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挑戦する研究者たち

医学と情報通信の橋渡しにより、発作による突然の不幸を減らしたい。抜きんでた研究者に共通するのはグッド・コミュニケータである

医療機関における診断、バイタルモニタ、健康診断、AEDなどで広く活用されている心電図はICTの発達と機械学習等の情報処理技術の進歩により、ヘルスケアなどの領域にも活用の場を広げつつあります。また、超高齢化社会における心疾患の増加により、心電図を活用した在宅・遠隔医療のニーズも急速に高まりつつある現代において、医師としての臨床経験を活かし、医療とICTを融合した学際領域の研究に臨む塚田信吾フェローに研究活動の進捗等を伺いました。

塚田 信吾
フェロー
NTT物性科学基礎研究所

新しい誘導と解析を用いたモバイル立体心電図:テンソル心電図

3年ぶり、3回目のご登場ですね。研究活動は順調に進んでいますか。

おかげさまで順調に進んでいます。私たちは現在、hitoe®を用いたウェアラブル心電計の開発経験を活かし、臨床心電図の医学的な知見と近年の情報処理技術を組み合わせて、心電図の常時計測・解析システムの構築に取り組んでいます。
2014年に発表したhitoe®は、東レの新素材を用いた衣服型のバイタルセンサで、最先端の繊維素材であるナノファイバ生地に、導電性の樹脂をコーティングして、生体信号を検出する専用の生地素材です。
hitoe®を活用した研究の過程で、研究成果を世の役に立つようにと常に意識してきました。2021年に世界最大のスポーツイベント(大会)という非常に良い機会に巡り合いました。衣服型で運動時等においても生体情報のセンシングが可能である利点を活かして、競泳と自転車競技において、大会出場を目標とした選手強化にかかわらせていただきました。
競泳においては、選手の練習に伴う慢性的な筋緊張による胸郭を中心とした運動機能の低下がみられることに対して、脊柱・肋骨・体幹の機能的な連携への自覚を促し、自然で効率的な体の動きを回復させるトレーニングを提案して、中京大学水泳部の2名の競泳選手、トヨタ自動車の川本武史選手、そしてミキハウスの相馬あい選手をサポートしました。トレーニングにおいてエクササイズの前後ストリームラインの姿勢の変化を3方向から撮影して評価し、hitoe®で筋電・呼吸・モーションを計測するマルチセンサベルトを活用して、呼吸のしやすさや腕の上げやすさ、呼吸時の胸囲の伸縮を計測しました。コロナ禍であったため、スマートフォンのWeb会議システムを使用して、リモートによるコンディショニングを提供しました。川本、相馬両選手とも、日本選手権等における優勝等の成績を残し、この取り組みを継続できて本当に良かったと思います。
自転車競技においては、表面筋電位計測と分析と可視化を手掛けました。hitoe®を生体電極として使用し、ブリヂストンサイクル、NTTデータとの共同研究の下、チームブリヂストン所属の橋本英也選手を含む国内トップ選手を対象に、筋疲労・筋活動からみえるペダリングの評価に臨みました。大会の競技会場を含むさまざまな場所で計測を実施し、集めたデータを基に、選手ごとのペダリングの特徴を可視化し、選手にフィードバックして、選手の感覚、主観を交えたディスカッションを行い、強化のポイントを明らかにしました。
アスリートにとって競技中の筋の活動の状況を知ることはパフォーマンスの向上やコンディショニングのために重要です。hitoe®の計測する「表面筋電位」は体の表面から筋肉の活動を知ることができ、着替えるだけでセットでき身体への負担も少ないことから現場での運動解析に有効と考えられます。今回の取り組みにより、生体電極のhitoe®の有用性を確認することができました。

他にもhitoe®から派生した新たな研究テーマが生まれたそうですね。

医師として働いていた私は2010年にNTTに中途入社して以来、新しい分野の研究をほぼ0から再スタートしました。生体電極の発明から着衣だけで心拍・心電図の常時モニタリングを可能にする生体電極用の素材の作成、そして社会実装まで担当させていただきました。
さまざまな生体電極やウェアラブル機器に関する提案をしてきましたが、社会実装に至るのはそれらのうちのごく一部で、それは他社も同様です。幸い私の提案は着るタイプの生体センサとして新規であったため、国内外で注目され、世界中を飛び回る多忙な生活が続いていました。ストレスを抱える中、まさに医者の不養生で、突然心臓発作に見舞われました。その際に私自身が研究していたウェアラブル心電図で確認した心電図と、さらに病院の精密検査で行った誘発試験中の心電図には衝撃を受けました。発作の際の強烈な自覚症状と比較して、心電図の示す異常所見(信号の歪)は極めて小さかったのです。
ウェアラブル心電計は心臓発作の回避や早期診断を目的に研究してきたにもかかわらず、従来の心電図の判定法(正常と異常を診断する目安となる基準)には限界があり、これらのツールをもってしても、見落としてしまうような小さな異常が存在し、心臓発作を早期発見できない原因になっていることを自覚しました。この限界を突破するには、情報処理技術を用いた革新的な心電図の解析技術が必要となります。時を同じくしてコロナ禍の行動制限から、これまでの多忙な生活から一変、この課題に集中的に取り組む時間を持つことができ、新しい方法で心電図を測定・解析する「テンソル心電図」を生み出すことができました。

臨床医、そして門外漢の経験が活きた

大変なご経験を通じて新しい解析技術が生まれたのですね。「テンソル心電図」について詳しく聞かせてください。

心電図は、胸部、四肢等に設置した複数の生体電極から取得した電位差の時間変化を表したものです。胸部の電極からは体動の影響を受けにくいため比較的大きな心電位を得ることができるのですが、そのほかの電極は体動の影響を大きく受けるため、心電図の測定は基本的に安静状態で行われます。
前述の心電図の微小な異常(波形の歪)を見つけるためには、心電図の長時間安定的な記録が必要となり、心臓が胸郭ともっとも近接する心尖部領域(心尖部―左室前壁)を基準点とし、ほぼ線形独立な3方向に対極を備えたウェアラブル心電計を考案しました(図1)。心臓は立体であり、その動作も立体的であるため、心臓を囲むように3次元に設置された電極からは心臓の動きに応じた立体的な心電図を得ることができます。電極の装着性向上と体動による電極の位置等への影響を極小化するために、電極と配線は伸縮性のベルトと一体化していて、肩ベルトとウエストベルトを締めるだけで簡単に装着できます。さらにこの立体心電図とともに心拍出量・深部血管脈波の同時計測機能を備えたポリグラフ(心機図)を開発しました。
従来の心電図の判定基準は、心電図の正常範囲が広く、現状では疾病やパターンごとに個別に基準を設けて対応しているのが現状です。心臓発作(狭心症などの異常)が発生しても、ほんのわずかな波形の歪しか現れないことがあり、加えて、非定型的な心電図の異常を定量的に評価する方法は確立しておらず、異常と判定されないケースがあります。
心電図は多数の心筋細胞の活動電位と呼ばれる興奮によって発生した電位を体表面から記録したものです。心筋細胞の活動電位は、体表面から測定することはできません。そこで、ガウス分布を用いてこの活動電位の変化するタイミングを統計的にモデル化し、心電図を基に心筋の活動電位の集団的な推移を推定する方法を考案しました。この方法により、心電図の非定型的な歪を分解し、拡大して、明瞭に可視化することができます(図2)。
現在は、この方法によって得られるパラメータが心臓の複雑な異常の分類や、これまで見過ごされてきた心電図の微細な歪を定量的に抽出し、統一的に評価する指標として有効であるかを検証しています。将来このテンソル心電図の解析手法が、心不全や虚血性心疾患、心臓突然死と関連する不整脈の診断に役立つことを期待しています。

このような心電図の解析は今まで成されてこなかったのでしょうか。

テンソル心電図に関して、過去の論文と先行特許の調査を行いましたが、類似のケースは見つからなかったので、新規性は高いと考えています。
一方、心不全や心臓発作が死因の第一位である欧米において、この分野の研究は盛んであり、昨今ではApple等もこの領域に参入するなど研究開発競争は激化しています。その多くは機械学習・AI(人工知能)を使って、異常な心電図を自動判定し、さらにこれまで判定できなかった異常を検出しようとしています。ただ、現時点の心電図のAI診断には課題もあります。学習させる心電図データによる影響を受けること、なぜその判定結果を得たのかという理由、因果関係が必ずしも明白ではないこと、大量の心電図のデータを準備する必要もあります。
心電図から心筋の活動電位を計算し異常を解析する、いわゆる「心電図逆問題」は、解の得られない難問とされてきました。しかも心電図の異常には形状のわずかな歪や電位の変化にとどまる場合も少なくありません。
しかし、私は臨床医の中に、心電図の微細な変化を読みとって鑑別する名医がいることを知っていました。彼らは数多くの患者の心電図を診てきた経験から異常を識別しているのだと仮説を立て、私はこの問題にチャレンジするために情報処理や統計学を勉強しました。私の学んだ医学は現在の情報処理とは縁遠く、再びゼロからのスタートとなり、しかも不可能とされている逆問題は非常に多難でした。ところがふとあるとき、統計学におけるガウス分布の再学習中にひらめいて非常に簡潔なモデル式で計算を試みたところ、制約付きながらも解けることに気が付いたのです。情報処理や統計学の素人ゆえの発想が奏功したのかもしれません。

新しい時代に向けて、新しいタネを見つけ、育てるのが研究者の使命

前回、先端的な医療機器の開発と病気になる予兆を検出するのが夢であるとお話しくださいましたが、夢の実現は間近に迫っているのですね。

この方法が正しいのか、臨床医学に役立つのかは現時点では分かりません。もしテンソル心電図が有効であればまさに夢の実現に迫るもので大きなブレイクスルーです。これからストレステストに入りますが、乗り越えなければならない技術的課題、さらに社会実装までには大きな関門がいくつもあります。臨床研究はスタートしたばかりですが、もし有効性や価値が認められれば3年から5年程度で心電図の解析法の1つとして認知される可能性はあります。ただし、心電図のAI診断は猛烈なスピードで発達していますから、負けてしまう可能性もあります。テンソル心電図の解析手法はすべての心電図に適用可能な汎用性の高い技術です。もし臨床的な有効性が確認されれば、例えば10年後くらいにWebサイトをクリックするだけで自分の心電図を精密に解析したり、心臓病の予兆を検出したりできるようになり、社会に貢献できる可能性があります。
学術的には、情報処理と医学の中間にあたる学際的な雑誌に論文を投稿しようと考えています。現代の研究課題の多くは1つの専門領域では解決には到達できないことを私は実感しています。事実、欧米においてはクロス・ディシプリン、あるいはダブルメジャーといった、1つの専門領域を極めた研究者や専門家がもう1つの専門領域を追究する、あるいは専門家どうしが課題解決のために緊密なタッグを組むことはよくあります。一方、日本ではクロス・ディシプリンや学際的な取り組みは進んでいないように感じています。まして、私の年代では本当に数少ないのが実情です。
私は、NTTの研究者として医学、生理学、医工学、生体計測・情報処理の分野にまたがって活動しています。それぞれの領域の専門家の橋渡し役としてコミュニケーションを取り、医療費高騰の問題等、社会課題の解決に臨みたいと願っています。

研究者として大切にしていることを教えてください。

私は次の時代に向けて、新しいタネを見つけて、それを育てるのが研究者の役割と考えています。どの領域においてもその時代に注目される研究テーマはありますが、必ずしもすべてが重要な課題に結び付いているとは限りませんから、テーマの重要性、社会的必要性を見極めて研究に臨みたいですね。加えて、専門性を高めることは必須ですが、学際的な交流も積極的に行い、さらには現場の経験を積む泥臭い取り組みもまた大切にしたいです。さまざまな交流を通じて各分野の苦労話や技術のボトルネックを把握できますし、そこからユニークな発想が生まれることもあります。交流やコミュニケーションのために、前回お話したときと同様に、これからも「相談しやすいおじさん」でありたいと願っています。
ところで、患者さんへの対応をしてきた医師時代の経験から、幸せとは単に成功したとか成果を上げたとか、地位がある等で得られるものではなくて、家族や友人、同僚に恵まれること、人と交流することで得られるものではないかと感じています。この感覚はこれまでかかわってきた多くの医療従事者と意見の一致するところです。研究者においても、周囲と良い関係を築いている方のほうが、研究活動を継続できて、結果的にも安定した成果を上げているように感じられます。もちろん、単独で専門領域の目覚ましい成果を上げられる方もいらっしゃいますし、研究スタイルはそれぞれですが、私はさまざまな方とかかわり合い助け合いながら研究活動を続けたいと考えています。
研究者の評価は論文数やインパクトファクタなどの指標もありますが、抜きんでた成果を上げている研究者に共通するのはグッド・コミュニケータであることではないかと感じています。彼らはコミュニケーション力が際立って高く、専門外の領域にも精通していて、例えば他領域の話題や苦労にも共感できる力があります。私もそうありたいですね。今後も引き続き、研究成果を少しでも社会に役立てられるように、また若い研究者の皆さんの活躍できる機会が増えるように、明るい未来に結びつく研究を継続できるようにと願っています。