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人と環境が調和したスマートな世界を実現するICTの研究開発の取り組み

人と環境の関係をとらえ、自然な働きかけで人の行動を支援するアンビエントアシスト技術

私たちが社会生活の中で行う行動の多くは、私たち自身の能力や心情に基づくだけでなく、私たちを取り巻く実世界の環境に広く影響を受けています。私たちは行動する人を取り巻く環境に着目し、人の知覚や身体の状態と掛け合わせたモデルのもと、環境から人への自然な働きかけにより、人の最適な行動選択を支援するアンビエントアシスト技術の確立をめざしています。

瀬下 仁志(せしも ひとし)/ 西川 嘉樹(にしかわ よしき)/ 倉橋 孝雄(くらはし たかお)/ 小池 幸生(こいけ ゆきお)/ 松田 治(まつだ おさむ)/ 永徳 真一郎(えいとく しんいちろう)/ 渡部 智樹(わたなべ ともき)/ 佐藤 妙(さとう たえ)/ 笹川 真奈(ささがわ まな)

NTTサービスエボリューション研究所

はじめに

人と環境が調和した自然なやり取りの実現をめざす「Point of Atmosphere(PoA)」の世界では、日常生活のさまざまな場面において、その人の行動や意図、気持ちを理解するだけでなく、その人の置かれた状況、周囲にあるモノや他者の関係を正しく把握したうえで、人の最適な行動をアシストするICTが求められます。このことは、ICTがオンラインサービスの枠を越え、実世界での人のさまざまな活動に直接関与して価値提供する方向に進化していくことを示しています(図1)。
このようなICTの進化の方向性をとらえ、私たちは、行動する人を取り巻く実世界の環境(空間・モノ・他者)をモデル化し、人の知覚や心身の状態のモデルと掛け合わせることで、その人のその場における最適な行動選択を、人と環境の接点となるデバイスを駆使した自然な働きかけによりアシストすることをめざし、アンビエントアシスト技術の研究開発を推進しています(図2)。

図1 ICTの進化の方向性

図2 アンビエントアシスト技術の世界観

アンビエントアシスト技術から生まれる新たな世界

アンビエントアシスト技術が実現し活用されることで、私たちの生活には、どのような利便性が新たに生まれるでしょうか。例えば街中においては、その人の視界からは認識できない、死角から現れる危険運転の車に衝突してしまう可能性を、その人自身や周囲の人のモデルと、道路や交通流など環境のモデルを使ったシミュレーションから即時に導き出し、事前に、周囲にあるデジタルサイネージや人が身に着けているウェアラブルデバイスなどを通じて、今すぐそばの建物へ避難するといった回避行動を取らせることができるようになります。
ダイエットしたいと思う人には、活動量が自然と増えるよう、目的地への到着時間に影響が出ない範囲で地図アプリが少し遠回りで適切な負荷のかかる経路を案内したり、AI(人工知能)エージェントがその人に最適なエクササイズを、受け入れやすい内容の伝え方、タイミングで提示したりすることで、運動の習慣化につながるモチベーションを喚起してくれるでしょう。
さらにオフィス内においても、そこで働く人々の行動のモード(デスクワーク、会議・打合せ、ブレスト、プレゼンなど)と周辺状況(部屋割りや机の並び、人の集散やオフィス機器の配置など)を基に、快適な室温、集中やリラックスを促す照明(明るさ・色)、機密を高めることや反対に情報を行き交わせる音場など、環境の側から働きかけ、それぞれの行動モードにおける生産性を高め、共創を産むことが期待できます。
このように、自分の能力だけでは気付けないことにさりげなく気付けるようになったり、人の目的達成のための行動変容が無理なく実現されたり、環境からの働きかけで働き方が自然と変わり、生産性向上、共創が促進されるなど、人にとって最適な行動が自然に促されます。

アンビエントアシスト技術の実現に向けて

私たちは、前述した世界を提供するために、人の最適な行動を支援するアンビエントアシスト技術の実現をめざします。この技術の実現には、以下の技術要素が必要になります(図3)。
1番目は、アンビエントセンシング技術です。人の行動は、身体能力や心理的能力など相互に影響するさまざまな能力を駆使することで実現されます。加えて、置かれた場所や状況、他者との関係性など、行動する人を取り巻く環境も、能力の発揮に影響するものと考えられます。このような、行動する人を中心とした活動圏の状態情報を、本来の行動を妨げることなく継続的に収集・デジタル化し、自分自身のモデルや近傍環境のモデルを生成可能にすることをめざすのが、アンビエントセンシング技術です。
2番目は、実世界モデリング技術です。アンビエントセンシング技術によって、行動する人自身と、その人を取り巻く環境の状態情報が収集され、人の能力や物理空間の状態変化の仕組み(モデル)が明らかになります。こうした人と環境のデジタルモデルを統合し、実世界の過去-現在-未来の状況を再現(シミュレーション)可能にすることをめざすのが実世界モデリング技術です。
3番目はアンビエントフィードバック技術です。実世界モデリング技術により、ある環境・状況における人の行動や心理的能力がシミュレーションできることを踏まえ、その状況におけるユーザの最適な行動を導出し、身に着けているデバイスや周囲の環境に埋め込まれたデバイスからの人への介入によって、その行動を支援することをめざすのが、アンビエントフィードバック技術です。

図3 アンビエントアシスト技術の実現に向けて

アンビエントセンシング技術

実世界の人の行動とその近傍環境の状態に着目し、これを即時にデジタル化する技術がアンビエントセンシング技術です。具体的には、①行動する人を中心とした活動圏(私空間)の状態情報を人へのストレスなく継続的に収集しデジタルデータ化する私空間ライフログ技術、②デジタル化された私空間ライフログに基づいて自分自身のモデル(行動・体動、知覚、感情、生理、生態等)や、近傍環境のモデル(物理空間、環境状態、周囲物認識、コミュニケーションなど)を生成する私空間ライフモデリング技術について、人や環境のセンシング対象を定めながら、①②を対として検討を進めています。
例えば、人のセンシング・モデリングに向けては、シャツや靴下、帽子などのかたちで直接身に着けるウェアラブルデバイスを活用した、心拍・筋電をはじめとする生体データの収集と解析、解析結果に基づく状態推定(中枢性疲労推定(1)、(2)や筋活動パターンの状態遷移推定(3))などに取り組んできました。
また、環境のセンシング・モデリングに向けては、携帯するスマートフォンから得られる人の体動から、今歩行している路面の状態(傾斜や段差、階段など)を推定する技術(4)や、多数の人々からのセンシング情報を物理空間にマッピングし、広域での環境の状態変化を信頼度とともに検出する技術(5)などに取り組んできました。
今後は、これまで個別に取得してきた人と環境の情報を同時に記録するデバイスの検討を起点に、環境に現れる人の能力発揮の様態や、人の行動に現れる環境の状態変化など、人×環境による新たなセンシング・モデリングのアプローチ検討を進め、アンビエントセンシング技術の研究開発を深化させていく予定です。

実世界モデリング技術

アンビエントセンシング技術から得られる人と環境の私空間ライフモデル(パーソナルツイン)を集積し、私空間と対照的な鳥瞰的実世界モデルである高精度空間情報や環境モニタリングなどを重ね合わせたうえで、物理法則や交通ルールなどを取り込むことで、常時アップデートされる自律的な実世界モデルを実現する技術が実世界モデリング技術です。
実世界モデルにおいては、人と人、人と環境などの関係性再現から、より高次な状況(コンテクスト)がモデルとして明らかになることが期待できます。例えば、人が自らの置かれた場所を地理空間的にどう認知しているかを表す「認知地図」は、その人の空間認知能力や方向感覚、空間的知識に依拠し、人ごとに異なっているといわれます。また、ある場所に対する親近感や利用目的の魅力度によって、実際の地理的な距離よりも相対的に短く感じられるともいわれます(6)、(7)。このような、人ごとに異なり歪んでみえる実世界の写像を人の空間認知モデルと高精度空間情報から再現し、「道に迷いやすい」人が実際どのような状況で何を目にし、どんな意図を持った結果として迷ったのかを明らかにし、それを避ける自然な支援へとつなげます。
加えて、実世界モデルの蓄積から、過去-現在-未来の時間軸をシミュレートすることで、実世界における人と環境の間の情報授受を再現し、時間変化する記憶のモデルを再現することも考えられます。このように、実世界モデリング技術では、個別のセンサ、モデルでは直接測り取れないものをデジタル化する研究開発に取り組む予定です。

アンビエントフィードバック技術

実世界モデリング技術により、私空間の状況を把握でき、人の行動の意図や目的が分かるようになった際に、私空間における人の最適な行動を導き出し、人が最適な行動を行えるように支援する技術がアンビエントフィードバック技術です。
アンビエントフィードバック技術の実現には、人の行動をシミュレーションし、その結果を基に、最適な行動を選択する方法が必要になります。そのため私たちは、自分以外の他者のモデルを活用することを検討しています。実世界モデルでは、自分自身がモデル化されているだけではなく、自分以外の他者もモデル化されます。この他者モデルを活用することで、自分と同じ状況や行動の目的を、他者モデルに当てはめたときに、他者が行う行動をシミュレーションし、自分の行動と比較することで最適な行動を導き出せるようにすることをめざします。例えば、スポーツ等においてプロの行動と自分の行動を比較すれば、より具体的なトレーニング方法を導出できるかもしれません。
また、最適な行動を導き出した後には、人にその行動を実行してもらうように支援する必要があります。現状では、スマートフォンのイベント通知機能がよく使われていますが、私たちは、ICTリテラシーにかかわらず誰でも恩恵が受けられるように、より自然でさりげない方法を検討していきます。例えば、現在、デジタルサイネージが普及してきていますが、この技術がもっと進めば、街中のありとあらゆるモノがサイネージデバイスになり、視覚・聴覚だけではなく五感を使って、適切なタイミングでその人にとって受け入れやすい方法でメッセージを提供してくれるようになるかもしれません。また、ウェアラブルデバイスが進化すれば、身に着けるだけで、意識せずに最適な行動が取れるようになるかもしれません。
これまで私たちは、人の行動の比較という観点では、プロと素人の運動の特徴を抽出・比較する研究(3)に取り組んできました。また、ウェアラブルデバイスという観点では、硬さや形状が変わる靴のインソールにより足裏に接触刺激を与えることで筋活動や歩行の自然な変化を誘導する研究(8)、人が自然と最適な行動を実行できるように促すという観点では、行動変容モデルに基づいた、人にとって受け入れやすいメッセージ生成方法の研究(9)などに取り組んできました。今後はこれからの取り組みを深化、拡大させ、アンビエントフィードバック技術を実現していきます。

おわりに

アンビエントアシスト技術の実現に向けた取り組みは始まったばかりですが、ICTリテラシーによらず、誰もがその恩恵を受けられる世界をめざし、実世界の人と環境を深く理解しモデル化したうえで、人の最適な行動をシミュレーションから導き出し、人がその行動を自然に行えるように支援するというチャレンジングな目標の達成に向けて着実かつスピーディに取り組んでいきます。

■参考文献
(1) 近藤・山登・中山・千葉・坂口・西口・増田・吉田:“hitoe®によるナチュラル・センシングとその活用に向けた取り組み、”NTT技術ジャーナル、Vol.29, No.7, pp.13-18, 2017.
(2) 江口・青木・島内・千葉・麻野間:“健康支援サービスの実現に向けた生体信号解析技術、”NTT技術ジャーナル、Vol.30, No.6, pp.24-29, 2018.
(3) T. Isezaki, R. Aoki, T. Indo, S. Deshpande, and L. Tamir:“Transition Characteristics Analysis of Muscle Activity Patterns for Firefighters, ”EMBC 2019, pp.23-27, Berlin, Germany, July 2019.
(4) Y. Kurauchi, N. Abe, H. Konishi, and H. Sehimo:“Barrier Detection Using Sensor Data From Multiple Modes of Transportation With Data Augmentation, ”COMPSAC 2019, pp.15-19, Milwaukee, U.S.A., July 2019.
(5) https://www.ntt.co.jp/news2018/1811/181122b.html
(6) 若林:“地図の進化論、”創元社、2018.
(7) 若林:“認知地図の空間分析、”地人書房、1999.
(8) M. Sasagawa, A. Niijima, K. Eguchi, R. Aoki, T. Isezaki, T. Kimura, and T. Watanabe:“Lower Limb Muscle Activity Control by using Jamming Footwear, ”EMBC 2019, pp.3302-3305, Berlin, Germany, Oct. 2019.
(9) 佐藤・青木・子安・篠﨑・大島・武川・渡部・犬童:“行動変容のための「認知的不協和」におけるメッセージ提示方法、”マルチメディア、分散、協調とモバイル(DICOMO2019)シンポジウム、pp.670-675, 2019.

(上段後列左から)西川 嘉樹/松田 治/瀬下 仁志
(上段前列左から)笹川 真奈/佐藤 妙/小池 幸生
(下段左から)永徳 真一郎/渡部 智樹

「Point of Atmosphere(PoA)」の世界の実現に向け、身体能力や心理的能力などの人の特徴とその人を取り巻く環境を理解することで、人が最適な行動を行えるように支援する技術の研究開発を進めていきます。

問い合わせ先

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