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挑戦する研究者たち

研究者はちょっと先を見せてくれる鏡のような存在

「こころまで伝わる」情報通信技術の実現をめざし、情報科学、心理学、神経科学から、感覚・情動・運動にかかわる情報処理メカニズムの解明をめざすNTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部。触覚のメカニズムの探求やその伝送技術への応用を行い、Well-beingの向上支援にも取り組む渡邊淳司上席特別研究員に研究の進捗について伺いました。

渡邊 淳司
上席特別研究員
NTTコミュニケーション科学基礎研究所
NTT社会情報研究所
NTT人間情報研究所

さまざまな人のWell-beingが実現される方法論を追究

3年ぶりのご登場ですね。現在の研究活動について教えてください。

私の研究テーマは触覚のコミュニケーションと、その社会での価値の創成です。触覚は、自身のあり方を実感し、人と人との共感や信頼醸成に寄与する感覚ですし、その研究と併せてWell-being向上に関する方法論について取り組んでいます。
例えば、2020年から2021年にかけて、触覚のコミュニケーションツールを用いたワークショップシリーズを横浜市の小学6年生約30名に対して実施しました(1)。「触れてつながるスポーツラボ」という名前なのですが、ここには研究所のメンバーだけでなく、NTTの特例子会社であるNTTクラルティに所属するパラアスリート田中章仁さんにも参加いただき、共生社会に向けた体験型の学びの場を実現しました。もちろんコロナ禍でしたので、感染対策をしながらも、どうやって生徒たちにとって実感ある学びの場を実現するかということに苦心しました。
このワークショップは「感覚体験の4つのSTEP」によって構成されています(図1)。STEP 1は「自己を見つめる」というもので、このときに行うのが自身の心臓の鼓動を手の上の触感として感じる「心臓ピクニック」というワークです。聴診器を胸に当てると心臓の鼓動に合わせて、手に持った四角い箱が振動します。そうすることで、心臓の鼓動を手の上の触感として感じ、自身の生命としての側面を実感することができます。
STEP2は「他者との共有」です。身近な他者に感覚の共有範囲を広げます。STEP1でのワークの延長として、心臓の鼓動に合わせて振動する箱を周りの生徒に手渡し、自身の鼓動を他者に感じてもらったり、逆に他の人の心臓を手の上で感じたりします。他者の鼓動を感じることで、他者も自分と同じ生命であることを強く意識します。また「触覚共有ボール」(図2)を使って、触覚だけで感情を伝え合う経験をします。「触覚共有ボール」は、チューブでつながった2つの柔らかいボールで、一方を握るともう一方が膨らみます。手の中で相手の気持ちに合わせて何かが膨らむという生々しい体験は、言葉以外での相手とのつながりを感じる体験です(2)
そしてSTEP3は、普段は触れ合うことのない、異なる感覚や身体を持つ人とコミュニケーションを行う、「特別な他者を感じる」体験です。このときは、パラアスリートの田中章仁さんにお越しいただき、離れて設置された2つのテーブルの一方をたたくと、もう一方のテーブルが振動する「触覚共有テーブル」を使って、生徒が田中さんのお話にリアクションをしたりしました。最後のSTEP4は「感覚を他の人に伝える」ということで、生徒が自身で体験した感覚や共生社会への学びを下級生に伝えます。このようなSTEPによって構成されるワークショップを通じて、子どもたちは自分の感覚を発見し、他者とつながり、特別な他者と出会い、共に生きる社会へ向けた、実感を伴う学びの場が生まれたと感じています。これは、さまざまな人が生きる社会において、お互いを尊重しつつそれぞれのWell-beingを実現するための基礎となる経験だと思います。

自分の感覚を発見するという響きにワクワクします。

次に触覚を使って視覚障がい者と一緒にスポーツを楽しむためのプロジェクト「スポーツ・ソーシャル・ビュー」(3)を紹介します。一般的に、視覚障がい者のスポーツ観戦は音声解説によって行われます。しかし、音声解説にはスポーツの動きの詳細をうまく言葉で表現できないという問題や、視覚障がい者が周囲の盛り上がりから取り残されるという問題がありました。そこで、私たちは、スポーツで起きていることを言語ではなく身体的に表現し直し、それを視覚障がい者と共有するという観戦方法を生み出しました。例えば、柔道の試合の様子を伝える場合には、2人の晴眼者が布の両端を持ち、試合の様子を見ながらそれぞれの選手になりきって、相手の胴着を引っ張るイメージで布を引っ張り合い、力の駆け引きを再現します(図3)。視覚障がい者はその布の真ん中を握ることで言語化しにくい動きの迫力やリズムを感じるのです。私たちは、ここで行われているような、スポーツの本質を別の身体的な動きに置き換える試みを「スポーツの翻訳」と呼んでいます。その後このプロジェクトは、対象を一般の方にも広げ、スポーツの本質を問い直す試みとして、「見えないスポーツ図鑑」という名で競技の専門家とともに10種類のスポーツを身体的に表現し直すことを行いました。その成果は美術館での展示や書籍(4)としても発表されています。

触覚技術で感じ合い、内在的価値を認め合う

コロナ禍にあってWell-beingが問い直されていると感じていますが、いかがでしょうか。

2019年末からのコロナ禍は、私たちの生活様式に変化をもたらすとともに、自身のWell-beingを見つめ直すきっかけにもなりました。現在、Well-beingという言葉はさまざまな意味で使用されていますが、その1つの解釈として、私は「人の内在的価値を積極的に認めていくこと」がWell-beingにつながると考えています。内在的価値とは、ある行為や物事等、それ自体に価値があるということで、反対語は何かができるから価値があるという道具的価値です。その考え方を、人種や文化、身体や感覚の違いによらず尊重しようというのが「ダイバーシティ&インクルージョン(Diversity & Inclusion)」であり、その考え方を人以外の自然や地球環境にも広げていくと「サステナビリティ(Sustainability)」へとつながります。Well-beingはそれぞれの内在的な価値、それぞれがよく生きられるあり方を認め、お互いに尊重しようとするもので、そのためには相互理解や信頼が重要となります。私の場合、そのつながりを触覚からつくり出そうということです。
また、Well-beingはめざすべき状態、目標値のようにとらえられがちですが、どちらかというと行為を行うときのあり方や態度だと考えたほうが分かりやすいかもしれません。例えば、「Well-beingをめざしてサッカーをする」のではなく、「Well-beingなやり方でサッカーをする」もしくは「Well-beingにサッカーをする」ととらえたほうが考えやすいと思います。状態だととらえると、どこか外部にWell-beingというものがあって、それに近づいていこうとするイメージですが、あり方として考えると自分やチームメイトの中にあるものだと考えられると思います。このそれぞれにとって「よいあり方」を実現するときに重要となるのが、それぞれの人がどんなことを大事にし、それはどのように満たされ得るのかをチーム内で理解し合うことです。サッカーの例だとそれぞれの選手のプレースタイルや好きな動き方ということになります。ただし、チームで集まったとしても、何もなしにいきなりお互いの大事なことを語りだすのは障壁が高いので、何かきっかけとなるものが必要になります。そこで私は、自身や周囲の人のWell-beingに意識を向け理解するきっかけを提供するツールとして、「わたしたちのウェルビーイングカード」を制作しました(図4)。

カードはどのようにしてできたものでしょうか。

カードには大学生約1300人に実施したアンケートを基に、人がWell-beingを感じる要因が書かれています。さらに、その要因は「I」「WE」「SOCIETY」「UNIVERSE」の4つのカテゴリに分類されています。例えば「熱中・没頭」といった要因は「I」、「親しい関係」などの要因は「WE」、「社会貢献」といった要因は「SOCIETY」、「平和」といった要因は「UNIVERSE」となります。2021年版は27枚、2022年版は32枚で構成されています(5)
これまで、このカードを使ったワークショップをいくつかの小学校、中学校、高校で行ってきました。ワークショップでは、3〜5人ほどが一組になって、自分のWell-beingに大切なことをそれぞれの生徒が3つ選び、それらをカードで示しながら、その理由や背景を周りの人に説明します。次に、それらのカードを意識しながら、学ぶ場で大事にしたいことをチームで3つ選びます。このプロセスは、最初に共有したそれぞれの「わたしのウェルビーイング」を考慮しながら、学ぶ場の「わたしたちのウェルビーイング」を共創する過程だといえます。これまで生徒たちからは、「自分にとってのWell-beingに気付いた」「友だちが幸せだと思っていることが分かり、より深く理解できた」「友だちと同じところや違うところがあることが分かった」という感想がありました。また、生徒たちがこのワークショップを体験した後に、できるだけ家庭でもWell-beingについて議論できるように資料なども工夫しています。
このように、「わたし」から「わたしたち」へというのは、学びの場だけでなく、コロナ禍における働き方やチームビルディング、さらには、地域の街づくりなどにおいても重要な考え方となります。この考え方をより深めるために、2019年より、京都大学の哲学者 出口康夫教授と自己観に関する共同研究も進めています。出口教授は「Self-as-We」という東アジアの思想伝統に基づく全体論的自己観を提唱しており、これまで、個人がこの自己観とどのくらい近い性格特性を有しているかを調べる尺度を開発したり(6)、その性格傾向を有しているとコロナ禍における抑うつ傾向が低いことを示したりしています(7)。現在は、あるチームに対して「Self-as-We」をどのくらい感じているかというチームの状態に関する評価指標の開発や、その集団としてのWell-beingとの関係性について検討を続けています。

研究を社会に翻訳する

触覚やWell-beingに関する研究は学術的、社会的にも大きな価値がありそうですね。

Well-beingに生きるために重要な、人とのつながりや「わたしたち」(8)という感覚を、触覚に関する方法論や技術を使って支援していくというのが現在の目標ですし、学術的に価値のある新たな分野の確立へつながると思います。実際、2021年度に採択された文部科学省科学研究費 学術変革領域研究(B)「デジタル身体性経済学の創成」(9)に、私は研究分担者として参画しています。また、実際に社会の中で触覚に関する情報が流通するために、ITU(Inter­national Telecommunication Union)という伝送方式に関する標準化団体の会議にも参加しています。
また、現在、私が強く興味を持っている技術分野としてデータを分散的に保持するブロックチェーン技術が挙げられます。ブロックチェーンは、今までの中央集権的な組織とは異なる新しい組織のあり方を実現する基盤となります。分散型自律組織(Decentralized Autonomous Organization)と呼ばれ、特定の管理者が存在しないブロックチェーン上で、組織が発行する「ガバナンストークン」を有している参加者によって意思決定が行われます。このような仕組みによって、同じ志を持つ仲間がしなやかに責任を持ってかかわることができる組織ができたらと思います。

最後に研究者とはどんな存在か、お聞かせください。

社会の中で研究者は、少し先の未来を映す鏡のような存在だと思います。特に情報通信技術の分野は、人々の日々の生活に直結していますし、その技術自体がどんどん変わっていく中で、少し先の社会がどのようになるのかを想像し研究を行います。予測できない未来に対して、どんな研究領域に取り組めばよいのか、全く同じというには語弊がありますが、ベンチャーキャピタリストがどのビジネスに投資するのかを判断するような感覚とも近いものがあるのではないかという気もしています。
また、社会の中でインパクトをつくるには、社会という川の流れの中で、どこに石を置けば流れが変わるのか、ということを考えることが大切だと思います。そして、できれば仲間と「わたしたち」として取り組むことで、状況の多様な変化に対しても活力を持って対応できるでしょう。「わたし」が1人でできることは小さいですし、「わたし」が集まったとしてもいびつなものができてしまう。それぞれの人が「わたしたち」という意識を持ちながら社会にかかわることができればよいのではないかと思います。
そして、もう1つ重要なこととしてタイミングが挙げられます。物事の価値は受け取り手がつくるものだと考えると、受け手の状態や準備状況に合わせてコミュニケーションを取ることも必要です。例えば、何か相手に意見を言うとしても、相手の準備ができていなければ、取り入れられることはありません。花を咲かせるのにも水をやるタイミングを間違えば花は腐ってしまいます。そういう意味では研究も同じで、社会が必要と思ってくれるときにその研究をしていることが大事ですし、そのタイミングを感じとる研究者の身体感覚が重要なのだと思います。

■参考文献
(1) http://furue.ilab.ntt.co.jp/book/202107/contents2.html
(2) 渡邊・藍・吉田・桒野・駒﨑・林:“空気伝送触感コミュニケーションを利用したスポーツ観戦の盛り上がり共有: WOW BALLとしての検討,”日本バーチャルリアリティ学会論文誌,Vol.25,No.4,pp.311-314,2020.
(3) 林・伊藤・渡邊:“スポーツ・ソーシャル・ビュー:競技を身体的に翻訳し視覚障がい者と共有する生成的スポーツ観戦手法,”日本バーチャルリアリティ学会論文誌,Vol.25,No.3,pp.216-227,2020.
(4) 伊藤・渡邊・林:“見えないスポーツ図鑑,”晶文社,2020.
(5) https://socialwellbeing.ilab.ntt.co.jp/tool_measure_wellbeingcard.html
(6) 渡邊・村田・高山・中谷・出口:“「われわれとしての自己」を評価する -Self-as-We尺度の開発-,” 京都大学文学部哲学研究室紀要 : PROSPECTUS,Vol.20,pp.1-14,2020.
(7) 村田・渡邊・出口:“新型コロナウイルス感染拡大下における抑うつ傾向と「われわれとしての自己」との関係,” 京都大学文学部哲学研究室紀要 : PROSPECTUS,Vol.20,pp.15-33,2020.
(8) 渡邊・チェン(監修):“わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために,”BNN,2020.
(9) https://embodiedecon.digital/