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特集

量子コンピュータの実用化を加速する取り組み

量子コンピュータのシステムアーキテクチャ実現に向けて

IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)時代のイノベーションの実現、例えば、デジタルツインコンピューティング(DTC)により未来予測を行うためには、超高速・超大規模な演算処理ニーズを満たすコンピューティング基盤が必要となります。そうしたニーズから、従来とは全く違う方式で演算を行う「量子コンピュータ」に注目が集まっています。NTTコンピュータ&データサイエンス研究所では、量子コンピュータの能力を最大限発揮するアーキテクチャ実現に向けた理論研究と、実用化に向けたシステム・ソフトウェア技術開発を両輪で取り組んでいます。

阪内 澄宇(さかうち すみたか)
NTTコンピュータ&データサイエンス研究所 所長

IOWN構想に向けたコンピューティング基盤刷新の必要性

NTTは「IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)」構想を掲げ、現状のICTの限界を超えた新しいネットワーク・情報処理基盤を生み出すことを推進しています。その世界では、さまざまなICTリソースを最適に組み合わせ(コグニティブ・ファウンデーション:CF)、あらゆるものを光で高速に結ぶ(オールフォトニクス・ネットワーク:APN)ことで、実世界とデジタル世界の掛け合わせによる未来予測も可能にする新たなサービスの提供(デジタルツインコンピューティング:DTC)を可能にすることをめざしています。
DTCによる未来予測には、膨大なデータを処理し、桁違いの正確さと迅速さを提供できるコンピューティング基盤が求められます。IOWN構想では、光電融合技術による演算処理高速化の検討を進めていますが、それに加えて、近年注目を集めている「量子コンピュータ」による、全く新しいコンピューティング基盤への刷新も検討しています。量子コンピュータは量子力学的振る舞いを利用することで、素因数分解や最適化問題、化学シミュレーション等、従来のコンピュータが苦手としている問題を高速に解くことが期待されています。こうした量子コンピュータの特性を活かし、これまでに類をみないアプリケーションを実現し、新たなサービスを提供することをめざしています。

量子コンピュータとは

量子コンピュータは、1985年にオックスフォード大学の物理学者デイビット・ドイッチュによる量子チューリング機械という計算モデル提案(1)から始まったものと考えられています。特に、1994年に米国の通信会社AT&T(当時)の数学者ピーター・ショアが、素因数分解問題を従来のCPUのような古典コンピュータよりもかなり高速に解くことができる量子アルゴリズムを発表(2)したことで一気に注目を集め、さまざまな大学・企業によって量子力学的振る舞いを実際に演算に応用するさまざまなタイプのコンピュータの研究開発競争がスタートしました。このようなコンピュータには現状で大きく2つの方式、いわゆる量子コンピュータと、その派生としてイジングマシンが存在します。
量子コンピュータは、素因数分解を高速に解くなど、さまざまな用途が期待されているものです。量子の重ね合わせ状態を表現可能な「量子ビット」を用いて、量子性を用いて演算を行います。量子ビットの実現には、超伝導を用いる方式や、光子を用いる方式、イオントラップ方式等、さまざまな方式が提案されていますが、現在は実装可能な量子ビットの数に限界があります。さらに、ノイズ等の影響により誤り(エラー)が発生するため、実用的な計算を行うには、その誤り訂正のためにさらに量子ビットを必要とします。例えば、2048bitの素因数分解を行うには、誤り率を10‒4に抑えた量子ビットを、107個用意することが求められるといわれています(3)が、現状の量子コンピュータでは規模・精度ともに大きく不足しています。そのため、多くの企業・研究機関により、多ビット化に向けた基礎的な研究開発が進められている段階です。一方で、素因数分解を行うことができるような大規模かつ計算中に誤り訂正が可能な量子コンピュータ(FTQC:Fault Tolerant Quantum Computer)の実現に先駆け、量子ビット数が小さい現状においても、可能な限り回路規模を小さくすることでノイズを抑え有用な計算の応用開拓を進めようという動きもあり、このような小規模な量子コンピュータ(NISQ:Noisy Intermediate Scale Quantum)の研究開発も進められています。
もう1つのイジングマシンは、磁性体の性質を表す統計力学上のモデル(イジングモデル)を用いて、古典コンピュータが解くのに時間がかかる問題の1つである「組み合わせ最適化問題」を高速に解くことに特化したコンピュータです。量子コンピュータのように量子ビットを用いる方式と違い、用途は限定されますが、すでに一部商用化も進んでおり、実用面で先行しています。
NTTでは、イジングマシンに関する技術から、将来の量子コンピュータ(NISQ、FTQC)の実現に向けた技術まで、幅広く研究開発に取り組んでいます。イジングマシンについては、光を用いて演算を行うLASOLV®を開発し、その応用開拓も推進しています。量子コンピュータについては、ハードウェア面では実装方式として光量子方式、超伝導方式それぞれについて研究を進めており、ソフトウェア面では誤り訂正や誤り抑制の高性能化、効率化を実現する方式・理論研究に取り組んでいます。また2022年度末、理化学研究所が国家プロジェクト「Q-LEAP」を通じ、国内初の量子計算クラウドサービスの提供を開始しました(4)が、このプロジェクトにはNTTコンピュータ&データサイエンス研究所も参画しており、量子コンピュータの制御ソフトウェアの実装で貢献しています。
図1は、イジングマシン、NISQ、FTQCのポジションマップを示しています。FTQCは解ける問題の幅が広がりますが、相対的に実現難易度は高くなります。そこで、NTT研究所では、FTQCの実現を最終ゴールとして、イジングマシンやNISQの開発に加え、FTQCへのギャップを埋める技術(Early-FTQC)の研究開発を進め、早期に実用可能なコンピューティング基盤を提供することをめざします。

量子コンピュータ実用化に向けたシステムアーキテクチャ技術

このように、イジングマシン、量子コンピュータといった実現方式それぞれに対し、さまざまな実装手段のハードウェアが研究・提案されてきています。それに対し、次のフェーズとして、量子計算を実現する各種ハードウェアを制御し、意味のあるアプリケーションを実行するための仕組み、すなわちコンピュータとしてのアーキテクチャ確立に向けた研究開発競争も始まっています。
量子コンピュータを活用するアーキテクチャの実現に向けては、さまざまな課題が挙げられます。これら課題に対し、NTTコンピュータ&データサイエンス研究所では、物理と情報科学を融合し、実用的な量子コンピュータのアーキテクチャ設計と使い方のあるべき姿を探求する、実用化を意識した研究開発に取り組んでいます(図2)。
(1) 量子コンピュータ向けのアプリケーション開発が難しい
量子コンピュータは、専用の量子アルゴリズムを用いて問題を解くコンピュータです。そのため、一般的な形式の問題を、複雑な量子アルゴリズムでどのように表現するかを検討し、量子コンピュータ向けに変換する必要があります。量子力学の知識等も用いることから、一般のアプリケーション開発者にとっては現状敷居が高いものとなっています。
この課題に対し、量子ハードウェアを使いこなす部分についてライブラリ化やSDK(Software Development Kit)として実装することで抽象化し、アプリケーション開発者を支援することに取り組んでいます。さらに、古典コンピュータ黎明期のアセンブラ同様、現状ではさまざまな量子ハードウェアごとに特化したソフトウェア開発が必要な点について、その特性を活かし最適化した処理を可能にする命令セットの構築や中間表現、高級言語、コンパイラの実現をめざします。
(2) 量子コンピュータは特定の用途で高速性を発揮する
量子コンピュータは重ね合わせ状態をうまく用いることで、多くの入力に対する演算を一度に実行する場合、例えば素因数分解などでは劇的な高速化が期待できますが、古典コンピュータが行う演算をすべて置き換える高速性を有しているわけではないと考えられています。すなわち、一種のアクセラレータと位置付けられます。そのため、アプリケーションとして価値を生み出すためには、量子コンピュータが得意とする計算処理の能力を最大限に発揮できるよう、古典コンピュータと適材適所で連携するシステムを検討する必要があります。
この課題に対し、各種量子コンピュータと古典コンピュータを密結合的に組み合わせ、処理を適切に分散するアーキテクチャを検討し、分散オペレーティングシステムとして具現化する研究開発を進めています。
(3) 有用な量子計算を実現するためにスケーラビリティの向上が必要
前述のとおり、さまざまな実装手段の量子計算ハードウェアの開発が進められていますが、量子超越性(量子コンピュータは古典コンピュータよりも高速に計算できる)を決定的に証明する段階にはまだ至っていません。その理由として、特に量子コンピュータにおいては、意味のある演算を実行するために必要な量子ビット数が足りないことが挙げられます。さらに、ハードウェアで実現した量子ビットもノイズに弱く、そのエラーを訂正して演算するためには、エラー訂正のためにさらなる量子ビットが必要になるという課題があります。そのため、量子ビット数の規模拡大や、演算の精度向上、回路の効率化による必要な量子ビット数の削減などが重要課題です。
この課題に対し、量子計算ハードウェア自体の研究開発による量子ビットの進歩と並走しながら、より高精度・高速・コンパクトな集積化技術や、ハードウェア間の通信技術によるスケーラビリティ向上、優れた誤り抑制・誤り耐性理論確立と実装などを行い、ハードウェアの有用性をソフトウェアの力で向上していきます。
これら3つの課題に対するそれぞれの取り組みによって、量子コンピュータの能力を最大限に発揮するシステムアーキテクチャを実現していきます。

今後の展開

量子コンピュータは、今までの古典コンピュータでは非常に時間のかかる問題を超高速に解くことができると予想されており、その実現が期待されています。NTTコンピュータ&データサイエンス研究所では、本稿で述べた量子コンピュータのシステムアーキテクチャ実現技術について、実用化で先行するイジングマシンから今後さらなる研究開発が必要となるNISQ、FTQCに至るまで、それぞれの技術フェーズに合わせた取り組みを進めつつ、そこから得られたフィードバックを組み合わせて技術の確立をめざします。

■参考文献
(1) D. Deutsch:“Quantum theory, the Church–Turing principle and the universal quantum computer,”Proc. of R. Soc. Lond., Math. Phys. Sci., Vol. 400, No. 1818, pp. 97-117, July 1985. DOI: 10.1098/rspa.1985.0070
(2) P. W. Shor:“Algorithms for quantum computation: discrete logarithms and factoring,”Proc.of FOCS 1994, pp. 124-134, Nov. 1994. DOI: 10.1109/SFCS. 1994.365700
(3) C. Gidney and M. Ekerå:“How to factor 2048 bit RSA integers in 8 hours using 20 million noisy qubits,”p. arXiv:1905.09749. DOI: 10.48550/arXiv. 1905.09749
(4) https://group.ntt/jp/newsrelease/2023/03/24/230324a.html

阪内 澄宇

量子コンピュータを実動させるためには、量子デバイス群を制御するソフトウェアが欠かせません。私たちは、計算能力を最大化するアーキテクチャ実現の理論研究とシステム・ソフトウェア技術の実用化開発を推し進めます。

問い合わせ先

NTTコンピュータ&データサイエンス研究所
企画担当
TEL 046-859-4003
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E-mail cd-koho-ml@ntt.com