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特集1

人間と情報の本質探求と人に寄り添う技術の協創

機械学習技術で病気と無縁の社会をめざす

錦見 亮
NTTコミュニケーション科学基礎研究所
研究員

人工知能(AI)が目覚ましい発展を遂げており、多くのタスクにおいて人間を超える精度が報告されています。最近では、さまざまなメディア情報を対象とした生成AIが注目を集めており、例えばChatGPTのような大規模言語モデル(LLM:Large Language Model)に基づくシステムは、ユーザが入力したテキストに対して適切な回答を出力してくれます。また、Stable Diffusionのような拡散モデルに基づくシステムは、ユーザが指定したプロンプトに応じて多様な画像を生成してくれます。このように、多様なメディア情報に対する高性能なAIが次々と登場していますが、これらのAIの根幹を成すのが機械学習技術です。機械学習とは、特定のタスクの実行方法をデータから自動的にコンピュータ(機械)に学習させる技術です。この特定のタスクには、入力データから出力データへの変換や、データの背後にあるパターンや規則の発見が含まれます。このようなデータ処理に関連するタスクは多岐にわたり、私はこれらのさまざまなタスクに対して有効な機械学習手法の研究を行っています。
私が現在取り組んでいる生体情報処理技術の研究開発では、機械学習技術を活用して医療や健康に関する諸問題の解決をめざしています。近年、生体情報が取得できるウェアラブルデバイスの普及や健康意識の高まりにより、生体情報の活用がますます重要になっています。さらに、AI技術を活用した生体情報処理の研究も急速に進展しており、社会的および学術的な需要とインパクトが大きい研究領域です。生体情報処理といっても、体には多種多様な器官が存在し、取得可能な生体データは多岐にわたりますが、体の中でも重要な器官である心臓に私は着目しています。具体的には、心疾患の発見によく用いられる心電図と、体の内部や心臓の状態を表すパラメータ(心臓パラメータ)との高速・高精度な相互変換技術について研究開発を行ってきました。この相互変換技術は、AIの学習に必要な大規模データの自動作成、心臓パラメータに基づく体内状態の詳細な把握、心電図と体内状態の未知の関連性の発見など、さまざまな場面で応用可能です。また、現在はより詳細な心臓のメカニズムの解明をめざし、心臓細胞の遺伝子の解析にも取り組み始めています。
実は、生体情報処理に携わる以前は、機械学習技術を活用した音楽情報処理について研究していました。その中でも、もっとも基本的で長年研究されている自動採譜(音楽音響信号を楽譜に変換する技術)の問題に取り組んでいました。楽譜はポピュラー音楽を含む多くの音楽を記述するもっとも一般的な形式ですが、音楽に堪能な人でも聴いた音楽を楽譜に書き起こす作業には時間がかかります。自動採譜が実現すれば、演奏したい楽曲の楽譜が即座に入手できるだけではなく、音楽のアーカイブ保存・配布・研究用データの収集など、さまざまな場面で活用できます。また、人間の音認知メカニズムを解明するという学術的側面からも自動採譜は重要です。音楽は、複数種類の音がさまざまな音高・音量・音色・継続長で重なり合っている複雑な音響信号です。計算機にとってはただの波形にすぎませんが、人間はその中から個別の音を聞き分けることができます。この聞き分ける処理を計算機でどのように再現するかは大変興味深い課題です。一見すると生体信号処理とは全く別の分野のようにも思われますが、どちらも情報処理に関する機械学習技術の研究であることには変わりありません。音楽情報処理を通じて身に付けた、さまざまな問題に対する普遍的な考え方や機械学習技術は、生体情報という別の種類のデータに対しても応用しています。
生体情報処理は、画像・言語・音声・音楽のようなメディアデータに比べて機械学習技術の浸透がまだ進んでおらず、研究の余地が多く残されている挑戦的な分野です。また、その社会的な意義が非常に大きい点も魅力の1つです。医学や生物学の世界は広範かつ歴史のある分野であるため、医療用語やデータの読み取り方などが分からずに悪戦苦闘することも多いですが、将来的には自身の開発した技術が社会や医療現場で活用されることをめざして、今後も一歩ずつ着実に生体情報処理技術の発展に貢献していきたいです。究極的には、機械学習技術を基盤に、あらゆる生体情報のシミュレータを構築し、心身の未来の状態を予測することで、病気や健康不安と無縁の社会の実現をめざしたいです。

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