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挑戦する研究開発者たち

「ダレトク、ナニトク」の先にある「利益」をめざして

「挑戦する研究者たち」では、トップランナーとしての研究者に加えて、第一線で活躍する研究開発者にもスポットライトを当てる企画がスタートしました。今回はその第1号です。
技術革新に伴い、膨大で多種多様なデータの生成、収集、蓄積が可能となった現代。これまで見過ごされてきたデータを解析し、ビジネスに活用する取り組みがなされています。こうした中、新たな視点でデータを活用し、社会課題解決に臨むNTTドコモ。モバイル空間統計、AI渋滞予知等の研究・実用化に挑む寺田雅之担当部長に、現在の研究開発の進捗や研究開発者の醍醐味を伺いました。

寺田 雅之 担当部長
NTTドコモ
クロステック開発部

統計をつくる、使う、守る技術に関する研究と実用化

現在手掛けている研究開発について教えてください。

現在、私が手掛けている研究開発は、「大規模データからの統計作成」「統計の社会予測への活用」「統計のプライバシ保護」の3点に関する研究・実用化です。
大規模データからの統計作成については、新型コロナウイルス関連でターミナル駅等の人出の増減に関する報道の画面に「モバイル空間統計(1)」や「出典 NTTドコモ」などと表示されることがありますが、そこにこの技術が応用されています(図1)。携帯電話ネットワークの運用データに基づいて、どこにどのくらいの人がいるかという人口分布の移り変わりを、年代や性別、居住地別に、日本全国で1時間ごと、ほぼリアルタイムに推計しています。また、その過程では、個人識別性の除去や集計化、秘匿処理などを通じてお客さまのプライバシを確保しています。
このサービスは2013年から行政によるまちづくりや災害対策、民間では店舗開拓や商圏分析等に活用していただいています。サービス開始当初はリアルタイムではありませんでしたが、2020年からはリアルタイムでの提供を開始し、約1時間前の人口データを提供しています。
統計の社会予測への活用については、モバイル空間統計を活用した「AI渋滞予知(2)」がその例です(図2)。社会活動や経済活動の多くは人によって行われるため、「今」の人の動きを観測できれば社会事象や経済動向の「未来」を予測できるようになると期待されます。AI渋滞予知は、それを渋滞予測に応用したものです。お盆や年末年始の渋滞予報など、季節や曜日、祝日のパターン等に基づく長期予測や、車載GPS等によるプローブ情報を利用した短期予測とは異なり、過去の人口分布と交通実績の組をAI(人工知能)に学習させてモデルをつくり、そのモデルに当日の人口分布を入力することでその日の10時間くらい先までの渋滞を予測するという、おそらく世界初の取り組みです。
AI渋滞予知はNEXCO東日本と共同で、東京湾アクアライン上り線(川崎方面)と、関越自動車道上り線(沼田~練馬間)の渋滞予測情報を提供する実証実験をしており、毎日午後2時ごろにNEXCO東日本の道路情報サイト「ドラぷら」で配信し、広く活用していただいています。AI渋滞予知の活用により、渋滞を避けた快適なドライブを楽しめるようになるだけでなく、より多くの方が活用して渋滞を避けるようになれば、交通分散により渋滞そのものが緩和されたり解消したりすることも期待できます。
統計のプライバシ保護については、大規模集計データへの差分プライバシ(3)の適用を中心に取り組んでいます(図3)。ドコモが扱うデータは個人のプライバシに関係することが多いため、その取り扱いには法的にも社会的にも厳しい制約や責任が求められます。そこで重要となるのがプライバシ保護技術、つまりプライバシを保護しながら安全にデータを活用するための技術です。差分プライバシはプライバシ保護技術の安全性を網羅的に保証するための枠組みであり、海外ではGoogleやAppleが研究実用化を進めているほか、米国では2020年の国勢調査(2020 US Census)への適用が表明されています。
モバイル空間統計の安全性をより強固なものとし、さらに有用性を高めるため、モバイル空間統計や国勢調査のような大規模な地理空間データへの差分プライバシの適用方式について検討を進めてきました。その研究成果はモバイル空間統計におけるプライバシ保護の考え方に反映されているほか、学術論文のかたちで社会に成果を還元するとともに、昨年からは総務省統計研究研修所の特任教授を兼務で拝命し、日本の公的統計への活用に向けた検討を進めています。

研究開発のテーマはどのように見つけたのでしょうか。

必要は発明の母、という言葉がありますが、「欲しいのにどれだけ探しても世の中にない」技術があれば、それが研究開発のテーマになることが多いでしょうか。典型的なのが大規模データへの差分プライバシの適用です。モバイル空間統計にとってプライバシ保護は一丁目一番地なので、差分プライバシのような強力な安全性保証が必要になると思われました。ただ、当時どれだけ論文をひっくり返しても適切な方式が見つからない。そこで、ないならつくれないか、と検討を始めたのがきっかけです。
AI渋滞予知については少し変わっていて、「渋滞が嫌いだから避けたい」という思いがきっかけの1つです。NEXCO東日本さんがアクアラインの渋滞に強い課題感をお持ちだという話を伺い、もし渋滞が起きる時間を正確に予測できたら、自分も含めて多くの人はその時間を避けるので渋滞も緩和されるはず、と試作中のリアルタイム版モバイル空間統計を使って簡単に試してみたら、自分でも驚くほどの精度で予測結果が得られました。そこで、改めてきちんとデータを取り直して実験結果をご紹介したところ、NEXCO東日本さんも強いご興味を示され、それが共同実験に結びついた、というのがAI渋滞予知の始まりになります。
ただ、いずれも研究開発のきっかけにすぎず、特にAI渋滞予知についてはNEXCO東日本の皆様の「渋滞をなんとかしたい」という熱意や、法人営業部門やビジネス部門の方々の実験段階からの期待とバックアップ、そしてチームメンバや協力会社の方々による絶え間ない技術改善があってこそ今のかたちがあると強く思っています。

楽するための苦労を惜しまない

研究開発において大切な視点を教えてください。

新たな知の発見を目標とする基礎研究フェーズと、新たにモノを生み出すことを目標とする応用研究フェーズでは違うところもあると思いますが、特に応用研究では、研究が成功したらその成果は社会にどのように貢献するのか、それは誰にとって何が嬉しいのか、つまり「ダレトク(誰が得)、ナニトク(何が得)」にこたえられることが重要だと考えています。
民間企業での研究開発への取り組みでは、その研究成果の実用化により新しいビジネスを創出して利益をもたらすことが重要なミッションになることが多いと思います。しかし、だからといって単に「ビジネスになりそう」という観点だけでテーマに飛びついても、今マーケットがすでに見えるようなテーマというのはすぐにでも実用化しないと他社の後追いになりがちです。このあたりは民間企業で研究開発に携わる人々にとって永遠のジレンマかもしれません。
こうした中で、勝ち目がある「一歩先」のテーマを見つけてそれに注力することが重要になるのですが、ここで先ほどの「誰にとって何が嬉しいのか」の視点、つまり「ダレトク、ナニトク」の自問自答が役立つと考えています。テーマを模索する段階ではまだ具体的なマーケットが見えず、どのようにしてビジネスを成立させられるかはすぐには明確にならなくても、それが誰かを嬉しくさせるもの、つまり誰かが得をするものであれば、なんらかのかたちでビジネスモデルは構築できるはずです。もう少しいえば、めざすべき「ダレトク、ナニトク」を伝えることによって、ビジネス部門でそれに興味を持って価値を共有してくれる仲間をつくれれば、利益を生み出すビジネスモデルはその仲間と一緒に考えながら創出することができ、そのほうが自分で勝手に考えるよりも拡がりを持った大きいビジネスにつながっていくとも思います。

研究開発者として大切にされてきたことを教えていただけますでしょうか。

「楽するための苦労は惜しまない」でしょうか。逆説的ですが、いかに楽ができるかについて日頃から考えるようにしています。AI渋滞予知の例でいえば、日々の渋滞予測にあたってさまざまな種類や出所のデータに依存してしまうと、設計が複雑になって方式の改善やメンテナンスがどんどん大変になりますし、実用化に際しての導入や運用も面倒で難しいものになってしまいます。そこで、予測時にはその日の人口分布データだけしか使わず、天候情報などを含め外部データは可能な限り参照しない、というコンセプトで設計を進めてきました。研究を進めていくと、目先の精度改善のために使えそうなデータはいろいろと使ってみたくなりますが、そもそも天候などの外部要因による人出の増減はすでに人口データに折り込まれているはずなので、そこはメンバにもぐっと我慢してもらって、人口データだけからいかに精度を絞りあげられるか、というアルゴリズム部分の磨き上げに注力してきました。
また、研究成果を「いつ」実用化して世に問うべきか、というのは過去の反省もあってよく考えるようにしています。前職のNTTの研究所で2000年前後に電子チケット、電子バウチャーの研究を手掛けていました。これはBitcoinやEtheriumなどの仮想通貨の流通機能と電子ペイのようなリアル決済機能を併せ持つ、Fintechの走りのような野心的なプロジェクトでした。インターネットの標準を策定しているIETF (Internet Engineering Task Force)で2003年に3本の関連RFC(IETFにおける標準仕様)が成立するなど、国際的にも評価を受けていたのですが、残念ながら実用には至りませんでした。これは利用者がスマートフォンのようなインターネットに接続された電子端末を常時携帯するような世界が来ることを前提にしたシステムで、その読み自体は今の世の中を見ても正しかったと思うのですが、初代iPhoneの発表が2007年、つまりRFCの成立から4年も待たなくてはならず、当時はまだ世の中が追いついていませんでした。RFC成立から約10年経って私自身も忘れかけたころに、某雑誌から「早すぎた先端技術」というテーマで取材を受けたというおまけまでついています。このことから研究開発のテーマ選定において、周辺技術を含んで時流を見極める必要性を痛感しました。その反省から、将来的な構想は構想として掲げる一方で、周辺技術や社会環境の進展に歩調を合わせてステップを刻みながら研究成果を世に問うように心掛けています。

手早く試すための手札、手段をなるべく多く携えておくこと

さまざまなバランスをかんがみて研究テーマを模索し、開発に挑んでいらっしゃるのですね。

時流に合っているか、共感を得られるものであるか、社会課題の解決につながるか、「ダレトク、ナニトク」にこたえられるかなど、そういう条件に当てはまるようなテーマは探してすぐ見つかるものではないので、どうしても数を打って試してみることも必要になってきます。「商品開発は千三つ(1000のアイデアのうち3つが現実のものとなる)」という言葉がありますが、価値がありそうなアイデアを思いついた段階で、それを手早く試せるかが重要なカギになるとも思います。そのための手札、手段はなるべく多く携えておくよう意識しています。
先ほどAI渋滞予知について「ちょっと試してみた」ことがきっかけだったというお話をしました。私は元々機械学習などのAIに関する技術については専門外でしたが、その少し前から機械学習技術のコモディティ化が進んで手軽なライブラリが出てきており、それがどのくらい手軽に使えるか一通り遊んでみた経験がそのとき役に立ちました。もし、この経験がなかったり、そういうライブラリの存在を知らなかったりしたら、「ちょっと試してみる」気になることもなく、もしかしたらAI渋滞予知というものはまだ世の中になかったかもしれません。
また、学会や講演会などでお会いする専門家の方々や、法人営業の方からの同行依頼などでお会いするお客さまとのお話なども、研究開発のテーマを見つけたり方向性をチューニングしたりするのに大きく役立っています。例えばモバイル空間統計についてお話を伺うと、真剣に活用を検討されている方ほど、数値的なスペックよりも統計としての信頼性や説明責任などを重視される傾向があるように思われます。このようなご期待にこたえるため、モバイル空間統計の進化に向けた取り組みでは、単にスペックを追い求めるのではなく、信頼性や安全性などモバイル空間統計のブランドイメージを守り、さらに高めることを意識するようにしています。

後輩の研究開発者へ向けて一言お願いいたします。

「巨人の肩の上」という言葉があります。先人たちの積み重ねの上に自らの研究開発があるという意味です。その上に薄皮一枚でも自分の成果を乗せ、今後の人類社会のさらなる発展に寄与できることが研究開発に取り組むうえでの一番の醍醐味ではないでしょうか。私は現在手掛けている統計データをつくる、使う、守るという3つのテーマで巨人の肩に薄皮を上乗せして、その背を少しでも高くできたらと考えていますし、将来的にその上に乗ってさらに背を高くしてくれる人が現れたらとても嬉しく思います。
とはいっても、新しい研究開発のテーマを見つけるのって大変ですよね。一生懸命に唸りながら考えれば良いテーマが見つかるわけでもないですし。おそらく、ほとんどの方は今何か手掛けているテーマがあると思います。それをしっかりと仕上げて世に出していくことはとても重要ですが、そのテーマが終わってから何か新しいテーマを探そうとしてもすぐに良いものが見つかるとは限りません。今のテーマへの取り組みと併せ、ぜひ時間をつくっていろいろな分野の人と話をしたり、その中で興味深いものがあれば、見て触って、思いついて試してみたりすることを楽しんでいただくことをお勧めします。結果としてそれが新しいテーマに直接結びつかなくても、その経験は自分の糧になりますし、そういう貯金がたくさんあると、将来のテーマ探しに役立ったり、今のテーマでの難しい課題を別の観点から解決するヒントになったりするかもしれません。
たぶん、あなたの上司や先輩も、そうやって「今のテーマの傘の下」でいろいろと試したり遊んだりしながら新しいテーマを見つけてきた経験があるはずです。そのノウハウを引き出しつつ、ぜひ本業の研究開発以外の遊びの部分も大切にしてもらえればと思います。

■参考文献
(1) https://mobaku.jp
(2) https://www.driveplaza.com/trip/area/kanto/traffic/ai_traffic_prediction.html
(3) https://www.jstage.jst.go.jp/article/isciesci/63/2/63_58/_pdf/-char/ja