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トップインタビュー

立場は違えど「何を実現したいか」は同じ。研究と事業の間に立って両方の領域をカバーする存在として機能したい

従来のNTT R&Dの要である3つの総合研究所に加え、導入段階に近い開発を担う、NTT IOWN総合イノベーションセンタが2021年7月1日に設立されました。IOWN構想のカギを握る光信号と電気信号を融合する光電融合技術の創造と活用に向け奮闘するIOWN総合イノベーションセンタ。塚野英博センタ長に新センタ設立の目的や使命、トップに求められる資質について伺いました。

NTTIOWN総合イノベーションセンタ
センタ長
塚野 英博

PROFILE

1981年富士通株式会社入社。半導体を中心に調達部門に従事。2001年同社経営戦略室長。2017年同社代表取締役副社長/CFO。CHO/CSOを歴任し、社長補佐として全部門を管掌。2019年同社副会長。2020年NTTアドバンステクノロジ顧問、およびNTT研究企画部門シニアアドバイザーを経て、2021年7月より現職。

光電融合技術で世界の写像をつくり、サステナブルな社会の実現をめざす

新設されましたNTT IOWN総合イノベーションセンタのセンタ長就任おめでとうございます。まずは同センタについてご紹介いただけますでしょうか。

2019年に発表したIOWN(In­no­vative Optical and Wireless Network)構想において、NTTは光電融合技術を用いた革新的なネットワーク・情報処理基盤を2030年に実現することをめざしています。これに向けた研究開発力強化を目的として、NTT研究所が有する研究・開発リソースを結集してNTT IOWN総合イノベーションセンタ(IIC)が2021年7月に始動しました。当センタは、①IOWN構想を具現化し、移動固定融合を支える革新的なネットワークシステムの研究開発を担う「ネットワークイノベーションセンタ」、②IOWN実現に向けた革新的なコンピューティング基盤の研究開発を推進する「ソフトウェアイノベーションセンタ」、③IOWNを支える光電融合デバイスや情報処理デバイスに関する研究開発を推進する「デバイスイノベーションセンタ」の3センタにより構成されます。
この新しい体制で私たちは、デバイス技術、ネットワーク技術、ソフトウェア基盤技術を結集し統合していくことで、技術の世界でのゲームチェンジと日本の技術力再興をめざしていきます。ICTの普及とともにボーダレス市場化はますます加速しており、ネットワーク・情報処理基盤への重要性はますます高まっています。グローバルベンダとの連携は必要不可欠であると考えており、IOWNグローバルフォーラムや各ベンダとの共同開発などを積極的に活用して研究開発を加速していきます。
当センタはR&Dの組織ですが、名称はセンタです。私はこの命名には意味があると考えています。R&Dというと研究的な側面をイメージする傾向にありますが、センタと銘打ったのには、この感覚から開発に軸足を置くというマインドセットの変革を求められているのだと感じています。これまで研究所でも実用化をめざした開発が行われてきましたが、その軸足は研究に近い部分でした。この開発の位置付けを事業に近い部分に寄せることで、事業会社と一体となってビジネス展開を指向し、グループ外のプレイヤにもご利用いただけるものを生み出すことが求められていると認識しています。そして、こうした活動を通して電電公社時代から脈々と築き上げてきたNTTグループの最大のミッションである社会貢献をしっかりと実現したいと考えています。

研究と開発・事業化の橋渡しをするには双方を理解している必要性を感じますが、これまでのご経験が活きていらっしゃるのでしょうか。

私は、大学卒業後富士通株式会社に入社し、調達部門に配属され、現在に至るまで、半導体やネットワークのビジネスにかかわってきました。また、CFO(Chief Financial Offi­cer)・副社長として、限られたリソースの中で新規の事業領域を経営の立場で見極めてきた経験があります。さらに、半導体やICT関連の海外ベンダのマネジメント層やキーパーソンとのコネクションも数多くつくってきました。
IOWNの実現に向けて、さまざまな技術の取捨選択や事業としての判断、そしてIOWN Global Forumをはじめ、多くのパートナーとの連携も必須であり、これらに私の経験を活かすことが期待されていると考えています。
その取り組みとして、まずは光電融合デバイス等の適用により、圧倒的な省消費電力・低遅延時間を可能とする「超強力・汎用WhiteBOX」の実現です。おそらく完成までに10年ほどはかかると思いますが成し遂げていきたいと思います。併せてトータルオペレーションマネジメント領域においてはビジネスサポート、オペレーションサポートでの研究・開発も充実させていきたいと考えています。IOWNというビジョンに対して、こうした具体的な技術を時間軸や展開もかんがみてマッチさせながら、その実現に向けて進めていきたいと思っています。

正しいことを正しくやる

センタ長はさまざまな組織や任務のトップを経験されました。トップに求められる資質についてどのようにお考えですか。

上に立つ者ほど信念を持つことは大切であると考えています。もちろん、それが歪んでいたらいけないのですが、さまざまな交流を通じて人の話を聞き、検証して自らの信念が本当に正しいかを見つめ、確固たるものに築いていくことはできると思います。その過程において大切なのは、間違ったときにそれを認めて速やかに修正していく柔軟性でしょう。
物事の真実は1つですから、専門家等と話して仕組みや原理を理解し、自らの信念と照らし合わせて、現実化する方策を検討することの繰り返しです。こうして築き上げた私の信念は「正しいことを正しくやる」ということです。「正しい」の意味合いは立場が違えば全く違うかもしれませんが、「何を実現したいか」は立場が違っても同じだと思います。一般的には「精査」という言葉がありますが、正しくやるために調査し、人の話を聞き、その決断は正しいか、あるいはそうすべきかを深く掘り下げています。これも一朝一夕にできるようになったわけではなく、さまざまな苦労や経験をしながら築き上げてきた結果だと思います。

正しい判断をするために他者の言葉に耳を傾け、知見に触れることが大事なのですね。

直接的なコミュニケーションを図れる力もトップには必要だと考えます。私が社会人になったのは1981年で、その当時の日本の国力は上り坂でした。IT・エレクトロニクス等の分野では生産も消費も米国に次いで世界2番目のプレゼンスだったと記憶しますが、今では中国に抜かれてしまいました。この結果をかえりみると、日本も成長し続けているものの他がさらに成長している、つまり日本が過去の栄光に胡坐をかいて変化を恐れていたようにも感じています。
また、いわゆるエクセレントカンパニーは専門性を確立して自国のシェアを持ち、かつ他国においても大きなプレゼンスを持っています。しかも、プレイしたい国の言語をビジネスレベルで使いこなしています。特にサービス領域においては言語や文化の理解が重要ですから、その国の人とできるだけ近いレベルでコミュニケーションがとれないのであればプレイしてはいけないというのが持論です。これは現地の人を採用する等という生易しいものではなくて、自分がお客さまやステークホルダと直接コミュニケーションを図れるかが重要なのです。
強いていえば日本が手を抜いたのはこの言語の部分ではないかと思います。私は駐在に出張ベースの半年滞在も含めれば10年近くの米国での勤務経験があるのですが、最初は従業員1000人程度の工場の購買マネジャーとして派遣されました。初めのころは電話をかけるのも怖かったし、自分の意図したことを伝えられるかも不安でした。しかし、このままでは業務も遂行できないし、自分は成長できないと決意して、自分の担当するすべてのプロセスにかかわろうと広大な工場を歩き回って、現地スタッフ等とコミュニケーションを図りました。最初はなかなか意思の疎通が図れずにいましたが、とにかくコミュニケーションを図れるようになろうという決意のもとに実行し、少し慣れてくると相手の顔の見えない電話も苦ではなくなり、さらに3年ほどで慣れて、自信も持てるようになりました。そこで次は積極的に失敗してもやってみようと考えたのです。なぜなら安全サイドを基準に物事を選択していては何事も始まらないからです。こうしたトライ&エラーで失敗を恐れないようになりました。

「ジョン万次郎」のススメ

信念の確立や円滑なコミュニケーションも根底には努力があるのですね。

私の座右の銘は中高一貫校で叩き込まれた「質実剛健」です。多様な文化の受容も然り、失敗も然り、自ら積極的に挑戦していかなければ何事も始まりません。この姿勢で何事にも臨んでいます。こうした信念を貫いてマネジメントのポジションに就いたのは2010年ごろですが、私はそのころから周囲に「ジョン万次郎」のススメを唱えています。換言すると「出稼ぎ」のススメです。何かしたいことがあるのなら日本の国内で考えているだけではなくて、どんどん訪ねていこうと伝えているのです。「これをやってみたい!」という志があれば、相手は一度くらい会ってくれますし、話も聞いてくれるからです。そのときのために日頃から人間力を養っておく必要もあると思います。中でもリベラルアーツ(教養)は大切です。絵や音楽、スポーツの話題をきっかけに話が広がることもあります。どんな話題にも呼応できる力を養う、教養を身につけるために努力できるかどうかは相手に寄せる関心の大きさがかかわってくるのかもしれません。そのうえで、信念や原点を共有できると関係はどんどんと深まっていきます。たとえビジネスに直結することでなくても、人として理解し合うこと、時間をかけて盤石な関係を築くことはとても重要だと、自身の経験や経営の先輩方の行動から実感しています。
新しい取引をしたい相手と共通の友人や知人がいれば「一緒に何かを始めよう」と持ち掛けることもできますし、紹介してほしいと頼むこともできます。こうした関係性はいわゆる「コミュニケーション・パス」なのです。何事も一朝一夕にはいきません。入社時から、あるいはもっと前からこのパスを手に入れられるように積み上げていかなくてはいけないと思います。ただ、そうして築いた結果や効果は後になってみないと分からないものなのです。結果は常に遅効性で、やったことの評価は、大げさにいえば、時間と歴史でしか証明されないものだと思います。
森羅万象において、時間は平等・公平に過ぎていきます。常に考え、行動し、さまざまなことに関心をもて自身を磨き続け、進化することが必要であると考えています。何かを諦めたり、怠るということは、自分が前に進まない・止まるということであって、時間に取り残され、自分が退化するということであると考えています。すべては脳を働かせ続けることであって、自身にとって、止まること、退化することは恐怖です。

技術者・研究者の皆さんに一言いただけますでしょうか。

科学技術の意味は、「夢」の実現や「恐怖」の緩和であるという考え方が根底にあるように感じています。こうした考え方の違いはあっても、技術者や研究者はこれまでできなかったことを実現するという使命を全うするのが仕事であると考えます。また、実現した技術を使って万人がメリットを享受できるようにする、コストダウン効果も重要なポイントです。例えば、今の時代、レコードによる究極のアナログの音を楽しもうと真空管等の従来の機材や環境をそろえると3000万円程度かかるともいわれます。素人でもその音質の違いが分かるほどの素晴らしいクオリティだといいますが、そう簡単に手に入れられる機材ではありません。一方で技術は進歩し、誰でもデジタルで気軽に音楽を楽しむ機会は得られるようになりました。技術を進化させ、できなかったことをできるようにすることによって、その恩恵をコストダウンを通じて万人が享受できる社会を実現する、それを担っているのが技術者です。
技術者・研究者の皆さんが手掛けている研究は、こうした社会貢献に寄与するもので、これを現実のものとするために日々励んでいるということを念頭に置いていただきたいと思います。また、社会にも技術者・研究者の努力を理解していただきたいと思います。リアルな世界で万人が技術のメリットを享受するために研究していると自負していただければと思います。その意味で、地球温暖化抑止に向けたカーボンニュートラル実現のための取り組みは、IICの大きなミッションです。
(インタビュー:外川智恵/撮影:大野真也)

※インタビューは距離を取りながら、アクリル板越しに行いました。

インタビューを終えて

本格的な夏を迎えオフィスの窓から強い日差しが照りつける中、塚野センタ長が年季の入ったアタッシュケースを持って現れました。汗を拭きながらご準備されていたのでお忙しいですか?と伺うと「これまでの半分くらいかもしれない」とおっしゃるのです。しかし、準備の傍ら部下と話すご様子から、立ち上がったばかりの組織の長としての分刻みのスケジュールをこなす多忙さは十分に伝わってきました。
そんな塚野センタ長にご趣味を伺ったところ、忙しい合間を縫って農業のまねごととドライブを楽しんでおられるというのです。特にドライブでは「YOASO­BI」や「手嶌葵」等の曲をかけながら1日に300キロ近く、1人でスポーツカーを走らせながら考え事をしてリフレッシュされているとのことでした。
あれこれと余暇のお話を伺っている中で、塚野センタ長のお人柄を表現していると思ったのが車種へのこだわりです。「私は、たとえお金があったとしても、いわゆる高級なtheスポーツカーには乗りたくないのです。やり過ぎというか、速く走れて当たり前の車で、道を感じるのはなんとなく好きじゃない。4ドアだけれども中身(性能)はすごいというのにすごく憧れますね」。
この感覚はまさに塚野センタ長のあり方と重なりました。インタビューでもご自身を飾ることなく、努力を積み重ねてこられた話もさらりと語られました。いわゆる格好つけることも、ドラマチックに語られることもありませんでした。忙しさはこれまでの半分くらいとおっしゃったのも同様、どこかさりげなく、格好をつけない塚野センタ長の美学を感じたひと時でした。