NTT技術ジャーナル記事

   

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人と環境が調和したスマートな世界を実現するICTの研究開発の取り組み

人の理解を深め、行動をデザインし変化させるUX技術

技術の発展により人の生活範囲は広がり、自分らしく快適な生活を送るための行動は多様な価値観とともに複雑化しています。本稿では、多様な価値観の理想を指標化し、日常やインターネットなどでの人の行動を解析、次の行動をデザインするユーザ理解技術と、人の心理や行動が変化するメカニズムを解明することで、気付きや達成感を生み出すインタラクション技術により、人々が自然により早く自身の理想に近づける世界について紹介します。

松浦 由美子(まつうら ゆみこ)/ 戸田 浩之(とだ ひろゆき)/ 中谷 桃子(なかたに ももこ)/ 倉島 健(くらしま たけし)/ 齋藤 晴美(さいとう はるみ)

NTTサービスエボリューション研究所

ウェルビーイングな生活を実現する行動デザイン

昨今のIoT(Internet of Things)の普及により、すべてのモノが通信でつながり、そこから得られる人の処理能力をはるかに超える多次元・大量なデータを基にして、今何が起こっているのか、これからどうなるのか、それに向けてそれぞれのモノはどう動くべきなのか等を計算可能な世界が近づいてきています。今後の技術の進化により、あいまいで複雑な人の行動についてもAI(人工知能)を駆使して読み解くことができれば、モノだけでなく人もどう動くべきなのか等も分かるようになるでしょう。常に人が良い行動を自然に起こすようにできれば、その行動をAIが学び、それを基に次の行動を起こさせる、というサイクルが回り、持続的に良い行動を続ける、ウェルビーイングな生活(1)を実現することができると考えています(図1)。
そこで私たちは、サービスデザインのプロセス研究や時空間行動の分析・モデル化の知見を背景として、人が追い求める理想となる、経済的指標だけでないあいまいで多様な「価値観の指標化」と、その理想に向けて人がどのように行動しているのか観察して「モデル化」し、そのモデルにより予測、達成度を測ることを可能とすることで、良い方向に進むための次の行動を意識せず自然に選択できるように人の認知に働きかける「インタラクション」技術の実現をめざしています。
IoT機器を通じてさまざまな人のデータが取得できると、その観察データや、人が抱いている理想や日常行動に関するヒアリングを通して、どのような価値観の種類があるか、またそのレベルはどのように表せるか等をユーザ価値観モデルとして扱うことができるようになります。また、実際に行動したデータを通して、なぜ人はその行動をとるのか、どういった原理で人はその行動をとるに至るのか、を説明する行動モデルへの理解を深めることもできるようになります。モデル化されると、今の状況をモデルに当てはめ、この後どうなるのかを予想し、どのように動くと結果がどう変わるのか、までが分かるようになり、理想に向けて動いた結果を予測できるようになります。そして、人が情報をどう見て、対話等をどう感じているのかを解明し、気付きを与える手段を提供することで、個人や全体が理想に近づく予測結果へ人々を導く行動をデザインし、人をアシストする環境が出来上がります(図2)。
これらが日々統合的に作用することで、個人や集団での最適な行動が必要な場、例えば移動時にとにかく最短で、混雑を避けたい、いろいろなところに寄ってみたいなど個人それぞれの事情にあった行動を促し、全体として混雑の少ない社会に導くことや、あるいは、窓口や店頭でのスタッフと、近所の人たちとの対話を通して、個人の満足だけでなく関係する人たちも満足するような方向へ人々を導くことができるようになります。そのとき、あたかも自分の意志で動いているのと同様に意識せずに良い行動を起こすことができるように、ほんの少し体が動くときにサポートしてみる、ふと気付くのに必要な情報を提供する、低下している身体能力を補うなど、スムーズで無理なく自分が拡張される、そのようなナチュラルな行動支援の実現をめざしています。
今後、実世界だけでなくバーチャルな世界での生活も実現すると、それぞれの世界で人格を持つことも可能になるかもしれません。1人が複数の人格を持ち、行動範囲が拡大し、価値観がさらに多様化したとしても、私たちの技術でより良い行動に進めるように自然に誘導できることで、人の経験や一生がより豊かになっていく、そのような世界を期待して研究開発を進めていきます。

図1 ウェルビーイングな生活を実現する行動デザイン

図2 理想に近づくための行動デザインアシスト

行動デザインを実現する技術

ウェルビーイングな生活に向けた行動理解

人をウェルビーイングな状態に導くには、対象となる人の行動や状態、その周辺環境の理解が重要です。前述のとおり、近年のIoTの普及によるデータの収集も急速に進んでおり、私たちは、人をウェルビーイングな状態に導くためにデータを活用する世界をめざし、図3のような枠組みに基づき研究開発を進めています。この中で、私たちが一番のポイントと考えているのは、観測データの分析を行い、その観測データに記録されたことを単に理解するだけでなく、そこから得られた人の行動に関する知見を基にモデル化を行い、データのない状況でも人の行動を理解可能とする点です。これにより、観測データがない状況でどうなっているのかという人の行動の把握、さらに将来どうなるのか、といった人の行動を予測することができ、未来をより良い方向に変える方策の決定がしやすくなると考えています。
それを実現する技術として、データから得られた傾向を知見として活用することで、データには含まれていない人の動きを理解可能とする移動傾向推定技術(2)を紹介します。
移動傾向推定技術とは、図4に示すように、時間別エリア別の人口情報から、エリア間での人の移動傾向を推定する技術です。この技術のポイントは、時間別エリア別の人口情報というエリア間の移動にかかわる情報がないデータから、エリア間の人の移動を推定している点にあります。この技術では、人が移動するエリア数をN個としたとき、2つの時間帯の人口の情報(N×2)から、エリア間の移動(N2)の情報を推定する問題を解きます。この問題を単純に考えた場合、入力である観測されたエリアごとの人口の変化を、うまく説明できる移動パターンが複数存在するという状態が起こり、精度良く正しい人の移動を推定するが難しくなります。
この問題に対して、私たちはまず都市における人の移動傾向がどのようなものであるのかという点を実データでの分析により明らかにしました。そして、「N2個のエリア間の移動」を考える問題に、データ分析から得られた人の行動らしさの知見を制約として導入し、多数あり得る解の中から人の行動らしい解を絞り込むことを可能としています。
具体的には、都市を移動する人のデータを基に得た以下の知見を活用しています。

・人の移動はエリア間の距離により影響を受ける(埼玉⇒東京>埼玉⇒横浜)
・エリアごとに人の出発確率が異なる(平日朝;ベッドタウン>オフィス街)
・エリアごとに人の集まりやすさが異なる(平日朝;オフィス街>ベッドタウン)
上記の知見を基に、エリア間の人の移動(N2個の値)を直接推定するのではなく、人の移動に影響を及ぼす要因を表す値(エリアごとの人の集まりやすさ等;およそN2個の値)を推定する問題とすることで、人の移動らしい解の選択を可能としています(図5)。
(エリアiからエリアjへの移動しやすさ)
≈(iからの出発確率)×(jの人の集まりやすさ)×(iとjの距離に基づく移動のしやすさ)
以上で示したのは、データがないなど、観測ができていない人の動きをより正確に推定するためにデータ分析で得た知見をモデルに組み込んだ例です。今後は、データ分析で得た知見に加えて、社会科学的知見も考慮して人の行動をモデル化することに取り組み、必ずしも合理的なだけではない、多様な人の行動を理解し、その行動を適切に変容させることをめざして研究を行う予定です。

図3 人をウェルビーイングな状態に導くためにデータを活用する枠組み

図4 移動傾向推定技術の入出力

図5 観測された人口変化と考えられる移動パターン

ウェルビーイングな生活に向けた価値観理解とインタラクション

人のウェルビーイングな状態を解き明かす、という目標を実現することは、当然ながら一朝一夕ではいきません。それぞれの人にとっての理想の状態は大きく異なり、さらに、その理想状態は周囲の環境や状況によって変化しているからです。また、人の思考・判断は、合理的なものではないことはよく知られた事実です。
こうしたつかみどころのない人の心理に対し、私たちは、心理学や工学、デザインといった幅広い分野の知見を横断的に活用しながら、人の多様な価値観を深く理解する研究(価値観理解の研究)、支援方法を探る研究(インタラクションの研究)の両側面から取り組んでいます。
価値観理解研究については、闇雲に人間をモデル化することはできないため、対象を明確に定め、その価値観を定量・定性の両面から深く研究するアプローチを行っています。具体例として、子育て中の親を対象に質問紙調査、インタビュー調査を行い、子育て中の親が子育て行動の背景にどのような価値観を持つかを調べました(3)。その結果、子育て中の親は、短期的な目標と長期的な目標を持ち、さらに、長期的目標となる子どもの将来像には複数のタイプが存在することが明らかになりました。その全体像を図6に示します。親は、目の前の子どもを楽しませたり、落ち着かせたり(図中の「情緒を穏やかで満たされた気持ちにする」)、という短期的な目標と、将来に向けて「やりたいことをやりながら生きる人(将来像1)」になってほしい、「自分の人生を主体的に生きる人(将来像2)」になってほしい、といった長期的な目標を併せ持ちます。長期目標、短期目標の両方を持っているからこそ、親の心の状態や周囲の状況、子どもの状態に応じてその時々で優先させる事項が異なり、一見ばらばらな子育て行動につながると考えられます。また、図6に示すとおり、親が持つ将来像は6種類存在し、それぞれをどの程度重視しているかは親によって異なります。長期目標のさらに上位に位置する「良い人生像」もまた複数のタイプが存在します。こうした人の行動の背景を、インタビューなどの質的調査の分析といった定性的なアプローチで体系化し、大規模アンケートなどによって収集したデータを定量的に分析、モデル化したうえで、価値観のタイプを簡易に測定できる尺度の開発や、親の価値観にあった子育てを支援する研究なども行っています。
一方、人は周囲の環境と相互作用をしながら生活しており、とりわけ、人は社会的な生き物であることから、他者とのインタラクションが人のウェルビーイングに大きな影響を与えます。そこで私たちは、人々のウェルビーイングを実現するための手段、支援方法の研究として、複数の人のインタラクションによる作用に着目しています。
複数の人のどのようなインタラクションが人の動機や思考にどのような変化をもたらすのかはとても大きな問いですが、なるべく自然な状況を観測するため、対象や場面を限定した実フィールドを活用し、一歩ずつ研究を進めています。
現在、研究対象としてもっとも注力しているのは、昨今トレンドの「リビングラボ」と呼ばれるサービスをデザインするための方法論における対話やツールです。リビングラボとは、サービスや製品をデザインする際、その利用者である生活者を長期にわたり巻き込み、実生活に近い場(リビング)でテストを繰り返しながらサービスや商品をともにつくり上げていく、複数の人がかかわり多くの思考を繰り返していく方法論です。リビングラボはサービス創出だけでなく、地域活性化などまちづくりにも役立つ方法論としても着目されており、その活動自体も人のウェルビーイングに寄与すると考えられます。地域にリビングラボの活動自体を組み込むことで、より良い意識で人々が生活できるよう、私たちは、大牟田市や東北地方、横浜市など、複数のフィールドを舞台に、それぞれのフィールドにおいて、生活者と企業や行政、大学など多様な価値観を持つメンバで対話を重ね、リビングラボを実践しています。例えば、横浜市のたまプラーザでは、行政、企業とともに、地域住民自らが主体となり、まちの課題解決に向けた取り組みを行うことを支援・加速する仕組みを研究しています。また、大牟田市では、周りの人とのつながりの中で「その人らしい暮らし」を統合的にとらえる「パーソンセンタード」という人間観を重要視し、その人間観を持ちながら暮らせるようなまちにするには何が必要なのか、を解明するため、行政や地域団体、企業と連携して研究に取り組んでいます。
このようなフィールドでの実践を通し、人どうしが互いにインタラクションしながら良い思考へ向かううえで本質的に重要な視点や枠組みや支援は何なのかを解き明かすため、実直に研究を積み重ねています。

図6 親の子育て行動の背景に持つ価値観モデル

今後の展開

人の価値観や行動は多様であり、時に合理的ではないこともあります。それらを深く理解し、モデル化を行い、より良い状態に変容させていくことは、とても難しい挑戦であるといえます。私たちは、心理学、データ分析、デザインなど幅広い分野の知見を活用し、人々のウェルビーイングな生活の実現や社会課題の解決をめざして、今後も研究開発に取り組みます。

■参考文献
(1) 渡邊・大石・熊野・Hernandez・佐藤・村田・麦谷:“ウェルビーイングを測る、知る、育む、”NTT技術ジャーナル、Vol.30, No.9, pp.29-32, 2018.
(2) Y. Akagi, T. Nishimura, T. Kurashima, and H. Toda:“A Fast and Accurate Method for Estimating People Flow from Spatiotemporal Population Data, ”Proc. of IJCAI-ECAI 2018, Stockholm, Sweden, July 2018.
(3) 中根・渡邊・渡辺・片桐・小林:“母親のもつ子育て目標の構造・特徴の抽出─インタビュー分析から得た 「将来像」─、”信学論(A)、Vol.J102, No.2, pp.48-58, 2019.

(後列左から)戸田 浩之/倉島 健
(前列左から)齋藤 晴美/松浦 由美子/中谷 桃子

人の思いや行動を機械で理解する研究において、学術的にも評価の高い研究成果を生み出し、実生活の中で達成感や満足感を感じていただけるサービスにつなげていきたいと考えています。

問い合わせ先

NTTサービスエボリューション研究所
ユニバーサルUXデザインプロジェクト
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