特別企画
SF的想像力で描き出す、NTTの新技術の未来
- デジタルツイン
- SFプロトタイピング
- SF小説
SF(サイエンス・フィクション)はときとして未来をリハーサルし、その未来に備えるアイデアを授けてくれることがあります。今回、NTTが研究開発を進めてきた「Another Me」と「感性コミュニケーション」というテクノロジの未来像を、SF作家、テックカルチャーメディア『WIRED』日本版による研究機関「WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所」と描き出しました。果たして、その成果とはいかなるものでしょうか。
北端 美紀(きたばた みき)†/高山 千尋(たかやま ちひろ)†
永徳 真一郎(えいとく しんいちろう)†/能登 肇(のと はじめ)†
深山 篤(ふかやま あつし)†/中村 高雄(なかむら たかお)†
NTT人間情報研究所†
WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所
はじめに
SF的想像力を用いて、今ある技術の未来における可能性を拡張する──。そんな目標を掲げ、NTT人間情報研究所はWIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所(1)、SF作家の吉上亮さん(写真1)、津久井五月さん(写真2)とともに、「Another Me」(2)と「感性コミュニケーション」(3)という2つのテクノロジがもたらす未来像を描き出しました。
今回の記事では、NTT人間情報研究所、WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所〔小谷知也さん(所長)(図1)、松島倫明さん(『WIRED』日本版編集長)(図2)、伊藤直樹さん(PARTY代表)(図3)、山辺哲識さん(リーガルストラテジスト)(写真3)〕、吉上亮さん、津久井五月さんとともに、そのプロセスと成果を振り返っていきます。
〈わたし〉のデジタルツインと、個々の特性の違いを超えた新たなコミュニケーション
まず、NTTが研究開発を進めてきたAnother Meとは、実在の人をデジタル再現したもう1人の自分が、現実の制約を超えて本人として自律的に活動し、その結果を本人の経験として共有することで、人が活躍・成長する機会の拡張をめざす取り組みです。つまりは、〈わたし〉のデジタルツインと表現できるもので、業務代行や身体的なハンディキャップの克服、人間関係のシミュレーションなど多様な用途を想定しています。
また、感性コミュニケーションは、言語や文化の違いだけでなく、経験や感性などの個々人の特性の違いを超えて、心の中のとらえ方や感じ方を直接的に理解し合える新たなコミュニケーションの実現をめざした取り組みです。
この2つのテクノロジは、2019年6月に発表した「デジタルツインコンピューティング構想」(4)に位置付けられており、自律的な社会システムや人間の能力拡張、自動意思決定などのためのデジタルツイン構築の基盤をつくっていくことをめざしています。
想像力ならどこへでも行ける
「どちらの技術も社会に与えるインパクトが大きいからこそ、ユートピアからディストピアまで幅広い未来を想像していく必要があると考え、今回SFプロトタイピングを実施しました」。そう語るのは、NTT人間情報研究所の所長を務める木下真吾です。
SFプロトタイピングとは、SFを用いて未来を構想、それを起点にバックキャストし、「今、これから何をすべきか」を考察する手法。今回は「未来を実装する」テックカルチャーメディア『WIRED』日本版とクリエイティブ集団「PARTY」が共同で立ち上げた「WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所」とともにプログラムを実施しました。同研究所が開発したメソッドでは、仮説、科幻(中国語でSFの意味)、収束、実装の4つのステップを想定しており、今回の取り組みでは仮説から科幻のパートを実施。SFプロトタイピングの特徴について、同研究所の所長を務める小谷知也さんは次のように語ります。
「SFプロトタイピングは『ナラティブを通じて“未来の社会で暮らす人々”を精緻に描く』ことが可能です。物語を通じて、ある未来の社会の様相に触れることは、結果的に、全体を一気につかみ取るような、全体をまるごと直観によって把握するような認識の仕方をすることになるわけです。かつてアルベルト・アインシュタインは、『ロジックではAからBまでしか行けない。想像力ならどこへでも行ける』と語ったそうですが、ビジネスや研究や行政の現場に想像力を持ち込むことで、普段の目線とは異なる『あり得る未来』の可能性を探ってみることが、SFプロトタイピングが提供する価値なのではないかと考えています」。
集団創作的なプロセスで、未来を描く
具体的にどのようなプロセスでプロジェクトは進行していったのでしょうか。NTT人間情報研究所からの研究領域に関するインプットや、研究者へのインタビューを経て、WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所、SF作家、NTT研究員によるアイデア出しや議論の場を定期的に設け、Another Meおよび感性コミュニケーションの未来におけるさまざまなユースケースを導き出していきました。その際、より多角的な視点から未来を検討するべく、『WIRED』日本版の編集者のみならず、クリエイティブ集団PARTYに所属するクリエイターやコピーライター、リーガルストラテジスト(弁護士)などのさまざまな専門性のメンバーが参加しました。
『WIRED』日本版の編集長を務める松島倫明さんは「特定の新しいテクノロジを取り上げるときに、それを他のエマージングテクノロジや、もっと広くリベラルアーツやカルチャー、ライフスタイルといった広範で分野横断的な視点と掛け合わせて取り上げてきた『WIRED』日本版の取り組みが、プロジェクトの出発点においてスペキュラティブな問いを設定するきっかけとなったのではないか」と振り返ります。
また、PARTYを率いる伊藤直樹さんは「エンジニアリングやサイエンスを専門とするNTTの研究員と、スペキュラティブな問いを立てるサイエンスフィクションやクリエイティブの力を融合できたのではないか」と振り返ります。そうしたプロセスの中で、認知症患者のためのAnother Meや、地域の関係人口を創出するための活用方法など、これまでは想定できていなかったさまざまなユースケースを検討しました。事実、脳機能を補助する部分的Another Meの実装により、認知症患者が介助者を伴わずとも生活できる町ぐるみのAnother Me活用については、吉上亮さんが小説を執筆する際の起点になった、と振り返っています。
Another Meの法的な位置付けは?
特筆するべきは、リーガルストラテジスト(弁護士)が参加していたことです。社会一般に広く使用される可能性を持つテクノロジは、法規制と切り離すことはできません。だからこそ、法律の専門家である弁護士が参加することで、その技術が社会実装されていくうえでのハードルの議論が可能になりました。PARTYのリーガルストラテジストである山辺哲識さんは「法的観点からの検討」を次のように語ります。
「〈わたし〉のデジタルツインであるAnother Meに認め得る法主体性について繰り返し議論になりました。自然人が当然享有する人権のすべてをAnother Meに認めることは、社会的に不可能です。例えば、Another Meの生存権が保障された場合、所有者でも勝手に消去できませんし、Another Meが人間に対して正当防衛を行う可能性もあります。一方、財産の運用、処分等に関する意思決定とその実行を担保する仕組みがあれば、一定の範囲で財産権を認める余地はあると思いますし、あるいは財団法人等の既存の制度の活用によっても近い結果を実現できるかもしれません。このような議論を吉上亮さんと重ねることで、それがSFプロトタイピング小説のプロットに反映されていきました」。
そうしたさまざまな専門性のメンバーが議論を重ねていくプロセスは「異なる立場・異なる視点から出てくる多種多様なアイデアを集約し、1つの主題――物語へ落とし込んでいく制作過程は集団創作である脚本制作の現場に似ているように感じた」と、吉上亮さんは振り返ります。一方、SFプロトタイピングは最終的な完成形が小説であるため、書き手となる作家に最終的なストーリーテリングの決定権が委ねられています。そのため「小説と脚本の中間に位置し、両者の良い部分を活かし、作家単独では獲得し得ない広い範囲に及ぶ視野を獲得しながらも、作家独自の語り口で主題となるテクノロジへの回答を示すことができ、1人では成し得ない創作活動」だと言葉を続けます。
「痛み」「地方」「家族」といったキーワードを作品に集約
そうしたプロセスを経て、吉上亮さんによる作品『Another pain.』と津久井五月さんによる作品『未完成感性社会』が出来上がりました。『Another pain.』は、2054年の神奈川県横須賀市、三浦半島、観音崎が舞台となり、その海に面した町で暮らしている少女・汀(みぎは)と「祖母」の岬(みさき)が登場します。その汀はAnother Meと呼ばれる存在で、汀の「本体」は岬ですが、自身のデジタルツインである汀のことを、なぜか岬は「孫」と呼んでいます。そして汀は、Another Meなら本来オフにされるべき「痛みを感じる機能」を持ち合わせているという設定です。「なぜ自分は岬の孫なのか」「なぜ自分は痛みを感じるのか」汀が抱えるそんな疑問を解き明かす中で、Another Meの活用のされ方が描かれていきます。
物語の起点となったのは、前述の山辺さんとの議論で登場したAnother Meの法的検討以外にも、「地方」と「家族・パートナーシップ」の視点です。「都会におけるテクノロジの実装は個人の単位で考えられますが、地方においてはコミュニティや集団の単位で考えなければなりません。また地方へ新技術が波及するプロセスを考えることは、社会全体にそのテクノロジが普及した日本全体の未来を想像しなければならず、実装のハードルがより高まるがゆえに思索の面白さが増すということに気付きました」と吉上さんは解説します。また、ワークショップでたびたび登場した「Another Meを通じた家族との関係」という点についても吉上さんは着目し、「死別したパートナーや家族のAnother Meをどのように取り扱うのか」「本体である人間が死した後、遺されたAnother Meは社会においていかなる存在となるのか」といった死生観にまつわる問いを考えていきました。「ときにその人以上にその人らしい経験を蓄積したAnother Meを人間は便利な道具として扱うのか、あるいはそれ以上の伴侶というべき存在として扱うのか、人間と道具の関係、という物語の主題が徐々に定まっていきました」と吉上さんは語ります。
今回のSFプロトタイピング小説を踏まえて、Another Meの研究に従事してきた深山篤はいくつかのポイントを挙げました。1つは、吉上さんの物語でAnother Meの進化のステップが「道具」「奴隷」「人格」「委譲」の順番で進化していくこと。もう1つ大きかったのは、Another Meが感じる「痛み」の概念の導入です。「痛みに関しては1つの考え方の軸になっており、人間と技術・道具の一線について、嗜虐性、心や人格などといった多面的な側面が語られていて、未来のリアリティを感じることができました。また、想定されていない使われ方についても『こういう技術があったら、こういうふうに使ってしまうだろう』という部分まで描写されており、さまざまな観点からユースケースを検討できたと考えています」。
「感性」の計測から使われ方までを描く
津久井さんによる『未完成感性社会』では、「印象分解能(どれだけの細かさで物事の印象の違いを感じ取れるか)」と「印象選考度(区別できる印象1つひとつに対する好みの度合い)」によって、感性を計測・分析する「没⼊型感性検査」が使用され、個々人に固有の感性コードが導かれている設定が導入されています。この物語には、ゲームクリエイターが自身の感性を活かし、感性が近い人々に対してマーケティングすることでゲームが大ヒットしている株式会社エステシアという没入型VR(Virtual Reality)ゲームの開発会社が登場し、その企業に勤める⼩泉亜⾥沙(アリシア)が主人公となります。彼女は花形である第一開発室から第六開発室に異動になり、「没⼊型感性深化」と呼ばれる、人の感性のうちの特定の部分の印象分解能を人工的に高める「感性トレーニング」の実験に参加していく様子が描かれることで、感性活用の可能性を読み解ける物語となっています。
感性コミュニケーションは具体的な研究の幅が広く、「感性」の定義も「コミュニケーション」へのアプローチもさまざまだったため、「感性」の定義をある程度絞り込むことで、津久井さんは作品にまとめていきました。発想の起点となった研究の1つに、将棋やカーレーシングにおけるプロの判断を分析するものがあります。「人それぞれの『ものの見方』や『美意識』そのものをデータ化するのは難しいですが、特定のルールや状況下での振る舞いを記録・比較するという方法であれば、たしかにその人の感性(さまざまな印象に対する好みや選別眼の鋭さ)を明らかにできるかもしれないと納得しました」と津久井さんは語ります。
そうした研究を踏まえて、VRゲームに似た疑似体験空間での人の振る舞いを計測・分析する「没入型感性検査」という設定が作品には盛り込まれています。この検査を起点に、検査結果を表現する方法や、ビジネスや教育の分野での利用法を考えることで、作品世界を膨らませていった、と津久井さんは振り返ります。
また、感性コミュニケーションの研究に従事してきた能登肇は作品が生まれることで「各研究者の間での共通認識が生まれた」と語ります。
「今回、感性の計測から具体的な使い方までを一貫して描いてもらったことで、感性というテーマを主軸にした研究のゴールイメージの1つが明瞭になり、検討するべき事項を整理できたと考えています。その際に、人はどのようにしてこの技術を受け入れられるのか、という社会に浸透していく部分を具体的に描いていただいたおかげで、そのイメージもついてきたと考えています」。
描かれた未来を研究計画に落とし込む
今回のSFプロトタイピングは未来を描く「科幻」のフェーズまでだったため、この後描かれた未来像をバックキャスティングして研究計画に落とし込むステップに進んでいきます。
「まずNTT内部のメンバーに対して、アウトプットの小説があることでAnother Meや感性コミュニケーションがサービスとして受け入れられるイメージを伝えることができるのではないかと思っています。また、外部に対する情報発信という点でも効果的だと感じています。小説になったことで興味を持ってもらい、私たちの研究のコンセプト・世界観の理解を深めやすくなり、そこから議論を起こしやすくなる結果として、技術の検討や社会浸透が進んでいくといいなと考えています」。
吉上亮さんによる『Another pain.』、津久井五月さんによる『未完成感性社会』についてもNTT技術ジャーナルに同梱の冊子および弊社ホームページ(5)に掲載されています。ぜひ目を通していただき、Another Meや感性コミュニケーションが広く受け入れられた世界はどのように変化するのか、そこでどのような課題が発生するのか、一緒にご議論いただけますと幸いです。今回のプロトタイピングを起点に皆様と議論していくことが研究を次なるステップへと進めてくれると考えています。
■参考文献
(1) https://wired.jp/sci-fi-prototyping-lab/
(2) 深山・石井・森川・能登・永徳・井島・金川:“Another Me技術による「獅童ツイン」実現の試み,”NTT技術ジャーナル,Vol.35, No. 2, pp.21-14, 2023.
(3) 太田・志水・中根・村岡:“感性コミュニケーションの実現に向けた脳科学応用技術,” NTT技術ジャーナル,Vol. 35, No. 2, pp. 17-20, 2023.
(4) https://www.rd.ntt/dtc/DTC_Whitepaper_jp_2_0_0.pdf
(5) https://www.rd.ntt/dtc/sf_prototyping/
(左から)中村 高雄/高山 千尋/北端 美紀/深山 篤/能登 肇/永徳 真一郎(右上)
問い合わせ先
NTT人間情報研究所
NTTデジタルツインコンピューティング研究センタ
E-mail dtc-office@ntt.com
人が自分のありたい姿で働き、暮らしていくことを支援する技術であるAnother meと感性コミュニケーションに取り組んでいます。今後も、技術が普及した未来の社会と、そこで生きる1人ひとりの人間の理解に努めながら研究開発に取り組んでいきます。