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特集

量子技術イノベーションに向けた取り組み

量子技術イノベーションへの期待と展望

NTT研究所では、量子コンピュータ研究がさかんとなる前の、1980年代半ばから量子情報をはじめさまざまな量子関連技術の基礎研究に取り組んできています。本特集では、最新の量子技術をめぐる世界動向とNTTにおける量子技術研究のポートフォリオを紹介します。なお、量子コンピューティングのみならず、量子センシングや量子ネットワークについても、実験、理論の両面から幅広く解説します。

寒川 哲臣(そうがわ てつおみ)
NTT先端技術総合研究所

量子技術を取り巻く動向

第1次量子コンピュータブームは、1994年発表のショアのアルゴリズムが公開鍵暗号を基礎としたIT社会の安全性を脅かすおそれがあるという注意を喚起したのがきっかけでした。学術界を中心に、さまざまな物理系での量子ビット動作の実証や量子誤り訂正理論の構築など数多くの重要な進展がありました。2010年ごろになると、コンピュータとして造り込む際の技術的困難性が広く認識されるようになり、過剰な期待は収まりつつありました。
一方で、2011年にD-Wave社が従来とは全く異なる量子アニーリング技術による組合せ最適化問題の専用マシン(量子アニーラ)を突如発表したことは関係者に驚きを与えました。2014年ごろに超伝導量子ビットの性能が大きく向上したことを契機として、Google、IBM、Microsoft等のIT企業が量子コンピュータの研究開発に本格的に参入し、第2次量子コンピュータブームが一気に盛り上がり、その後、ベンチャー投資も増え続けるなど、ブームは今も継続しています。
量子コンピュータ、量子セキュリティ、量子センシングといった量子技術の研究開発は、安全保障の観点も加わって、熾烈な世界的競争の真っ只中にあります。2015年ごろから欧米ならびに中国が量子戦略を掲げて公的支援を大幅に拡充し始めましたが、日本としては、数年遅れたものの、2020年に「量子技術イノベーション戦略」を策定し(1)、2022年に産業の成長機会の創出や社会課題解決に向け「量子未来社会ビジョン」を策定しました(2)。その動きに呼応するように、2021年に産業界を中心にグローバルでの「量子技術イノベーション立国」をめざすべく「量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)」が設立され(3)、量子技術の社会実装の取り組みを加速させています。

量子の基本性質と応用領域

図1は、左側の私たちが暮らしている世界がニュートン力学に代表される古典力学で記述され、実際に目で見て触って実感できることに対し、右側の原子や電子の振る舞いに代表される量子の世界は、量子力学の下、存在確率の波を表現する数式で定義されるため、私たちの常識や経験とはかけ離れていることを説明しています。量子は原子や電子といった極めて小さなもののほかに、光や比較的サイズが大きい超伝導量子回路などさまざまな種類が存在しますが、たとえ種類が違っていても、図2に記載しているように、「二重性」「量子重ね合わせ」「量子もつれ」という共通した特徴を有しています。二重性とは粒子と波動の性質を同時に持つことです。量子重ね合わせは、図で上向き矢印(0に相当)と下向き矢印(1に相当)を並べて描いているように、1つの状態なのに0と1の2つの値を保有できます。量子もつれとは、2つの量子の個々の状態は未確定ながら2つの量子間の関係性だけは定まっている状態のことであり、これらの量子どうしが地球と宇宙の果てまで離れていても、片方を測定すると瞬時に影響を及ぼし合うという現象です。この量子もつれの不可解な振る舞いに関して、まだ理論が不十分であるためだとアインシュタインが1935年にクレーム論文を発表し、その後80年間多くの理論家・実験家による論争の末、2015年に「量子もつれは正しい」と最終的な結論が出されました。なお、この論争における重要な業績に対して2022年のノーベル物理学賞が与えられています。これらの量子の不思議な特性を活用することが大容量、高精度、高信頼、省電力を実現する技術につながるという期待から、多様な分野でのイノベーションの可能性に注目が集まっています。
図3は量子の活用領域を示しており、①量子をビットとして高速計算に使う量子コンピューティング、②量子は複製できないという性質を使って安全を保証する量子通信・セキュリティ、③量子が外部環境に敏感である特性を利用して高感度な検知を行う量子センシング、④量子的振る舞いが発現する環境を創り出す量子マテリアルや量子特有の機能を活用する量子デバイス、と大きく4つあります。

各量子技術の最近の進展状況

■量子コンピュータ

量子コンピュータは、多様なアルゴリズムが実行可能かつ汎用コンピュータとなり得る「ゲート型」と、組合せ最適化問題を解く専用ソルバーである「イジング型」の2種類に大別されます。ゲート型は、超伝導、イオントラップ方式ともに複数社から商用機が発表されていますが、まだ小規模の問題しか解けないという状況です。その他、中性原子、光量子、半導体量子ドットなどさまざまな方式もさかんに研究開発されています。一方、イジング型は、ある程度の規模の実問題を解けるレベルまで実用化が進んでいます。また、NTTで開発中のコヒーレントイジングマシン:LASOLV®は10万ノードの特定の組み合わせ最適化問題をデジタルマシンよりも約千倍高速に解けることを報告しています(4)。さらに、デジタル技術によるアニーリング専用機も複数社から商用化され、日本の存在感が強い領域となっています。
NTTの独自指標でまとめた量子コンピュータ開発の俯瞰図を図4に示します。現状のゲート型はNISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum Computer:ノイズのためスケールしない量子コンピュータ)と呼ばれ、エラー訂正機能がないため用途が制限されます。量子エラー訂正を実装するには、多数(数10〜1万個)の量子ビットを組み合わせて1つの論理量子ビットとして用いるため、大規模な集積化や量子ビットチップ間を量子ネットワークで接続することが必要となります。さらに、冷凍機の巨大化、制御系の複雑化など技術的に困難な課題が多数存在します。このような理由から、まだ本命の量子ビットが何になるかは不透明な状況です。超伝導型は素子サイズが大きいため、1000量子ビット以上の集積化には不向きであり、さらなる高集積化に向けては半導体加工技術を使ったシリコン量子ビットが期待されます。また、時間軸上に大量の量子ビットを配置できる光量子方式も検討が進んでいます。トポロジーという物質固有の安定な性質に保護されてエラー訂正が不要となるトポロジカル量子コンピュータも注目されています。これらのハード開発に加えて、量子コンピュータの高速性を活かすための量子アルゴリズムの研究開発も活発に取り組まれています。

■量子通信・量子セキュリティ

日本では、総務省が中心になってTOKYO-QKDと呼ばれる量子暗号テストベッドを2010年に世界に先駆けて立ち上げたことから、量子暗号通信に関して日本は世界的に高い技術力を保有しており、ゲノム情報・電子カルテ、金融取引等の実証実験が進められています。一方、中国は上海から北京までの2000kmの長距離量子暗号網を整備し、人工衛星を使ったさらなる長延化を行っています。量子暗号は光の最小単位である単一光子という極めて強度が弱い光を使う必要があることから、光ファイバの伝送損失のため量子暗号の伝送距離に制限があり、実利用には100km程度が限度と考えられます。
また、米国を中心に、量子コンピュータでも解けない暗号PQC(Post-Quantum Cryptography:耐量子計算機暗号)の開発も進んでおり、量子暗号とPQCのような現代暗号を組み合わせたハイブリッド方式も開発されています。将来技術である量子インターネットに向けては、量子中継技術が必須であり、受信した量子状態を保持するための量子メモリが活発に研究されています。一方、量子メモリを使わない全光型量子中継方式の実証も進められています。

■量子センシング・デバイス・マテリアル

量子センシングにはさまざまな種類があり、例えば室温でも量子効果が存在するダイヤモンドNV(Nitrogen-Vacancy)センタを使って磁場や温度などを従来型センサに比べて高感度に検出することが期待されています。量子センシングを医療・創薬に応用する取り組みもさかんであり、同位体制御した元素を含む物質と核スピン超偏極技術を組み合わせて薬剤の効能をMRIによってリアルタイムで観察する技術などが急速に立ち上がりつつあります。その他、光ジャイロよりも理論的に10桁性能が良くなる原子波干渉計による量子慣性センサや、超高精度の時計(光格子時計)の開発が進行しています。
量子デバイスとしては、単一光子・もつれ光源や高感度の光検出器、単電子デバイス、スピンゼーベック素子などが、量子マテリアルとしては、ダイヤモンドNVセンタ、量子ドット、トポロジカル材料や原子層物質などが注目されています。

量子技術の今後の展望

これまで述べたように、現在のデジタルコンピュータを計算能力で凌駕し得る量子コンピュータの実現はまだまだ先でありますが、量子暗号、量子センシングはコスト面をクリアできれば早期の社会実装が期待されています。将来、量子コンピュータ間や量子センサと量子コンピュータを量子的に接続するという要請が想定されますが、それには量子インターネットと呼ばれる量子状態を伝送できるネットワークが必要です。しかし現状のインターネットの仕組みでは量子状態を扱えないため、IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)オールフォトニクス・ネットワークなどの画期的なインフラの重要性がますます高まると考えられます。また量子コンピューティングは原理的にエネルギーを使わない演算であることから、IT社会のエネルギー消費の観点からも重要です。
本特集では、NTTの量子技術の代表例として、光量子コンピュータ、超伝導量子ビットによる量子情報技術、光格子時計ネットワーク、量子コンピュータの高速なアルゴリズム、量子鍵配送の高性能化、全光量子インターネットに関して詳細に解説します。

■参考文献
(1) https://www8.cao.go.jp/cstp/tougosenryaku/ryoushisenryaku.pdf
(2) https://www8.cao.go.jp/cstp/ryoshigijutsu/ryoshimirai_220422.pdf
(3) https://qstar.jp/
(4) https://group.ntt/jp/newsrelease/2021/09/30/210930a.html

寒川 哲臣

IOWNに代表されるように、今後、情報処理・通信技術の飛躍的発展が進む中、量子技術は、それをさらに加速する推進力となり、社会課題の解決も含めさまざまなイノベーションにつながることが期待されています。

問い合わせ先

NTT先端技術総合研究所
企画部
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FAX 046-240-2222
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