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共生社会の未来を描く「AIと脳情報解析技術の融合による脳メカニズム理解」

近年多くの社会的な場面でAI(人工知能)による深層学習の技術が登場していますが、脳解析の研究分野においてもこれらの技術を用いて研究が進んでいます。今回は深層学習技術と脳情報デコーディング技術を組み合わせて共生社会を実現する「AIと脳情報解析技術の融合による脳メカニズム理解」の研究について、堀川友慈特別研究員にお話を伺いました。

堀川友慈 特別研究員
NTTコミュニケーション科学基礎研究所

PROFILE

2013年奈良先端科学技術大学院大学博士課程修了。博士(理学)。2021年、日本電信電話株式会社に入社、NTTコミュニケーション科学基礎研究所に所属。2022年よりNTTコミュニケーション科学基礎研究所特別研究員。脳を模した計算モデルと脳情報解析技術の融合の研究に従事。第33回電気通信普及財団賞(テレコムシステム技術賞)、神経回路学会論文賞等を受賞。

AIと脳情報解析技術を組み合わせてさらなる脳情報の理解へ

◆「AIと脳情報解析技術の融合による脳メカニズム理解」の研究内容について教えてください。

「AIと脳情報解析技術の融合による脳メカニズム理解」では、近年多くの実用的場面においても用いられている機械学習に基づくAI(人工知能)モデルと、脳に符号化された感覚刺激の情報を解読する脳情報デコーディングの技術を組み合わせて、脳のメカニズムについて理解を深めることをめざしています。AIモデルの代表ともいえるDNN(Deep Neural Network:深層学習)というのは、近年脳の研究分野において今まで以上に一層大きな影響力を持つようになっていますが、これに私自身が研究を続けてきている脳情報デコーディングという、脳の信号を統計的に解析し脳に表現された情報を読み解く技術を組み合わせることで、より深い脳の理解が得られないかと研究を進めています(図1)。
私が研究を始めた当初、脳情報デコーディング技術は「画像を見ているときに計測した脳活動を解析することで、見ている対象がヒトの顔なのか家の画像なのかを脳活動から当てましょう」というような、限られた予測対象に対するシンプルな分類課題に適用することが主流でした。しかし技術が発展していく中で、ヒトの脳の情報処理方式に近いAIモデル(DNN)の信号を解読対象とすることで、従来以上により多様な対象を解読するアプローチが実現できるのではないかと考えました。

◆「AIと脳情報解析技術の融合による脳メカニズム理解」はどのような方法で行うのでしょうか。

具体的な方法としては、脳の活動を画像化するfMRI(functional Magnetic Resonance Imaging:機能的MRI)のデータと脳の情報処理方式を模したDNNモデル(機械の脳)を使って、ヒトの脳と機械の脳の間で情報表現の比較をしたり、機械の脳を使ってヒトの脳を解析したりする方法で研究を進めています。現在はこの方法に基づいて、単純に「見ているものがヒトか車か」ではなく「ヒトが車に乗っている」という複数の要素の関係性のような、さまざまな知覚的要素が脳でどのように組み合わせて表現されているのかを研究しています。つまり1つひとつの知覚対象についてだけでなく、それぞれの要素がどのような関係性にあってどのように交互作用しているのか、ヒトが認識する全体的な意味の情報が脳でどのように表現されているか、ということを研究対象としています。
また私の以前の研究の1つでは、脳の中でさまざまな感情の情報がどう表現されているのかということを調べていました。ヒトの感情反応は「悲しい」「楽しい」などの基本感情と呼ばれる少数のカテゴリーだけではなく、より細かく多様なカテゴリーによってより正確に記述されることが実験的に示されてきており、例えばネガティブな感情を例にとっても「恐怖」「戦慄」「嫌悪」など、より細分化されたカテゴリーに分類することができるといわれています。私の研究では、そのような感情の情報が脳でどう表現されているかを、人が動画に対してつけた評定スコアを基にして研究していましたが、このような研究対象に対しても、今後DNNモデルなどの機械の脳を活用したアプローチが有効になることが期待されます。
図2で示した研究のゴールでは、脳のデータに基づいて、特定の脳状態を説明する最適な画像・音声・テキストなどを生成する技術を開発することで、意図したイメージや感情などを引き起こす素材を生成することをめざしています。例えば感情の情報が脳でどのように表現されているかを特定できれば、感情に対応する脳活動のパターンを強く引き起こす画像を脳のデータとDNNを使って生成することで、ねらった感情を惹起する画像生成を実現することができるかもしれません。
脳のデータに基づいてヒトが見ている画像を再構成するという研究は、私が以前所属していたラボで先駆的に研究が進められており、初期の研究では文字や図形などの粗いパターンを画像として見ているときの脳活動データから、見ている視覚像を再構成することに成功していました。その後の私がかかわった研究では、DNNの技術を用いてより高解像度かつ自然な画像に対しても視覚像を可視化することに成功しています。従来の研究で再構成できていたのは10×10ほどのモノクロのピクセル情報でしたが、最近の研究では色や物体の形状、動物の目や顔などの細かいパターンを反映したような200×200ほどの解像度の画像を再構成できるようになっています。この精度を実現するうえで有効だったのは、ヒトの脳と機械の脳(DNN)がどちらも視覚入力の情報を階層的に処理しているという知見を活用したことです。脳では視覚情報が階層的に処理されており、例えば低次の脳部位では「どの傾きの線分か」というような単純な視覚特徴が、より高次の脳部位では複雑な形やパターンを持つ特徴が、というように階層的に複雑さの異なる情報が表現されていることが知られています。同様に脳のモデルであるDNNの各階層でも、徐々に複雑さを増した特徴に関連する情報表現を獲得できていることが分かってきています。そこで、ヒトの脳と機械の脳のこのような階層表現の類似性を活用し、ヒトの視覚野の活動に表現される低次から高次までの階層の情報をすべて利用して画像を再構成することで、高い精度を実現できたと考えています。
こうした研究を行ううえで私が気をつけていることは、自分自身が「データの偶然のばらつきに騙されないようにする」こと、そして「本当に脳に表現されている情報が何なのかを正しく把握する」ことです。特に脳の研究では、データが高次元であったり複雑な解析プロセスを伴ったりするため、どこかの解析のパラメータを少し変えるだけで一見ポジティブな結果を見出すことができてしまう危険があります。実験データが偶然ポジティブな結果を示しているのか、あるいは本当に真の脳の実態を表しているのかを見極めるのは確かに判断が難しいですが、自分自身が騙されないようしっかりと気をつける必要があり、そのためには「本当に正しい情報をとらえているのか」を意識するとともに、実験計画やデータ収集、統計解析の手続きを正しく真摯に実行していくことが重要であると認識しています。また、近年のAI技術の発展により、脳から解読した情報をうまく修飾することで、例えば脳からの画像再構成の結果を写真のように綺麗に見せることも可能になっています。脳に表現されている情報を解釈しやすいかたちで取り出す(翻訳する)ことは応用的に重要な意義がありますが、一方で脳の理解を目標としてDNNを活用していることを考えると、得られた結果のどこまでが脳の情報に基づいていて、どこからが付加的に修飾されたものなのかを正しく理解しておくことは重要だと思います。

脳メカニズムの理解でインクルーシブな社会を実現

◆「AIと脳情報解析技術の融合による脳メカニズム理解」の技術を用いた今後の展望について教えてください。

今後の展望として、ヒトの心で表現されている主観的体験の情報を取り出して、可視化し外在化するという研究テーマに関連した新しい技術の開発や、ヒトの脳の情報を定量的に評価する技術を応用に利用する方向性も発展させたいと考えています。例えばここ10年くらいの比較的新しい研究では「りんごを思い浮かべてください」と言ったときに、みずみずしい表面や赤色をすごく鮮明にイメージできる人がいる一方で、イメージが全くできない「アファンタジア」という特質を持った人たちがいることが分かってきています。私は今まで心的イメージを可視化したり、心的イメージが脳でどのように表現されているかを定量的に評価したりする研究を進めてきたので、同じようなテクニックを用いて、アファンタジアの人たちが心的イメージを生成しようとするときに、脳がどういう状態にあるのかということを解明したいと考えています。イメージができない人たちの脳の状態を明らかにしてその知見を広めていくことで、アファンタジアという特質に対する社会からの理解を得ることができ、そうした理解が進むことでよりインクルーシブな社会が実現されることを願っています。

◆研究者や学生の皆さんへメッセージをお願いします。

私は現在、NTTコミュニケーション科学基礎研究所の人間情報研究部 感覚表現研究グループに所属していますが、NTTは研究を進めるための後押しが充実していることが良いところだと思います。例えば自分が脳の計測に使っているMRIは強力な磁場を発生させる装置で、被験者に画像や音声として刺激を提示する場合には、高磁場環境でも利用できるような非磁性の特殊な機器を使う必要があります。また、試行錯誤を重ねながら多くの実験を繰り返し、多くのデータを収集するためには実験費用も高額になりますが、私がNTTに移ってきてからの1年で、それまでほとんど何もなかったそれらの実験機器の整備や実験費用のサポートをしてもらったり、脳解析のために必要となるソフトウェアやハードウェアを惜しみなく調達してもらっており、そのような環境の中で自由にどんどん研究を進めることができるのはNTTの強みであると感じています。そうした研究環境の中では「論文が通ったときに嬉しい」という気持ちや「研究対象に対する新たな理解を得られた」ときの喜びはもちろんありますが、私自身はそのような喜びのために日々頑張っているというよりは、例えば夜寝るときに「明日これをやったらうまくいくんじゃないか」「よし今日はこのアイデアを試すぞ」と考えてワクワクして毎朝走り出したいような気持ちで研究所に向かう生活を続けられることが、研究のやりがいであり楽しさの1つです。長い研究人生の中で、毎日楽しみながら研究ができているというのは、NTTの研究環境があるおかげだと思っています。
一方で社会がうまく回っていないと、研究に対する国の予算などが削られることがありますし、一般企業で働いている人や世間の理解を得られないことなどもあります。また研究者になりたいという若い人たちが少なかったり、優秀な研究者が研究を続けられなかったりするような、苦しい状況も多くあります。しかし私は、研究というのは時代にかかわらず本当に価値のあることだと信じています。多くの人がさまざまなアイデアに基づいて正しい方法で研究をすることは価値があり、たとえある研究テーマに対して面白いと思ってくれる人が少なかったとしても、1人ひとりの研究の積み重ねが未来の世界をつくっていくのだと思います。どんな小さな研究でも正しい方法で研究を積み重ねていくことには価値があると信じています。自分の価値を信じて頑張っていきましょう、という自分に対するエールとともに、皆さまへのメッセージとさせていただきます。