特集2
環境変化への適応力を高めるレジリエント環境適応研究の最前線
- 宇宙放射線
- 台風予測
- 海洋生態系循環
NTT宇宙環境エネルギー研究所 レジリエント環境適応研究プロジェクトでは、地球環境・人間活動の未来予測と環境適応の技術開発を通じて、将来的な変化を柔軟に受容できるレジリエントな社会の実現をめざしています。私たちが取り組む研究テーマの中から、宇宙放射線バリア技術、地球環境未来予測技術、および海洋生態系循環予測技術の最新研究動向について紹介します。
岩下 秀徳(いわした ひでのり)/久田 正樹(ひさだ まさき)
髙橋 円(たかはし まどか)/宮島 麻美(みやじま あさみ)
NTT宇宙環境エネルギー研究所
はじめに
NTT宇宙環境エネルギー研究所 レジリエント環境適応研究プロジェクトでは、環境変化に柔軟に適応できるレジリエントな社会の実現に向けた研究開発を進めてきました。私たちのめざすレジリエントな社会とは、自然現象が人間社会に与える被害を回避あるいは未然に防ぎ、さらにはこれまで災いとされてきた自然現象さえも逆に活用しながら、環境変化を受容してしなやかに生活してゆける世界です。2023年10月には新たなグループ(環境社会循環予測技術グループ)が加わり、より長期的で複雑な事象の予測と早い段階でのアクションが必要となる、人と地球環境の持続的な繁栄(包括的サステナビリティ)をめざす研究開発にも積極的に取り組んでいます。
これらの実現に向けて私たちが取り組んでいる技術テーマは、フェーズで分類すると次の2つに大別されます。現状では事後対応しかできていない事象に対して、よりプロアクティブに(先回りして)手を打てるようにする「環境適応」と、地球環境・人間活動の相互の影響を加味して適切な環境適応に導く「未来予測」です。以降では、前者については宇宙放射線バリア技術の最新動向を、後者については地球環境未来予測技術と海洋生態系循環予測技術の最新動向を、それぞれ紹介します。
宇宙放射線バリア技術の研究の最前線
ここでは、NTT宇宙環境エネルギー研究所が進めている、自然現象による被害を回避あるいは活用する環境適応に向けた研究の中でも、宇宙放射線を対象とした研究の成果を紹介します。高性能な電子機器が、さまざまな分野で私たちの暮らしを支えている一方で、宇宙現象による「ソフトエラー」が増加しています。太陽や遠くの銀河から降り注ぐ宇宙放射線が、大気圏にある酸素や窒素に衝突すると、中性子が発生します。この中性子が、電子機器の半導体に衝突すると、保存されたデータが書き変わる現象「ソフトエラー」を引き起こし、場合によっては通信障害などの社会インフラに重大な影響を及ぼす可能性があります(図1)。電子機器におけるソフトエラーの対策を行うためには、その機器ごとのソフトエラーによる故障頻度を考慮したシステム設計が重要となります。一方で、ソフトエラーの故障頻度は、その機器に到達する中性子が持つエネルギーにより大きく異なるため、ソフトエラー発生率*1のエネルギー依存性(中性子が持つエネルギーごとのソフトエラー発生率)の詳細なデータが不可欠でした。
私たちは北海道大学と共同で、宇宙放射線が地球の大気と衝突して生成される中性子の持つエネルギーごとの半導体ソフトエラー発生率を、今までは測定がされていなかった10meV(ミリ電子ボルト)~1MeV(メガ電子ボルト)の低エネルギー領域において、“連続的な”データとして実測することに成功しました(1)。すでに2020年に成功していた1MeV以上の高エネルギー領域における測定(北海道大学、名古屋大学およびNTTの共同研究)と併せて、すべてのエネルギー領域での半導体ソフトエラー特性の全貌を世界で初めて明らかにしました(図2)。現在の社会インフラを支える電子機器においては、宇宙放射線に起因する誤動作であるソフトエラーの対策が不可欠です。ソフトエラーは中性子エネルギーごとに引き起こされる確率が大きく異なり、このエネルギー依存性の解明は、その対策を行ううえでもっとも重要なものです。
本研究では、1MeV以下の低エネルギー中性子によって発生するソフトエラーを2020年に発表した高速ソフトエラー検出器を用いて飛行時間法で測定しました。飛行時間法とは、中性子をある一定の距離飛行させたときの時間を測定することで、速度を算出し、運動エネルギーへ変換する方法です。実験は、大強度陽子加速器施設(J-PARC) 物質・生命科学実験施設(MLF)に設置された中性子源特性試験装置(NOBORU)に、NTTが開発した高速ソフトエラー検出器を用いて測定しました(J-PARC Proposal No. 2022A0249)。また、この施設で照射される中性子の強度は北海道大学が金箔放射化法*2により評価しました。この実験では、FPGA*3のエネルギーごとのソフトエラー発生率を連続的に高分解能で実測することができました。
このデータから、ソフトエラー発生率は、0.1MeV付近でもっとも減少する傾向がみられ、さらにエネルギーが低くなるにつれて増加していく傾向がみられます。これは、半導体中に微量に存在するボロン10の影響と想定しています。そして、低エネルギー中性子の中でも熱中性子と呼ばれる25meV(2.5 × 10-8MeV)付近のエネルギー帯の中性子のソフトエラー発生率が高くなっていることが分かります。この熱中性子*4は、高エネルギー中性子が水、プラスチック、電子基板などの水素が含まれる物質に入ることにより減速されて生成されるため、周辺環境によって数が大きく変動します(図3)。例えば、水冷で半導体を冷却している場合、この熱中性子が大きく増加すると想定されます。
今回得られたデータにより、宇宙線起因の電子機器の誤動作を引き起こすソフトエラーに関して、低エネルギー中性子に対する発生率の特性を解明しました。これによりソフトエラー対策・評価を行ううえでもっとも重要となるソフトエラー起因の故障率がより正確に算出できるようになりました。ソフトエラーは半導体を持つすべての電子機器の誤動作を引き起こす可能性を持っており、ソフトエラー対策・評価は、既存のICT機器や交通インフラから今後拡大が想定されるAI(人工知能)による自動制御やスマートファクトリーなど、さまざまな業界、事業分野で重要な役割を果たすことが期待できます。
今後、電子機器の周辺環境を考慮したソフトエラーによる故障数のシミュレーションや、低エネルギー領域に応じたソフトエラー対策など、より安心・安全な社会インフラの構築に貢献していきます。また、将来的にはこれまでの研究成果を宇宙空間における宇宙線対策へ応用することで、宇宙統合コンピューティング・ネットワークの実現に寄与するとともに、人類の宇宙進出へも貢献していきます。
*1 ソフトエラー発生率:ここでは、単位面積当り1個の中性子がソフトエラーを引き起こす確率のことをいいます。専門的にはSEU(Single Event Upset)クロスセクションと定義されます。もしくは、単位時間当りにソフトエラーが発生する確率と定義される場合もあります。
*2 金箔放射化法:金箔に中性子線を照射した際に生成される放射性のAu-198からのガンマ線を測定することによって、照射された中性子の数を算出する手法。
*3 FPGA:ユーザが現場(Field)で論理回路をプログラミングできるデバイス。
*4 熱中性子:25 meV付近のエネルギーの中性子のこと。中性子が物質中で散乱を繰り返すと、その物質の原子の持っている熱運動エネルギーと平均的に等しくなるので、「熱」中性子と呼ばれます。
変動する地球の環境を予測する地球環境未来予測技術の最新動向
地球環境未来予測技術は、しなやかな社会の実現に向けて、変動する地球環境への適応と人間の活動により変化した地球環境の再生のため、地球環境の未来を予測する技術です(2)。気候・気象といった物理的な現象に加え、生態系・炭素循環といった生物・化学的な現象を地球規模の観測によりモデル化し、シミュレーションすることで、台風や線状降水帯といった極端気象の高精度予測によるプロアクティブな災害対応や、気候変動と合わせて人間の活動の影響による海洋生態系の変化を予測し、地球再生の道筋を明らかにします。本稿では、台風予測精度向上に向けた台風観測と海洋生態系循環予測技術の進捗を紹介します。
台風予測精度向上に向けた台風観測の進捗
大きな災害を引き起こす台風の進路や強度の予測精度が向上し、早期予測が可能となれば、あらかじめ被害が起こらない地域に避難するなど、プロアクティブな災害への対応が可能となります。台風の早期予測には、十分な観測が行われていない発達途中の太平洋上での直接観測データを取得する必要があります。
そこで、私たちは2021年に沖縄科学技術大学院大学(OIST)と共同研究を開始し、台風直下の過酷な環境において、台風のメカニズムを解明するために、大気と海洋の相互作用に関する観測を開始しました。2022年夏には、カテゴリ5の「台風11号(ヒンナムノー)」直下での複数地点における大気と海洋の同時観測に世界で初めて成功しました(3)。NTTの大気海洋自律観測装置「せいうちさん」は台風の中心から約16kmまで迫り(図4)、暴風域での気圧の急激な変化をとらえることができました(図5上段)。また、OISTの大気海洋自律観測装置「OISTER」と比較して、台風の中心に近い「せいうちさん」では、海水温の急激な低下(約2℃)を測定しました(図5中段)。さらに、最大9mの有義波高を観測し(図5下段)、これまで衛星観測では取得できなかった台風直下の大気と海洋の相互作用に関する情報を取得しました。
2022年には、全国で唯一の台風専門研究機関である横浜国立大学の台風科学技術研究センター(TRC)と、台風予測精度向上に向けた共同研究を開始しました(4)。今後は、リアルタイムな台風観測に向けて台風観測への挑戦を続けるとともに、取得した大気海洋観測データを活用し、TRCの台風予測モデルに組み込むことで、台風の予測精度の向上をめざします。
海洋生態系循環予測技術の進捗
海洋生態系循環予測技術は、海洋生態系の食物連鎖や物質の循環プロセスをモデル化し、気候変動を含めた人間の活動による海洋生態系への影響を予測する技術であり(2)、生態系が持つ多様性と生産力の理解につながることから、水産資源の保護やCO2の固定化などの生態系サービスの維持に貢献する技術です。私たちは、初期ステップとして、閉鎖循環式陸上養殖を対象に、生態系モデルを構築し変化予測を行ってきました。人間活動の海洋生態系に与える影響を閉鎖循環式陸上カキ養殖の排水に見立てて、餌料となる植物プランクトンとカキという単純な食物連鎖とカキ養殖の物質循環プロセスのモデル化に取り組んでいます。閉鎖循環式陸上養殖は、水質をクリーンに保つことで河川や海洋と接触することなく陸上の閉鎖空間で養殖する方法ですが、水を循環させながら水中に排泄された餌料や老廃物を取り除いています。今回対象とした陸上カキ養殖場では、カキに加え、カキの餌料である植物プランクトン(藻類)を生産しており、さらにカキ水槽の排水を藻類培養に用いることで、排水のない完全閉鎖型陸上養殖の実現をめざしています。カキの養殖は、単に植物プランクトン量を増やせばよいわけではなく、未消化の餌料は水の汚染につながり、カキの生育にも影響を与えます。効率の良い循環式陸上養殖のためには、カキの排せつ物や最適な餌料の量などの循環バランスが重要であり、その決定には予測シミュレーションが必要であることから、私たちは、循環型陸上カキ養殖における植物プランクトン量の変化予測モデルを構築しました(図6)。さらに、このモデルを活用し、カキ養殖の排水による植物プランクトン生産量の予測を行いました。
今後は、構築したモデルと得られた知見を拡張し、人間活動が多く複雑な影響がある沿岸域や将来的に海洋利用が進む外洋域での生態系のモデル化に適用することで、人間社会と相互作用する海洋生態系変化のメカニズムを解明し、生態系を再生可能にする海洋生態系循環予測技術の確立をめざします。
■参考文献
(1) H. Iwashita,R. Kiuchi,Y. Hiroshima,Y. Okugawa,T. Sebe,M. Takeda,H. Sato,T. Kamiyama,M. Furusaka,and Y. Kiyanagi:“Energy-resolved SEU cross section from 10-meV to-800 MeV neutrons by time-of-flight measurement,”IEEE Trans Nucl Sci,Vol. 70,No. 3,pp.216-221,2023. DOI:10.1109/TNS.2023.3245142
(2) 小山・張・久田・原:“地球環境と人間社会の未来予測技術,”NTT技術ジャーナル,Vol.34,No.12,pp.22-25,2022.
(3) https://group.ntt/jp/newsrelease/2023/05/23/230523a.html
(4) https://group.ntt/jp/newsrelease/2023/01/25/230125a.html
(左から)岩下 秀徳/久田 正樹/髙橋 円/宮島 麻美
問い合わせ先
NTT宇宙環境エネルギー研究所
企画担当
TEL 0422-59-7203
E-mail se-kensui-pb@ntt.com
地球環境・人間活動の未来予測とプロアクティブな環境適応の技術開発を通じて、極端化する地球環境の変化にしなやかに対応できるようにしつつ、長期的な変化自体を好転させていくことをめざします。