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MEMS集積化に向けた新しいカオス信号生成手法の実証に成功

NTTと東京工業大学(東工大)は共同で、従来手法よりも簡便で汎用性の高いカオス信号の生成手法を提案し、微細なメカニカル振動子(機械振動子)を用いて動作実証することに世界で初めて成功しました。
昨今、機械学習や秘匿通信などの情報処理技術の分野において、カオス信号の活用が研究されています。携帯端末や医療応用においてその活用が盛んに進められているMEMS(Micro Electro Mechanical Systems)の分野においても、制御性に優れ、集積化に適したカオス発生素子の研究が進められてきました。今回、メカニカル振動子が示す「秤動」を制御することにより、素子構造の微細化と低電圧駆動が可能な新しいカオス発生手法の実証に成功しました。この技術により、センサの入力情報を同じチップ上で機械学習させる半導体チップなど、新しいMEMS集積技術の発展が期待されます。
本成果は、NTTにおいて素子作製・測定を行い、東工大において理論計算に基づいたデータ解析を行うことによって得られたものであり、米国の科学誌「フィジカルレビューレターズ」(米国東部時間2020年10月23日付)に掲載されました。

■背景と成果の概要

カオスはさまざまな環境において共通に観測される物理現象で、一見無秩序に見える複雑な振る舞いでありながら、決まった法則に従って時間変化をするという規則性も持っています。近年、この複雑でありながら規則性を持つというカオスの特長を情報処理技術に用いようとする試みが進められており、リザバー計算などの機械学習や、秘匿通信、乱数発生などへの応用が広く研究されています。
一方、高感度センサや高周波フィルタ、プロジェクタなどさまざまな機器応用が行われているMEMSは、微細構造の機械的な「動き」を使って動作させる素子を、チップ上に集積化させたものです。このMEMSを用いたカオス発生手法の研究は、センサ部と信号処理部の集積化など、応用上の重要性にもかかわらず、これまであまり進んでいませんでした。その大きな理由の1つは、MEMSを用いたカオス発生には櫛型電極などの複雑な素子構造が必要であり、また数10ボルトという高電圧が不可欠であったことにあります。
今回、メカニカル振動子の「秤動」運動に着目し、2つの異なる高周波信号を入力するだけという、極めて簡便な方法でカオス信号を発生させる手法を実証し、素子の小型化と低電圧駆動を実現しました。

■実験の概要

作製した振動子は両持ち梁と呼ばれる架橋構造を持ち、圧電半導体を微細加工することにより作製しました。電極に交流電圧を加えることにより、圧電効果を用いて構造を振動させることが可能です。今回、2つの異なる周波数の交流電圧を同時に加え、その周波数差を振動子の「秤動」運動に共鳴させるという新しい手法により、カオス的な振る舞いを示す複雑な信号の発生に成功し(図)、得られた信号が実際にカオスの特徴を持つことが数値解析により確認されました。素子に加えた電圧は1〜3ボルトと従来に比較して一桁程度小さな値であり、また両持ち梁という極めてシンプルな構造により、カオス信号の発生に成功しました。

■技術のポイント

① カオスの発生には、一般に振動子の「非線形性」が必要であることが知られています。本研究では両持ち梁と呼ばれる架橋構造を用いることにより、構造に加わる張力を介した非線形性を活用し、カオスを発生させることに成功しました。また振動子を作製する材料として、圧電効果を持つ半導体であるGaAsとAlGaAsの単結晶ヘテロ構造を用いることにより、数ボルトの電圧で安定した動作が可能となるメカニカル振動子を実現しました。
② 一般に、月や地球などの天体は、自転と公転などの単純な周期運動に加え、数年から数万年といった長い年月にわたった長周期運動を行っています。このような運動は「秤動」と呼ばれ、潮の満ち引きや他の惑星の引力など、さまざまな要因により引き起こされます。メカニカル振動子においても、振動子の非線形性により同様の長い周期の振動変化を伴います。今回、2つの周波数の交流信号を加えることにより大きな「秤動」振動を引き起こし、「秤動」におけるカオスを生成させることに成功しました。2つの周波数の交流電圧を同時に加えると、そのちょうど差周波にあたる「うなり」が発生しますが、このうなりの周波数を「秤動」運動に共鳴させることにより、大きな「秤動」を生み出すという手法を用いました。

■今後の展開

実験に用いた振動子の振動数は、まだ数メガヘルツという低い周波数であり、さまざまな応用に適用するには不十分です。より高周波のメカニカル振動子によるカオス発生の実現をめざします。また実際にリザバー計算などの手法に適用し、カオス振動の有用性を実証していきます。

問い合わせ先

NTT先端技術総合研究所
広報担当
TEL  046-240-5157
E-mail  science_coretech-pr-ml@hco.ntt.co.jp
URL  https://www.ntt.co.jp/news2020/2010/201024a.html

研究者紹介

創発的コンピューティングに向けて

Ludovico MINATI
国立大学法人 東京工業大学科学技術創成研究院

自然界はデジタルコンピュータのようには機能しません。生物学、社会学、物理学的な世界に存在する極めて複雑な現象は、実は単純なルールに従って生み出されています。これらのルールは普遍的かつ非線形なものであることが多く、混沌とした動き(カオス的挙動)を含む多くの創発的現象を生み出しています。カオス的挙動は不規則ですが複合的に同期することがあります。そのため、この性質を取り入れることで、脳内で見られるような複雑なパターンを生成することが可能になります。これらのパターンは、将来的に情報の生成や分析に役立つ可能性があると考えられます。
通常、カオス運動は電子回路を使用して生成されます。電子部品の組み合わせによってさまざまな種類の回路が生成可能で、私はこれらについて研究してきました。しかし、電子部品の特性は理想的なものではありません。バッテリーによる長時間の稼働は無駄な電力を消費してしまいますし、また共振曲線もそれほどシャープにはなりません。ナノスケールで実現される光学的および機械的デバイスの方がトランジスタよりもはるかに優れています。
NTT物性科学基礎研究所との共同研究により、カオス的な機械振動を極めて容易に発生させることができるデバイスを開発することができました。非常にシンプルな構造のため、多くの操作が可能です。今後も、これらのデバイスのネットワーク生成に向けたコラボレーションを継続していきたいと考えています。

研究者紹介

ナノ機械人工知能の実現に向けて

Samer Houri
NTT物性科学基礎研究所
リサーチスペシャリスト

近年、人工知能などさまざまな情報処理技術への応用を念頭に、複数の振動子を複雑に結合させた振動子ネットワークに関する研究が積極的に進められています。とりわけ簡便な手法により機械学習が行える技術として、ネットワーク状の結合振動子を用いたリザバー計算と呼ばれる手法が注目されています。
エッジコンピューティングなど、高いスループットと低消費電力の両者が必要とされるアプリケーションにおいては、学習プロセスに多くの計算コストが必要とされる従来のニューラルネットワークに比較して、より簡便に機械学習が可能となる手法が求められています。リザバー計算は、ネットワーク自体の構成は変えずにネットワークからの出力信号の組合せのみに学習機能を持たせることができるため、ニューラルネットワークに比べて格段に簡便な学習プロセスを実現できるという利点を有しています。
私たちが研究の対象としているマイクロ・ナノ電気機械システム(Micro/Nano-Electro Mechanical Systems: M/NEMS)では、高い非線形性を有する低損失の振動子を集積することが可能であり、リザバー計算の優れたプラットフォームとしての応用が期待されます。最近、私たちは「カオスの縁」と呼ばれる特異な振動状態を小さな駆動電圧で実現することに成功しました。「カオスの縁」状態では高い次元数を持つ入力信号を効率良く分類することができるため、入力として与えられた画像の識別やパターン認識などの機械学習プロセスを実行することが可能となります。
MEMS、さらにはそれらをナノスケールに微細化したNEMSの技術を用いると、より多くの入力信号に対するリザバー計算を低エネルギーで行う優れたプラットフォームを構成できます。また、M/NEMSは高感度センサなどの入力デバイスとしても優れた機能を有するため、これらをすべて単一チップとして集積した多機能人工知能デバイス技術としての応用も将来可能となるかもしれません。