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研究者の多様な個性を最大限に活かして、 豊かなコミュニケーション環境を創造する
「NTTの事業領域を拡大する先端技術の研究開発」「社会に変革をもたらす新原理・新コンセプトの創出」「地球環境・人にやさしい技術の研究開発」をミッションとして研究開発に取り組むNTT先端技術総合研究所。研究成果を社会貢献につなげるため、潮流を見定め価値創造に臨んでいます。寒川哲臣所長に研究所の社会的使命や世界をけん引する研究者に必要なマインドについて伺いました。
NTT先端技術総合研究所
所長
寒川 哲臣
PROFILE
1991年日本電信電話株式会社 基礎研究所入社。1999年ポールドルーデ研究所(ドイツ)客員研究員、2004年内閣府 総合科学技術会議事務局 参事官補佐、2006年物性科学基礎研究所 主幹研究員、2007年先端技術総合研究所 企画部、2010年物性科学基礎研究所 量子光デバイス研究グループリーダ、2012年物性科学基礎研究所 量子光物性研究部長、2013年物性科学基礎研究所 所長を経て、2018年6月より現職。
研究者たちよ、刃を研げ
先端総研のビジョンや社会的使命等についてお聞かせください。
NTT先端技術総合研究所(先端総研)は未来をどのようにつくっていくのかを常に見据えて、基礎から応用までの幅広い研究開発を行っています。具体的には、世界一の性能を極める情報処理・通信技術、革新的発想で新技術を創出するサステイナブル技術、そして人間の理解を深める人間科学・バイオ技術を主軸にしており、世界一・世界初、驚きの創出を実現していくことで、IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想を現実のものとして推進しつつ、NTTグループの競争力強化への貢献をめざしています。
先端総研は未来ねっと研究所、先端集積デバイス研究所、コミュニケーション科学基礎研究所、物性科学基礎研究所の4つの研究所で構成されています。未来ねっと研究所では、世界トップレベルの光・無線の通信大容量化と通信領域を拡大する萌芽的技術の研究開発を行っています。先端集積デバイス研究所では、新たな価値創造をもたらすデバイス・材料の研究開発を進めています。革新的な技術をシームレスに世の中に出すために、IOWN総合イノベーションセンタでデバイス開発を担っているデバイスイノベーションセンタと密接に連携して研究に取り組んでいます。コミュニケーション科学基礎研究所では、こころまで伝わるコミュニケーションの実現をめざすメディア・情報処理・人間科学の研究を、物性科学基礎研究所では、ネットワーク技術の壁を越える新原理・新コンセプトの創出をめざす物質科学・電子物性・光物性の研究を担当しています。
1980年代半ば、日本企業では基礎研究所や中央研究所が次々と新設されました。バブル崩壊後、各社は相次いで活動を停止したため、現存する基礎研究所は非常に少なくなっています。また、インフラの導入は一度決めてしまうと、その更改が非常に難しいため、企業の研究所には将来を俯瞰して技術を創出することが求められています。こうした中、より良い技術を世の中に出していくためにも、先端総研では物事の原理・原則から研究するスタンスを重視しており、これが1つのバリューとなっているのです。
日本国内においては研究者の評価が世界に比べてあまり高くない、研究費が少ないと報道されていますね。
これらはなかなか悩ましい問題です。例えばスマートフォンの中身は昔のスーパーコンピュータ並みのコンピュータが入っています。ところが、これを実現した研究者らの努力は、製品のインパクトの陰に隠れてしまい、残念ながらあまり知られていません。研究者は難しい成果を上げたことを伝えるのが苦手なのかもしれませんが、現在では研究所や研究者に求められることは少し前と違い、研究の意義を伝えることも仕事の1つとなっています。
このことは想像以上に大変な課題であると認識しなければなりません。世界初の成果は必ずしも性能が良いわけではなく、さらに、新しいことであるがゆえに理解できる人がいないため、誰かに相談すると、ほとんどの場合ネガティブな反応が出てきます。それでも自分の研究はここが優れていると自ら納得し、説得し続けて初めて周囲の協力を得ることができます。
私が物性科学基礎研究所の所長時代には、報道発表をする際には、記者向けに分かりやすく解説することに努めていたのですが、それでもまだ分かりにくかったので、ライブ配信サービスの「ニコニコ生放送」で一般の視聴者に研究の意義を伝え、質問を受けていました。このようなことを繰り返していくうちに、研究者自身が自分の研究の本質をよく理解するという循環ができましたので、やって良かったと思っています。
日本が他国の研究の後を追っていた時代には、研究すべきことが分かっていたともいえます。性能を上げ、連続的な改良をしていけば良かったのです。ところが今や日本はすでにトップグループの一員となり、指針を示す立場です。次世代に取り組むべき課題やテーマは何か、ルールを定めるのが役割であり、単にテーマの課題をクリアすることだけでなく、新たなブレイクスルーを起こすことが求められています。ただ、日本人の研究者はこれがいまだに得意ではないと感じています。次世代の課題を定めることは大変難しいことですが、1つのきっかけとして今取り組んでいる課題を別の視点から見直すことも重要です。そこで、研究者には「刃を研げ」と伝えています。パワーがあればいつかは切れるけれど、刃を研いておけば簡単に切れるというイソップ童話の木こりと旅人の話のように、研究開発の現場に「刃を研ぐ」事例をうまく適用することができれば、現在直面している問題に対して新たな解決方法を獲得することができます。さらに、これを世の中の動向と照らし合わせて一段高い立場から物事を俯瞰することにより、新たな取り組むべきテーマやソリューションを見出すことができるかもしれません。
五感をフル活用し、刺激を全身で受け取ろう
新たなブレイクスルーを起こすための秘策があるのですか。
NTT R&Dでは、次世代を意識した取り組みを長年続けています。例えば、私が物性科学基礎研究所の企画部に在籍していた2000年には、アドバイザリボードを導入しました。民間企業の研究所が外部に評価を求めることは珍しいのですが、私たちはNTT R&Dの価値を自らの評価のみで判断することに疑問を感じていました。そこで、将来の通信や情報処理への貢献に資する研究を実行するために海外の有識者のお知恵を拝借しようと、当時の所長が主体となってアドバイザリボードをスタートしました。私は以前ドイツで研究活動をしておりましたので、ヨーロッパで活躍している比較的近い分野の先生にお声掛けをしました。先生方からは、量子コンピュータ実現に向けて超伝導ベースのテーマだけではなく、将来の量子通信につながる光技術にも重点を置くべきであるとご指摘いただいたこともあり、研究のポートフォリオを見直すきっかけとなりました。2年に一度のこの取り組みは20年余り継続しており、ノーベル賞を受賞した研究者や元ノーベル賞の選考委員長などにボードメンバーとして入っていただいています。フェローや上席特別研究員の制度を設けたのもアドバイスによるもので、研究員が長く働くきっかけにもつながっています。
また、物性科学基礎研究所では、BRL(Basic Research Laboratories)スクールも継続しています。これは海外の大学院生・博士研究員と国内外の講師を研究所にお招きし、講義とディスカッションをとおして、将来の研究者を育成することを目的としています。ヨーロッパにはさまざまなサマースクールがあり、そこで学んだ学生が大学の教員となり、その後講師をするという循環があるのですが、このような取り組みがNTTの研究所にも不可欠であると考えて始めました。実際、初回に参加した博士研究員が現在、ヨーロッパの大学で教授に就任し、インターン生を私たちのところへ送り出してくれています。海外のコミュニティとの密な連携は地理的に難しいこともありますが、信頼性が高まればそれも問題ではなくなります。NTTの中だけでできることは限られていますから、強みを持ち寄れる人間関係を築いていきたいものです。だからこそ新型コロナウイルスの影響で、リアルな国際会議を開けないのがとても残念です。現在はオンラインの国際会議が主流なのですが、海外で発表し、研究室を訪問するのとでは刺激が違います。現地に行って、会って話すことで、今まで意識していなかったことに気付くことが多いものです。
全身で受け取る刺激はとても大切なのですね。
私がドイツで半導体中の電子を輸送するために使っていた超音波について議論していたときに、ドイツの研究者たちが、過去にNTTが光通信に超音波を利用していたことを教えてくれました。彼らは古い技術を見直して、半導体表面での電子輸送に応用する、という新しい機能を生み出していたのです。このことがきっかけとなり、当時私が研究していた「電子スピン」を半導体中で輸送することに応用できないかという着想に至り、帰国後も彼らと定期的に議論しながら研究に勤しみました。このテーマは、半導体中での電子スピンの状態制御や長寿命化に向けた取り組みへと発展し、物性科学基礎研究所で継続して研究が行われています。
ところで、基礎研究や先端研究はなかなか成果を上げにくいものです。1年に一度うまくいけば良いほうで、研究のほとんどは失敗の連続です。こうした現実に臨むためには、まずOptimistic(楽観的)なマインドを持つことが必要です。また、Optimisticにも2種類あり、Definite、つまり確信をもって臨む人と、根拠のないIndefiniteな人がいます。ドイツの研究者はDefiniteで、理論をベースにして見通しを立てて、研究を進めていました。実際の研究では、確信をもって臨んでいてもうまくいかないことのほうが多いのですが、そのときは実験結果と理論をもう一度見直して、仮説を軌道修正していくことが大切になります。
刺激を受けた言葉もいくつかあります。ノーベル賞を受賞した江崎玲於奈先生とは、博士課程のころから何度か議論する機会があり、先生はThink unthinkableという言葉を大切にされていました。「若いのだから考えられないことを考えなさい。年齢や失敗を重ねるとJudicious mind (思慮分別のある精神)がだんだん身につく一方で、Creative mind(想像力)が失われていくものです」と話されていました。加えて米国の起業家、ピーター・ティールのZero to One。ゼロから新しい何かを生み出すという意味のこの言葉も先端総研の使命を表現する一言です。私たちもイノベーションの創出に向けてこれらの言葉を大切にし、これからもさまざまな挑戦を続けていくつもりです。
そのための環境を構築し、守っていくのがマネージャの仕事です。そのうえで、私は研究者の多様な個性を最大限に活かせるように、ルールは最小限にしてその中で研究者が伸び伸びと活動でき、そこに上司がサポートするような環境づくりを心掛けています。先端総研では、これが一番良い成果が出る方法であると信じています。特に、研究者に自分の研究成果のビジネスへの応用を考えさせすぎるとアイデアが小さくなってしまいますから、そのあたりは別のプロデューサとしての役割を持つ人に任せて、魅力ある素材をつくることだけに注力してほしいです。
マネジメントの醍醐味は 研究者が化けたとき
ご自身も研究者でありながらマネジメントの立場となられました。第一線で研究活動を継続することを望む方も多いと思います。研究者をマネージャに起用する意義はどこにあるのでしょうか。
私は博士卒で入社しましたから、ずっと研究を続けていくのだろうと思っていましたが、マネジメントの立場となりました。しかし、大学に残って研究者となったとしても、いずれ大学の教員となり、仕事の半分はマネジメントとなるので、結局同じことだと考えています。
研究所におけるマネージャは、第一線で研究成果を上げている人を評価するので、評価される側が納得できる存在でなければなりません。しかも、研究の方向性について判断する場合も研究者としての勘所が重要になります。つまり、深い見識があり、他を納得させることのできる説明力と人間力を兼ね備えていることが必要になります。マネジメントは研究とは別物であるととらえる人もいますが、逆にマネジメントをすることによって自らの研究について整理できるという作用もあるので、私は両者は密接につながっていると考えています。
私が物性科学基礎研究所の所長だったときには、第一線で研究する立場にはなかったのですが、自身の過去の実験データを基に論文を書いていました。さすがに現在は当時のように論文を書くことはありませんが、論文に連名で入ることはありますので、それについての議論は継続しています。研究・論文にかかわる時間が非常に少ないのは残念ではありますが、自身の代わりに研究を進めてくれている優秀な人がたくさんいますから、彼らの背中を押してあげることが現在の仕事だと思っています。しかも、そうした中で自分の考えとは異なるセンスの良いアプローチを見ると感心するものです。
研究者が化けたとき、これが研究所におけるマネジメントの醍醐味です。テーマを変え、さまざまな経験を積み重ねるうちに、研究者が次のステップに向けて急に成長することがあります。私が想定していた以上の見解や成果を研究者が見せてくれるときが、何よりの幸せです。
NTT R&Dが提唱したIOWN構想とその構成要素であるオールフォトニクス・ネットワークは、先端総研の悲願を実現するビジョンです。30年前、私が駆け出しの研究者のころにめざしていたことが現実味を帯びてきました。これになぞらえれば、30年後を見据えて、次の構想を今から立てていくことも大事であると考えています。間違った方向に進まないように舵を取っていきながら、研究者とともに先端総研を挙げてアイデアを出し、実現するためのロードマップを示すことで、世界のリーダーシップを取りたいと考えています。
社内外の研究者、技術者の皆さんに一言お願いできますでしょうか。
日本が勝ち残るには新しい技術やイノベーションの創出が不可欠です。研究者・技術者は使命を持ってやり続けていただきたいと考えています。日本の技術力は昔から高いのですが、ルールや流れをつくるのがうまくないと感じています。研究力・技術力を上げるために、方向性を定め、ビジョンを示して世界のトップに立ち続けましょう。
日本人の研究者は本当に優秀ですが、昔は奥手に見え、押しの弱さが目立つ人も多かったものです。しかし、最近の若い世代はだいぶ変わってきました。国際会議の場でも、自身の専門とは違う分野についても学ぼうとしていますし、参加したからには何かを得ようと積極的に質問をするなど、頑張っている姿をよく見かけます。彼らは、堂々としていて期待が高まります。技術の覇権争いは熾烈を極めている厳しい状況ですので、もう一度気合いを入れ直して日本を盛り上げていきましょう。
(インタビュー:外川智恵/撮影:大野真也)
※インタビューは距離を取りながら、アクリル板越しに行いました。
厚木にある先端総研にお邪魔した当日は気持ちの良い風が吹き、木々の緑がまぶしいほどで、所長室の前では、所長自ら笑顔で迎えてくださいました。壁一面に書籍などが並ぶ空間にどっしりとした机。いかにも所長室という印象を受けましたが、1つ違和感のあるものが目にとまりました。それはトレーニング器具のように見えました。「実はコロナ禍で通勤時間に渋滞するようになったので、始業の2時間前に到着して、スポーツ実験棟でゴルフのデータをとって分析しながらじっくりとフィードバックしているのです」と寒川所長。プロゴルファー秘伝のノウハウをYouTube等で勉強しては検証しているのだとか。「まさに研究者気質ですよね」との一言に周囲の方も至極納得していました。インタビュー会場の準備中もお気遣いをいただき、錯覚を体感できるノベルティで研究活動を紹介してくださいました。私も実際に経験することで研究内容に興味を持ち、心を動かされました。さりげなく、そして、スマートに魅力をアピールされるお姿にマネジメントの極意を学ばせていただいたひと時でした。