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特集

人と社会のWell-beingを可能にする研究開発の取り組み

生涯健康をサポートするWell-being健康科学──心身のリズムを可視化し、自分なりに整える

新型コロナウイルス感染症の拡大は、人々の日常生活や社会活動を一変しました。自分や家族の感染に対する不安、行動制限に伴うストレス、生活様式の変化などが、人々の心理面や身体面に大きな影響を与えています。本稿では、生涯健康で過ごせるWell-being社会の実現をめざし、基本的な生活習慣(食事・運動・睡眠)における個人の日常データを可視化し、自分なりに心身のリズムを自己調節するWell-being健康科学研究について紹介します。

中島 寛(なかしま ひろし)/瀬山 倫子(せやま みちこ)
田島 卓郎(たじま たくろう)/江口 佳那(えぐち かな)

NTT物性科学基礎研究所

生涯健康社会へのサポート

Well-beingの基本要素の1つに、Physical Well-beingがあります。健康で心身の状態が良好に保たれることが大切で、それがベースにあって個人のQOL(Quality of Life)を高める価値観(共生・共感、持続性、幸福感、豊かさ)が広がっていくと考えられます。しかし、人類は新型コロナウイルス感染症のパンデミックを経験しており、現在、世界的にPhysical/MentalのWell-beingを著しく低下させている状況といえます。
NTTでは2020年11月に医療健康ビジョンを発表し(1)、心身の状態の未来予測を通じて生涯健康をサポートし、ヒトのWell-beingライフを支える技術の獲得に取り組んでいます。日常生活の多種多様で膨大な生体データをセンシングし、人間の生理機能をモデリングする、さらに個人の特徴をとらえた未来予測シミュレーションを行うことができる「バイオデジタルツイン技術」の創出を進めています(2)。医療の分野では、病気になってから治す対症療法から、病気にならないようケアする世界(予防医療)へとパラダイムシフトが進みつつあります。そこでNTTは、ヒトのパーソナルな生体データのデジタル写像を基に、高度な生体情報処理技術を駆使して、未知なる疾患リスクを事前に回避する、自然と健康行動を誘起して病気を予防する、自分らしく自立した生活を支援する、などの価値の創出をめざしています。
一方、リモートワークの促進などの社会変革の中で、職場ではない環境で仕事を行うために、心身への負担が増加している例も報告されています。運動量の低下や生活時間のみだれが生活習慣病の発症や悪化を招くことも懸念されています。健康を維持するためには、ある程度自分の行動を律し、規則正しい生活習慣を確立する「がまん」や「がんばり」を求められることが一般的です。そこで、私たちは早稲田大学との健康科学分野での以降の3つの内容の共同研究により、心身のリズムを見える化し、自分なりに無理なく自動調節できる行動変容プロトコルの探求をめざしています。具体的には、Well-beingの基本要素となる生活習慣(食事・運動・睡眠)を時間軸でとらえ、個人の日常行動に伴う生体センシングデータを蓄積し、その特徴量を分析することで、個人のバイオリズム特性を明確化する手法の獲得を進めています。これにヒトの行動心理学、行動経済学に関する知見を組み合わせ、自発的に無理なく健康行動へ変容できるエビデンスの提示・指標化や、フィードバック手法の開発など、心身のリズムの自動調節を導く機構の確立に取り組んでいます。

体内リズムを食習慣の改善に活かす(時間栄養学の探求)

体のリズムを反映する1つの指標として、深部体温が注目されています。深部体温は、図1に示すように脳や臓器など体の核心部の温度を指し、これらの働きを守るため外の環境の影響を受けにくく、全身でもっとも高い温度に保たれています。深部体温は熱中症や感染症などの炎症反応の結果として上昇し、低体温症などの発症で下降するため、医療分野では重要なバイタルサインとして利用されています。一方で、深部体温は平熱の範囲内でも約1日周期に1℃程度の小さな変動があります。この深部体温の変動は、個々人の体内リズムと連動していることが知られています(3)
深部体温の計測を基にした体内リズムの可視化に向けて、NTTでは1日のうちで1℃程度のわずかな深部体温の変動を見逃さない、高精度かつ体への負担が小さいウェアラブル型の深部体温センサの研究開発に取り組んでいます。手術などの医療現場においては、直腸、耳(鼓膜温度)などの臓器にプローブを直接挿入する測定方法が用いられており、測定時のヒトへの負担がかなり大きくなります。一方、NTTでは、図1の核心部から皮膚表面に向かって放熱される熱の流れを、体表面に貼り付けたセンサで測定し、深部体温を推定する仕組みを用いています(3)。体の熱の逃げ方は、風や気温などの外部環境やヒトの活動などによって変化しますが、NTTで開発中の深部体温センサは、ヒトが安静な状態において外部環境からの変動影響を抑える機能を備えています。
ここで、ヒトの体内リズムについてもう少し説明します。ヒトの体内リズムを生み出している中枢時計は、脳の視床下部にある視交叉上核への外界の光などの情報入力により調節されています。この中枢時計が、肝臓、腎臓、筋肉などのさまざまな臓器の抹消時計に影響を与えており、その結果、ヒトの体内リズムは代謝や睡眠・運動の質、疾患の発症など、私たちの体の状態と密接に関連していることが近年の研究から明らかとなっています。例えば、体内リズムからみて、昼よりも夜の時間帯において、食事での血糖値が上がりやすいことが知られています(4)。そこで、個人が自分の体内リズムを把握しながら、適したタイミングで、適した食事の内容を摂取することで、より健康的な食生活を実現できると期待されています(時間栄養学)。これはすなわち、体内時計を考慮に入れた栄養学を日常的に実施することで、個人が無理をせずに健康習慣を手にすることにつながります。この時間栄養学は、これまでの研究では主にマウスなどの夜行性動物で検証されてきました。早稲田大学との共同研究では、NTTの深部体温センサを時間栄養学に適用し、昼行性であるヒトの体内リズムと健康的な食事との相関性についてエビデンスを獲得する取り組みを進めています。

体内リズムを可視化し、睡眠障害の改善に活かす

人々の生活習慣が多様化する現代社会においては、体内リズムと就寝・起床時刻をはじめとした生活時間との間でずれが生じやすく、睡眠の質と関連することが知られてきています。図2に示すように、体内リズムと生活時間にずれがない場合、前述した深部体温は睡眠の数時間前から下降し始め、睡眠後半からは上昇に転じます。しかし、不規則な生活などで体内リズムと生活時間での睡眠・覚醒タイミングとのずれが生じている場合、睡眠の質が悪化します。このような状態はソーシャルジェットラグと呼ばれ、時差ボケのような状態になります。これが続くと、寝付きが悪い・眠りが浅い・朝起きるのがつらい・日中眠くなるといった睡眠障害につながり、心身の健康および社会的活動に悪影響を及ぼします(5)。そこで、個人に応じた睡眠の質を自分で簡単に調節して改善するために、自分の体内リズムを把握しながら、無理なく睡眠のセルフマネジメントを行える手法の獲得が重要となってきます。この手法を活用すれば、例えば、図3に示すような個人に応じたヘルスケアシステムが構築できる可能性があります。
私たちは、NTTの深部体温センサから得られた体内リズムの知見が、どのように睡眠の質の改善に寄与するのか、というパイロット研究を進めています。具体的には、日常生活における長時間の深部体温の計測を行い、体温の日内変動データから得られる生体リズム評価に加え、睡眠評価用リストバンド、ストレスマーカ検査(唾液中コルチゾール、アミラーゼ)、ストレスチェック質問表によるデータの相関分析に取り組んでいます。深部体温センサが示す温度パターンとストレスマーカ濃度・ストレス指標との相関性を細かく追跡し、睡眠の質の判断方法や生活改善の指針獲得につなげることをめざしています。

リモートワーカーに対するオンライン健康衛生指導の効果検証

2020年以降、コロナ禍においてリモートワークが急速に普及しました。しかし、在宅中心の生活による日中活動の減少や運動不足、睡眠・覚醒リズムのみだれは、生活習慣病やメンタルヘルスの不調にもかかわり得るとも指摘されています。「よく動いた日は眠れる」「ちゃんと眠った日は疲れが取れる」などといわれるように、夜間睡眠と日中運動は密接に関連する生活習慣であることから、ニューノーマル時代においては、1人ひとりが睡眠・運動に対する意識・行動を自発的に変革し、健康に行動を継続する必要性が一層高まっていくと考えられます。
このような社会的背景にかんがみ、私たちは睡眠・運動を軸とした意識改革・行動変容に関する検討を開始しました。検討の第一歩として、日本睡眠学会専門医の協力の下、リモートワーカーを対象としたオンライン健康衛生教育セミナーを実施し、その効果を調査しています。この取り組みでは、アンケートで取得した睡眠・運動・勤務状況(出社勤務・在宅勤務)などに関する主観評価と、ウェアラブルデバイスでなどで取得した活動量(歩数・消費カロリー)・体組成(体重・BMI)などに関する客観指標の両方を活用して、リモートワーカーの日常行動の変化を多角的にとらえます。それに加え、オンライン教育セミナーが日常行動にもたらす変化や、日中活動と夜間睡眠の関係性を明らかにする試みを進めています。今後は、得られた知見を基に、日々の生活の中での意識や行動を無理なく、より良い方向に、かつ持続的に変化させる手法の検討や、日中活動・夜間睡眠の変化が生活習慣病の予防にもたらす波及効果の解明につなげていきたいと考えています。

■参考文献
(1) https://group.ntt/jp/newsrelease/2020/11/17/201117c.html
(2)中島・林・後藤: “バイオデジタルツインが創造するデータ駆動型の医療健康支援,”NTT技術ジャーナル,Vol. 33, No. 5, pp. 10-13, 2021.
(3) 松永・田中・田島・瀬山: “体内リズムの可視化をめざしたウェアラブル深部体温センサ技術,”NTT技術ジャーナル,Vol. 33, No. 5, pp. 22-26, 2021.
(4) K. Kitamura, X. Zhu, W. Chen, and T. Nemoto: “Development of a new method for the noninvasive measurement of deep body temperature without a heater,” Med. Eng. Phys., Vol. 32, No. 1, pp. 1-6, Jan. 2010.
(5) 橋本・本間・本間:“睡眠と生体リズム,” 日薬理誌,Vol. 129,No. 6, pp. 400–403, 2007.

(上段左から)中島  寛/瀬山 倫子
(下段左から)田島 卓郎/江口 佳那

健康で不安なく毎日を過ごせることは、心身のWell-beingの根幹です。自分の特性を上手に理解し、無理なく自己調節しながら、生涯健康をサポートする健康科学プロトコルを探求していきたいと考えています。

問い合わせ先

NTT物性科学基礎研究所
バイオメディカル情報科学研究センタ
TEL 046-240-3559
FAX 046-270-2364
E-mail brl-info@hco.ntt.co.jp