特集 主役登場
電波の新たな価値創造に向けた非侵襲グルコースセンシング技術
中村 昌人
NTT先端集積デバイス研究所
研究主任
私たちの生活の中では、今この瞬間も電波が利用され続けています。この記事をご覧いただいている皆様も、スマートフォンやタブレットといったモバイル端末を毎日利用されているのではないかと思います。モバイル通信に限らず、ICカードを用いてキャッシュレス決済を行うことや、ワイヤレスイヤホンで音楽を楽しむことができるのも無線通信技術の発展によるものです。また、電波は無線通信以外でも多くの身の周りの場面で活用されています。例えば、ケーブルを介さずに置くだけで電子機器のバッテリー充電が行われるワイヤレス充電や、自動車の衝突防止機能に用いられるレーダなどが挙げられます。このように、利用シーンに応じて電波の性質を選択し、適切に制御することで、無線通信に限らず多くの価値を提供できるのが、電波工学の興味深いところです。
NTT先端集積デバイス研究所では、無線通信のさらなる発展に向けた研究開発を行う一方で、インフラ設備の劣化診断などをターゲットにした電波のセンシング応用に関する研究開発も行われています。これらの研究開発では、要素部品であるデバイスを設計・評価するための設備は同一のものが使用可能です。基盤技術を共通としながら応用先の異なる研究者どうしが議論できる環境の中で、まだ実用化されていない新しい価値を見出せるような研究がしたいという思いから電波の生体センシング応用に興味を持ちました。その中で、針を刺さないグルコースセンシングは糖尿病患者の負担を低減するだけでなく、データを分析することで将来糖尿病になるリスクを予測し予防医療にも貢献できるのではないかと考え、非侵襲グルコースセンサの研究を始めました。研究開始時には、デバイスを評価するための測定装置はありましたが、水溶液などの生体を模擬した材料の測定系や実験ノウハウなどはなく、実験手順を自ら考えていく必要がありました。測定時の試料の交換方法から、得られたデータの分析方法まで、一から試行錯誤を重ねることで、血清(血液から血球を除いたもの)中のグルコースの濃度を生体に含まれる濃度範囲で測定可能であることを確認できました。そこからさらに研究を進めるためには、研究所内に閉じた状態での検証は難しく、大学病院と共同研究を行いながら臨床研究を進めていくことで、電波を用いたグルコースセンサのフィージビリティを示すことができました。実用化に向けた課題はまだありますが、世の中にない技術の実現に向け、日々研究に取り組んでいます。
現在、NTTでは、デジタル空間における自身の写像であるバイオデジタルツインTMの実現に向けた研究開発が複数の研究所で行われています。私の所属するグループでは、電波、光、音、熱などを利用したセンシング技術について多角的に研究が進められています。また、複数の研究所が医療、ヘルスケア応用に関する最新の研究成果を紹介するコロキウムが定期的に開催されており、生体工学という切り口でも新たな知見を得られています。電波工学と生体工学、いずれの研究者とも交流が深められる環境で自己を研鑽しながら、非侵襲グルコースセンサの実用化をとおしてバイオデジタルツイン実現に貢献していけるよう、これからも研究開発を進めていきます。