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情報技術で心豊かな社会へと導く「人と人のつながりを深化させるコミュニケーション支援」

情報技術は私たちの生活を豊かにする一方で、それを使う私たちにもリテラシーやその功罪を理解することが求められています。例えばAI(人工知能)技術は日に日に進歩を続け、人間とのコミュニケーションまでもが容易になっていますが、それによって人と人のコミュニケーションが希薄化してしまう可能性も秘めていることに注意しなければいけません。今回は情報技術を用いたコミュニケーションの深化に取り組む山下直美特別研究員に、現代社会が抱えるさまざまな問題の解決に向けた研究や研究者としての心構えについてお話を伺いました。

山下直美
NTTコミュニケーション科学基礎研究所 特別研究員

PROFILE

2001年京都大学情報学研究科数理工学専攻修士課程修了。同年、日本電信電話株式会社に入社。2006年京都大学情報学研究科社会情報学専攻博士課程修了。博士(情報学)。社会が抱える問題(グローバル化の進展に伴う言語・文化摩擦の問題やメンタルヘルスに関する問題など)を解決するための情報技術の研究に従事。2024年 情報処理学会フェロー、2020年 KDDI財団 奨励賞、2016年 情報処理学会 山下記念研究賞、2011年 長尾真記念特別賞等を受賞。

情報技術を用いた支援で、人と人がつながる良い循環を生み出す

■はじめに、「人と人のつながりを深化させるコミュニケーション支援に関する研究」とはどのような研究でしょうか。

「人と人のつながりを深化させるコミュニケーション支援に関する研究」では、情報技術を用いて人どうしのコミュニケーション機会を創出し、それに伴って社会課題を解決することをめざしています。情報技術が普及した現代では、簡単に遠隔地にいる人とコミュニケーションできる一方で社会の分断や孤立化などの問題が浮き彫りになっています。例えば近年では「人と話すよりもAI(人工知能)と話すほうが楽で、ストレスなく生活できる」という声をよく耳にします。しかしこれからAI技術が進化してこの状況が続くと、人は本当の意味で「孤立化」してしまうのではないかと私は懸念しています。確かに人と人のコミュニケーションは誤解が生まれたり衝突が起きたりすることも多い一方で、「単純に“面倒くさい“ということで片づけてしまっていいのか」、「AIに見守られて死ねばそれでいいだろうか」という懸念もあります。理想の未来社会の姿を提唱する「Society 5.0」では、最終的にAIが人に置き換わるのではなく、人と人をうまくつないでいくような存在になることをめざしており、今後のAI進化の方向性と社会導入の方法が検討されています。
この研究はヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)という分野(図1)に属する研究です。この分野は人とコンピュータを含むさまざまな情報技術とのかかわりを研究する領域で、多くの研究分野がオーバーラップする学際的な領域であることが特徴です。例えば計算機科学のほか、認知科学、心理学、社会学、さらには芸術、文化人類学などの視点や手法、知識を組み合わせることによって多角的に社会課題をとらえ、より人々が住みやすい豊かな社会を実現するための新しい価値を創造する情報技術をめざしています。
その中で私が取り組んできた1つの例として、うつ病患者の社会復帰支援に関する研究があります。この研究をはじめたきっかけは、人と人をつなぐ情報技術をデザインする専門家として「何をすべきか?」という疑問に立ち返り、「社会問題の解決に貢献できるような問題にチャレンジするべきだ」と考えたことに端を発します。以前から講演などに赴いては、情報技術の普及がもたらす多くの社会課題を耳にしていました。例えば赤ちゃんを抱っこしているお母さんが、ひと昔前であれば赤ちゃんと目を合わせて会話していたものの、現在ではスマートフォンに気を取られて赤ちゃんとアイコンタクトを十分に取れないというケースです。これに対して文化人類学の分野などからは懸念の声が上がっていて、動物園では親に育てられなかった子どもが大人になったときに同じように子どもを放置してしまったりすることがあり、そうして世代が進むにつれてどんどん子育てができなくなってしまうというようなことが人間に関しても起き得るのではないか、と危惧されています。そのような問題に私が考えたのは、もし本当に情報技術が普及することによってこうしたネガティブなサイクルが起きているのだとすれば、逆に情報技術を使ってポジティブなサイクルも回せるという可能性があるのではないかということです。
実際に自分の身の回りから考えて検討してみたところ、1つ思い浮かんだ社会が「うつ病」でした。例えば職場でうつ病の人がしばらく会社を休んでその後に復職するとなったとき、どうやってその人と接したらいいのか分からず、まるで腫れ物に触るような扱いになってしまい、しばらくするとまたうつ病が再発してしまう、というような話をよく耳にすることがあったのです。もちろんうつ病患者に対する治療は存在しますが、「結局は患者の周りの環境が変わらなければ同じことの繰り返しになるのではないか」、「介入するのであれば患者本人だけではなく患者を受け入れる側の周りも含めて介入しないと問題は解決しないのではないか」と考えました。そしてそのようなところに介入できるのは、やはり医療ではなくて情報学です。そこでプロジェクトを開始し、一連の研究を基に開発されたアプリ「みまもメイト」(図2)は、メンタルヘルスをサポートするNPO法人で運用されました。

■研究ではどのような点に苦労されましたか

私はもともと大学時代に数理工学から研究を始めたこともあり数学を武器にしようと考えていましたが、徐々に数字だけでデータを見ることに限界を感じるようになりました。そこで研究の方針を転換し、社会学・心理学といった分野の思想に基づいた研究手法や分析手法を学ぶために多くの方と共同研究を進めました。特に本研究を進めるうえで医療分野の専門家のアドバイスやコメントは非常に重要であると考え、実際にプロジェクトに入っていただいて共同で研究を進めました。
具体的には、これまで患者に対する治療をより効果的・効率的に行うことに焦点が当てられてきたうつ病支援に対して、本研究ではうつ病患者とその家族のコミュニケーションに着目し、両者のコミュニケーション機会を創出するシステムづくりに取り組みました。その理由として、うつ病患者は家庭内環境の影響を受けやすく、協力的な家族介護者を持つ患者は回復が早いことだけは実証されていましたが、家族介護者や家庭内環境の改善に焦点を当てた研究はほとんど存在しないという背景がありました。そこで家族介護者を通して家庭内環境を改善することで、うつ病患者の症状を改善することを考えたのです。
しかしプロジェクト開始当初は思わぬ障壁にぶつかることも多々ありました。例えば最初のアプローチでは、共同研究者である精神科医を通じて患者の家族にアプローチして研究を進めていたのですが、そうした研究は医学部の倫理審査を通す必要があり、それに半年以上もかかってしまいました。さらにようやく医師を経由した家族介護者へのアプローチができたものの、やはり医師の紹介で患者の了解を得て家族にたどり着いているので、もちろん医師や患者に対して不満があっても家族はそのようなことが言えるわけはなく、悩みや本音を聞き出すにはかなり難しいという問題がありました。最終的には医師と患者を通さず、直接的に家族をスカウトしインタビューすることで、本当に思っていることをかなりフリーに調査できる状況をつくることができました。このようにリクルーティング1つとっても手法を変えるだけで聞き出せることが全く変わるように、研究成果を生み出すまでのそれぞれのプロセスが困難の連続で苦労しましたが、多くの方にご意見をいただき最終的に開発にたどり着くことができました。

■そのほかどのような研究を手掛けていらっしゃるのでしょうか。

うつ病患者の支援のほかにも、情報技術を用いてコミュニケーションやコラボレーションを支援することで現在の社会問題を解決する研究に取り組んできました。多国籍メンバー間のコミュニケーションにおける非母語話者の参画支援やLGBTの人々の出会い・交流支援など、さまざまな社会的課題に対してユーザ分析に基づいて多様なステークホルダのニーズをとらえ、これに基づくシステムのデザインを数多く手掛けてきています。例えば腕にセンサをつけてストレスレベルを測ることができる装置(図3)を産後の方に使っていただき、産後うつの解決に取り組みました。具体的にはセンサによって収集した母親のストレス状況を父親と共有するアプリを用いることによって、夫婦間のコミュニケーション機会を創出させることに成功しています。

自分の感情の機微にこそ、研究のヒントが隠されている

■今後の研究の展望を教えてください。

これまで私が取り組んできた研究の多くは短期的なものでしたが、その一方で社会が直面する少子高齢化、環境問題、生活習慣病予防など多くの社会課題の解決には、長期的な視点からの意識改革や行動変容などが必要です。今後はさらに研究をスケールアップさせ、より長期的な視点に立った研究を見据えています。若手研究者は成果をコンスタントに出し続けていかなければならないというプレッシャーがあるため、成果創出までに時間がかかる課題に取り組むことにリスクを伴いますが、今の私が取り組むべきは、そういった挑戦が難しいとされる研究課題だと考えています。
さらに先の展望として、NTTが提唱しているIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)の世界観は、多様性を重んじてさまざまな価値観を持つ他者間の理解や、人と人、人と社会の「つながり」の質の向上を図ることであり、私の研究の方向性と合致していると考えています。前述したとおり、AI技術の急速な進展で利便性の向上や未来予測によるリスク回避などへの期待が高まっていますが、AIの使われ方やユーザに及ぼす影響も大変重要な研究課題です。今後はこれらの技術を提供するかたちを模索しながら、より豊かな未来社会を実現できるよう邁進していきます。
特にこれから挑戦していく社会課題は複雑で、1つの分野や技術によって解決することは困難です。ぜひ多くの方のお力を賜り、多様な視点と知識を融合させることで、より深い洞察と実践的な解決策を生み出し、共に持続可能で豊かな社会を実現していきたいと考えています。

■最後に、研究者・学生・ビジネスパートナーの方々へ向けてメッセージをお願いします。

私が所属しているNTTコミュニケーション科学基礎研究所では、情報技術に関すること、人に関すること、人と情報技術のかかわりに関することを研究しており、研究テーマ選択の自由さが魅力的です。一方で、若手の研究者の方々の中には、日常的な業務に精一杯で、さらにそれをこなしながら研究も進めて成果を出さなければいけないという状況に困難を感じている方もいらっしゃるかと思います。そのようなときには「自分に何が求められているのか」ということを立ち止まって振り返り、勇気を持って何かを捨て去る覚悟を持つことが重要だと私は考えます。それは決して無責任に投げ出すということではなく、「これは不必要ではないか」と提案してみることや、他の人に助けてもらうことでうまく達成することができるのではないかと思います。
そして自分の得意なことやこだわりを突き詰めていくことも重要と思います。自分のこだわりや力を発揮できるポイントは案外身近なところにヒントがあるものです。日常生活の中で起こる感情の機微こそ、その人の価値観に触れているところですので、例えばもし怒ったりしたときには「どうして自分は○○に対して怒っているのだろうか」と考えることで、「自分はこうあるべきだ」という隠された価値観に気付くことができます。そして「果たしてそれが本当にそうあるべきなのか」、「それによって本当にいい社会になるのか」という大きな視点で物事を考えていくと、自分が一体何をすべきなのかという道が見えてくるかと思います。私自身も若いころにそれができたかというとなかなか難しかったかと思いますが、もし研究の道に迷われている若手研究者の方にとって1つの参考になれば幸いです。

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