スポーツ・ソーシャル・ビュー ―― スポーツの本質を抽出し身体感覚で共有するインクルーシブなスポーツ観戦
NTTサービスエボリューション研究所では、障がい者を含む多様な身体性を持つ人々がスポーツ観戦を一緒に楽しむための研究を東京工業大学と共同で行っています。本稿では視聴覚に限らず、触覚を活用した情報提示について紹介します。競技の質感をとらえ、身体的に表現し、体験を共有するという新たなスポーツ観戦手法です。
林 阿希子(はやし あきこ)†1/ 渡邊 淳司(わたなべ じゅんじ)†1、2/ 清水 健太郎(しみず けんたろう)†1
NTTサービスエボリューション研究所†1
NTTコミュニケーション科学基礎研究所†2
インクルーシブなスポーツ観戦をめざして
障がい者を含む多様な身体性を持つ人々が一緒にスポーツ観戦を楽しむには、どうすれば良いでしょうか。2020年のビッグイベントの大会ビジョンに「多様性と調和」が掲げられたように、近年多様性への理解がますます重要性を帯びています。NTTサービスエボリューション研究所では、東京工業大学の伊藤亜紗准教授と共同で、視覚障がい者とのスポーツ観戦の研究に取り組んでいます。当初研究所では、スポーツ観戦に関する障がい者支援の取り組みとしてスタートしましたが、共同研究を進めていく中で、支援というより、違いを受け入れる、違いがあるからこそ新たな価値が生まれる点を意識するようになりました。
言葉による説明の限界
視覚障がい者のスポーツ観戦の仕方として、もっとも一般的なものは音声解説でしょう。実際、野球やサッカーを音声解説で楽しむ方もいらっしゃいます。しかし、ある中途失明者の方は、見えていたころは「見たままエキサイティングな情景を楽しめた」ものが、失明後は「音声解説により試合の流れを理解し、俯瞰的に文脈を楽しむ」ものへと観戦行動が変容したと言います。つまり卓越したプレーをそのまま楽しめなくなっているのです。また、競技によってはそもそも言葉による説明に限界があります。野球のように攻守が順番に入れ替わる競技は、音声解説によって理解ができたとしても、テニスや柔道のように目まぐるしくラリーや攻防が展開される競技は、動きの迫力やリズムといった細かなディテールを伝えるのは難しいでしょう。
そして、スポーツ観戦における満足度に影響を与える要因の1つとして、「共鳴・一体感」が重要だといわれています(1)。隣の観客が盛り上がったときに、同じタイミングで盛り上がるということです。しかし、隣の人の様子を見ることができない視覚障がい者が周囲の観客と一体感を感じるのは難しいでしょう。
このように、現在一般的な音声解説には、スポーツの動きをうまく表現できないという問題や、視覚障がい者が周囲の盛り上がりから取り残されるという問題がありました。
スポーツの身体的翻訳
そこで、私たちが生み出したのが、スポーツで起きていることを言語ではなく身体的に表現し直し(=翻訳)、それを視覚障がい者と共有するという観戦方法です。これにより、言語化しにくい動きの迫力やリズムを表現しようとしました。
テニスの場合
例えば、テニスの場合は、翻訳者(一緒に観戦する晴眼者)と視覚障がい者が向き合って座り、膝の上に円形のボードを渡して叩きながら観戦します(図1)。テニスコートに見立てた円形のダンボールのボードを視覚障がい者と翻訳者の膝の上に渡して置き、翻訳者がテニスの試合を見ながら、そこでの打球の位置と強さを反映してボードを叩きます。ラリーが続くと、視覚障がい者の左右の位置でボードがリズムを持って順番に叩かれ、視覚障がい者(全盲の方)は、まるでラリーが見えているかのように、首を左右に振ってボールを追う動きが見られました。また、滞空時間が長い打球では「これは大きい……」というつぶやきが聞かれたりと、縦横無尽に動くラリーの空間性を楽しむ様子が見られました。
また、この翻訳では、サーブを打つという物理的な動作だけではなく、サーブの前に選手がリズムを取っている様子も、トントンとボードを叩いて表現しました。このようなリズムを取っている様子は実際の動作としては表れていませんが、それを翻訳者が選手の中で起きている緊張やリズムも含めて翻訳することで、視覚障がい者が選手の様子を深く理解することの助けになります。このスポーツの翻訳でも、翻訳にうまい下手があり、視覚障がい者の評価の高かった翻訳(感動することができた翻訳と言い換えることができるかもしれません)では、たびたび「緊迫感が感じられた」という表現がなされました。感動とは、喜びや驚きといった複数の感情を伴う強い情動とされており、感動生起のプロセスの1つとして「緊張からの緩和」が挙げられています(2)。スポーツ観戦においても、応援するチームや選手への期待が不安や緊張につながり、緊張状況からどちらかの得点に至るという解放までのプロセスが、強い感情を生起させることが考えられます。よって、翻訳者と視覚障がい者が盛り上がりを同期させるためには、得点などの山場だけを伝えるのでは不十分で、そこに至るまでの状況を連続的に翻訳することが重要であるといえます。
図1 テニスの「翻訳」の様子
柔道の場合
柔道の翻訳の場合は、手ぬぐいを使って技の掛け合いやフェイントを表現しました。翻訳者2人が手ぬぐいの両端を持ち、視覚障がい者がその真ん中を持ちます(図2)。翻訳者は競技者になりきって手ぬぐいを引っ張り合い、上下左右の動きや強さや、力の駆け引き、重心を崩すためのフェイントなども表現します。体験した視覚障がい者(全盲、中途失明者の方)からは、「布の上でもう1つの柔道の試合が行われていた。TVで見ていたときより柔道を感じた」との感想を得ました。
翻訳においては、ある種の変換や解釈が起こるため、競技を模倣しながらも別の「出来事」が発生します。翻訳者が感じる不安や緊張、また驚きや喜びが翻訳表現に反映されるからです。つまり体験者は、視覚情報を単に触覚表現に変換された情報を伝えられているのではなく、翻訳者の解釈を通じたもう1つの「出来事」を一緒に体験しているのです。これが先の柔道における「布の上でもう1つの柔道の試合が行われていた」という感想につながったと考えられます。
実は、このような取り組みは、美術鑑賞の分野で行われているミュージアム・ソーシャル・ビューにヒントを得ています。美術鑑賞の場合は、美術作品を前に視覚障がい者と晴眼者が対話を行うことによってその作品の理解を深めます。美術鑑賞とスポーツ観戦という違いはありますが、両者は他者の身体性・解釈を通して対象を深く理解するという点で同様になります。私たちはこの取り組みを「スポーツ・ソーシャル・ビュー」と名付けました。
図2 柔道の「翻訳」の様子
翻訳における「質感」と「実況中継要素」
私たちは、いくつかの競技のスポーツ翻訳をしていく中で、翻訳の表現には、2つの要素があることに気が付きました。1つは、テニスのラリーのリズムやインパクト、柔道の重心の崩し合いといった、その種目ならではの「質感」です。もう1つは、「実況中継的要素」です。これは、ボールの位置や勝ち負けなど、競技の状況を伝える情報です。翻訳の大枠の構造としては、実況中継要素の上に質感を乗せるイメージになります。テニスでは「実況中継要素」として、ラリーでボールの打たれる位置を叩く位置として表現しながら、「質感」として叩く強弱や叩き方によって選手が球を打つインパクトが表現されます。さらに、それは競技によっても似ているもの、似ていないものがあります。テニスとバトミントンでは、ラリーの空間性といった実況中継要素は近いですが、テニスボールが跳ねる感じと、バドミントンのシャトルが風を切る質感が異なります。
このように、スポーツを質感と実況中継要素という視点から見直すと、別の視点でスポーツを新しく分類し直すことができると考えられます。そこで、現在、スポーツを専門とする研究者にその競技の質感、その競技を構成する不可欠な要素を伺いながら、さらに翻訳を深化する作業を進めています。この取り組みは「見えないスポーツ図鑑(3)」というWebサイトで公開しており、現在ラグビー、卓球、セーリングの3競技について紹介しています。卓球であれば、打ち合うスピードや迫力も大事なのですが、研究者視点では「ボールの回転の読み合い」が重要であることから、打球時に円盤を用いて回転を表現しました(図3)。また、サッカーとラグビーは同じような広い場所で、ボールをめぐって展開する競技ですが、観戦時に何が違うのかというと、サッカーはどちらかといえば俯瞰視点による戦術の展開こそ魅力であり、一方、ラグビーはぶつかり合いの中のボールの争奪戦と展開戦で成り立ち、力が生み出す迫力が見どころとなります。ボールを取り合う競技といっても本質を追求するとかなり違いがあります。このように、翻訳とは、スポーツの質感を取り出して新たにとらえ直す作業ということができます。
そして、競技の質感に着目すると、晴眼者であってもある意味、「スポーツは見えない」といえるのではないでしょうか。上記のような質感を追求した翻訳表現によるスポーツ観戦は、視覚障がい者のみならず、晴眼者にとっても有効である可能性があります。
図3 卓球の「翻訳」の様子 (撮影:西田香織)
テクノロジとインクルーシブな観戦体験
このようなスポーツ翻訳を通して、視覚障がい者と晴眼者が一緒にスポーツ観戦を楽しむ原理がおよそ確立されてくると、さらに時間、空間を超えてより多くの人とスポーツ翻訳の体験を共有したいと考えるようになりました。そのときに利用したのが、触覚の記録・再生に関するテクノロジです。特に、これまでテニスのスポーツ翻訳に着目し、振動の記録・再生によって いつでも、どこでもスポーツ翻訳を体験できる「暗闇で感じるテニス」と「手のひらで感じるテニス」の展示を制作しました。
暗闇で感じるテニス
「暗闇で感じるテニス」は、1800 mm×900 mmサイズのテニスコートを模したテーブルを用意し、テニスの映像に合わせたスポーツ翻訳をそのテーブルの上で行います(図4)。翻訳者はテーブルをテニスのラリーに合わせて叩くのですが、テーブルの裏には4カ所振動マイクを取り付けて、その振動を記録します。そうして、今度はテーブルの裏面のマイクがあった位置に振動スピーカーを取り付け、映像と振動を再生します。この展示の体験者は、テーブルの上に手のひらを置き、テーブルが叩かれた振動を感じます。
体験としては、小部屋に振動スピーカー付きのテーブルと大画面があり、以下の流れでテニス観戦を行います。
① 映像、環境音、振動すべての情報がある状態でテニス観戦をする(晴眼者の状態)。
② 映像が消えて、環境音と振動のみでテニス観戦をする(視覚を引き算)。
③ 映像と音が消えて、振動のみでテニス観戦をする(視覚・聴覚を引き算)。
このように異なる身体状況をつくり出し、身体翻訳によるスポーツ観戦を体験してもらいます。
体験後のインタビューでは、視覚障がい者からは、「テニスで打ったボールがどこに飛んでいくのか、初めて分かった」といった試合状況の理解に関するものや、「誰かと一緒に見ている気がした」など一体感に関する感想が得られました。一方、晴眼者からは、体験者の半数以上から、映像・音なしの観戦体験に関して観戦の仕方がいつもと「変わった」と回答がありました。その中には、「感覚が研ぎ澄まされ、ラリーのリズムやどこでプレーしているかを、より感じる」といったテニスの質感、つまり打球のインパクトやラリーの空間性の要素をより強く感じるものもあり、晴眼者にとっても身体的翻訳によるスポーツ観戦が効果的であることが示唆されました。
図4 「暗闇で感じるテニス」の体験の様子
手のひらで感じるテニス
「手のひらで感じるテニス」は、450 mm×300 mmサイズのテニスコートを模したテーブルを用意し、「暗闇で感じるテニス」同様、テニスの映像に合わせたスポーツ翻訳をテーブルの裏4カ所に配置した振動スピーカーで再生します(図5)。体験者はスマートフォンの画面でテニスの映像を見て、ヘッドフォンから流れる音を聞き、またテーブルに置いた手のひらで競技者が球を打つ様子を感じます。映像と音声の再生、また電力供給はスマートフォンが担います。これは「暗闇テニス」のミニチュア版といえるもので、スタジアムやパブリックビューイングサイトなど、外部電源が供給できない場所や狭い場所でもスポーツ翻訳を体験できるものになります。
以上のように、視覚障がい者との観戦体験を模索することにより、晴眼者にとっても新たな観戦方法を生み出すことができ、インクルーシブな観戦スタイルへの可能性が拓けました。
図5 「手のひらで感じるテニス」の体験の様子
今後の展開
私たちのプロジェクトは、スポーツを新しい視点で体系化し、新たな楽しみ方を共有したいという考えが根本にあります。さまざまな身体的状況の人が世の中には存在し、それらの人々が一緒にスポーツを見るという行為をどう考えていくのか。視聴覚に限らず感覚のチャネルを変えることによって、これまでとは異なるスポーツ体験や面白さを提供できます。スポーツの世界で新たな観戦方法を追求することはもちろん、この取り組みに社会的な価値をどうつくっていくのかも併せて考えていきたいと思っています。
■参考文献
(1) 押尾・原田:“スポーツ観戦における感動場面尺度、”スポーツマネジメント研究、Vol.2, No.2, pp.163-178, 2010.
(2) 戸梶:“『感動』喚起のメカニズムについて、”認知科学、Vol.8, No.4, pp.360-368, 2001.
(3) http://mienaisports.com
(左から)林 阿希子/渡邊 淳司/清水 健太郎(右上)
問い合わせ先
NTTサービスエボリューション研究所
2020エポックメイキングプロジェクト
TEL 046-859-2886
E-mail ev-journal-pb-ml@hco.ntt.co.jp
本取り組みを行うようになってから、ラグビーのフィジカルコンタクトについてより身近な感覚に置き換えて楽しむようになったと思います。皆様もぜひ一度身体感覚によるスポーツ観戦を体験してみてください。