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特集

新たなライフ・ワークスタイルを創造する音空間技術──パーソナライズドサウンドゾーン

逆相の音を活用した新たな音の閉じ込め手法 PSZ スポット再生技術

テレワークやWeb会議の普及、プライベートな時間・空間を大切にしたいというニーズの高まりを受け、「聴きたい音」のみを届け、「聴かれたくない音、聴きたくない音」を届けないようにする究極のプライベート音響空間(パーソナライズドサウンドゾーン:PSZ)の構築をめざしています。その一環として、「聴かれたくない音」をごく小さな空間にとどめる新しいスピーカのスポット再生技術の研究開発を行ってきました。このスポット再生技術は、スピーカの背面から放射される逆相の音波を適切に制御することでスピーカの近くのみで音が聴こえる領域を生み出すことができる技術です。このスポット再生技術を利用し、さまざまな音響機器をNTTグループから提供することを可能としました。

千葉 大将(ちば ひろのぶ)/加古 達也(かこ たつや)
伊藤 弘章(いとう ひろあき)/野口 賢一(のぐち けんいち)
鎌土 記良(かまど のりよし)/中山 彰(なかやま あきら)
NTTコンピュータ&データサイエンス研究所

局所的に音を提示するスポット再生技術

近年急速に、テレワークやWeb会議が普及しています。また、スマートフォンやタブレット、PCなどを1人1台持つことが一般化し、各端末を保有する個人ごとに個別にコンテンツを楽しむようになってきました。それに伴い、プライベートな時間・空間を大切にしたいというニーズの高まりを受け、「聴きたい音」のみを届け、「聴かれたくない音、聴きたくない音」を届けないようにする、究極のプライベート音響空間の構築をめざした研究開発をNTTコンピュータ&データサイエンス研究所では進めています。
これまで、音が周囲に漏れずに一部のエリアだけ音を再生する方法として、指向性スピーカやパラメトリックスピーカなどの音響デバイスがありました。これらのスピーカは、特定の方向に音を聴くことができるエリアを制御しますが、特殊なデバイスが必要となりいまだ広く普及はしていませんでした。また、スピーカを複数台利用したスピーカアレイを用い、空間的に制御を行うことで、一部のエリアのみに音を再生することも研究レベルでは実現されていますが、多くのスピーカが必要となり非常にコストが高くなる課題があります。
本稿では、まず汎用のスピーカを用いて、コストを抑えスポット再生を実現する手法について紹介します。一方、個人のみに音を提示する方法としてヘッドホンやイヤホンなどの利用が広く普及しています。しかし、ヘッドホンやイヤホンは安価で容易に手に入る一方、長時間の装着によって耳や耳の穴を圧迫し、疲労や痛み、また長時間の装着が外耳炎などを引き起こすリスクがあります。また、近年では、耳の負担軽減を実現するために耳の穴を塞がないイヤホンの装着方法として耳の近くにスピーカを配置し、そのスピーカから鼓膜まで音を届けるオープンイヤー型イヤホンが数多く販売されるようになりました。オープンイヤー型イヤホンは外耳道を塞がずに耳の近くにスピーカを配置し、そのスピーカから鼓膜まで音を届ける音響デバイスになります。耳の穴に挿し込むイヤホンとは異なり、耳の穴が開放されているため圧迫感が少なく耳への負担が少ないことがメリットですが、耳からスピーカまでの距離が離れているため音漏れが課題となっていました。
次に、この音漏れを解決する方法として、パーソナライズドサウンドゾーン(PSZ)によるスポット再生の特徴であるスピーカの背面から放射される逆相の音波を利用して、スピーカの近いエリアでのみ音が聴こえる領域を生み出すスポット再生技術について述べます。この技術は音を局所的にとどめることができるため、これまでのスピーカが担っていた多くの人に音を届けるものから、特定の人のみに音が聴こえる新しい音響機器の可能性を広げることができる技術となります。

スピーカ背面の逆相音波を利用したスポット再生

スピーカの原理について簡単に説明したいと思います。スピーカは、スピーカユニットと呼ばれる振動板と、その振動板を揺らすための磁気回路および、スピーカユニットを収めるエンクロージャからなります。スピーカユニットを振動させると、この振動板が揺れるため、空気の粗密が生じ音の波が発生します。この音の波が耳に届くことによって人間は音を知覚することができます。振動板から発生する波は物理現象のため、振動板の前面に波が発生すれば、当然その振動板の裏面にも波が発生します。この裏面から発生する波は前面の波と、ちょうどプラスマイナスが反転した、一般的に逆相と呼ばれる波が発生します。この逆相の波は前面の正の位相の波とタイミングが合うと波を打ち消してしまう性質があります。そのため、スピーカはこの振動板を含むスピーカユニットのまま振動板を動かすと、逆相の音が回り込んでしまうことで正相の音を打ち消して音が消え、どれだけスピーカユニットの振動板を動かしても音が聴こえません。そこで、通常のスピーカはこのスピーカユニットをエンクロージャと呼ばれる箱に収めることで、逆相の音波が周囲に放射されることを抑えて、スピーカの音をより遠くまで届ける構造となっています。そこで、PSZのスポット再生では、このスピーカユニットの振動板の背面から発生する逆相の音波を適切に制御することで、音漏れを抑えスポット的な再生ができると考えました。音漏れを解析した結果を図1に示します。むき出しで利用するスピーカユニットは、通常のエンクロージャに収めたスピーカに比べて距離が遠ざかるほど音圧がより小さくなっていることが確認できます。
また、周波数ごとの特性では、スピーカユニットから遠ざかると、高い周波数に比べて、低い周波数がより良く消えていることが分かります。一方、近距離では音質がより良いと考えられるフラットな特性になっていることが分かりました。このことから、スピーカユニットをむき出しで利用することで、頭部近傍に少ないスピーカを用いるだけで、スピーカ近傍でのみ音が聞こえる低コストにスポット再生可能なスピーカができることになります。むき出しのスピーカユニットの性能をさらに高めるために、ここのスピーカユニットを2個並べたエンクロージャレス・スピーカアレイを提案しました(1)。スピーカユニットにエンクロージャを搭載せず、スピーカユニット2つをバッフル板に取り付けたのみのコンパクトなアレイとなっています。スピーカユニットの振動板前面から正相の音波と背面から逆相の音波を放射するため、信号処理なしでアレイ側面に音圧が急激に小さくなる領域を形成することを実現しています。アレイ前後においても正相の音波と逆相の音波が互いに干渉して音波どうしの打ち消し合いは起きますが、アレイ近傍では背面からの逆相の音波の回り込みが間に合わないため打ち消しが起きません。これにより、スピーカの近傍では音が聴こえるが離れると聴こえなくなる領域をつくり出すことができます。
さらに、2つのスピーカを並べて利用するスピーカアレイの構造とすることで、スピーカアレイ近傍だけに音を強調し、近傍以外の方向に関しては音を消すような信号処理を施すことで、スピーカ前面の近傍のみに音が残る範囲を強調することができます。また、スピーカをエンクロージャに閉じ込めず、むき出しで利用することは音質面にも影響を与えています。通常スピーカはエンクロージャという狭い箱の中で動作することで、エンクロージャ内部に生じる空気の反発力の影響を受けてしまい、低音域の再生が不足することがあります。しかし、エンクロージャがない本構造は空気の反発力の影響を受けないため、スピーカユニットが持つ本来の再生可能な低い周波数まで再生することができます。
このスピーカアレイをヘッドレストの部分に搭載した椅子を図2に示します。ヘッドレスト部分にエンクロージャレスのスピーカアレイを搭載することで、利用者は何も身に着けることなく、椅子に座ると音が聴こえますが、周りにはほとんど音が漏れない、快適に利用者だけに音を届けることを実現しています。

小型のウェアラブルデバイス向けPSZ Wearable

スピーカユニットの背面から放射される逆相の音波を利用したエンクロージャレス・スピーカアレイでは、遠方では正相の音波と逆相の音波が打ち消し合い消音されますが、近傍ではスピーカ前面と同じく背面側でも音が消えずに音漏れが聴こえてしまいます。
また、2つのスピーカを利用したビームフォーマ等の信号処理を必要としており、サイズや設置条件に制限が生じていました。そこで、スピーカユニットの背面から発生する逆相の音波をエンクロージャによって制御することで近傍再生を信号処理なく実現する構造設計をすることで、PSZ Wearableとして研究開発しました。エンクロージャに穴を開けるという構造自体は古くからあり、位相反転型エンクロージャ(バスレフ)として知られています(2)。バスレフスピーカユニットが再生可能な低域の周波数をさらに低くし、低音の再生を増強する目的で利用されています。エンクロージャの容積と開口面積、ダクト長によって「ヘルムホルツ共鳴」という共振を起こすことができます。さらに、この共振が起こると音の位相が反転する性質があります。位相反転とは位相が180度ずれ、プラスマイナスが反転するため、逆相の波は正相の波と位相が等しくなります。このエンクロージャの容積や開口面積を適切に設計することでヘルムホルツ共鳴を低い周波数で発生させます。すると、位相の反転した低い周波数の音がエンクロージャの開口部から出ることで、音の打ち消しが発生せず低音が増強された音がエンクロージャから放射され、スピーカユニット単体よりもより低い周波数も再生可能なスピーカを実現していました。
小型のウェアラブルデバイス向けPSZ Wearableの構造(図3)では、この位相反転型エンクロージャの考えをベースに低音の増強ではなく音漏れ抑圧に利用しています(3)。PSZ Wearableではスピーカの背面から放射される逆相の音波を利用する必要があるため、高い周波数までスピーカユニットの前面から放射される正相の音波と、背面の逆相の音波の位相差の関係を維持しなければいけません。そこで、ヘルムホルツ共鳴を音漏れ抑圧したい周波数帯域よりも、高い周波数帯域に設計することで逆相関係を維持する設計となっています。ヘルムホルツ共鳴で制御可能な要素は、エンクロージャの容積と開口面積、ダクト長となりますが、小型なウェアラブルデバイスではダクト長は非常に小さく、また逆相音波を放射する必要から開口面積も自由に設計することができません。そこで、PSZ Wearableの構造ではエンクロージャの容積を可能な限り小さく設計し、ヘルムホルツ共鳴を高くし、逆相関係を維持する構造となっています。
PSZ Wearableの構造によって抑圧することができる周波数帯域は、観測点での正相と逆相の音波の経路差δおよび音の波長λによって決まります。音の波長とは、音波の1周期の距離で表されます。高い周波数では波長が短く、低い周波数では波長が長くなります。PSZ Wearableで音を抑圧するためにはδ/λ≈0を満たす必要があります。つまり、波長に比べて経路差が十分小さい条件の音の周波数で機能します。PSZ Wearableは通常のスピーカユニットおよび開口を持つエンクロージャによって構成されるため、正相と逆相の放射位置に生じる経路差δを小さくするには限界があり、これにより抑圧することができる周波数帯域が決定されます。この音漏れを抑圧することが可能な帯域の拡大にもヘルムホルツ共鳴を利用しています。ヘルムホルツ共鳴による位相の反転を利用し、抑圧ができない高い周波数で反転を引き起こすことで、見かけ上音波の経路を半波長分短くすることでさらに高い周波数まで音漏れの抑圧を実現しています。
PSZ Wearableによる音漏れ抑制を音響シミュレーション(4)による音漏れの抑圧評価結果を図4に示します。1kHzの周波数の音を通常エンクロージャに収めたスピーカから再生させると、耳元だけでなく頭部の周囲に通常のエンクロージャでは音が広がっており、周囲にも音が漏れてしまうことが分かります。一方、PSZ Wearableでは、耳元では高い音圧が観測できますが、耳元から離れることで音圧が大幅に下がり、音漏れが抑圧できていることが分かります。次に、3Dプリンタで作成した筐体をダミーヘッドの耳に装着し、無響室内で音漏れの測定を行った結果を示します(図5)。ダミーヘッドの耳では通常の音楽リスニングで利用されるような80dBの音が聴こえている状況で、ダミーヘッドの耳元から15cm離れた位置では42dBまで音のパワーが低減していることが観測できます。42dBというのは一般的には図書館と同程度の静けさといわれており、15cm離れるだけでほとんど聴こえなくなる性能を実現しています。

スポット再生の適用範囲を拡大する研究と今後の展開

スポット再生はエンクロージャレス・スピーカアレイやPSZ Wearableによって少数のスピーカのみで、スピーカの近傍に音が再生可能となりました。スピーカの近傍にスピーカを配置することが可能なオープンイヤー型イヤホンや椅子のヘッドレストに搭載する構造には適していますが、スピーカと耳との距離が必要な利用シーンや、より音のスポットの範囲を自由に制御することをめざした研究開発を進めています。また、航空機や自動車のヘッドレストに搭載する場合は、機材の重量やコストを抑えるために、1つのスピーカでより安価に製造可能な構造が求められます。そこで、PSZ Wearableのエンクロージャ構造によるスポット再生をより大型のスピーカでも実現する、逆相波誘導エンクロージャを開発しました。スピーカは低音から高音まで広い帯域の再生や、出力可能な音圧の大きさを求められますが、再生可能な帯域の広さや出力可能な音圧は振動板の大きさの影響を受けます。イヤホンと比べて耳から離れた位置に置くヘッドレスト型のスピーカは、より大きな出力を求められます。逆相波誘導エンクロージャは、PSZ Wearableの設計指針を踏襲し、大型のスピーカ口径に合わせて、逆相の音波と正相の音波の経路差を小さくしながら、エンクロージャの容積を小さくしヘルムホルツ共鳴の共振周波数を高くした構造になっています(図6)。これにより、信号処理不要で、単一のスピーカでありながらコストを抑えたスポット再生を実現しています。今後は、この逆相波誘導エンクロージャ(5)を利用して、車載のヘッドレストへの導入や街中のスピーカで利用することで、健常者や視覚障がい者向けなど必要な人のみに音が聴こえるスマートなスピーカシステムへの発展などを進め、音の常識を変えるスピーカとして、幅広い場所での利用をめざした研究開発を進めていきます。

■参考文献
(1) 福井・小林・鎌土:“高精度な局所再生を実現するエンクロージャレス・スピーカアレイの提案,”日本音響学会秋季講演論文集,pp. 199-200, 2021.
(2) 大賀:“オーディオトランスデューサ工学,” コロナ社,2013.
(3) 千葉・加古・小林:“音漏れ低減のためのオープンイヤー型イヤホン向け開口エンクロージャ構造の提案,”日本音響学会秋季講演論文集,pp. 417-418, 2022.
(4) 加古・千葉・小林:“オープンイヤー型イヤホン向け開口エンクロージャ構造のシミュレーション評価の検討,”日本音響学会秋季講演論文集,pp. 415-416, 2022.
(5) 加古・千葉・野口:“1スピーカで近傍再生を実現する逆相波誘導エンクロージャの提案,”日本音響学会秋季講演論文集,pp.351-352, 2023.

(後列左から)中山 彰/野口 賢一/伊藤 弘章(右上)
(前列左から)千葉 大将/加古 達也/鎌土 記良

PSZで実現するスポット再生技術は、スピーカの利用概念を覆し、現在の課題に合わせて新しく設計をし直すことで実現しています。スポット再生は、これまでのスピーカとは異なり利用者のみに音を届けることができるため、これまでにない音響サービスを実現します。

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