト化へ寄与でき得ると思っています。
また長距離伝送システム構築するうえでは、マルチモードファイバの「モード分散」や「モード依存損失」といった現象は距離に比例して累積するため、今後も長距離におけるモード多重伝送実験を続け、実際に伝送基盤として成立するのかを検証していくことが重要な研究ミッションだと考えています。
40年来のパラダイムシフトに研究開発ができる喜び
◆今後の研究目標について教えてください。
現在では、通信を用いたアプリケーションやサービスが日々登場していますが、それを「縁の下」で支える光通信インフラも、増え続ける通信トラフィックを十分に収容可能な能力を有するかたちで進化を続けなければなりません。IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想を実現する技術分野の1つであるオールフォトニクス・ネットワーク(APN:All-Photonics Network)では、大容量・高品質な光ネットワークの実現目標値として「伝送容量125倍」を掲げていますが、この数値目標を達成するために空間多重光伝送技術は必要不可欠な技術です。今後もIOWN構想実現へ向けた取り組みとして、高効率な光電融合デバイスを用いた光帯域の拡張技術や、信号空間の極限的な利用効率向上技術など進展の目覚ましい革新的技術と組み合わせることで伝送容量の拡大を実現していきます。
実際に空間多重技術の社会実装は2020年代半ばごろに進むと予想されていますが、その際には1本の光ファイバ当り多くても10程度の光の通り道からスタートするのではないかと思っています。しかしそれによってサポート可能な伝送容量も、遠くない未来にすぐに不十分になるでしょう。そこで今後の具体的な研究目標としては、光の通り道をさらに増やした100程度の空間多重光ファイバを用いた長距離の光伝送基盤実現に取り組み、光通信インフラの持続可能な発展を支える研究開発を進めたいと考えています(図2)。
◆研究において大切にされている考え方はどのようなことでしょうか。
私は研究を進めるうえで、数100年後にも形跡が残るような仕事をしたいと思っています。私が研究している空間多重光伝送技術は、過去40年以上大きな変化がなかった光ファイバの構造を変える試みであり、光ファイバのみならず、光トランシーバ、光増幅器、光接続デバイス技術など周辺の関連技術分野にも大きな変化の潮流を生んでいます。そのため空間多重光伝送実験を行う際には、技術的・市場的に成熟していない光・電気デバイスの試作品を統合した検証実験系を組まなければならないという苦労がありますが、その一方で過去40年来の貴重なパラダイムシフトとして技術開発ができているというのは、研究者としての大きな喜びです。例えばスポーツの記録樹立や偉大な建築物など、かたちは人によってさまざまだと思いますが、私自身は苦労して創出した研究結果が世界初・世界トップレベルのものとなり、それが国際学会や論文誌で採録されると「小さな一歩ながらも人類の科学史に貢献できた」と実感することができて大きなやりがいにつながっています。
◆最後に、研究者・学生・ビジネスパートナーの方々へメッセージをお願いします。
私が所属しているNTT未来ねっと研究所は、無線や光といった情報を送る手段にこだわらず、通信の可能性を極限まで突き詰めて切り拓く技術、そしてそれを高効率・高機能にハンドリングする技術を検討するという、NTTの中でも非常に広範な分野を取り扱う研究所だと思います。その特徴から、デバイス・システム・アプリケーションを扱うさまざまな他の研究所との交流・連携も盛んであり、社内外問わず通信の周辺分野との技術交流がしやすい点が強みだと思います。例えば光通信の分野では、社内だけでも光ファイバ、光増幅器、光変調器などのデバイスや、ネットワーキングといった光伝送システムにかかわる主要な技術の専門家が所属しており、相談がしやすい環境が整っています。
私は修士課程まで物理学の地球惑星科学を専攻していたため、NTTに入社するまで情報通信技術についてかかわることは全くありませんでした。しかし仕事として光通信技術に携わるようになって初めて、この技術分野の間口の広さや、さまざまな周辺技術分野を吸収する力に気付き、今現在も驚きを感じ続けています。
例えば基本的な通信方式や関連装置に関する電気電子工学や通信工学を中心に、光伝搬・制御の光学的な知識や、信号の解析・処理を行うための統計学、計算機科学、情報理論、信号処理理論についても知見は大いに役に立ちます。光学デバイスの面からは材料・量子化学とも関連があり、アプリケーションの面では暗号理論、量子コンピュータ、AIの隆盛により流行りの機械学習や深層学習への応用検討も盛んです。
このように情報通信技術は、最先端の科学技術の粋を集めた分野であると同時に、どのようなバックグラウンドの方でも活躍のチャンスが用意されている、非常にチャレンジしがいのある分野だと感じています。また社外に出たときもこれまでの諸先輩方の功績により醸成された産官学との強固なつながりや恩恵を感じる場面が多いように思います。NTT研究所には、世界トップレベルの成果を創出可能なヒト・モノを含めた十分な研究開発リソースや環境、そして挑戦しがいのある多くの研究課題が用意されているため、研究開発の営みを通した社会貢献をめざす方にはぜひNTTに来ていただいて、一緒に新たな時代を切り拓く研究に取り組めることを願っています。