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特集 主役登場

量子コンピュータの実用化を加速する取り組み

量子コンピュータの設計と開発

鈴木 泰成
NTTコンピュータ&データサイエンス研究所
准特別研究員

現代の計算機科学は、一見すると手に負えない複雑な情報処理を階層的な抽象化によりシンプルな物理実装に還元し、驚くほど効率的な演算と自在なプログラミングを可能にします。今日の大規模なシステムを支えるロジックは、時に美しく、時に泥臭く、その技術の妙は多くの人を魅了してきました。私もこうした魅力に取りつかれた1人で、計算機の価値に変革を与えるような貢献をしたいと考えるようになりました。
現代の計算機に大きな影響を与えた変革の1つに情報のデジタル化があります。私たちの知覚する音声や画像は、光や物質を通して得られるアナログな情報です。一方、私たちの音声や動画のやり取りや処理は、ほとんどのケースでデジタルな形態を経由して演算し転送されます。このように情報をアナログな表現とデジタルな表現の間で変換するには一定のオーバヘッドが生じるため、例えば初期の情報通信はアナログ信号でのやり取りが主流でした。しかし、情報処理技術が理論と実装の両面で発展し、デジタルな情報のロバスト性や情報処理の容易さが変換のコストを上回るにつれ、デジタルに処理される応用領域が拡大して今に至っています。このように、データをデジタルな形態で扱うという変革は、計算機の性能と活用の幅を大きく広げました。こうした計算機の基本的な設計の考え方に根幹的な変革を与えようという新たな動きがあります。それがデータを量子力学に従う情報単位である量子ビットとして扱えるようにし、情報処理の幅を広げる量子計算というパラダイムです。
データを量子力学に従う情報単位で表現できるようにするには、計算機のありようを大きく変化させます。量子情報を活用することによる変化はより効率的なアルゴリズムや安全な通信プロトコルを可能にする一方、デバイスの実装コストを引き上げ、拡張を技術的に難しくし、現在の計算機のシステムスタックにおける多くの前提に大きな変更を迫ります。量子的な情報を扱う技術的なコストに対し私たちがこれらを扱う技術や方法論に未熟であるため、現状では基幹となる情報処理システムに量子計算を組み込むには至っていません。今後の技術の発展の中で量子的なデータを階層的に抽象化し、実装し、プログラムし、効率化し、計算機の機能を実用的に拡張できるのでしょうか。これは量子物理から計算機科学への大きな挑戦であるといえます。
量子計算を次世代の情報処理で価値ある技術にするべく、私はこれまで現代の計算機やソフトウェアの考え方をうまく量子計算の開発に活用するための取り組みを行ってきました。量子計算の理論的な限界や、量子的な情報を扱うための小規模な物理実験は、これまでさまざまな側面から行われています。こうした基礎研究で得られた成果は一般性がある一方、技術的な実装可能性を具体的に議論し、大規模な実装になっても性能や開発がスケールするようにするには、現代の計算機技術を支える考え方を活用し、計算機を定量的に評価しながら最適化することが必須となります。しかし、こうした取り組みは実現に向けた研究開発が本格化したのが最近であるために、単に未開拓であるだけでなく、システムを定量的に評価するための参照実装や基盤も未成熟な状況です。私はこうした課題を解決するため、誤り訂正メモリのロジックの実装、命令セットの定義、実用的なベンチマークの設計、コンパイラの実装、プロファイラの構築とボトルネック解析に基づくコンパイル最適化、集積化されたデバイスの評価とキャリブレーションの自動化などに取り組んできました。また、こうした取り組みを通し、量子コンピュータを計算機として扱い最適化することが性能の持続的な改善に有効であることを開発と研究の両面から示してきました。
量子計算のための計算機の考え方の再設計は、その前提の違いと変更の大きさから日進月歩で変化する「計算や情報とはどのようにあるべきか」という考え方の根本を再現する営みになりがちです。私のこれまでの取り組みも、私が思う「かくあるべき」を量子の特性に合わせて再現する営みといえます。精度良く量子計算のあるべき姿を描き出すには、多くの技術レイヤで基盤的な研究からソフトウェア開発まで、幅広い領域での連携が必須となります。今後も幅広いコミュニティとの議論を通し、量子という場で計算機という機能はどのように分解され再構築されるべきかを明らかにし、具体的な開発を通して量子コンピュータを構築する方法論を開拓していきます。