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特別連載

ムーンショット・エフェクト ── NTT 研究所の技術レガシー

第6回  光コンピューティングへの第一歩

ノンフィクション作家の野地 秩嘉(のじ つねよし)氏より「ムーンショット・エフェクト──NTT研究所の技術レガシー」と題するNTT研究所の技術をテーマとした原稿をいただきました。連載第6回目は「光コンピューティングへの第一歩」です。本連載に掲載された記事は、中学生向けに新書として出版予定です(NTT技術ジャーナル事務局)。

■条件出し

「20世紀最大の発明」であるトランジスタを生み出したのはAT&Tのベル研究所だ。
後にノーベル物理学賞を受賞する3人、理論家のジョン・バーディーン、実験を専門にするウォルター・ブラッテン、リーダーのウィリアム・ショックレーが発明した。
このうち、第一号のトランジスタを完成させたのはバーディーンとブラッテンで、ふたりの作業を調べてみると、現在、NTT研究所で納富のチームがやっている仕事に非常に似ている。
理論家バーディーンと実験家ブラッテンはチームを組み、議論を重ね、方向性を決める。理論家がある条件を出すと、実験家が手を動かして、実験する。そうして、半年から1年以上も、ああでもない、こうでもないと実験を繰り返す。ひらめきを得た理論家が何度も条件を変える。そうやって、長い時間をかけて、ベル研究所のチームはトランジスタを発明した。研究者は机の前に座って理論を編み出すわけではない。考えることと、実際に試してみることを繰り返して、結果を出すのである。
私がそんな話をしたら、納富はうなずいた。
「ええ。我々は基本アイデアで理論構築をしたら、次に実験で『条件出し』をやります。この条件でやってみたらこうなった、では、次は条件を変えてやってみよう、と。それを何回も繰り返す。そして、では、このプロセスを通すためにはこの条件で行こうと、ひとつひとつ積み重ねていきます。
すぐに成功することはありません。理論通りには進まないのです。研究って、ゴールが決まっていることはほぼないんです。毎回、当たるか当たらないか賭けているようなもので、当たればいいんですけれど、外れることのほうが圧倒的に多い。
ですから、行き詰まることはあります。行き詰まったら、私は2つの方法を取ります。1つは別のテーマを考える。もうひとつはしばらく寝かせる。
ただ、賭けが外れた場合でも、ゼロ地点に戻るわけではありません。その方向性がまずかったから、じゃあ、こっちに行こうかというくらいです」。
一流の研究者に必要なのは、理論通りに行かないことに頓着しないというある種の楽観性ではないか。そして、行き詰まった時にどうやってリフレッシュするか、自分なりの解決策を持っていないと長い期間の研究は乗り切れない。なんといっても納富は20年以上、ナノフォトニクスの研究を続けているのだから。

■『ネイチャーフォトニクス』

2019年4月、斯界の専門誌『ネイチャーフォトニクス』で納富のチームの研究が取り上げられた。内容は「世界最小の消費エネルギーで動作する光変調器と光トランジスタの実現」である。
要約すれば次のようなことになる。
従来、光変調器や受光器のような光-電気(O-E)変換デバイスは高い電気容量を持つため、消費エネルギーが大きく、光と電子回路が緊密に連携した信号処理を行うことは簡単ではなかった。
それを納富のチームがフォトニック結晶を用いることで、世界最小の電気容量を持つ光電変換素子の集積に成功したのである。この技術により、世界最小の消費エネルギーで動作するナノ光変調器や、光入力信号を別の光へ変換・増幅出力させる「光トランジスタ」を実現した。
何といっても成果は消費エネルギーを減らしたことにある。
納富は言う。
「光信号を電気信号に変換するデバイスはすでにありました。ただ、サイズと消費エネルギーが大きかったんです。私たちはナノ構造技術でサイズを100分の1くらいに小さくして、消費エネルギーも数100分の1くらいに小さくできました。そして、これを追求していくと、ほとんど電気エネルギーを消費しないで、光のエネルギーをそのまま電気に変えるようなこともできるだろうと、最近わかってきています」。

■グラフェンとプラズモニクス

2019年の11月にも納富のチームは『ネイチャーフォトニクス』に論文が掲載されている。それはフォトニック結晶とはまた違ったやり方で超高速、低消費エネルギーの光スイッチを作ったこと。これは彼が兼任で教授をしている東京工業大学との共同研究である。
内容はピコ秒(1兆分の1秒)以下の超高速領域で動作する全光スイッチを世界最小の消費エネルギーで実現したというもの。
従来の光スイッチ技術では、超高速性と低消費エネルギーを両立させることは困難だったが、納富たちはプラズモニック導波路と呼ばれる幅と高さが数10nmサイズの光導波路に、非線形光学材料として近年注目されているグラフェンを組み合わせることで壁を突破した。
納富は「グラフェン」という新材料について、こう語る。
「グラフェンは新しい物質で、炭素原子が1層だけ並んでいるような非常に薄いシートです。2010年、英マンチェスター大学のふたりの博士が『二次元物質グラフェンに関する革新的実験』という理由でノーベル物理学賞を受賞しています。グラフェンは理論的に興味を持たれていたのですが、ふたりはありふれたグラファイト(鉛筆の芯の原料のひとつ)の結晶の表面を、両面テープを使って剥がすという非常に簡単な方法で作れることを見つけたのです。
さて、グラフェンはさまざまな性質を持っていて、トランジスタ、電池、半導体を研究している人たちは注目しています。そして、光としても非常に面白い性質を持っていて、非常に高速に応答するんです。そして、非常に薄い。光の波長よりも圧倒的に薄い。
光を狭く閉じ込めるもうひとつの方法があって、それはプラズモニクスという分野です。これは金属のナノ構造を使って光を閉じ込めるという方法で、金属と金属の間にすき間(導波路)を作り、そこに光を閉じ込められるというもの。
そこで、導波路コア(中心部)の断面サイズは30nm×20nmと非常に小さなプラズモニック導波路を作り、その上面にグラフェンを貼りつけたわけです。断面積は従来、小型導波路として用いられてきたシリコン導波路に比べて100分の1程度になりました。
これはシリコン導波路にグラフェンを貼りつけた素子に比べると、グラフェンによる光吸収の効率は1桁向上し、必要なエネルギーを4桁も低減することができました」。
ただし、まだすべてが解決したわけではない。納富は次のような課題を把握している。「このプラズモニック導波路では、長い導波路を作るのはまだ無理です。せいぜい4μmといった長さで光を通すことはできるけれど、1mmとか、1cmとか、光を通すことはできません。ですから、集積した光回路のなかでピンポイントで使うことはできます。
その際に、光を長い距離通すことができる、シリコン導波路と組み合わせるのがよいと考えました。シリコンの細い導波路で光を持って来て、短いプラズモニック導波路につなぐという使い方です。実際にこの方法でシリコン導波路とつなげたプラズモニック導波路の上に、グラフェンを載せたデバイスを作り、光スイッチとして動かしてみると、フォトニック結晶を使った時よりも、エネルギーは少し食いますが、速度としては、2桁くらい速くすることができたんです(図)」。
グラフェンを光スイッチに使おうとした人たちはいるし、研究論文も発表されている。ただ、どれもうまくいっていない。納富のチームだけが成果を収めたので、『ネイチャーフォトニクス』が取り上げたのである。
ただ、日本のマスコミが光トランジスタ関連の仕事に注目しているかと言えば、そんなことはない。何といっても文科系出身の記者、編集者にとって電気や光についての話題は難解なのである。理解するまでに時間がかかるし、理解しようという気力がなかなか湧いてこない。
私は納富にインタビューをするために、トランジスタ、半導体、集積回路、プロセッサ関連の専門書を読まなくてはならなかった。ついでに科学史の勉強もした。それだけで1年近くかかった。
そうして、実際に納富に会って、丁寧に説明を受けたら、話は面白く、しかも、画期的な発明だとわかった。電気のトランジスタが社会を変えたのだから、納富が作った光トランジスタは間違いなく、社会を変える。光トランジスタは近いうちにロケット、自動車、スマホなどに採用されるだろう。

■光コンピューティング技術

納富は話を変えた。
「まだまだやろうとしている光の技術はいくつもあります。
光トランジスタ、E-O(電気→光)変換とO-E(光→電気)変換、そして光の回路があれば、非常に高速の演算処理ができるだろうと思っています。ただ、それだけであらゆる演算ができるとは思っていません。ただ、特殊な演算はできます。
フォトニック・アクセラレータ、つまり、光の演算加速器みたいなものはできると思っています。これは光コンピューティング技術の一種だと思うのですが、『光コンピュータ』と言ってしまうと、ちょっとおかしい。光の回路が電子回路と一緒になって動くものですから、光電融合の技術です。
光にも苦手なところがあって、再々、申し上げましたけれど、メモリについては電子回路のほうがずっと優秀なんです。ですから、演算は光が高速で実行するけれど、結果は電子回路のメモリに蓄える。全部を光にしようと思うと、今の我々が持っている技術ではまだ作れません」。

■光の面白さ

納富たちのチームは17人だ。彼らが力を合わせて光の技術を追求している。
彼らの研究は、最先端のナノフォトニクスの技術を使って、光と電気が融合した超高速、かつエネルギー消費の低い情報処理をめざしている。この研究成果により、複数のデータセンタどうしがシームレスに(継ぎ目なく)またがったクラウドコンピューティングインフラや、オールフォトニクス・ネットワーク上の通信の高速性、低遅延性を活かした高速分散コンピューティング方式(複数の場所にある高速演算装置をネットワークを介して連動させるコンピューティング方式)の開発が加速されるだろう。このふたつを早く実現させないと、エレクトロニクスだけではもはやコンピュータ社会、デジタル環境を支えられないと彼らは思っている。
そんな彼らの仕事を支えているのは「光の面白さ」だという。
「私が一番面白いと思ったのは、光の新しい使い方を考えていくところなんです。太古の昔はエネルギー(熱量)だった光が照明として使われるようになり、今は通信媒体としても使われています。ただ、通信媒体としての使い方がまだ世の中には十分に届いていないというのが私の感触です。本当は、光というのは、もっといろいろなことができるはずなのにできていない。
その答えのひとつがコンピューティングと思っています。光コンピューティングの研究って、実は1980年代、1990年代に、ものすごいブームになって、世界中の研究者がやっていたことがあるんです。ただ、当時は、光を集積する技術がなかったので、レンズとミラーでコンピューティング技術に挑戦するという世界だったのかな、と。
当時の研究者は光の並列性、並列処理に目をつけたようです。光はいろいろな信号を同時に送って重ねても、混ざったりしないので、そういうのを使おうとしたのでしょう。しかし、結局うまくいかなかった。それはもうCMOSプロセッサ(半導体の一種であるCMOSを使った、コンピュータのCPUを構成する基本回路。電気で動く)の速度、効率性には勝てないと、みんながさじを投げたわけです。
ところが、ここ最近、CMOSプロセッサが限界を迎えているので、もう一回、光コンピューティングを考え直そうじゃないかとなっている。光の研究者としてはこれをやらないわけにはいきません」。
納富の話は最初から最後まで一般人にとっては難解だった。しかし、彼は難解な専門用語を使うたびに申し訳なさそうな表情になって、用語を説明する。用語もまた難解ではあるのだが、彼が研究にかける静かな情熱は十分に伝わってきた。

次回は光ファイバそれ自体の進展と研究について、である。

野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『ニューヨーク美術案内』など多数。『トヨタ物語』『トヨタに学ぶカイゼンのヒント』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『日本人とインド人』(翻訳 プレジデント社)。