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信号を「折りたたんで」送信。帯域幅のボトルネックを解消する「帯域ダブラ技術」

デジタル回路を利用した信号処理を伴う通信システムでは、デジタルとアナログのインタフェース部分における帯域幅が通信速度向上へのボトルネックとなっています。今回は、このボトルネックを解消する「帯域ダブラ技術」について、同技術の原理を考案した山崎裕史特別研究員に解説していただきました。

山崎裕史 特別研究員
NTT先端集積デバイス研究所

PROFILE

2005年日本電信電話株式会社入社、NTTフォトニクス研究所に配属。集積光デバイスの研究開発に従事。現在、NTT先端集積デバイス研究所・NTT未来ねっと研究所兼務。特別研究員。工学博士。Deputy Editor of Journal of Lightwave Technology

光通信の速度を2倍に向上する「帯域ダブラ技術」

◆光通信における速度向上の手段について教えてください。

通信における情報伝達の速度は、「帯域利用効率」と「帯域幅」との積により決まります。
「帯域利用効率」は単位周波数・単位時間当りに伝送できる情報量を指します。例えば光が消灯しているときを「0」、点灯しているときを「1」として2値を表現するシステムと比較すると、光の状態を4段階にして「00」「01」「10」「11」の4値を表現するシステムでは2倍の効率で情報を送信することができます。光通信における帯域利用効率は、DSP(Digital Signal Processor)の性能向上とアルゴリズムの進化により、近年飛躍的に向上しています。
一方、「帯域幅」は利用できる周波数の範囲を示しますが、帯域幅拡大のペースは比較的緩やかです。特に課題となっているのが、DSPの入出力部においてデジタル信号とアナログ信号との変換を担うデジタル-アナログ変換器(DAC:Digital to Analog Converter)およびアナログ-デジタル変換器(ADC:Analog to Digital Converter)のアナログ帯域幅です。DAC、ADCはCMOS(Complementary Metal Oxide Semiconductor:相補型金属酸化物半導体)の技術を用いてDSPと一体集積により形成されます。ところが、CMOSは大規模なデジタル回路を構成する際のほぼ唯一無二の技術であるものの、アナログ帯域幅の観点からみれば必ずしもベストな技術とはいえないのです。このため、CMOS技術により形成されたDAC、ADCの帯域幅の制限が通信システム全体の帯域においてボトルネックとなりつつあります。
「帯域ダブラ技術」は、この帯域幅に関するボトルネックを解消することで、送受信機1個当りの伝送容量の拡大をめざす技術ということができます。

◆「帯域ダブラ技術」の原理について教えてください。

図は帯域ダブラ技術の原理を示したものです。2つのDACを並列に並べ、それらの出力をAMUX(Analog Multiplexer)で束ねることにより2倍の帯域幅の信号を送信できます。現在は主にDAC側(送信側)に注力していますので、そちらを中心に説明します。
図の中央、2つの「sub-DAC」と書いてある黄色い部分がボトルネックになっている部分です。その右と左に水色とピンク色のグラフがたくさん出てきますが、グラフの横軸の「f」は周波数を指し、「帯域が広い」は横軸上に広がる幅が広いこと、「帯域が狭い」は横軸上に広がる幅が狭いことに相当します。
図の一番左側にある「ターゲット信号」が出力したい信号で、fcの幅があります。しかし、sub-DACに通せる幅はその半分のfc/2までです。つまりそのままの状態では信号全体を通すことはできませんし、信号を削ってもいけません。そこで、なんとかしてターゲット信号全体をsub-DACを通したうえで送信する方法を考える必要があります。
帯域ダブラ技術では、まずDSPで「前置デジタル信号処理」としてターゲット信号の帯域をfc/2を境として低域、高域に分離します。その後、高域成分を強調します。ピンク色の部分ですね。その後、高域成分をプラスに折りたたむ信号とマイナスに折りたたむ信号の2つの信号を用意します。これらの信号はfc/2の幅しかないので、sub-DACを通すことができます。
その後、信号はAMUXに入ります。AMUXは2つの入力信号を、波形を崩さずに一定のタイミングで高速に切り替えながら出力につなげるというシンプルな電子回路です。一定のタイミングで切り替えるということは、周波数軸上では切り替え周波数fcの周りに入力信号のコピー(イメージと呼ばれます)を発生させることに相当します。これにより信号の帯域が広がります。さらに、前述の2つの信号を折りたたむ際のプラスとマイナスの関係と、イメージのプラスとマイナスの関係との兼ね合いにより、水色の低域成分とピンクの高域成分が本来あるべき周波数領域において強め合い、それ以外の周波数領域において打ち消し合います。これにより、最終的にターゲット信号を送信することができるという仕組みです。
なお、図で示した方式は初期のもので、現在はクロック周波数を半分で済ませることのできる方式なども実証済みです。

◆現在までの研究の進捗について教えてください。

帯域ダブラ技術はまず比較的シンプルな短距離の強度変調・直接検波(IMDD:Intensity Modulation-Direct Detection)伝送システムに適用し、1波長当り250Gbit/sという当時(2016年)のIMDD光伝送容量の世界記録を更新しました。その後、デバイスの広帯域化や折りたたみの方式の改良を重ね、1波長当り400Gbit/sまで容量を伸ばしています。また、中〜長距離向けのデジタルコヒーレント伝送システムに適用した実験も進めており、1波長当り1Tbit/sを超える大容量信号の長距離伝送も達成しています。これらの成果は、光通信分野で最も権威ある学会であるOFC(Optical Fiber Communication Confer­ence)やECOC(European Conference on Optical Com­mu­ni­ca­tion)でトップスコア論文やポストデッドライン論文(特にインパクトの大きな成果に限定して通常の締め切りの後に募集される論文)として採択され、注目を集めてきました。
大容量化の試みについては、他社、他機関を含めさまざまなアプローチが提案されています。私たちもトップ集団の一角として、一進一退の競争を繰り広げている渦中にあります。

デバイス技術と信号処理との両面から改善を検討

◆今後の展開について教えてください。

帯域ダブラ技術は、基本的には光通信システムへの応用を念頭に置いたものです。今後も光ファイバ通信システムを構成する各機器、特に光送受信機に対する大容量化の要求は続くと予想されますから、その要求にこたえるアプローチの1つとして帯域拡張技術に取り組んでいきたいと思います。世の中をリードするような、学術的、学会的にもトップを走れるような技術を発表して先進性をアピールするということも私たちのミッションの1つですから、今後も研究は続けていくつもりです。
技術面からみると帯域ダブラにはまだまだ改善の余地がありますので、デバイス技術と信号処理の両面から検討を進めています。例えばAMUXと光変調器をコンパクトに集積する実装技術なども重要課題の1つです。さらに帯域拡張のアイデア自体は特定のデバイス構成に縛られるものではないため、AMUXと同等の機能を光回路で実現する技術の開発などもめざします。

◆どのような経緯で帯域ダブラの原理に思い至ったのでしょうか。

帯域ダブラの原理を思いつくまでにはいろいろな伏線がありました。私は2015年くらいまではもっぱら光デバイスに関する研究を行っていました。光デバイスはすべてアナログの世界で、通信容量を上げていくところではいろいろと苦労も多かったように思います。並行してデジタルを含めた技術についてもずっと学んでいたのですが、アナログの世界での通信容量向上がそろそろ行き詰まるかな、と思っていたタイミングでちょうど高速のAMUXの技術が立ち上がり、アナログ、デジタルが協調して帯域を広げる帯域ダブラの着想に行きついたように思います。
当時の私にとって、デジタルの部分は専門外でしたが、それでも比較的簡単にいろいろと試せる環境が整ってきたおかげともいえます。

◆学生、若手研究者、および将来のビジネスパートナー様に向けてメッセージをお願いいたします。

学会などで他社や他機関の研究者の方と話していると、デバイスは制作したものの、なかなかシステム実験につなげられないとか、システム実験に使いたいデバイスはあるが入手が難しい、といったお悩みを聞きます。
NTTではデバイスからシステムまで幅広い分野をカバーする研究所がそろっており、さまざまなかたちで連携しています。これは大きな強みだと思います。私自身、NTT先端集積デバイス研究所とNTT未来ねっと研究所を兼務していますが、両研究所やNTTデバイスイノベーションセンタとの連携の中から、上記の帯域ダブラ技術を含めさまざまな成果が生まれています。
学生の方や若い研究者の方に対しては、「人と違う引き出しの組合せを持つことが武器になる」ということを申し上げたいと思います。私自身、デバイス研究者としては専門外にあたるデジタル信号処理を学んだことが帯域ダブラ技術の考案につながりました。専門外だから、素人だから、と遠慮せず、必要とあらば隣の分野の知識や技術にも果敢に踏み込んでみてほしいと思います。