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藻類と魚介類による炭素循環にゲノム編集技術を適用し海洋中のCO2を低減させる研究

IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告書によれば、大気中に排出されるCO2のうち森林で吸収される割合が57.7%、そして海洋で吸収される割合も34.6%に上るといわれています。今回は、海洋におけるCO2量を低減させる「ゲノム編集技術を応用した海洋中のCO2低減技術」について、今村壮輔特別研究員にお話を伺いました。

今村壮輔 特別研究員
NTT宇宙環境エネルギー研究所

PROFILE

東京農工大学連合農学研究科生物工学専攻博士課程修了後、東京大学リサーチフェロー、日本学術振興会特別研究員PD(東京大学)、中央大学理工学部生命科学科助教、東京工業大学化学生命科学研究所准教授を経て、2021年日本電信電話株式会社入社。NTT宇宙環境エネルギー研究所 サステナブルシステムグループ所属。明治大学農学部兼任講師、東京工業大学化学生命科学研究所特定教授を兼任。専門は植物分子生物学。

藻類および魚介類へのゲノム編集を通じて海洋中のCO2を低減

◆「ゲノム編集技術を応用した海洋中のCO2低減技術」とはどのような技術なのでしょうか。

IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告書によれば、地球上から大気中に排出されるCO2の総排出量のうち、人間活動によるものはわずか4.8%にすぎません。残りのうち土壌から排出されるものが61.3%、海洋から排出されるものが33.%を占めています。一方、吸収については、森林により吸収されるものが最大で57.7%を占めますが、海洋で吸収されるものも34.6%に上ります。
NTTが提供する通信サービスはエネルギーの消費に伴ってCO2を排出しているため、その排出量を削減する技術の研究開発は、今後の通信事業の発展を妨げないためにも、地球環境への負荷を削減するためにも重要です。また、省電力化などによるCO2排出量を減少させる方策に加えて、生物の力を活用して排出したCO2を吸収して低減するというアプローチも可能です。私たちは特に海洋の炭素循環に着目し、そこにゲノム編集技術を応用して海洋中のCO2を低減させる研究を行っています。
図はゲノム編集技術を藻類と魚介類の炭素循環に応用した、海洋中のCO2低減技術の概略を示したものです。大気から海洋に溶け込んだCO2は、海洋中に生息する藻類などの植物プランクトンによって固定されます。「固定」という用語は聞き慣れないかもしれませんが、「CO2などの無機的な炭素を、グルコースなどの有機的な炭素化合物へと生体内で変換してそれが取り込まれる過程のこと」を指します。次に、魚介類が先の藻類をエサとして食べることで、藻類によって固定された炭素が魚介類へ受け渡されます。これが、海洋中で繰り広げられている食物連鎖による炭素循環です。
私たちは、世界初の試みとして、食物連鎖を担う藻類と魚介類双方にゲノム編集を適用し、その結果として、藻類のCO2固定量や成長を促進させたり、魚介類の成長速度や貝殻や骨への炭素吸着量を向上させたりすることをねらっています。これにより、藻類と魚介類による炭素循環総量を“相乗的”に向上させ、海水中のCO2量を減少させようという研究です。
海水中のCO2濃度が減少すると、その分大気中から溶け込むCO2が増加しますから、大気中のCO2量を削減することが可能となります。リージョナルフィッシュ株式会社と共同で実証実験を開始しており、藻類のCO2固定量を増加させるゲノム編集の研究開発をNTTが、魚介類の体内に固定する炭素量を増加させるゲノム編集の研究開発をリージョナルフィッシュが担当しています。

◆藻類に着目されたのはなぜでしょうか。

海洋でのCO2固定の一翼を担う「植物プランクトン」の正体は藻類ですから、そこに着目したのは自然の流れかと思います。藻類は約30億年前に誕生し、光合成によって酸素をつくり出してきました。背負っている歴史の深さは他の生物とは比較になりません。私たち人類は彼らが蓄えてくれた酸素のおかげで呼吸できていますし、身近にある植物の進化過程をたどれば藻類に行き着きますので、「藻類が現在の地球環境の原型を創った」といっても過言ではないでしょう。こうした理由から、藻類が植物を理解するのに良い材料であると考え、私は学部生のころから藻類の研究に従事しています。
また、藻類の多くが1つの細胞からできている単細胞生物であるため、後述するゲノム編集で扱いやすいという理由もあります。

◆ゲノム編集技術とはどのような技術なのでしょうか。

「ゲノム編集技術」と混同されやすい言葉として「遺伝子組み換え技術」があります。納豆のパッケージなどで「遺伝子組み換え大豆は使用しておりません」といった記載を目にしたことのある方は少なくないかと思います。遺伝子組み換え技術は、例えると人間の体の中に藻類の光合成に関する遺伝子を入れるようなものです。
一方で、ゲノム編集技術というのは人間の中の遺伝子配列、つまり並びを少し変更するものです。遺伝子組み換え技術と違い、他の生物の遺伝子が体内に入ることはなく、本来持つ遺伝子の機能を改変するのみであるため、比較的安全だと考えられています。同じ原理として、作物などの品種改良があげられます。
ただし、ゲノム編集体が環境に与える影響や、生物の多様性が破壊されることはないか、などの評価は注意深く行う必要があります。そのため、実証実験は陸上での養殖という限られた閉鎖空間で行っています(図)。

まずは5年をめどに1組の藻類と魚介類の組み合わせによる実用化をめざす

◆研究の現状について教えてください。

現在は3つの視点で研究を進めています。
1番目は給餌に関する研究です。現在は培養した藻類を実際に魚介類に与える給餌試験を行っていますが、魚介類は嗜好性が強いらしく、なかなか食べてもらえません。どのような種類の藻類をどのくらいの濃度で与えれば効率良く摂取してもらえるか、ということを研究しています。
2番目はゲノム編集技術についての研究です。ゲノム編集を行うには、どの遺伝子のどの部分の配列を変えるのかを決定する必要があります。現在は望む効果が見込めるようなゲノム編集の条件を検討している最中です。
3番目はゲノム編集による不都合な現象を低減する研究です。先ほども申し上げたとおり、藻類には30億年以上の時間をかけて蓄積された洗練された仕組みが備わっています。それゆえ人間の手を入れてそれらの仕組みを改変すると、必ず不都合が生じてしまいます。例えば、CO2の吸収量や固定力を上げると、代わりに増殖力が落ちてしまうといった具合です。こういったトレードオフを緩和するにはどうしたら良いのかを研究しています。

◆今後の研究の方向性について教えてください。

海洋には非常に多種多様な生物が生息しています。冒頭でCO2の排出量、吸収量のパーセンテージを紹介しましたが、これはあくまで計算によって求められたものです。数種類の藻類などに関する既存のデータを用いて、「すべての生物で同じことが起こっているであろう」という仮定のもとに導き出された概算値といえます。私たちは、陸上養殖のプラットフォームを用いた閉鎖空間内の実験を通して、藻類がどの程度のCO2を固定し、そのうちどの程度の量が魚介類に受け渡され、そして全体としてCO2の量がどれだけ変化したのかを定量的なデータとして示したいと考えています。こうしたアプローチは、今後の実用化を見据えた場合には重要なポイントとなるでしょう。まずは5年をめどに、藻類A、魚介類Bの一対の組み合わせを決定し、CO2の低減効果と安全性を評価したうえで実用化することを目標としています。ここをクリアできたら、閉鎖的な空間のみならず、実環境(海洋)への技術展開も検討できるでしょう。
ここまで環境の観点からCO2低減についてお話ししてきましたが、もう1つ食料問題という重要なテーマがあります。現在、食料不足を補うことができるような魚介類、可食部増量マダイや急成長トラフグの開発に、リージョナルフィッシュがゲノム編集技術を用いて成功しています。ゲノム編集を施した魚介類に海洋中のCO2を高効率に固定した藻類をエサとして与えることにより、CO2の低減と食料生産を同時に実現可能な技術となることが期待されます。しかし、ゲノム編集はまだ歴史の浅い新しい技術ですので、消費者がゲノム編集体に不安を抱かないように、正しい情報をしっかり伝えていくことも必要です。また、貝類ではアコヤガイの研究も進めています。アコヤガイは真珠をつくる貝なので、ゲノム編集体を食することに抵抗のある方でも、工芸品である真珠は受け入れやすいのではないでしょうか。
もちろん一番の目的はCO2をより多く固定することですが、将来的には魚介類にこうした付加価値をつける研究への展開も必要になってくるでしょう。
さらに土壌への応用も考えています。CO2の排出量では土壌は最大の割合を占めますし、何より土壌は植物への栄養供給源でもあります。土壌からのCO2の発生量をいかに抑えていくかという取り組みは重要です。藻類とは方向性が少し異なりますが、どちらも登場する主役は微生物という「小さな役者」ですので共通点はあると思いますし、新たな発見が得られるのではないかと期待しています。

◆学生、若手研究者、および将来のビジネスパートナー様に向けてメッセージをお願いいたします。

今回紹介した私たちの研究を加速させ、より汎用性の高い技術へと発展させるために、ゲノム編集や藻類培養・給餌などのデジタル化とそのデータ解析を行うデータサイエンス分野の方や、生態系全般を専門とする方などともコラボレーションしながら、進めていきたいですね。
NTT宇宙環境エネルギー研究所は、非常に広い分野にわたって研究を行っています。私たちのように生命の真理を探求・追究するような研究もあれば、通信やネットワーク、それらを支える工学的な基礎研究にとどまらず、エネルギーサイエンスや社会科学に関する研究も行っています。そして「これまでにない新しいチャレンジングなテーマに取り組む研究所」です。私は2021年3月に大学から当研究所へとやってきましたが、研究から開発までを非常に大きなスケールでバランス良く取り組めるところに魅力を感じています。
現在、生物の仕組みには未知の部分が多く残されています。その部分を考えるだけでも、新たなアイデアがどんどん出てきますし、それらが解明されれば研究テーマはさらに広がっていくと思います。宇宙環境エネルギー研究所は新しいことに挑戦できる環境が整っていますので、好奇心旺盛な方がメンバーに加わっていただければ非常に心強いですね。