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特集

人と社会を支えるヘルスケアデバイス・インフラメンテナンス技術

光音響計測技術を活用した非侵襲生体情報センシング

近年、採血なしで簡便に血液成分を測定する生体情報センシング技術に注目が集まっています。NTTは、光が持つ特定の成分を選択的に測る特徴と、音(超音波)が持つ生体内をよく伝搬する特徴を組み合わせた光音響計測技術を用いた生体情報センシングの研究開発を行っています。本稿では、光音響計測技術により、生体内部にあるさまざまな情報の収集をめざした非侵襲生体情報センシング技術を紹介します。

田中 雄次郎(たなか ゆうじろう)/田島 卓郎(たじま たくろう)
瀬山 倫子(せやま みちこ)
NTT先端集積デバイス研究所

非侵襲測定技術による生体情報センシングの高度化

近年、情報通信技術(ICT)の進展と健康管理に対する意識向上により、ウェアラブルデバイスで取得した生体情報を利用してパーソナライズされたヘルスケアサービスがさかんになってきています。個人の日常生活でモニタされた情報は行動変容を促すシステムや医療ビッグデータへの適用が期待されています。一方で、現在、ウェアラブルデバイスで計測される生体情報は、活動量、心拍、呼吸、体温、血圧といった、主に物理センサで計測される情報です。例えば、体調が悪いと感じるときに、現在のウェアラブルデバイスの取得する生体情報では、客観的に状態を提示できても、原因や対処法の示唆にはつながりません。そこで、さらに、血液の成分情報といった生化学的な生体情報をウェアラブルデバイスで取ることが望まれています。現在、血液の成分情報は、病院などで採血した血液サンプルに対して項目ごとにさまざまな検査装置で分析します。これに対し、ウェアラブルデバイスにて血液の成分情報を取得するためには、身体を傷つけることなく“非侵襲的に”連続的なデータをより簡便に取得する技術の確立が必要です。非侵襲的な生体センシング手法として、近年、光音響効果を利用した生体イメージング技術が世界的に研究開発されています。光音響効果を利用した生体センシング手法は、生体成分を選択的に測る光の特徴と生体内をよく伝搬する音の特徴を合わせ持つため、生体内部を知るための有力な手法となります。言い換えれば、光が透過しにくい生体でも深くまで測定できるのが光音響測定のメリットになります。医療現場では生体内部を見たいというニーズが高く、X線CT、MRI、PETなどの画像診断装置が現在は使われています。これらの画像診断技術に対し、光源とマイクで構成される光音響装置は、可搬性や簡便でユーザの負担が少ないというメリットがあります。いつでもどこでも測れる技術確立の観点からこの光音響測定を生化学情報測定に適用する研究開発を行っています(図1)。本稿では、まず光音響効果の原理について簡単に述べ、NTTにおける研究の進展状況について紹介します。

光音響効果を利用した測定

光音響効果は、1880年に電話の発明で知られるA.G.Bellによって、物質に光を断続的に照射したときに音が発生するという現象として発見されました。これが1965年にM.L.Vengerovによって、ppmレベル(1万分の1%)の濃度のガス分析への適用が提案され、以来、分子レベルの化学構造が分析できる手法として確立されてきました。
光音響効果を簡単に説明します。図2(a)に示すように、物質が光を吸収すると、その光エネルギーは熱に変換され、この熱エネルギーが物質の熱膨張を引き起こし、断続的な光照射で繰り返し熱膨張により弾性波、つまり音(超音波)が発生します。これを光音響波と呼びます。
そして、近年のICTの進展に伴い、時間制御性の高い光パルスを発生できる光源や切り替え可能な光スイッチ、音を高感度に検出する音響技術や多様な信号処理を行うエレクトロニクス技術の目覚ましい進歩の恩恵を受け、現在では材料分析、ガス分析、イメージングと幅広く応用されるようになってきました。音響効果を利用した生体測定では、生体内のターゲット物質によって吸収された光の量を、体の中をよく伝搬する超音波に変換し、光音響波として検出することで物質の濃度を推定します。物質は各々の特性に応じて吸収しやすい光の色(波長)があります。この特性を利用して生体内の成分情報やその分布を知ることができます。例えば、図2(b)に示すように血球などは500 nm周辺(可視光)を、脂肪は1000 nm周辺(近赤外光)、ブドウ糖やタンパク質は1500 nm周辺(近赤外光)によく吸収する波長領域があります。この性質を利用すれば生体にさまざまな色の光を当て、その光が吸収される量を測ることで成分情報が分かります。また、生体はその半分以上が水によって構成されていることがよく知られていますが、水にも光を吸収する性質があります。そのため、一般に光を用いて測定する場合は水の吸収が小さい波長の光を選択することが求められます。水の吸収がなければ光があまり減衰せずに入っていきやすいためです。このような光の波長は“生体の窓”と呼ばれています。一方で、光で測れる生体の深さには限界があり、さまざまな成分によって複雑に構成された私たちの体の中を通った光がどの経路でどのように吸収されたか知ることは非常に難しい問題です。このような問題に対して、光音響測定では、光が吸収された量を、体の中をよく伝搬する超音波に変換し検出するため、体の中での反射の影響を抑えることができます。また、ターゲット物質による光吸収からの光音響波の強さ(音圧)だけでなく、伝搬時間、周波数特性を測ることでも生体内を非侵襲的に調べることができます。

光音響効果による非侵襲生体成分測定方法

光音響効果を利用して非侵襲的に生体成分を測定する方法には、大きく分けて2つのアプローチがあります。1つは、生体に非常に短い時間のパルス光(パルス幅:数ns)を照射し、ターゲットとする物質で吸収され、そこで発生した光音響波が返ってくるまでの時間とその音圧から光を吸収する成分の位置を測定する方法です。図3(a)に示すような光音響波が得られ、音が体内を伝搬する時間と速度からどの程度の深さにターゲット物質があるかが分かります。図3(b)に生体を模擬した材料の中に“N”のアルファベットを埋め込んだものを3Dでイメージングしたデモンストレーションを示しています。もう1つは、図3(c)に示すように、生体に周期的にON/OFFした光を照射して、ターゲット物質から生じる光音響波を何度も反射させて定在波を発生させ、その音圧からターゲットの濃度を測定する方法です。
前者は成分とその位置情報が分かるため、例えば、栄養をたくさん必要とするがん細胞がその近傍で細かい血管がたくさん形成される様子をイメージングし、がん診断への応用研究が数多くなされています。しかし、一般に装置が大型で高価になります。また、生体成分情報を含む信号が弱く雑音の影響を受けやすいという課題もあります。
一方で、後者はターゲット物質の位置情報が得られない代わりに小さな光強度の低廉な光源と1つのマイクロフォンでも比較的大きな信号対雑音比を得ることができるため、成分濃度の測定や装置の小型化に有利になります。ただし、成分測定ではイメージングの際の血管のような明確な輪郭がありません。照射された光は、その成分濃度に応じてグラデーションを持って吸収されるため光音響波の伝搬波形が崩れてしまうという問題があります。そこでNTTでは、光音響波を何度も反射させるための工夫として、音波の閉じ込めが可能なセンサ構造を提案しました。例として耳たぶをクリップで挟み、一方の面から光を照射して、対向する面にマイクが組み込んであります。光の照射面と音の受音面の間で光音響波を何度も反射させることで定在波を発生させ、大きな信号を得る手法を図3(d)に示しています。光音響波の周波数は照射する光を当てる周波数で決まりますが、その周波数の選択がポイントになります。なぜなら、低い周波数では人間の声や生活音(〜数10 kHz)の影響を受けやすく、高い周波数(〜数MHz)では体の中での減衰が大きくなるからです。そこで、NTTではこの間の周波数(数100 kHz)帯の光音響波を利用して測定を行っています。

生体測定への適用例

最後に光音響効果を生体成分測定に適用した例を紹介します。センサは前述した耳たぶをクリップのように挟むセンサを用いました。ここでは健常者にブドウ糖を多く含む飲料を飲んでもらい、その後の間質液中のブドウ糖濃度変化の様子を測定しました(2)。間質液中のブドウ糖濃度とは、血液中のブドウ糖濃度(いわゆる血糖値)と異なり、図4(a)に示すように血管からしみ出して細胞に供給された間質液の中のブドウ糖濃度を指します。間質液中のブドウ糖の濃度は血糖値とほぼ同じように変化していることが知られています。図4(b)は、光音響計測技術による測定値とさまざまな侵襲型の血糖値センサと比較です。青のプロットが光音響計測技術(図中DCW PAS)、その他のプロットは採血や体に刺して留置して測る、いわゆる“侵襲的”な方法によって測定したものです。侵襲的な方法によれば、血糖値はブドウ糖飲料を飲んだ後15〜30分程度で60 mg/dl程度増加し、1時間後には徐々に減少を始めます。光音響技術でも、この60 mg/dlの変化によく追従して測定できることが確認できました。この技術は、光の波長をターゲット物質に合わせることで、よく注目される生体成分である、コレステロールや中性脂肪といった脂質など、さまざまな成分への応用が可能な技術であると考えています。

今後の展望

本稿では光音響効果による生体情報センシングの可能性と生体内の成分を測定する技術への適用について紹介しました。従来では日常生活の常時モニタリングの対象ではなかった生化学的な情報のセンシングが可能になれば、例えばコロナ禍で普及の進んだオンライン診断に役立つ技術としてなど、さまざまな応用への展開が期待されます。日常生活でのモニタリングに向けては、非侵襲性だけでなくデバイスのサイズやユーザビリティも重要になってきます。気体、液体、固体問わず高い精度で分析できるポテンシャルを有する光音響計測技術を活用し、生体成分、呼気の成分などの生化学的な情報を日常で常時モニタリングできる技術をめざして研究開発に取り組んでいきます。

■参考文献
(1) Y. Tanaka, T. Tajima, M. Seyama, and K. Waki:“Differential Continuous Wave Photoacoustic Spectroscopy for Non-Invasive Glucose Monitoring,”IEEE Sensors Journal,Vol. 20,No. 8,pp. 4453-4458, 2019.
(2) Y. Tanaka, T. Tajima, and M. Seyama:“Acoustic modal analysis of resonant photoacoustic spectroscopy with dual-wavelength differential detection for noninvasive glucose monitoring,”IEEE Sensors Letters,Vol. 1,No. 3,pp. 1-4,
2017.

(左から)田中 雄次郎/田島 卓郎/瀬山 倫子

今回紹介した光音響効果だけでなくさまざまな物理現象や生理現象に注目して、新たな生体センサの研究開発を進めています。また、こうしたセンサを活用して疾病の予防や早期発見へとつながる高付加価値な情報創出をめざしていきます。

問い合わせ先

NTT先端集積デバイス研究所
ソーシャルデバイス基盤研究部
TEL 046-240-2774
FAX 046-240-4728
E-mail yujiro.tanaka.cw@hco.ntt.co.jp