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Japan Prize受賞記念

NTTの研究所で獲得したスピリットを胸に、人類の発展に寄与するため「世界」に挑み続ける

NTTの研究所に在籍されていた中沢正隆博士、萩本和男氏が、2023年Japan Prize(日本国際賞)を受賞されました。光信号を光のまま増幅する小型な光増幅器の実現と、それを利用した大容量の光通信システムへの貢献が評価されたものです。お二人は現在のグローバルなインターネット社会を支える基幹技術である「長距離・大容量光データ通信」への道を拓き、NTTが提唱するIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想にも通ずる重要な業績を残されました。受賞を記念して、東北大学 特別栄誉教授 中沢正隆博士と国立研究開発法人情報通信研究機構 主席研究員 萩本和男氏にお話を伺います。

東北大学 特別栄誉教授 中沢正隆博士
国立研究開発法人情報通信研究機構 主席研究員/NTTエレクトロニクス フェロー 萩本和男氏

中沢正隆博士

略歴:1980年日本電信電話公社入社。電気通信研究所、1984年マサチューセッツ工科大学客員研究員、1999年NTT R&Dフェロー、2001年東北大学電気通信研究所教授、2008年東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー(DP:卓越教授)、2010年東北大学電気通信研究所長、2010年東北大学国際高等研究教育機構長、同先端融合シナジー研究所長、2011年国立大学付置研究所・センター長会議会長、2011年東北大学電気通信研究機構長、2018年同特任教授、2018年国立大学法人金沢大学理事(非常勤)(現在に至る)、2022年東北大学災害科学国際研究所特任教授、DP。2023年東北大学特別栄誉教授(現在に至る)。
主な受賞歴:1989年桜井健二郎氏記念賞 (萩本氏と共同)、1994年電子情報通信学会業績賞(萩本氏と共同)、1997年科学技術庁長官賞(研究功績者賞)、2002年 IEEE Daniel E. Noble Award、 2005年OSA R. W. Wood Prize、 2008年総務省志田林三郎賞、2009年産学官連携功労者表彰内閣総理大臣賞(萩本氏と共同)、電子情報通信学会功績賞、2010年紫綬褒章、応用物理学会光・量子エレクトロニクス賞、IEEE Quantum Electronics Award、2013年日本学士院賞、 2014年OSA Charles H. Townes Award、2015年藤原賞、河北文化賞など。

萩本和男氏

略歴:1980年日本電信電話公社入社。横須賀通信研究所研究員、1994年NTT伝送システム研究所グループリーダー、1998年NTT長距離通信事業本部担当部長、2000年NTT未来ねっと研究所研究部長、2005年同所所長、2009年NTT先端技術総合研究所所長、2013年NTTエレクトロニクス 代表取締役社長、2019年同社フェロー(現在に至る)、2021年国立研究開発法人情報通信研究機構 主席研究員(現在に至る)。
主な受賞歴:1989年桜井健二郎氏記念賞 (中沢氏と共同)、1991年IEE Oliver Lodge Premium、1994年高柳健次郎記念奨励賞、1994年電子情報通信学会業績賞(中沢氏と共同)、2006年電子情報通信学会業績賞、2007年前島密賞、2008年IEEE Fellow、2009年科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞、2009年産学官連携功労者表彰内閣総理大臣賞(中沢氏と共同)、2013年電子情報通信学会功績賞、2016年紫綬褒章。

エレクトロニクス・情報・通信分野において9年ぶり。日本人研究者の受賞

―Japan Prizeの受賞、おめでとうございます。受賞を知ってお二人ともとても驚かれたと伺いました。

中沢:大変嬉しく存じます。実は、自分が受賞したとはにわかに信じられませんでした。というのは、私はさまざまな賞の選考委員を務めていることもあり、2022年秋から冬のはじめあたりにJapan Prizeの事務局から電話があったということを聞いたときに、てっきり「選考委員になってください」という話だと思いました。
ところが、その後、Japan Prizeの理事長からご連絡をいただき「中沢博士が受賞されたのです。(賞を)お受けいただけますか?」と。本当に驚きました。受けるも何も受賞したことを信じられずに「本当ですか?大変うれしく思います」とお答えしました。萩本さんも同じだったのではないですか。
萩本:はい。Japan Prizeは非常に高名な方々が受賞されています。そのメンバーに私が加わってもよいのか、という驚きのほうが勝りました。連絡いただいたのは確か11月に入ったころだったと思います。実は、私もちょっとした行き違いがありまして、受賞の喜びを実感するまでに遠回りをしたのです。事務局側から、私がBeyond 5G研究開発促進事業プログラムディレクターを務めている情報通信研究機構(NICT)宛にご連絡をいただき、在宅勤務だったので伝言をいただいても、よく分からず、「もしかしたら怪しい電話かもしれない」と警戒しながら、Japan Prizeに関するものだと分かるのに時間がかかりました。元東京大学総長の小宮山宏 国際科学技術財団理事長から改めてお電話いただけるとのことでしたので、中沢さんと同様に選考委員のお話かと思っておりました。しかし、「理事長からわざわざご連絡いただけるなんて、もしや…何かの受賞?」と一瞬よぎりましたが「ありえない話だ」と思っていました。
中沢:Japan Prizeを受賞するというのは、それくらい信じられない話なのですよ。Japan Prizeは分野検討委員会が翌々年の授賞対象となる2分野を決定し、毎年11月に発表します。同時に世界約15,000人以上の推薦人による推薦と、科学技術面での卓越性、社会への貢献度なども含めた総合的な審査が厳格に行われるのです。
また、過去に何度かノミネートしていただいたと耳にしたことがありますが、私たちは何かを受賞するために研究をしているわけではありませんから、ノミネートされたことも忘れていました。それ故、情報通信のかたちをグローバルに変えたことを評価されたことは何よりも嬉しいことです。

―お二人はどのようなご関係なのですか。そして、同じ分野の研究を手掛けることになったきっかけを教えていただけますでしょうか。

中沢:私たちは同じ年にNTT(当時電電公社)に、私は博士として、萩本さんは修士として入社しました。
萩本:採用面接等の際に初めて顔を合わせて、実は同じ大学出身だと分かりました。学年が違い、顔を合わせたこともなかったのですが、それ以来懇意にさせていただいています。
中沢:新入社員研修後に私は茨城電気通信研究所(当時)に配属になり、光通信において光ファイバが切れた部分を特定する技術の研究を、そして、萩本さんは横須賀電気通信研究所(当時)で光ファイバを使った伝送システムの研究に取り組みました。
萩本:象徴的なのは受賞のきっかけとなったエルビウム添加ファイバ増幅器(EDFA:Erbium-Doped Optical Fiber Amplifier)について1989年に中沢さんと連名でOFC(光ファイバ通信国際会議)に報告した論文ですね(図1)。中沢さんのファイバ仲間から、半導体励起エルビウム添加ファイバ(EDF)で利得が取れるという話を聞き、1988年の年末から年始にかけてEDFを使って光増幅実験の準備を始めました。かなりの突貫工事です。OFCの締め切りまで、2週間ぐらいしかありませんでしたし、世界で初めてのファイバ増幅器による伝送実験でした。

半導体レーザ励起光増幅器の開発を中心とする光ファイバ網の長距離大容量化への顕著な貢献

―それではJapan Prizeを受賞された功績を伺います。授賞理由を拝見しますと、「半導体レーザ励起光増幅器の開発と実用化を中心に、波長分割多重伝送技術(WDM :Wavelength Division Multiplexing)や多値伝送技術(QAM:Quadrature Amplitude Modulation)、デジタルコヒーレント伝送技術など、一貫して光ファイバ通信網の伝送距離の長距離化および大容量化に対して多大な貢献をし、海底光ファイバ通信による大陸間通信や年々爆発的に増加するデータ量への対応など、グローバルなインターネット社会を支える基幹技術である長距離大容量光データ通信の道を拓いた」とあります。背景も含めて教えていただけますでしょうか。

中沢:1980年代、単一モードファイバによる光通信が実用化されたのですが、長距離通信においては、光ファイバ伝搬で減衰して弱くなった信号を電気的に元に戻して、再送信する中継器を数10kmごとに設置する必要がありました。すなわち、光中継器では光信号を電気信号に変換・再生し、再度光信号に変換して元の信号強度で送信する方式が用いられていました。ところが、電気増幅器は扱える信号の帯域が狭く、信号が歪むこともあり、また光素子を含めた装置は大型になり消費電力も大きかったので、光信号をそのまま増幅する光増幅器の出現が期待されていました。これが実現すれば、小型で広帯域な信号の増幅が可能になります。
私と萩本さんは、その期待にこたえ、実用化が難しいといわれていた小型高効率広帯域の光増幅器EDFAを実現しました。この装置は筋が良かったのか、高速・大容量、低雑音、低遅延、小型・高信頼という優れた特徴を持っていました。
私は、EDFを励起するための光源として、波長1.48µmのInGaAsP半導体レーザを用いる方法を世界で初めて提案しました。散乱・吸収等による光の減衰が0.2dB/kmと小さく、光ファイバ通信での最低損失波長域である1.5µm帯において、波長幅50nm以上の広範囲にわたり12.5dBの利得を得ることに成功しました。これにより、1.5m四方程度の極めて大掛かりな励起光源を必要とする従来の光増幅器とは大きく違う、電池でも駆動できるわずか約10cm四方の小型広帯域光増幅器をつくったのです。実用的な光通信システム構築への展望が開けたと評価をいただきました。
萩本:中沢さんの発明を基に、私は当該光増幅器を高出力化して1.8Gbit/sの強度変調直接検波方式により212kmの長距離伝送を成功させ、その実用性を世界で初めて実証しました。私たちの成果は代表的な光中継器として、開発から5年ほどで太平洋・大西洋横断光海底ケーブルなど世界を結ぶ幹線系長距離伝送網で採用されるなど、光通信システムの実用化を飛躍的に進展させたと評価をいただきました(図2)。
EDFAは多波長光信号も一括増幅できるため、WDMによる大容量化技術の開発も相まって、1990年代半ば以降光通信の利用が一気に進んだのです。私はこの技術の国際標準化を主導したことも評価されました。これまでほかの光増幅方式も開発されていますが、現在でも世界の主流はEDFAです。
こうして、私たちの業績が、世界中のインターネット上で利用する情報リソースの多様化・大容量化を可能にし、高速大容量な光通信システムが低価格で提供可能となったことで、さらにインターネットの爆発的な普及を後押したと評価をいただきました。

-私たちが現在、当たり前に使っているSNSやクラウドサービスなどの情報通信基盤の飛躍的な拡大を可能にした業績であると、Japan Prizeの授賞理由に謳われています。お二人のご苦労が実を結び、豊かな現代社会を築く、その一翼を担われたのですね。

中沢:私たちの仕事は縁の下の力持ちというか、一般的には通信はつながって当たり前と思われていますが、つながっていることは実は素晴らしいことなのです。受賞を機に光信号の伝送距離をどこまで延ばせるか、ファイバの切断場所の特定をどうするか、と格闘していた当時を思い出しました。
萩本:そうですね。当時、中継器をマンホールへ設置して実験していたことを思い出します。伝送実験のために中継器を設置している地下に潜るのですが、マンホールって空気が薄かったり、雨水が溜まっていたりして危険なんですよ。今後、運用していくにしても、長距離伝送により中継器の数を減らしていくことで、こういう危険な作業はないほうがいいと思いました。

―壮大なドラマが数々ありそうですが、EDFAにまつわるエピソードを少しだけ聞かせていただけませんか。

中沢:光ファイバの破断点検出装置では光ファイバ中のレイリー散乱のレベルは非常に低いので、強い光パルスを入れる必要があるのですが、1980年当時はそれを実現できるハイパワーの半導体レーザはなかったのです。そこで、波長1.32µmのYAGレーザ*1をNECのグループと一緒に開発し、FRLという現場試験を通じて光時間領域反射率計(OTDR)として技術資料にまとめ上げました。固体レーザが通信用測定装置として実用化されたのは、これが初めてではなかったでしょうか。単一モード光ファイバ伝送システムの中継器間隔は約80kmでしたので、探索距離としては片端から40km見られればいいのですが、広いダイナミックレンジが必要だったので、さらにいい光源がないか探し始めたのです。
光ファイバ中では、最低損失波長の1.55μm がパルスをもっとも遠くまで飛ばせるので、障害点探索距離も1.55μmの高出力光源があれば最長の探索距離を実現できます。そこで、いろいろな固体レーザの発振波長を調べて、基底準位*2 4I15/2と上準位4I13/2との間に波長1.55μmの遷移線を持つエルビウムに行き着いたのです。入社2年後の1982年の春でした。早速、上司に「エルビウムレーザをつくりたい」と相談したところ、「それではやってみましょう」ということになりました。しかし、当時は米国でエルビウムの固体レーザを研究したことがあるという話がある程度で、誰も注目していませんでしたし、情報も論文も全くありませんでした。そこで、自分たちで一からつくることを決意し、Ndのリン酸系レーザロッドを手掛けていた保谷硝子に、「ぜひエルビウムレーザロッドを一緒につくってくれませんか」とお願いしたのです。保谷硝子の事業部長は「うちではやったことはないけれどやってみましょう」と快諾してくれました。あのとき、「これは難しいのでお断りします」ということになっていたら、その後のEDFAは実現していなかったかもしれません。
そして、EDFAの開発を通じて不思議だと思うことが2つありました。1つはエルビウムイオンがシリカガラスの中では光学活性であることです。普通はリン酸系やフッ化物系ガラスのような非発光(フォノン緩和)遷移が小さい材料で希土類はよく光りますが、エルビウムは例外的です。もう1つはシリカファイバでの波長1.55µmラマン増幅の励起波長は 1.48µmであり、エルビウムの擬似2準位的な励起波長も同じです。これは神のみぞ知るで、もし両者が異なっていたらEDFAの開発にはもっと時間がかかったか、開発されていなかったかもしれません。というのは、ラマン増幅とエルビウム増幅を同時に1つの研究室で研究していたのは世界中で私のグループしかなかったのです。
萩本:連絡をとっているといっても、茨城と横須賀に離れて研究活動をしていましたが、当時双方の研究指導をしていた島田禎晉さんから早く協力してシステム実験をするように指示され、1989年にファイバ増幅器による最初の伝送実験に取り組みました。当時の励起レーザ出力が十分でなかったのと、安定性を増すために工夫する中で、条件を満たすEDFAを1本選んで、このファイバを2分割して使用することを考え、分割比を単なる2分割ではなく黄金比で切って巻き直すことに決めたところ、長いほうがパワーアンプ、短いほうがプリアンプに適していることが分かってきて、ただのファイバに見える素線が80kmのファイバ区間のロスを補って余りある増幅パワーを提供してくれるとは魔法のように感じました。
当時、光直接変調直接検波(IMDD)方式は、性能の向上に行き詰まり、コヒーレント光伝送方式との最後の決戦と思ったのが光直接増幅でした。1989年に成功した光ファイバ増幅中継実験は、やればやるほど感動的にEDFAのパフォーマンスは素晴らしかったことを今でも鮮明に覚えています。
光ファイバ増幅器が多くの波長を一括で歪みなく増幅でき、300台つないでも帯域が確保できるということで、多くの人の取り組みで、あっという間に太平洋横断を光ファイバ増幅だけで中継する検討が進んできました。NTTの陸上方式とほぼ同じタイミングで、信頼性を重視していた海底システムに導入するということをKDD(国際電信電話、当時)とAT&Tが判断したのには驚きました。人を感動させる研究をしたいと思っていましたが、自分が感動しました。

*1 YAG レーザ:イットリウム・アルミニウム・ガーネット (Yttrium Aluminum Garnet)を用いた固体レーザ。
*2 基底準位:電子の総エネルギーがもっとも低く安定な「基底状態」の電子配置の状態。

紆余曲折あってもめざすところへだんだんと近づいていく

―EDFAの誕生は、現在のグローバルなインターネット社会を支える基幹技術である「長距離・大容量光データ通信」への道を拓き、NTTが提唱するIOWN構想にもつながる功績です。こうした素晴らしい功績を遺す研究はどうすれば成し遂げられるのでしょうか。

中沢:EDFAのようなインパクトのある研究成果は稀ですし、研究は一山越えたらまた次の山と終わりはないものです。私たちの成果でいえば、エルビウムという素材と巡り会えた幸運やこの領域においてさまざまな研究者が飽くなき追究を続けてきた成果の上に成り立っていると思います。
また、「これをやったらいい」と最初から分かっているなら、皆がそれを手掛けるでしょう。しかし、それが分かりませんから、研究者は引き出しに知識を蓄えておくだけではなく、他の研究者とのつながりという引き出しも持っていて、素材や個々の成果、研究者の知識等を複合的に組み合わせて大きな成果を生み出しているのです。
萩本:私たちが成し遂げた1989年の伝送実験の成果を、島田さんがとても喜んでくださったのですが、私がOFCでの発表の準備をしていたら「発表は別の人に行ってもらいなさい」と言われました。理由を聞いたら、「あなたは報道発表やその後の対応でもっと忙しくなるから」と。そこで、自分で出した成果の発表を同僚に頼むことになったのです。今思えば、私が体力の限界だったことをかんがみての対応だったのかもしれません。
島田さんがその成果を光産業技術振興協会の桜井健二郎記念賞に、その年(1989年)に応募してくれたことから中沢先生とともに同賞を受賞することなったことが思い出深いです。その後も、研究から導入支援までいろいろつまずきながらも、先輩やコミュニティに支えられ、何とか目的を果たすことができ、Japan Prizeにつながったのだと思います。
加えて、エンジニアリングの観点からみると、成果物を世界に浸透させていくためには標準化や仲間づくりも重要ですから、時には自分の成果へのこだわりを捨てることも大切になります。国の支援も受け、各組織・各社の保有する知的財産を集約するドリームチームを結成できたことも成果につながったと感謝しています。組織を越えて協力することは、難しい一面もあります。しかし、海外に対抗していくためにも、日本の研究者も、日本の競争力を上げるだけではなく、社会全体への貢献や人類の発展をかんがみてまとまっていけたら、大きな成果を上げられると思います。
中沢:そのような観点でいうと、萩本さんは伝送装置、光増幅器の重要性をいち早く見抜いてシステムへ導入しようと他社と連携して築き上げました。そして標準化を主導する等、つながる力を存分に発揮されました。これは言葉にすると簡単だけれど、並大抵のことではないのですよ。

-いうまでもなく社会、人類の発展に研究者は大きく寄与しています。研究者にはどんな資質が求められるでしょうか。

中沢:人は生来、日々の生活をより良くしようと思って暮らしていると思いますが、それを生業にし、誇りを持ち、使命感を感じるのが研究者ではないでしょうか。そして、研究者には好奇心と情熱と強い意志が非常に重要ですね。
誰にも期待されていないとしても道を切り拓いていく、期待されていないときほどちゃんと頑張れるかが大事なんです。苦しいときでも自分の研究を楽しむくらいでないとダメなのです。というのは、メインストリートをずっと走っていたとしてもその研究が花開くとは限らないからなのです。
そして、本でできる勉強は年をとってもできるので、若いときにしかできない勉強をしておくことが大切だと思います。私は田舎で育ち、魚を捕ったり、アケビを採ったりと研究とは遠い世界に生きていました。中学生のころはプラモデルをつくるのが好きでしたし、真空管のラジオをつくったりもしていました。こうしたさまざまな経験が研究者の引き出しを満たしているように思いますし、伸びていくように思います。
萩本:その言葉どおり、中沢さんは光ファイバ向けのレーザを追究され、技術の発展に貢献されたことは並々ならぬ尊敬の念があります。東北大学の研究室にお邪魔したときも、当時のように実験をされていまして、中沢さんの熱意は本当にゆるぎない。70歳になったはずなのに20~30代のころと変わらない。すごいな。探求心というのは本当に変わらないのだと思いました。見習いたくても見習えないレベルです。
それを踏まえて、研究者というのは憧れや夢を持っていると言いましょうか、「こうなったらいい」と好奇心を持って臨む力があるのではないでしょうか。誰も登ったことのない高い山があったら登りたくなるような好奇心が大事ですね。そして、紆余曲折があってもその気持ちを持続できる人だと思います。自らの道程を振り返って感じますが、最初の気持ちを忘れなければ、紆余曲折があってもだんだんとめざすところへ近づいていきますし、少なくとも逆方向へ進むことはありません。

やったことのないことをするというのは成功への第一歩

-NTTの研究所で培ったプリンシパルなスピリットをお聞かせいただけますでしょうか。

中沢:私たちが入社した当時はまだ電電公社でした。研究所はある意味の聖域で、各大学から優秀な研究者が集まり、さまざまな研究開発をされていたと思います。こうした環境で私たちは、米国のベル研究所等のような欧米の最高峰の研究所にどう打ち勝っていくかを念頭にいつも研究をしていました。
こうした中で、先輩方は非常に心が豊かでゆとりがありました。EDFAは当時の私の専門とは違うものでしたが、それでもEDFAの研究をしたいと申し出たときも「面白そうだ。やってみたら?」と、保谷硝子にも同行してくれたり、予算を工面してくれたりとサポートしていただきました。視野を広く持ち、サポーティブな姿勢で後進を支えるというスピリットは今でも私の中に生きていますし、今も海外の研究者たちと競争を続けています。
萩本:NTT研究所の初代所長、吉田五郎氏の言葉「知の泉を汲んで研究し実用化により世に恵を具体的に提供しよう」です。NTTは基礎研究から応用研究までさまざまな研究がなされており、世界的にみても非常に珍しいカバレッジの広い研究活動を展開し、他社と連携して実用化を図り、社会に貢献しています。CoE(Center of Excellence)という表現がありますが、河内正夫(元NTT先端技術総合研究所長)さんの言葉を借りれば、CoEの定義は、「二流の研究者が一流の成果を出せる組織」だそうです。
NTTがベースの技術をしっかりと再利用できるように確立しているのは重要な資産であり、価値の継承・発展を可能にする礎になります。その意味でも、先端技術は、デバイス・測定器・装置・サブシステムなどに形を変えて、実現手段を提供できることが、次世代につながる大事なステップになります。過去の技術がきっちりと蓄積されて、次の人がそれをベースに階段を登っていく、蓄積的な進歩こそが、これこそ位相整合がとれているという証左なのでしょう。
私自身も専門外ではアマチュアですが、一流の研究成果の上に新しいアイデアを重畳させることで成果を出せることもあります。私はこのスピリットで研究活動に臨んでいますし、光ファイバ通信領域でも同様に、後に続く研究者にCoEが受け継がれていくといいなと思います。

-最後に後進の研究者の皆さんにエールをお願いいたします。

萩本:後進の研究者の皆さん、好奇心を胸に、長いトレンドを持って自分自身の研究に臨みましょう。また、組織を越えた仲間づくりは研究活動において非常に大切ですから学会にもぜひ出席してください。世の中にインパクトを与える研究活動に期待しています。
中沢:基礎研究をしている後進の研究者の皆さんに伝えたいのは、後追いはダメ。フロンティアスピリットを持って夢のある新しい研究をしていただきたいです。任されている研究があると思いますが、それとは別にやりたい研究を1つ持っているといいですね。研究の幅が広がりますし、やったことのないことをするというのは成功への第一歩なのです。(インタビュー:外川智恵)