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実世界の事象をデータ化しながら活用するフィジタルデータセントリックコンピューティング

フィジタルデータセントリックコンピューティング

Society 5.0に代表される今後のイノベーションの実現に向けては、実世界のさまざまな事象をデータ化して、価値化することが重要となります。NTTソフトウェアイノベーションセンタは、これを「フィジタルデータセントリックコンピューティング」と呼び、フィジタルデータ生成に必要な演算技術、フィジタルデータの発生から分析までの流れを最適化する技術、フィジタルデータの価値化のための検知・予測・最適化技術の開発に取り組んでいます。

川島 正久(かわしま まさひさ)

NTTソフトウェアイノベーションセンタ 所長

情報社会の進化の方向性

内閣府は2016年にSociety 5.0というビジョンを公開しました。本特集では、このようなSociety 5.0の未来に向けてNTTソフトウェアイノベーションセンタが取り組む技術の一部を紹介します。本稿では、ITシステムは今後、どのように進化すべきかについて述べます。

方向性1:個別最適化から全体最適化へ

これまでのITシステムの多くは、それぞれのITシステムが独立して動作し、ユーザ要求の処理や自動化、最適化を行うものでした。例えば、カーナビは車ごとに独立して動作し、その車が目的地に向かうための最短経路を選択します。この仕組みのまま、自動運転車やMaaS(Mobility as a Service)を開発したら、道路が渋滞しやすい日本の都会では、さらにそれが激化するだけではないでしょうか。
自動運転車やMaaSのような移動技術の革新が意味を持つためには、渋滞を回避する全体最適化の仕組みが同時に必要です。例えば、車の場所、目的地や、人の場所を集約し、社会全体の移動需要を把握したうえで、経路を分散したり、乗り合いを多用する策が考えられます。このように、複数の人・モノの状態を集約しながら、全体最適化をすることが今後は重要となると考えます。

方向性2:Create Business Moments and Avoid Disaster Moments

すでに多くの企業はITシステムからデータを集約しながら、市場や企業活動の実態を分析し、行動に反映させています。しかし、典型的なこれまでの仕組みでは、データの集約~分析~行動最適化までに1日あるいは数時間を要していました。ITシステムからデータを抽出し、横断分析を可能とするためのフォーマット変換やプライバシ情報削除処理等の加工をしたうえで、データをデータ分析拠点にコピーする処理が必要で、この処理が定期バッチ処理で行われるからです。この仕組みのまま、予測や最適化のAI(人工知能)アルゴリズムを高度化しても、1日あるいは数時間前のデータに高度なAIをあてるだけなので、できることは限定的です。
データの集約~分析~行動までの時間を分、秒オーダーに短縮することで、さまざまな新たな価値を創出できるはずです。
例えば、小学校で運動会が開かれていたり、市民球場で野球大会が行われていたりしたら、そこに移動型コンビニを向かわせます。コンビニとはいえ車両なので、積載可能な範囲でどんな商品を積むかが重要となりますが、お弁当はもちろんのこと、9月でも猛暑であれば凍結ペットポトルやかき氷を用意し、3月でも寒ければ使い捨てカイロを用意します。
また、日本は地震や津波、台風などの自然災害が多い国ですので、地域別の人口ヒートマップ、道路状態マップ、水・電気供給状態マップをつくり、分または数秒で更新する仕組みを作成すれば、災害発生時にその状況に即して避難用バスや資源補給車を最適に走らせられます。
このように、分、秒オーダーのデータサイクルを実現すれば、その瞬間・その場所の近傍のビジネス機会や災難に対応する仕組みを実現できます。合言葉は「Create Business Moments and Avoid Disaster Moments」。このような価値創造が今後重要となると考えます。

フィジタルデータセントリックコンピューティング

進化を実現するには、実世界に関するさまざまな事象をリアルタイムにデータ化しながら、多くのデータ活用者に活用可能とする仕組みが有効と考えられます。
前述の防災の例では、地域別の人口ヒートマップ、道路状態のマップ、水・電気の供給状態のマップが有効です。また、スーパーやコンビニの売上向上のためには、店内のエリアごとの状況が分かる空間解像度の、人口ヒートマップや商品マップが有効です。レストランやコンビニは周辺地域の人口ヒートマップから数時間後の来店客を予測できます。また、農作物の生育レベルのマップをつくり、日照時間や雨量のマップと横断的な分析をすれば、最適な収穫日の予測に有効です。
NTTソフトウェアイノベーションセンタは、実世界の事象(モノの状態、イベントの発生など)をデータ化した情報を「フィジタルデータ」と呼び、これを生成し、流通させ、活用するコンピューティングを「フィジタルデータセントリックコンピューティング」と呼び、これを実現するための技術開発を進めています(図)。

図 フィジタルデータセントリックコンピューティング

フィジタルデータセントリックを実現する情報処理基盤技術

① 実世界のさまざまな事象のデータ化(フィジタルデータの生成)
フィジタルデータの生成、つまり実世界のさまざまな事象のデータ化では膨大な量の演算が必要となります。
どのように事象をとらえたいかは千差万別です。例えば、流通店舗の人口ヒートマップでは、カメラに写っている人の推定年齢、性別を識別するのが典型的ですが、体形も区別しながら分析したいというニーズもあるかもしれません。また、属性だけでなく、「商品を比較している」「商品表示を読んでいる」「商品をかごに入れた」などの事象の発生をとらえたいというニーズもあるかもしれません。
このような千差万別の要求にこたえられるセンサがあるわけではないので、要望に応じてカメラ画像をAI分析することで事象をとらえる必要があります。
一方、例えば、小さなコンビニでも6~8台のカメラは必要です。しかも、人口ヒートマップ、万引き予兆行動検知、要支援者検知など、とらえたい事象によってAI推論を複数実行することが必要となります。したがって、小さなコンビニでも延べ20~50ストリームの映像のリアルタイム分析が必要になります。これは膨大な演算負荷を意味し、オンデマンドに分析アプリケーションを追加できるようにすることは容易ではありません。
また、将来的には、カメラの代わりに機械分析専用の空間スキャナが開発され、さまざまな分析アプリケーションをオンデマンドに追加するニーズがさらに高まるでしょう。
上記の課題への対応として、「ひかりディープラーニング®推論基盤」(本特集記事『深層学習の推論処理を大幅に効率化する「ひかりディープラーニング®推論基盤」 ―― 企業活動での競争力の源泉に資するR&D技術を』)を開発しています。
② 生成場所から分析場所へのフィジタルデータの流れの最適化
フィジタルデータは広域に散在するさまざまな場所で発生し、データ量も膨大です。したがって、生成場所(発生場所)から分析場所へのフィジタルデータの流れを、その瞬間の機会・災難に対応できるように(数秒でデータが届くように)実現することは容易ではありません。
例えば、交通では、膨大な車両位置などの時空間情報をリアルタイムに更新・参照・集計することが必要となります。将来、路上のコネクティッドカーの台数は数百万オーダーになるでしょう。この台数を想定して十分な性能で更新、参照、集計をするには、場所による疎密の違い、時間による交通量の変動に対処しながら、最適に負荷分散できる仕組みが必要です。また、GNSS(Global Navigation Satelite System)などで位置情報の精度を高めるのであれば、それに応じて位置更新頻度もけた違いに増やす必要があるので、膨大な更新頻度に対処する必要があります。
上記の課題への対応として、「高速時空間データベース技術Axispot®」(本特集記事『高速時空間データ管理技術「Axispot®」と時空間データ高速検索技術』)を開発しています。
また、商業ビルのリアルタイムな人口ヒートマップや温度・湿度マップは、商業ビルのオーナーだけでなく、さまざまな事業者の分析アプリに有効でしょう。例えば、フードチェーン企業は売上予測やダイナミックマーケティングに利用するでしょうし、防犯会社は、犯罪・事故の予測に使うでしょう。その際、データ発生場所は商業ビルごとなので広域に散在しており、分析アプリもさまざまな事業者ごとに散在しますので、散在するデータ発生場所から散在するデータ分析場所へ遅滞なく新鮮なデータを伝える仕組みが必要となります。
上記の課題への対応として、「データ散在適応型データハブ iChie」(本特集記事『企業間データ連携を加速する「iChie」』)を開発しています。
また、上述のように、データオーナーとデータ活用者が異なる場合には、個人情報・機密情報を適切に保護する必要があります。「データ散在適応型データハブ iChie」では、データオーナーの定めたポリシーに従った開示制御も実現しています。
③ フィジタルデータを活用した高度な検知・予測・最適化
①、②により、実世界のさまざまな事象についてのフィジタルデータが生成され、任意の分析場所から利用可能となれば、これまで困難だった検知、予測、最適化が可能となると期待できます。このためには、複数のフィジタルデータを組み合わせたり、フィジタルデータ以外のデータ(従来のITシステム上の顧客属性、履歴など)も加えたりしながら、多くの変数を入力とした予測、最適化演算を行うことになるでしょう。 しかし、多くの変数を入力とした予測モデルを生成するには上級データサイエンティストのスキルが必要となります。データサイエンティスト不足への対応として、「データ分析モデル構築自動化技術 RakuDA」(1)を開発しています。
また、扱う変数が多くなると、検知や予測のためのモデルの生成や最適化演算がより困難になります。
例えば、渋滞緩和のために車両移動の全体最適化や乗り合いバスのオンデマンド運行を実現するには、エリアにおける車両の位置情報と目的地、道路のレーンごとの車両台数、工事情報、周辺イベント情報といった交通環境にかかわる情報や、人の移動需要(現在地と目的地)と希望到着時刻、乗り合いバスの位置情報など、さまざまなデータを掛け合わせて経路最適化・巡回経路生成を行う必要があります。このような組み合わせ数が爆発する条件下での最適化問題をリアルタイムで解くのは、現在のコンピュータでは困難です。
上記の課題への対応として、「組合せ最適化のためのハイブリッド計算基盤」(本特集記事『イジング型計算機による組合せ最適化のためのハイブリッド計算基盤』)を開発しています。
ほかにも、多くの変数から異常を検知する深層学習モデルの生成において、学習が不安定となる課題を解決する「t-VAE」(2)という技術を開発しています。
また、予測や最適化の結果に基づきシステムが自律的に対処をする場合には、なんらかの取引処理が発生することもあるでしょう。マシンスピードで高頻度に発生する取引を処理可能なトランザクションデータベースが必要となります。これまで、トランザクションデータベースは、単体サーバの性能を向上させるスケールアップというアプローチで高性能化してきました。しかし、ムーアの法則の終焉により、単体サーバの性能を向上させることが困難となっています。
上記の課題への対応として、「高速トランザクション処理技術」(本特集記事『メニーコア向け高速トランザクション処理技術』)を開発しています。

今後の展開

本稿で述べたフィジタルデータセントリックコンピューティングの実現技術を、開発途上の早期段階からベータ版を提供しながら、さまざまな分野のデータオーナー、データ活用者に評価いただき、実フィールドからのフィードバックを得ながら、技術の完成度を高めていきます。

■参考文献
(1) https://www.sic.ecl.ntt.co.jp/mt_assets/bc_201902/bc02.pdf
(2) H.Takahashi, T.Iwata, Y.Yamanaka, M.Yamada, and S.Yagi:“Student-t Variational Autoencoder for Robust Density Estimation、”Proc. of IJCAI 2018, pp.2696-2702, Stockholm, Sweden, July 2018。

川島 正久

技術は単独組織で完成させることはできません。多くのユーザから要件、フィードバックをもらいながら完成度を高める必要があります。多くの皆様と共創できることを願っています。

問い合わせ先

NTTソフトウェアイノベーションセンタ
企画担当
TEL 0422-59-2207
E-mail sic@hco.ntt.co.jp