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特集

しなやかな社会の実現に向けた環境負荷ゼロと環境適応への取り組み

地球環境と人間社会の未来予測技術

NTT宇宙環境エネルギー研究所では、地球環境および人間社会についての未来予測を通じて、プロアクティブに社会・自然環境の変化に適応することによって、持続可能な企業成長としなやかな社会の実現への貢献をめざしています。本稿では、地球規模の観測と、地球の物理過程並びに生物・化学過程のモデル化を行い、これらを連成させてシミュレーションすることで、地球の再生過程を明らかにする地球環境未来予測技術と、人間社会と環境影響の未来を予測して企業のESG(環境・社会・ガバナンス)経営戦略立案を支援するESG経営科学技術を紹介します。

小山 晃(こやま あきら)/張 暁曦(ちょう ぎょうぎ)
久田 正樹(ひさだ まさき)/原 美永子(はら みなこ)
NTT宇宙環境エネルギー研究所

はじめに

2015年に国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)では、社会課題を民間のビジネスとして解決することが奨励されており、気候変動を緩和するための温室効果ガスの排出抑制や気候変動による影響を小さくする適応施策、貧困等の社会問題に対する企業の対応が注目されています。これら社会要請の下で企業が持続可能な成長を実現するためには、財務指標だけではなく非財務指標にも配慮することが求められています。さらに現在、台風や線状降水帯といった極端気象による災害や、世界的なパンデミック、武力を背景とした他国への侵攻に見られるように、これまで予測できなかったような事象が現実のものとなっています。このような状況の中、NTTグループでは、環境負荷ゼロと経済成長の両立という野心的な環境エネルギービジョンを掲げています。本稿では、このビジョン実現に貢献するため、地球環境と人間社会の未来を高精度に予測し、めまぐるしく変化する地球環境と世界情勢にプロアクティブかつしなやかな対応を可能とする地球環境未来予測技術とESG経営科学技術について紹介します。

地球環境未来予測技術

地球環境未来予測技術は、地球環境の再生に向け、気候・気象・海象といった物理的な現象に加え、生態系・炭素循環といった生物・化学的な現象を地球規模の観測によりモデル化し、シミュレーションすることで、地球の再生過程を明らかにし、未来の地球環境の予測を可能とする技術です。地球の約70%を占める海洋は、台風や線状降水帯などの極端気象の発生に大きな影響を与えているにもかかわらず、リアルタイムに直接観測されていない未踏領域であるため、衛星IoT(Internet of Things)技術を活用して、気象等の物理的な現象を観測し、モデル化に取り組んできました(1)。本稿では、沖縄科学技術大学院大学(OIST)と開始した極端気象予測精度向上に向けた大気海洋観測実験の概要と、新たに研究を開始した、生物・化学的な現象である海洋生態系のモデル化について紹介します。

極端気象予測の取り組み

台風や線状降水帯などの極端気象による災害が多発しており、私たちの生活を脅かしています。台風、線状降水帯等の極端気象の予測精度のさらなる向上のためには、数値予報モデルの精度向上に加え、大気と海洋の相互作用の観測が重要です。特に、台風の発達に大きく影響する、海上の気温や湿度、海面や海中の水温の直接観測は、海上に十分な数の観測機器がないため台風の進路に合わせた観測が難しく、かつ、台風直下は暴風や高波といった過酷な環境であるため、有人での観測は非常に困難です。この台風直下のリアルタイムな海上観測を実現するため、海洋を無人で自律的に長期観測可能な大気海洋自律観測装置の開発を行いました。「せいうちさん」と命名し、OISTと連携して2022年7月に沖縄沖で台風観測を開始しました(図1)。その後、沖縄沖で回遊しながら台風の観測を行いました。今後は、観測データの解析を進め、台風予測の精度向上をめざすとともに、線状降水帯などを含めた極端気象予測の精度向上のため、日本近海でリアルタイムかつ常時観測に向けて研究を進めていきます。
さらに大気海洋観測の広域化に向け、海洋研究開発機構(JAMSTEC)との共同研究により、日本近海に加えて、台風の発生エリアである赤道付近といった遠洋での観測にも挑戦していきます。

海洋生態系のモデル化の取り組み

海洋の生態系は、気候の変動による気温、水温、日光の変化をはじめ、河川などの水循環による栄養塩の供給など、人間活動を含む外部環境の影響を受けて常に変化しています。さらに、沿岸域でも海洋生物の新種の発見が続いているように観測も難しく、その変化の定量化も困難です。これに対して、衛星IoT技術を活用した新たな観測技術により、プランクトンをはじめとする微生物から、魚類、大型の哺乳類にわたる食物連鎖といった、海洋の生態系の観測とモデル化に取り組み、外部環境の変化と合わせて、コンピュータ上でシミュレーションすることで海洋生態系の未来予測を可能とすることをめざしています。実現に向けては、海洋生態系の循環プロセスをモデル化し、気候変動や人間の活動による影響を予測する生態系循環予測技術と、魚にとってのWell-beingを指標化することで、生態系のバランスを回復する魚類生態系モニタリング技術や、数百万種以上に及ぶ微生物の多様性をモデル化し、気候変動や人間環境といった外部ストレスによる変化を予測可能とする微生物多様性モデリング技術に取り組んでいきます(図2)。

ESG経営科学技術

ESG経営科学技術では、環境、社会、ガバナンス(Environment、Social、Governance:ESG)といった非財務価値に関する企業の経営戦略策定を科学的に支援するために、人間社会と地球環境影響の未来を科学的に予測する手法の確立をめざしています。具体的にはESGインテリジェンス科学手法、企業Well-being評価手法ならびにESG未来予測手法の各研究に取り組んでいます(図3)。

■ESGインテリジェンス科学手法

政治・経済・社会・技術・環境(PEST+E)に関するグローバルな情報をAI(人工知能)、テキストマイニング技術等を用いて収集し、ESGに関する経営戦略の立案に資する情報として科学的に分析しています。例えば、世界各国の脱炭素への最新の取り組みや、ウクライナ情勢に起因したエネルギー危機を踏まえ、カーボンニュートラルとエネルギーに関する事業戦略立案に必要な情報収集・分析に取り組んでいます。考えられる複数の未来シナリオを作成するために、収集した情報を基に、重要な影響要因を抽出して、未来シナリオ作成における分岐点として設定します。従来手法による手動分析の一例を図4に示します。前述の一連の分析過程にAIテキストマイニング技術を適用し、従来手法と同じ情報源に対して、収集した情報の文章中における単語の出現頻度や係り受け関係などの分析によって、手動によるバイアスを排除し分岐点を客観的に抽出できるように、情報収集分析の自動化を検討しています。

■企業Well-being評価手法

NTTでは、持続可能な社会の実現に向けたICTの貢献度を評価するために、地球環境、社会、経済への影響の観点からICTサービス・ソリューションによる負荷と便益を定量的に評価する社会うるおい指標(Gross Social Feel-good Index: GSF指標)を研究してきました(2)(図5)。企業Well-being評価手法ではGSF指標を発展させ、地球環境と人間社会の持続可能性を社会や企業のWell-beingとして定量的に評価する手法の確立をめざしています。企業Well-being評価手法は、人々が望むWell-beingな社会の実現に向けた企業の貢献について、特にESGのような非財務価値をさまざまなステークホルダーの側面から評価する新しい評価手法の研究です。2021年度から京都大学との共同研究において、企業アンケートから得られた知見に基づいて優先課題を抽出し、企業における社員満足に関する定量評価に取り組んでいます。

■ESG未来予測手法

ESG未来予測手法では、ESGインテリジェンス科学手法で得られる分岐点を利用し、ESGに関する1つの経営戦略を実行した場合の結果を、起こり得る複数の未来として定量的に予測するための科学的予測モデル群の確立をめざしています。定量予測モデル群は、産業連関分析手法(3)を用いて、国のようなマクロレベルの経済・社会・環境変化を予測するマクロ経済モデル、地球環境影響に関連する個人の行動変容を予測するミクロ社会モデルなどにより構成されます。これらのモデルを組み合わせることにより、人間では予測できない社会情勢の変化を踏まえて起こり得る複数の未来において、企業がESGに関する経営戦略を実施する際のリスクと効果を予測します。さらに、定量予測した結果をシナリオとしてアウトプットするとともに、企業のWell-being評価手法を用いて予測結果を評価し、企業ならびに社会全体にとってより良い未来を導くことのできるESGに関する経営戦略の立案に役立てることをめざします。

今後の展開

本稿では、地球環境未来予測技術とESG経営科学技術を紹介しました。地球環境未来予測技術においては、超広域観測結果を活用し、地球の物理的、生物・化学的過程のモデル化を行い、地球の再生過程をシミュレーションする技術の確立をめざし、ESG経営科学技術においては、人間社会と環境影響の未来を予測する技術の確立をめざして研究を推進していきます。将来的には、これら2つの技術をデジタルツインコンピューティング(DTC)(4)技術を活用して連成させ、さらには地球環境未来予測シミュレーション基盤上に実装することによって、地球環境と人間活動の相互の影響を加味した未来予測を可能とし、プロアクティブに社会・自然環境の変化に適応していくことをめざしていきます。

■参考文献
(1) 加藤:“安心・安全に暮らすためのプロアクティブ環境適応技術,”NTT技術ジャーナル,Vol.33,No.4,pp.31-34,2021.
(2) 飯橋・津田・中村:“ICTサービスの環境影響評価と社会うるおい指標,”NTT技術ジャーナル,Vol.21,No.8,pp.32-36,2009.
(3) https://www.soumu.go.jp/toukei_toukatsu/data/io/bunseki.htm
(4) 中村:“デジタルツインコンピューティング構想,”NTT技術ジャーナル,Vol.32, No.7,pp.6-11,2020.

(左から)小山 晃/張 暁曦/久田 正樹/原 美永子

将来に向けてしなやかな社会の実現をめざし、私たちはさまざまなモデリング・シミュレーション技術を用いて地球環境および人間社会の未来予測研究を進めています。

問い合わせ先

NTT宇宙環境エネルギー研究所
企画担当
TEL 0422-59-7203
E-mail se-kensui-pb@hco.ntt.co.jp