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触覚提示の端緒を開く、非電力・磁力による「マグネタクト技術」

ヒューマンコンピュータインタラクションの研究領域では、人がコンピュータを快適に利用するためのさまざまな研究が行われています。NTTではその取り組みの一環として、通信トラフィックの増大による大容量電力消費や地球温暖化といった課題に向けた非電気的デバイスの実現に向けた研究開発を行っています。今回は、電気を使うことなく磁力によって触覚提示を行う「マグネタクト技術」について、安謙太郎特別研究員にお話を聞きました。

安 謙太郎 特別研究員
NTTコミュニケーション科学基礎研究所

PROFILE

2013年慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科博士後期課程修了。2013年〜2016年シンガポール国立大学(NUS:National University of Singapore)にてResearch Fellow。2016年日本電信電話株式会社入社。2019年より特別研究員。ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI:Human Computer Interaction)領域における触覚情報提示技術の研究に従事。

磁力を用いて凹凸感を提示する「マグネタクト技術」

◆ご研究されている「マグネタクト技術」はどのようなものでしょうか。

私はNTT入社以降、マグネットシートを使った触覚情報提示技術を研究しています。マグネットシートとは一般的に売られているごく普通のシート状の磁石で、ビデオテープやカセットテープにも使われる磁性材料を樹脂と混ぜて平たくしたものであるため、強い磁場を近づけるとS極とN極の磁場パタンを書き込むことが可能です。この性質を利用して、磁場パタンを書き込んだマグネットシートどうしを重ねてすり合わせると、シート間に磁力の引力と斥⼒が発生し、平面どうしであるにもかかわらずシート間にボコボコとした凹凸感を発生させることができます。この技術をMagnet(磁石)とTactile(触覚)を組み合わせ「マグネタクト」と名付けました。
マグネタクト技術には従来技術と比較して「電力を必要としない」という大きな強みがあります。私はNTT入社以前にシンガポール国立大学(NUS:National University of Singapore)で3年間研究員として働いており、そこで当時の同僚で現在は東京電機大学准教授の勝本雄一朗氏と一緒に研究していた「Bump Ahead」の技術がマグネタクト技術にも応用されています。このBump Aheadは、S極とN極のフェライト磁石が交互に敷き詰められている板の上で、4つの磁石を内蔵させたデバイスをスライドさせることにより、磁力の引力と斥⼒による「ボコボコ」とした非常に強い力触覚を発生させることができます。またデバイスに内蔵された4つの磁石を45度回転させることによって、磁力の総和を変化させ触覚の有無を一瞬で切り替えることも可能です(図1)。このデバイスが開発される以前は、磁力を操作するために電磁石に電流を流す手法が一般的であり、強い磁場を生み出すための大量の電力やコイルの過熱などさまざまな課題がありました。そうした中で、電磁石を使用せずに磁石を回転させるだけで触覚のオンオフを即座に切り替えられるというBump Aheadの技術が、従来の課題を解決できたのは大きな研究目標の達成でした。

Kentaro Yasu, Yuichiro Katsumoto(2015)."BumpAhead: Easy-to-Design Haptic Surface using Magnet Array",SIGGRAPH Asia 2015 Emarging Teclnologies. DOI: http://doi.acm.org/10.1145/2818466.2818478

◆磁力によって凹凸感を発生させる「マグネタクト技術」はどのように生まれたのでしょうか。

Bump Aheadの技術には、敷き詰めたフェライト磁石の部分に大きな課題が残っていました。例えば直径20mm・厚さ5mmのフェライト磁石を40 x 40cmの広さに敷き詰める場合、合計で400個の磁石が必要になり、さらに重さは約3kgと気軽に持ち運ぶことが難しくなってしまいます。また400個の磁石を敷き詰めている間にも磁石は引き寄せ合うため、一瞬の気の緩みで連鎖的にすべての磁石がくっついてしまうという悲劇も技術実装の際に何度か体験しました。
このままでは実際に世の中で使われることは難しいと考え、より簡単にBump Aheadの技術の課題を解決し実現する方法を考えていました。ある日、研究室に行くとたまたまマグネットシートの上にネオジム磁石が置いてあり、当時研究に取り入れたばかりのマグネットビューアという磁場を可視化できるシートでこれを観察してみたところ、マグネットシートの磁場が上に置いてあるネオジム磁石によって書き換わっていることに気が付きました。しかしマグネットシートはフェライト磁石に比べ磁力が非常に弱く、すり合わせないと凹凸感が感じられないため、当初はあまり実用的ではないと判断しており研究には至りませんでした。その後NTTへ入社してから「磁場パタンを簡単に書き換えるのであれば、すり合わせたときの感触を計算で予測して多様に変えられるのではないか」「磁場を書き換えることによりさまざまな応用が可能になるのではないか」と考えを改めて研究を進め、完成したのが「マグネティックプロッター」です。
マグネティックプロッターはマグネットシート上の磁場を書き換える装置です。「磁場パタンが簡単に書き換えられるのであれば、機械を使って詳細なパタンを書き込めるのではないか」という着想を得て研究を開始しました。小型のネオジム磁石を家庭用のプロッティングマシン(紙にペンで図形を書くことができる装置)に取り付けることで、マグネットシートに詳細な磁場パタンを着磁して、2枚のマグネットシートをこすり合わせたときのボコボコ感を磁場パタンによって制御することができます。もちろんネオジム磁石を手に持ち磁場パタンを書き込むこともできるのですが、機械を用いることで高い精度で詳細な磁場パタンを作成可能です。図2で示しているように、書き込む磁場の間隔や組み合わせを変えることによって凹凸感を変化させることもできます。
またこの技術が完成した翌年には、マグネティックプロッターを使い触覚インタフェースをつくる方法についての研究を行いました。マグネティックプロッターを使って詳細な磁場パタンを書き込んだマグネットシートを、タブレット型端末などのタッチスクリーンに貼り付けることで、クリック感のあるボタンやスイッチをつくる手法です。これらの研究の成果提供をする際に、改めてマグネットシートを用いた触覚技術が大きな可能性を秘めていることを認識し、その技術全般に「マグネタクト」という名前を付けました。

◆「マグネタクト技術」を世の中に発信する取り組みについて教えてください。

2019年にマグネタクト技術を成果提供してから、さまざまなかたちで世の中の人に使ってもらう方法を検討してきました。2020年には「Magnetact Idea Session」という、クリエイターの方々と一緒にマグネタクトの使い道を考えるワークショップを開催しました。さまざまなアイデアが出る中で、日本を代表するクリエイターの1人である石川将也氏が「磁石シートと紙を組み合わせて動物のような紙工作に動きを与える」というアイデアを提案してくれました。私が提供したマグネタクトの技術は磁力によって触覚を提示するものでしたが、それだけでなく磁石シートと厚紙を紙でつなぎ合わせて「動き」の領域に技術を発展させることができたのです。このアイデアは私の研究テーマであった「知識・経験・設備・環境のない人でも動くものをつくれるようにする」を叶えるもので、非常に嬉しいものでした。そこから短い期間に石川さんが中心となり、福永紙工という紙製品製造のスペシャリストの協力を得て、2021年にこれは「マグネタクトアニマル」として製品化されています。そして製品化以降はオンライン、オフライン問わずさまざまな場所でワークショップが開催され、多くの方に磁石の不思議さと動くものをつくる楽しさを提供し続けています。
また最近では「マグネシェイプ」という技術を開発しています。これは磁場パタンが書き込まれたマグネットシートの磁力が磁石を内蔵したピンを上下させるというものです。非常にシンプルな構成ながら、非電気的に文字やアニメーションを表示することができます(図3)。

新たな「つくり方」を創出し多くの人に価値を届けていく

◆今後のご研究のビジョンを教えてください。

私の研究領域であるヒューマンコンピューターインタラクション(HCI:Human Computer Interaction)では、人間とコンピュータの相互作用や人間にとって使いやすいインタフェースなどが日々研究されています。その中で私の技術は電力も機械も必要としないため、一見コンピュータとは関連のない技術に思えるでしょう。しかし例えばマグネタクトアニマルの「紙の形状や紙に貼り付けるパーツなどによって動きを設計する」という作業手順は、コンピュータを用いたプログラミングにとても似ています。このマグネタクトアニマルをはじめとした磁性技術は、コンピュータの作業概念を、コンピュータを使用することなく体験・学習できる装置として大いに役立つと考えています。また現在のコンピュータは電力で動くものが大半ですが、数値計算・論理演算・入力した情報に基づいた出力を実現する手段は、必ずしも半導体と電流だけではありません。実際に世界へ目を向けると、粘菌やDNAを使った情報処理技術や、物体や流体の物理的特性に計算を行わせる仕組みがさかんに研究されており、HCI研究領域でも「programmable matter」または「programmable material」と呼ばれる非電気的デバイスを用いて形状や色や動きなどをプログラミングする試みが数多く提案されています。私が研究している磁性材料を用いた磁場制御・情報提示技術も、既存の「コンピュータ」という概念を拡張して、多くの人にものをつくる手段を与えていくのではないかと考えています。

◆研究開発を進めるうえで、大切にされている考え方を教えてください。

私の好きな曲で椎名林檎さんの『ありあまる富』の一節に「価値は生命に従ってついている」という言葉があります。この歌詞の意味するところを「何を奪われても新しいものを生み出す力こそが人間の強さだ」と解釈すれば、新しいものを生み出していくことへの大きな励みになります。また私自身がつくったものを人に見せて世の中に発信するだけではなく「新しいつくり方を創出する」というところに注力し、多くの人に新しいつくり方でおもしろいものを生み出してほしいと願っています。
そして研究では新規性や目新しさが求められることが多くありますが、最先端の道具や材料にこだわりすぎると高価すぎて誰にも使えないものや本当に必要な人に届かない技術が完成してしまいます。そうならないために、研究を進めるときには「誰がどこで使うのか」「今までできなかったことは何か」といったことを常に意識して取り組まなければならないと思います。私の研究であれば、ホームセンターやスーパーなどへ行って一般の方が手に入りやすい素材をチェックし、その素材を使った新たなつくり方はないだろうかということを常に考えています。今後も技術が必要とされているところから目をそらすことなく、研究に邁進していきたいと考えています。

◆最後に、研究者・学生・ビジネスパートナーの方々へメッセージをお願いします。

私の所属するNTTコミュニケーション科学基礎研究所の感覚インタフェース研究グループでは、メンバーが各々独立して独自のテーマに取り組んでいます。これまで私も磁性材料による力場提示を使った研究を自分の判断に基づいて行ってきており、テーマ設定や発表する学会などをほとんど自分の意志で決めることができたのは幸運だったと思います。企業で研究を行う場合には、事業の中でその研究がどのような意味を持ち、短期的にどのような利益につながるのかといった視点は重要だと思います。しかしNTTで研究テーマを決める際には、会社の利益に直結するような短期的視点より、長期的かつ戦略的視点が求められるため、非常に研究のしがいがある環境だと感じています。また論文執筆以外に自分で進めた研究の特許申請・デモ制作・映像制作・事業化なども執り行う必要がありますが、NTTでは事務・知財・事業化推進などのサポートや、理解ある上司と同僚のおかげで研究をうまく進められていることに感謝しています。
そしてこれからも研究を進めていく中で、論文を発表することはゴールではなく、むしろスタートととらえて取り組んでいきたいと考えています。確かに発表論文数は研究者評価の1つの指標として使われてきましたし、学生は一定数の論文を発表することが卒業要件に必要かもしれません。しかし私は、自分の技術が誰かに使われて初めて大きな喜びを感じることができる人間です。そのため、技術をより多くの人に簡単に使えるかたちで提供する努力を続け、マグネタクトアニマルのように私が考えつかなかったようなものが誕生する瞬間を楽しみにしています。もし私の技術を使ってみたい、という方がいらっしゃいましたらぜひコンタク卜いただけますと幸いです。