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特集

量子技術イノベーションに向けた取り組み

重力ポテンシャルセンシング網に向けた光格子時計ネットワーク技術

光格子時計は、セシウム原子時計を桁違いに上回る驚異的な周波数精度を実現しており、地表のわずか1cm程度の高度差に相当する重力ポテンシャルの量子センシングを可能とします。複数の光格子時計を光ファイバで相互接続する光格子時計ネットワークは、精度1cmレベルの水準点や地殻変動の日常監視など、新たなインフラストラクチャへの展開が期待されています。本稿では、光格子時計ネットワークの要素技術を紹介し、首都圏エリアにおいて構築した超高精度光周波数基準伝送ファイバリンクと、その伝送精度評価実験について紹介します。

小栗 克弥(おぐり かつや)†1/赤塚 友哉(あかつか ともや)†1
今井 弘光(いまい ひろみつ)†1/橋本 俊和(はしもと としかず)†2
寒川 哲臣(そうがわ てつおみ)†3
NTT物性科学基礎研究所†1
NTT先端集積デバイス研究所†2
NTT先端技術総合研究所†3

光格子時計とは

光格子時計は、「光のかご(光格子)に捕まえた原子」における「光波長領域の電子遷移」を時計の刻み(周波数)の基準として参照した世界最高精度の原子時計*1のことを指し、2001年に東京大学の香取秀俊教授によって提案されました(1)。その時間精度は、現時点で“300億年に1秒ずれる”レベルにまで到達しており、一般的なクォーツ時計が“1日で1秒ずれる”精度であることを考えると、光格子時計の途方もない正確さが実感できます。一般的に、時計の精度は、(周波数の不確かさΔf)/(時計の周波数f)で評価され、現在実現されている光格子時計の精度は1×10-18となります。現在の私たちの時間は、セシウム原子時計を基準として定められており、世界の“1秒”は、“セシウム原子が9,192,631,770回振動”するのに要した時間と定義されています。現在のセシウム原子時計の典型的な精度は、1×10-15~1×10-16、すなわち“3000万年に1秒ずれる”レベルです。光格子時計は、すでにその精度を2~3桁も上回っていることから、次世代の「秒」の定義の有力候補として世界中で研究されています。光格子時計の仕組みを図1に示します。光格子時計の心臓部は、“魔法波長”と呼ばれる特別な波長でつくられた“光格子”にトラップされた、極低温(~1µK)まで冷却された原子です。量子力学によれば、原子を構成する電子は、“共鳴周波数”と呼ばれる特定の周波数でのみ電磁波を吸収(電子遷移)することが知られています。この共鳴周波数にぴったり合うように、レーザ発振器の周波数をコピー(安定化)して、読み取ることができるようにした装置が光格子時計です。例えば、原子としてもっともよく使われるストロンチウム(Sr)を例にとると、共鳴周波数は、429 228 004 229 872.99Hzであり、波長にするとおよそ698nmに相当します。この共鳴周波数は、原子を取り巻くさまざまな環境(温度、密度、電場、磁場など)との相互作用が全くないと仮定した場合、極めて正確であり、周波数の基準となります。しかし、実際は容易に影響を受け、環境の揺らぎによって、本来全く環境の影響を受けない場合に期待される周波数の値から共鳴周波数は揺らいでしまいます。“光格子”*2は、光の干渉によって多数のかごをつくり、その1つひとつのかごに極低温に冷却した原子を1つずつ捕まえることで、環境の影響を可能な限り抑えるようにするためのものです。環境の揺らぎを抑えた多数の原子を同時に計測することにより、原子の持つ本来の共鳴周波数を短い時間で精度高く読み取ることを可能とした点が光格子時計のもっとも優れた特徴です。

*1 原子時計:原子の共鳴吸収周波数(決まった周波数の電磁波を吸収・放射する性質もしくはその周波数)を周波数基準として用いた標準周波数発生器のことを指します。周波数は時間の逆数であることより、時間基準と同等であるという意味で時計と表現します。SI単位系における秒の定義も、この原理に基づく原子時計を用いています。
*2 光格子:対向するレーザの光によって定常波をつくり出し、その定常波を格子状に配列させ、格子状の周期的ポテンシャルを実現したものです。

光格子時計のネットワーク化による相対論的測地網への期待

アインシュタインの一般相対性理論によれば、異なる高さに置かれた2台の時計の進み方を比較すると、高いほうの時計は地球の重力ポテンシャルの値が大きく、速く時を刻む(周波数が高くなる)ことが知られています。この原理を用いて、全国的に複数の遠隔地に設置した光格子時計を光ファイバで接続し、その周波数差を遠隔比較する「相対論的な効果を使った標高差測定(相対論的測地)」ネットワークが、新しい超高精度時計の応用として注目されています(図2)。実は、この時計に対する相対論的効果は、従来の原子時計でもよく知られており、例えば、高度2万kmといった軌道上にある人工衛星に搭載された原子時計は、地球の重力ポテンシャルが地表と比べて大きいため、その周波数は、10-10程度地表より高くなります。従来型原子時計よりも精度が格段に向上した光格子時計では、地表におけるわずかな重力ポテンシャルの違い(高さの違い)に由来する相対論的効果を検出することを可能にしました。宇宙空間といった巨大な空間スケールでのみ顔を出した相対論的効果を、光格子時計を媒介にして、日常の効果として認識できるようになった点が、これまでと決定的に異なるといえます。現時点で世界最高精度を実現している周波数精度1×10-18の光格子時計では、約1cm精度の標高差に相当する重力ポテンシャルが検出可能な精度を備えています(2)。光格子時計ネットワークにより、各地の標高を1cm精度で常時モニタすれば、重力ポテンシャル計測に基づく水準点(標高の基準)や、地殻変動の長期監視など、光ファイバネットワークの新たなインフラストラクチャへの展開が期待できます。現在のGNSS(Global Navigation Satellite System)による測地精度では困難な1cm精度の標高差測定を検出可能になるだけでなく、重力ポテンシャルに大きく影響を与える巨大な質量の地下の物質の動き、例えば、火山におけるマグマなどの長期監視にも応用できるかもしれません。また、光格子時計ネットワークは、このような量子センシングとしての応用だけでなく、現在のGNSSが提供しているような正確な周波数基準配信の役割も果たすことはいうまでもありません。しかも、光格子時計ネットワークの提供する周波数は“光領域”にあることを思い返せば、極めて正確な“光波長基準”にも姿を変えます。タイミングと波長が超高精度に同期可能なインフラストラクチャをバックボーンにすれば、既存の波長多重通信に資するだけでなく、新しい光通信アーキテクチャへの展開を促すプラットフォームになることが期待できます。

超高精度光周波数伝送・中継装置(リピータ)

光格子時計ネットワークでは、複数の光格子時計を光ファイバ接続し、その周波数差を計測する必要がありますが、光ファイバはこのような超高精度光周波数基準を伝送する媒体としては脆弱です。敷設されている光ファイバには、日々の温度変化によるファイバの伸縮や、敷設環境に由来する振動などさまざまな雑音があり、伝送される光周波数の精度劣化を引き起こします。また、光通信で通常用いられるファイバアンプ等の増幅装置も周波数精度を劣化させる原因となるため、使用は困難です。このファイバ伝送に由来する雑音を補償し、精度を維持すると同時に、ファイバ伝送に伴う伝搬損失をリカバリさせ、遠隔地へ伝送・中継する装置が超高精度光周波数伝送・中継装置(リピータ)です(図3)。リピータは、ファイバ雑音補償機能と再生中継機能を1つの装置にまとめたものであり、ファイバ雑音補償された光周波数を次の区間へ中継し、またファイバ雑音補償するという繰り返し(カスケード)接続により、精度劣化を可能な限り抑えて遠隔地へ伝送することが可能です。また、超高精度光周波数の伝送波長は、ストロンチウム光格子時計の時計周波数に相当する698nmのちょうど2倍の波長である1397nm波長帯を用いました。波長が2倍という関係により、波長変換デバイスを1つ用いるという簡素な構成で、光格子時計の光周波数基準をファイバ伝送可能な波長帯に変換することが可能です(3)
リピータにおける2つの主要機能を実現するために、もっとも重要な部品が光干渉計です。ファイバ雑音補償では、送信元の光と、ファイバ伝送後受信先から同じファイバを逆向きに打ち返されてきた光を干渉させ、伝送したファイバに由来する周波数雑音の情報を検出し、その雑音と逆位相の雑音を送信元の光に加えることによって、雑音を補償します。また、再生中継では、コピーしたい超高精度光周波数と、送信用レーザを干渉させ、両者の周波数差の情報を検出し、送信用レーザの周波数をフィードバック制御することで、周波数精度を送信用レーザにコピーします。従来のリピータで用いられてきた光干渉計は、空間光学系やファイバカプラで構成されていましたが、光干渉計自体が発する雑音を除去できないという問題がありました。そこで、NTT先端集積デバイス研究所が開発した石英系平面光波回路(PLC)*3による差動検波型マッハツェンダー干渉計を用いることで、リピータが小型化されるとともに、安定性や検出感度の向上が実現されました。光路長が精密に設計された干渉回路を光チップ内につくり込むことで、温度等の環境変動にも強く、光干渉計自体に由来する雑音を極限まで低減することに成功しています。また、光干渉計の光の差動出力を利用することにより光干渉信号の差動検波を可能とし、検出感度の向上を図っています。

*3 石英系平面光波回路:NTTが実用化してきた光導波路技術で、光導波路をLSIと同様のプロセスで製造でき、さまざまな干渉計を集積することができます。PLCは製造の自動化が可能であるため量産性に優れ量産時のコスト低減効果が大きいという特徴と、光ファイバと同じガラス素材で導波路を形成できるため低損失で信頼性が高いという特徴があります。

首都圏エリアにおける超高精度光周波数伝送ファイバリンクの構築と伝送精度評価

この光格子時計ネットワークの実現に向けて、NTT物性科学基礎研究所では、2015年より東京大学(東大)・理化学研究所(理研)の香取研究室とNTT東日本と連携し、フィールド実証実験を行ってきました。現在、世界最高精度レベルの光格子時計では、10000秒以上の測定(データ積算)時間で、周波数精度1×10-18に到達します。したがって、その光格子時計の精度を劣化させずに伝送させるために、光ファイバによる光伝送が10000秒よりも短い測定時間で周波数精度18桁に到達することが必要不可欠です。さらに、このような光格子時計の光伝送ファイバネットワークを全国規模に敷設することを想定すれば、そのファイバ距離の拡張性も重要な要素です。今回私たちは、開発したリピータを用いて県レベルの域内における光格子時計ネットワークを想定し、理研和光本所を基点に、東大本郷キャンパスを経由して、NTT厚木研究開発センタまで、複数の中継局(電話局)を接続した実証実験用の超高精度光周波数伝送ファイバリンクを構築しました(図4)。中継局には、19インチラックサイズ1基に収まるようにコンパクト化した遠隔制御可能なリピータシステムを設置しました。伝送精度の評価は、超狭線幅レーザを東大のリピータを経由して厚木まで伝送させ、さらにもう同じ経路の別の光ファイバを伝送させて東大まで戻すファイバ長240kmのループ網を用いて行いました。東大において、厚木へ送信した光周波数と、ループ網により戻ってきた光周波数の干渉をとり、その周波数安定度*4を計測しました。送信した光と、ファイバ網を経由して戻ってきた光の周波数差を計測することで、伝送したファイバに由来する雑音(どのくらい周波数精度の劣化を引き起こしているか)が評価できます。その結果、1秒間の計測時間で3×10-16、2600秒で1×10-18の周波数安定度および精度での伝送を実証しました(4)。この周波数伝送安定度は、世界最高精度レベルの光格子時計の精度劣化を引き起こさないレベルであり、1cm精度の相対論的測地応用につながる成果です。これまでに、東大・理研では、相対論的測地のもっとも基本的な実験として、本郷(東大)-和光(理研)間において、30kmの無中継ファイバ伝送による2台の光格子時計の周波数比較を実現し、数cm精度の遠隔地間標高差測定の原理実証が行われています(5)。ファイバ伝搬損失により無中継で伝送できるのは100kmまでが限度であり、今回実証したリピータを介したカスケード中継方式により、超高精度を保ったまま数100kmの県レベルや数1000kmの全国レベルにまで拡張可能性があることを実証しました。

*4 周波数安定度:周波数がどれだけ正確かを表す精度の指標の1つです。ある出力周波数が一定時間内でどの程度一定であるかを示します。

まとめと今後の展望

本稿では、世界最高性能の光格子時計の有する光周波数を、その精度を損なうことなく、200kmを超える光ファイバ伝送が可能な超高精度光周波数基準伝送技術について紹介しました。今後、今回構築したファイバリンクを用いて、和光および厚木に設置する光格子時計の周波数比較実験を実施する予定です。これにより、200km級の遠隔地間で、数cm精度の標高差を検知する相対論的測地の実証に挑戦します。さらに、光格子時計の全国規模のファイバネットワーク化を想定し、より多中継で安定な運用が可能なリピータの開発を進め、この超高精度光周波数基準のファイバ伝送技術を1000km級まで拡張する予定です。
本研究は、東京大学 香取秀俊教授並びに牛島一朗講師、理化学研究所 高本将男専任研究員並びに大前宣昭准教授(現福岡大) と共同で行われました。また、研究遂行にあたり、NTT先端集積デバイス研究所 郷隆司博士(現NTTエレクトロニクス)、NTT物性科学基礎研究所 石澤淳教授(現日本大学)並びに後藤秀樹教授(現広島大学)と協力して実施するとともに、フィールド実証実験は、NTT東日本と協力して実施しました。
本研究の一部は、日本学術振興会(JSPS)科研費特別推進研究(JP16H06284)および科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業「クラウド光格子時計による時空間情報基盤の構築」(JPMJMI18A1)の支援を受けました。

■参考文献
(1) H. Katori:“Optical lattice clocks and quantum metrology,”Nature Photonics, Vol. 5, pp. 203-210, 2011.
(2) W. F. McGrew, X. Zhang, R. J. Fasano, S. A. Schäffer, K. Beloy, D. Nicolodi, R. C. Brown, N. Hinkley, G. Milani, M. Schioppo, T. H. Yoon, and A. D. Ludlow:“Atomic clock performance enabling geodesy below the centimetre level,”Nature, Vol. 564, pp. 87–90, 2018.
(3) T. Akatsuka, H. Ono, K. Hayashida, K. Araki, M. Takamoto, T. Takano, and H. Katori:“30-km-long optical fiber link at 1397 nm for frequency comparison between distant strontium optical lattice clocks,” Jpn. J. Appl. Phys., Vol. 53, 032801-1-5, 2014.
(4) T. Akatsuka, T, Goh, H. Imai, K. Oguri, A. Ishizawa, I. Ushijima, N. Ohmae, M. Takamoto, H. Katori, T. Hahimoto, H. Gotoh, and T. Sogawa:“Optical frequency distribu­tion using laser repeater stations with planar lightwave circuits,”Optics Express, Vol. 28, No. 7, pp. 9186-9197, 2020.
(5) T. Takano, M. Takamoto, I. Ushijima, N. Ohmae, T. Akatsuka, A. Yamaguchi, Y. Kuroishi, H. Munekane, B. Miyahara, and H. Katori:“Geopotential measurements with synchronously linked optical lattice clocks,” Nature Photonics, Vol. 10, pp. 662-666, 2016.

(上段左から)小栗 克弥/赤塚 友哉/今井 弘光
(下段左から)橋本 俊和/寒川 哲臣

光格子時計ネットワークの研究は、最先端の基礎研究と現在のファイバネットワークへの実装技術の間に横たわる“死の谷”を越え、ファイバネットワークに新たな価値を創造する営みです。さらに、究極のレーザ制御・光技術の研究に直結します。多彩な顔を持つ豊かな研究トピックのワクワク感を感じ取っていただければ嬉しいです。

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