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研究開発の強化・グローバル化に向けたNTT Research, Inc. 始動

2019年の暗号研究所開設にあたって

NTTは2019年7月1日、大規模な組織再編の一環として、シリコンバレーにNTT Research, Inc. を設立しました。NTT Research, Inc. は、暗号、量子コンピューティング、ヘルスケアの3つの研究所で構成されており、それぞれの研究所は日本から来られた著名な方によって運営されています。私は暗号研究グループに加わることにとても興奮しています。私はこの取り組みを始めるにあたり、何人かの研究者を募集しました。本稿では、企業研究所を成功させるための私の考えを紹介します。

Brent Waters

NTT Research, Inc.

はじめに

新しい研究所を立ち上げようとする熱意には多くの理由がありますが、同時に、この取り組みが直面している課題を考えることも重要です。私のキャリアの中で、いくつかの活発な暗号研究グループを見てきましたが、それらのグループがもはや存在しないことが気になります(本稿で「研究」という言葉を使うのは、ある分野のトップカンファレンスやジャーナルで発表される基礎研究のことです)。私の最初のインターンシップは2003年の夏で、当時少なくとも6人の暗号学者を雇っていたPARCで働いていました。それから何年もたたないうちに、彼らは皆去ってしまいました。シリコンバレーのMicrosoft Researchは、暗号技術をはじめとするコンピュータサイエンス分野の著名な研究者を抱えた一流の研究所とみなされていましたが、2014年9月に突然閉鎖されました。ごく最近では、準同型暗号の発明などで知られるIBM Researchの暗号研究グループが、2019年の春に一斉に去ってしまいました。
もちろん、時間の経過とともにある程度の変化や離脱は避けられないものですが、コンピュータ科学の研究室は大学の学部に比べて永続性が低いように思われます。基礎研究においてほとんどすべての企業研究所が直面している問題の1つは、企業に対して生み出すビジネス価値を最終的にはっきりさせなければならないという圧力ですが、これには課題が伴います。第1に、多くの分野におけるもっとも優れた研究は、より長い時間軸で影響を与えるもので、企業の短期的な目標と整合させることが困難な場合があります。第2に、どのようなグループからの優れた研究であっても、公開され、組織外の人々からの研究の上に積み上げられ、他のグループや組織によって利用されます。これは典型的には、強力な研究グループを構築することの利益が暗黙のうちに広範なコミュニティと共有されることを意味します。もちろん、社外での出版や共同作業を切り詰めることは1つの方法ですが、少なくとも私の分野では、私はそのアプローチが最高品質の研究を生み出すとは思っていません。企業は、強力な研究グループを持つことによって、逆に外部の研究者のイノベーションにも立ち会い、それを活用することができるのです。
これらの課題があるにもかかわらず、適切な方法をとることができれば、新しい研究室を立上げ、参加する機会は、研究者にとっても組織にとってもリスクをはるかに上回る価値があります。成功する研究所をどのように構築するかについて以下に述べます。私がここで共有する視点は、コンピュータサイエンスにおける一流の文献を生み出すこと、すなわち「最高の」研究の創出を第1目標とする研究室をつくることです。これらのアイデアのいくつかは、異なる目標に対しては異なる運用がされるかもしれません。

エリートになる

「正しくやるか、さもなくばやめなさい」それなりの研究所を立上げるのは簡単ですが、偉大な研究所をつくることは挑戦と興奮を生むものです。
これは適切な人材を雇用することから始まります。一流の研究者と平均的な採用者との差は極めて大きいものです。したがって、最高の人々を引きつけるための戦略を立てることは理にかなっています。良い出発点は給与と報酬です。優秀な人材を獲得することに大きな価値の差があることを考えれば、適切な人材を獲得するために必要なことは何でも行うべきです。チームが1人のスーパースターを獲得するために、複数の選手とトレードすることに熱心になるプロスポーツは1つの比較ポイントでしょう。報酬のための資源は有限です。量より質を重視することを私は提案します。
トップ研究者は互いに協力したいと思うでしょう(反対に、適切な人材を採用しないことは、将来の採用活動の障害にもなりかねません)。企業の研究所でできることの1つは、複数の人が共同で作業できる環境をつくることです。これはインターンやポストドクターの採用にも有効です。もしあなたが必要な数の上級研究者を確保できれば、この研究室は大学院生が夏の間に群がる目的地となるでしょう。

研究者に得意なことをさせましょう

幸運にも適切な人材が得られれば、彼らがもっとも得意とすることをさせましょう。トップ研究者は特別な能力を持っていて、基礎研究に集中したいと思っています。それらを管理する最善の方法は、「彼らのことをする」ためのスペースを与えることです。もちろん、彼らのアイデアを実用化しようとしている開発者に、彼らのアイデアを説明してくれるよう研究者に時々頼む、といったようなことは理にかなっています。そして、ほとんどの研究者は喜んでそうすることでしょう。しかし、研究者が何をすべきかというグループのビジョンが、研究者が得意なことをやり通すことと大きく異なるのであれば、そのビジョンは当初から基礎研究と両立しないと私は主張します。
また、研究者が研究に費やす時間を確保することも重要です。追加のミーティングやその他のオーバーヘッドを伴うアクティビティの量を最小限に抑えることが重要です。外部の方々が研究室の成果に触れることは重要ですが、その多くは、研究者が学会や招待講演で論文を発表することで自然に行われます。一般的に、研究者は自分の時間をどこで過ごすのがもっとも良いか、すでによく知っているものです。

競争相手と、競争に必要なものを知りましょう

非常に強い研究者を確保するという理念に同意するとしましょう。次に、競合他社について知る必要があります。研究大学の教員職に焦点を当ててみましょう。教員の一員として、研究者は以下のことをするでしょう。意欲的な大学院生と接触する機会を持ち、終身在職権(テニュア)によって生涯の仕事の安定を達成する機会を持ち、彼らの興味を追求することにおいて多くの独立性を感じ、立派な個人オフィスを持つ大学キャンパスで研究を行い、教授として認められる名声を得ようとするでしょう。
すでに大学で職を得ている人や、大学でのポストを考えている新卒博士を採用しようとする際には、この点を念頭に置くことが重要です。もちろん、どうしても代替できないものもあります。もし誰かが教職に就きたい、大学のキャンパスにいたい、そして教授と呼ばれたいと思っているなら、彼らには大学での仕事が向いているでしょう。しかし、企業の研究室が学術的な地位に到達し、それを上回ることができるという側面はほかにもあります。まず、オフィススペースから見てみましょう。多くの企業の業務環境には、エンジニアがデスクまたはパーティションで作業する「オープンオフィス」が備わっています。NTT Research, Inc. の採用候補者の多くに(そして私自身にも)話を聞いたところ、このような仕組みは研究者には受け入れられないだろうと確信を持っていえます。研究者は、アイデアに集中できる個室のオフィスを求めています。これは、コンピュータ科学の教員なら誰でも与えられるものであり、同じものが提供されなければ、求人を天秤にかけている誰にとっても重大なマイナスとみなされます。それに加えて企業自体の一定の高い評判(そして、それがないことに伴う名声の欠如)があります。採用者を特別な気持ちにさせたいのであれば、これは非常に重要です。
ほかにも企業の研究所が大学のポストを上回ることができる場所があります。

① 報酬
大学では、給与を比較的均一かつ低めに維持することを求める政治的圧力などがあります。企業の研究所は、理想的には、より多くの費用を支払う能力と、雇用目標を達成する柔軟性を持つべきです。
② エリア内の同僚の数
NTT Rsearch, Inc. では、同じロケーションで複数の暗号技術者を雇用する機会があります。バランスの取れたコンピュータサイエンス学部では、雇用はさまざまな研究分野に分散してしまいます。これは研究所の研究者に特別な機会を与えます。
③ オーバーヘッドの削減
研究所では、授業をする必要も、委員会に参加する必要も、資金を探す必要もありません。純粋な研究により多くの時間を費やす自由は大きな魅力となり得ます。タスクやミーティングを作成しすぎて、この利点が損なわれないようにすることが重要です。

コラボレーションと公開を容易にしましょう

エリート研究機関の成長を妨げる確実な方法は、文献の公開や共同研究に過剰な障壁を設けることです。研究者は、何ら障害なく社外の人と共同研究ができなければなりません。また、研究論文をオンラインで発表したり掲載したりする際の障壁を非常に小さく、もしくはなくすべきです。そうでなければ、優秀な人たちはほかに働く場所を見つけるだけでしょう。もちろん、企業は研究室から出てきた研究を特許化する能力を持つべきですが、これは中核的な研究目標への障害を最小限に抑える方法で行われるべきです。
上記のすべては、適切なリソースと管理スタイルが整っていれば実行可能です。基本的な研究は製品開発とは異なりますし、学問的な研究者は技術者とは異なります。研究所を成功させるためには、企業は明確なアプローチを開拓する必要があります。

おわりに

最後に、画期的な研究を生み出す企業研究所を持つことの多くの利点について述べたいと思います。明らかなのは、新しいアイデアを生み出す研究者は、企業の知的財産ポートフォリオの構築に役立つということです。さらに、社内に専門知識を持つことは、新しい技術を評価するのに非常に役立ちます。しかし、もっとも重要な役割は、研究所が革新的で斬新なアイデアの源であることでしょう。企業がトップを維持するためには、変化と新しいアイデアを受け入れることが必要です。NTTのキックオフ・イベントで私が興味を持ったのは、名前に「電話」と「電信」という言葉を使っている会社にもかかわらず、現在の収益のうち音声(モバイルの音声を含む)によるものは20%にも満たないということです。企業と研究所との関係性を維持するためには、どんな企業も時間の経過とともに進化しなければなりません。研究における大きなアイデアは、予期せぬところから生まれることもあります。例えば、私のもっともよく知られている研究成果の1つは、特定の個人を対象とするのではなく、ポリシーを暗号化する方法である「属性ベースの暗号化」です。しかし、この概念は、バイオメトリクス認証のための暗号化方法を最初に追い求めていた研究(Amit Sahai氏と)から生まれました。成功した研究所を運営することが企業の将来の成長の柱となるのは、まさに、根本的に新しいアイデアや技術を活用する能力です。

Brent Waters

 

NTT Rsearch, Inc. の堅実な立上げには非常に勇気付けられ、今後の展開を楽しみにしています。

問い合わせ先

NTT Research, Inc.
E-mail info@ntt-research.com