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特集

デジタルツインコンピューティング構想実現に向けた技術開発

環境と経済社会の循環を可視化する連成シミュレーション技術

NTTデジタルツインコンピューティング研究センタは、環境と人間社会の調和した持続性を将来にわたって維持することが地球におけるもっとも重大な課題であるととらえ、地球上で行われるさまざまな経済・社会活動と環境の相互関係をできる限り計算可能にすることで、人間社会のあり方の選択肢を導出するというグランドチャレンジを掲げています。本稿では、その実現のために私たちが進めている取り組みについて解説します。

丸吉 政博(まるよし まさひろ)/六藤 雄一(むとう ゆういち)
徳永 大典(とくなが だいすけ)
NTTデジタルツインコンピューティング研究センタ

環境と社会経済の包摂的サステナビリティ

世界規模での猛暑や突発的な豪雨の増加、干ばつと山火事の頻発、絶滅危惧種の増加や作物生産量の変化に象徴される生態系の変化など、昨今の地球規模での気候変動や環境変化、それによる社会的影響を背景に、地球上の環境を維持するための社会システムの再構築の議論が始まっています*1。地球の環境はそれ自体が自律性を持っていますが、その自律性に対して人間の経済的・社会的活動が負の影響を与え、その結果として変化した環境が人間にとって好ましくない状況であるときに環境問題が発生します。この複雑な連鎖反応を起こすシステムは、地球規模でみれば環境と経済・社会を含む包摂的な循環システムとしてとらえることができます。
気候変動の影響評価*2や社会システムの再構築の議論はさまざまな分野の専門家が長い年月をかけて精度を高めてきた科学技術によって支えられています。観測が難しく不確実性の高い現象を各分野における科学的アプローチにより詳細な分析ができるようになってきました。また、環境と経済といった異分野間の直接的な影響評価についても、統合評価モデル(IAM: Integrated Assessment Model)という手法によりマクロかつ統計的指標によりその分析が行われている状況です。未来に向かって、地球上の環境や人々の暮らしにかかわる諸問題を解決するには、個々の問題を部分的にとらえるのではなく、地球上の循環システムとして包摂的にとらえる必要があります。そのためのモデルの高精度化、異分野連携を可能とする計算技術の発展がさらに加速していくと私たちは考えています。
そこで、NTTデジタルツインコンピューティング研究センタでは、地球規模の包摂的な循環システムを計算可能とすることで、地球の環境が備える自律性とその一部としての経済・社会システムの自律性とが包摂的に調和した状態とそこへ導く社会システム変容についての世界的議論を加速させることを通して、「環境と社会経済の包摂的サステナビリティ」の実現に貢献するという目標を掲げました。その目標の実現に向けた取り組み戦略の概念を図1に示します。包摂的な循環システムを仮に図1(a)のように置くとします。経済による環境への影響が産業や生態系サービスに影響し、その状態変化が社会的側面(例えば健康や格差、幸福感等)に影響を与えます。それら社会的側面の変化は経済を加減速させる力を生み、経済の状態を変化させ、これはさらに環境への影響へと伝搬していきます。このように包摂的に循環したシステムとしてとらえたとき、それを構成する要素となる各分野において、前述のとおり、各分野の専門家が長い年月をかけてその現象を分析・予測するモデルやシミュレータを科学的アプローチにより発展させています。今後もさらに高精度化が進むそれらのモデルやシミュレータを活用し、これらの間のつながりやスケールの違い、因果関係を踏まえて、相互に連鎖させて計算処理することで、循環システムの構築をめざします(図1(b))。以降では、そこで重要となる計算処理技術として、System of Systemsと総称する技術に関する課題と、私たちが進める循環システム評価の初期の取り組みとしてのPoC(Proof of Con­cept)の構築状況について解説します。

*1 社会システムの再構築の議論の例:世界経済フォーラムの2021年のテーマとして「グレートリセット」が謳われています。これはコロナ禍を契機に打ち出されましたが、地球規模での気候変動などの環境・生態系の問題も意識され議論がスタートしています。
*2 気候変動の影響評価の例:気候変動にかかわる政府間パネル(IPCC)のAR(Assessment Report)6-WG(Working Group)1では「人間活動による気候変動への影響は疑う余地がない」と発表されました。今後WG2、3からも影響評価、適応策に関する報告が予定されています。

環境と社会の連鎖を再現する異種シミュレータ連成技術

地球規模の環境と人々の経済活動は各々、長年にわたる観測により得られた過去から現在のデータに基づき、モデル化され、現在から未来を予測するためのシミュレーション技術として発達してきました。
しかし、実際の地球規模の環境と人々の経済活動の関係を予測するためには、さまざまな領域が複雑につながっているがゆえに、単領域のシミュレーションのみで精緻な予測を行うことは困難です。
同様の課題は工業生産の分野でも存在し、いくつかの単領域のシミュレーション技術を連成し、System of Systemsとして解く試みが行われています。例えば、エンジンとトランスミッションといったベンダも異なる複数のシステムから構成される自動車設計や宇宙衛星設計などで連成シミュレーション技術が実用化されています。複数要素を組み合わせることにより各々の要素単体では持っていない特性が実現されることを「創発」といい、その特性を「創発特性」といいます。シミュレーションも同様で、System of Systemsとして動作させることで、創発特性を発見することが期待されます。このことは環境と人間活動の関係でも重要だと考えます。しかし、地球規模の環境かつ、人々の経済活動も対象とすると、膨大な計算量だけでなく、シミュレータ間の結合に関する課題も多く、まだ実用化されていません。

異種シミュレータ連成における3つの課題とNTTの取り組み

私たちは、環境と社会の連鎖を再現する異種シミュレータの実現には、以下の3つの大きな課題があるととらえ、これらの研究開発に取り組んでいます。

■課題1:異種シミュレータの結合

複数の異種シミュレータを連成させる技術として、米国防総省主導の後、IEEEにて標準化されたHLA(High Level Ar­chi­tec­ture: IEEE1516)(1)やDAG(Daimler AG)が主導し標準インタフェース化されたFMI(Functional Mock-up Interface)(2)などがあります。
HLAは交通渋滞や避難誘導、宇宙衛星開発などの離散事象(discrete event)に、FMIは走行中の自動車の各種機器の連成制御などの連続事象(continuous event)のシミュレーションに用いられることが多いです。環境と社会の連鎖を再現するためには連続事象の中に離散事象を織り込む必要があり、両事象に対応可能な連成を実現する実行制御技術を開発する必要があります。また、連成させるシミュレータの増大に伴い、処理速度やシミュレーションの精度に関する問題が発生した際の解析が困難になることが知られています。しかし、HLAやFMIは解析を行う機能を有しておらず、ユーザ自身が情報を収集し、解析を行う必要がありました。

■課題2:異種シミュレータ間の取り扱いデータにおける解像度の差異解消

地球の表層上で生じる現象をシミュレーションする場合、計算を容易にするために、単位面積および単位時間ごとに処理されることが一般的です。この処理を行うために、過去に得られたデータから計算可能な数式モデルを構築しますが、取り扱うデータにより空間解像度(単位面積)や時間解像度(単位時間)、対象となる期間は異なります。
そのため、各シミュレータを連成する際、シミュレータ間の空間解像度や時間解像度の差異を統一化する必要があります。統一化するにあたり、解像度が細かいデータを平均化するなどして粗いデータに変換することは容易ですが、粗いデータでは、得たい解像度のシミュレーション結果が得られないことが予想されます。しかし、粗いデータに基づいてシミュレーションされた単領域の結果しか得られない場合、物理法則(力学的)ないしは、統計的・経験的な関係に基づいて解像度を細かくするダウンスケーリングを行う必要があります。

■課題3:シミュレーション全体計算量の削減

大気や気候、海洋といった高精度な予測が可能となりつつある分野のシミュレーションを単に連成させると、計算量が爆発的に増大し、実用的な時間で処理することができません。この課題を解決するためには、観測データや元のシミュレーションから得られる予測データを学習データとして機械学習・深層学習などにより代理モデル(サロゲートモデル)を作成して、シミュレーション実行時の計算量を削減するといったモデル変換の技術開発が必要です。

循環システム評価の初期の取り組みとしてのPoC構築

私たちは、実際にこれらの技術を用いて環境と社会経済の連鎖のシミュレーションをプロトタイプ実装(PoC)する取り組みにも着手しています。その取り組みを通して、私たちが目標とする「環境と社会経済の包摂的サステナビリティ」の実現という価値観を発信すると同時に、私たちの技術を実装し評価することで新たな研究課題の探求も進めます。
地球規模の連鎖の再現には非常に多くのモデルが関連しています。PoC構築に着手するにあたり、まずは自然環境と社会経済の両者に密接にかかわりのある水循環に着目しました。水循環は、国や流域に閉じた循環から全球のようなグローバルな循環まで幅広く登場する、スケールにかかわらず価値が変わらない事象です。
私たちのPoCでは、課題1で述べた異種シミュレータの連成技術を用いて下記3つのシミュレータの実行制御を試作実装することで、水循環と水利用の循環シミュレーションを実現しています(図2)。
・気象シミュレータ(アメダス降雨データセットによるシミュレータ出力の模擬)
・河川シミュレータ(MIKE)
・経済水利用シミュレータ(独自実装した簡易モデル)
気象シミュレーションと河川シミュレーションの連成により、降雨量とそれが河川に流入することによる河川水量を再現しています。さらに、経済水利用シミュレーションを連成することで、経済活動(農業、工業、生活用水)のために河川から水を取水し消費し再利用可能な水を再び河川に戻すことまで考慮した水循環を再現できました。
降雨や河川水量変化、水利用による水消費や水環境負荷を時々刻々に再現するには、各シミュレータ間の取り扱いデータの解像度の差異を解消する必要があります。今回のPoCでは、水循環と水利用とが取り扱っている水量のスケールの違いや単位時間の違いという課題2で述べた空間的・時間的な差に対して、変換処理の実装やシミュレーション設定の最適化で対応しました。
例えば、気象シミュレーションが出力する降雨量データはメッシュ単位当りの水量ですが、河川シミュレーションへの入力に必要な河川流入水量データは流域単位の流入水量です。どちらも同じ水量という単位ですが、空間解像度が異なります。そこで今回のPoCでは降雨量データを流域の面積や地域の流入効率を基に流入水量に変換して合わせる工夫をしています。
また時間解像度の観点でも、降雨、河川、水利用でやり取りする水量の時間単位を一致させる必要があります。今回のPoCでは、すべて1時間当りの水量という時間解像度で各シミュレーションを動作するよう設定し連成することで対応しましたが、将来的にはダウンスケーリング技術により、このような解像度の違いにも対応可能となると考えています。
現在の社会では、活動における水の消費に制限がないため、水循環へ負荷をかけてしまいます。私たちは、水のような自然資源の消費を資源循環における適正なコストとしてとらえる「自然資本コスト」の考え方を導入した社会を仮定しモデルを構築しました。このモデルにより、自然資本コスト意識の強さを変化させることで水利用の変化、水循環への負荷の影響をシミュレーション可能なことを確認しました。
現在のプロトタイプでは、自然環境のシステムとして水資源、社会経済活動として水利用に絞った、特定流域の水循環に関するモデルを実現しています。地球規模の循環を再現するためには、自然環境や社会経済を取り巻くさまざまなモデルを取り入れ連成させる必要があります。今後は、さまざまな専門家や外部組織とパートナリング体制を形成しながら、研究開発を進めます。

■参考文献
(1) IEEE 1516-2010:IEEE Standard for Modeling and Simulation (M&S) High Level Architecture (HLA)-- Framework and Rules.
(2) https://fmi-standard.org/

(左から)徳永 大典/六藤 雄一/丸吉 政博

本取り組みには関連分野の専門家の方々との連携がもっとも重要です。環境と経済社会の包摂的サステナビリティの実現に向けた取り組みに興味のある方はぜひご連絡ください。

問い合わせ先

NTTデジタルツインコンピューティング研究センタ
環境・社会シミュレーショングループ
E-mail dtc-office-ml@hco.ntt.co.jp