挑戦する研究者たち
レッドオーシャンの研究領域の先を見据えたボソニック量子ビットによるエラー訂正に迫る
量子コンピュータの基本要素である超伝導量子ビットは、その寿命が短いという課題があります。この課題を克服するためには、量子ビットの寿命に影響を与えるメカニズムを解明して少しでも寿命を長くするアプローチや、寿命に至るとエラーになることからそのエラー訂正を行うアプローチ等があり、量子コンピュータの実現に向けて研究が進められています。また、量子ビットの寿命を長くすることで、センシングの精度向上も期待できます。一方で、超伝導磁束量子ビットは超伝導電流の向きに対応する、2つの量子状態を有しており、この状態を磁場で制御することで高感度な磁場センサとして機能します。高機能磁場センサと生体試料をハイブリッドに組み合わせて、将来の病理診断への応用をめざす、NTT物性科学基礎研究所 齊藤志郎上席特別研究員に、超伝導磁束量子ビットによる神経細胞中の鉄イオン検出や、レッドオーシャンの研究領域の先を見据えた研究への思いについて伺いました。
齊藤志郎
上席特別研究員
NTT物性科学基礎研究所
超伝導量子ビットの特徴のメカニズムを実験で解明し、その応用に向けて前進する
現在、手掛けていらっしゃる研究について教えていただけますでしょうか。
超伝導量子ビットに関して、「超伝導磁束量子ビットによる神経細胞中の鉄イオン検出」「超伝導量子ビットの寿命を制限する欠陥の検出・識別」「超伝導ボソニック量子ビットの研究」の3つのテーマに取り組んでいます。
超伝導量子ビットは超伝導の環境において発現する量子状態を利用したビットで、量子コンピュータの基本となる要素です。いくつかの種類がある超伝導量子ビットのうち、超伝導磁束量子ビットは超伝導ループを含む超伝導回路により構成されています。その特性は超伝導ループを貫く磁場で制御することが可能であり、高感度な磁場センサとして機能します。この磁場センサを用いて小さな磁石としての性質を持つ電子スピンを検出することで電子スピン共鳴が行えることを示し、これを応用した微小体積中の少数スピンを含む試料を分析する、新たな電子スピン共鳴(ESR:Electron Spin Resonance)法は、前回のインタビュー(2021年9月号)で紹介しました。
「超伝導磁束量子ビットによる神経細胞中の鉄イオン検出」について、従来の測定方法では、例えば生体検査で脳内の細胞の電子スピンを測ると、すべての細胞の平均値しか測定できませんでした。これ対して、超伝導磁束量子ビットを使うと非常に空間分解能が高いために、細胞ごとのスピンの特徴の検出が可能となることに着目しました。そして、人体にもっとも多く含まれる微量金属元素である鉄の検出をテーマとして研究を進めました。なぜならば、鉄の酸化・還元状態を知ることは酸素運搬や電子伝達系の理解に重要であり、また、アルツハイマー病などの病変における鉄の細胞への沈着といった病理学的な観点でも重要な役割を果たすためです。実際の測定では、この超伝導磁束量子ビットのチップの上に、直鎖状の結晶構造を持つパラキシリレン系高分子であるパリレンの上にニューロンを培養した生体試料を貼り付けて、神経細胞中の電子スピンを検出するために超伝導磁束量子ビットのスペクトルを測定しました(図1)。生体試料中の電子スピンが高温ではバラバラの向き、低温では向きがそろうという違いを反映して磁場が変化して、その磁場の変化をスペクトルのシフトというかたちで検出すること(図2)、言い換えると、細胞1個レベルの空間分解能で、このニューロンに含まれる鉄イオンに起因する電子スピンの検出に成功しました。
この結果は非常に高感度な電子スピン検出で、その試料の量が少なくても検出できるという特徴があるため、将来の病理診断あるいは、例えば小惑星のイトカワで採取したミリグラム程度の砂のサンプルのように、非常に貴重な試料の測定にも応用できると考えています。今後はESR法でスペクトルを取り、そのスペクトルを測定することで、例えば鉄イオンに起因する電子スピンなのか、あるいは銅イオンに起因する電子スピンなのか等、どのイオンに起因する電子スピンなのかを識別していきたいと考えています。
この研究は、静岡大学との共同研究で、一部は科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」、研究課題「超伝導量子ビットを用いた極限量子センシング(研究代表者:齊藤志郎)」(No.JPMJCR1774)の支援を受けて行われ、2023年2月6日に英国科学誌『Communications Physics』に掲載されました。
「超伝導量子ビットの寿命を制限する欠陥の検出・識別」とはどのような研究なのでしょうか。
「超伝導量子ビットの寿命を制限する欠陥の検出・識別」については、量子コンピュータの基本要素である量子ビットには寿命が短いという課題があるため、この量子ビットの寿命を制限している欠陥を検出・識別することで、寿命を延ばそうとする研究です。
前述の超伝導磁束量子ビットを使ってスピンセンシングを行う研究で、センシングの感度を向上させるために量子ビットの寿命を延ばすことで量子ビットのスペクトルの線幅を細くすることをめざしていたのですが、スピンをセンシングしているときに予測とは少し異なる現象が発見され、それを個別のテーマとして取り組みました。
この量子ビットの寿命を制限している大きなノイズ源が、量子ビットを構成するジョセフソン接合の電荷揺らぎを引き起こす2準位欠陥です(図3)。超伝導磁束量子ビットの超伝導ループの中にジョセフソン接合(図中のJJ1~3)が含まれており、このジョセフソン接合部1個を拡大すると、絶縁膜を介して2つの超伝導体が接合した構造となっています。絶縁膜がエビタキシャル成長して原子が綺麗に並んでいると全く欠陥のないものとなり、寿命が非常に長くなりますが、実際今つくられている酸化アルミニウムの絶縁膜は分子が不規則に並んだアモルファス状態です。その中でトラップされた電荷、原子のトンネル現象、未結合手等が2準位欠陥の原因とされています。これまでに理論的に説明された非常に有名な2準位欠陥に関する議論の論文がありますが、2準位欠陥の存在は明確であってもそれを防ぐことができないというのが現状です。
さて、超伝導量子ビットと2準位欠陥の結合には、主に電荷型と臨界電流型の2種類のタイプが存在します。電荷型では、2準位欠陥の電荷揺らぎがジョセフソン接合の電荷の変位を引き起こすことで2準位欠陥と量子ビットが結合します。臨界電流型では、2準位欠陥の電荷揺らぎがジョセフソン接合の臨界電流の変化を引き起こすことで2準位欠陥と量子ビットが結合します。電荷型の2準位欠陥は、量子ビットの1励起と2準位欠陥の1励起が共鳴することにより、検出されます。一方、臨界電流型の2準位欠陥は、量子ビットの2励起と2準位欠陥の1励起が共鳴することにより検出されます。この検出条件の違いを実験により見出したため、異なるタイプの結合を識別することが可能となりました。
実験では、超伝導量子ビットの遷移周波数を制御しながら、2準位欠陥のスペクトルを測定することにより、量子ビットと2準位欠陥の結合タイプの違いをスペクトル上で可視化することに成功しました。これにより、量子ビットの周波数を掃引することで、異なるタイプの2準位欠陥を識別することが可能となりました。本研究を進めることで、欠陥の特性の解明が大幅に促進され、その結果を試料作製にフィードバックし、作製プロセスや材料を最適化することにより、欠陥のない長寿命な超伝導量子ビットの実現をめざします。また、短期的な応用として2準位欠陥によるノイズのモデル化が可能となることから、現状の量子コンピュータの性能向上に向けた、量子ビットのゲート操作最適化への適用が可能であると考えています。
本研究の一部はCREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」、研究課題「超伝導量子ビットを用いた極限量子センシング(研究代表者:齊藤志郎)」(No.JPMJCR1774)および、JSTムーンショット型研究開発事業「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現(PD:北川勝浩)」、研究開発プロジェクト「超伝導量子回路の集積化技術の開発(PM:山本剛)」、研究開発課題「超伝導共振器を用いたボゾニックコードの研究開発(課題推進者:齊藤志郎)」(No. JPMJMS2067)の支援を受けて行われ、米国東部時間2022年12月21日に、米国科学誌『PRX Quantum』にオンラインで掲載されました。
「超伝導ボソニック量子ビットの研究」は最近取り組みを始めたそうですね。
「超伝導ボソニック量子ビットの研究」については、JSTのムーンショット型研究開発事業研究開発プロジェクト「誤り耐性量子コンピュータ用量子ビット回路の研究開発(PM:山本剛)」の中で、研究課題「超伝導共振器を用いたボゾニックコードの研究開発(課題推進者:齊藤志郎)」として取り組みを始めたものですが、新たな成果が出てきました。
超伝導の量子回路のもっとも重要な応用先の1つが量子コンピュータです。量子コンピュータの性能を上げていくためには、量子ビットの数を増やしていく必要があるのですが、現段階では1000程度まで実現されています。量子ビットの状態は寿命が短く、また、外部の擾乱によっても状態が変わってしまい、エラーとなります。量子コンピュータとしての動作を保証するためには、量子エラー訂正が必要になるのですが、現在主流となっているエラー訂正方式では、トランズモンと呼ばれる量子ビットを用いて表面符号を実装し、量子ビットの数を増やしてその冗長性でエラー訂正を行っています。典型的なエラーレート(~0.1%)の場合、エラー訂正するために1つの論理ビット当り約1000個の物理量子ビットが必要となるため、有意義な量子計算を実行するためには100万から1億の量子ビットが必要となります(図4(a))。
それに対してボソニック量子ビットは、共振器と呼ばれる記憶キャビティと補助量子ビット(トランズモン)の組み合わせで1つの量子ビットをつくり、この共振器中の原理的に無限にあるエネルギー準位の冗長性・自由度でエラーを訂正します(図4(b))。従来方式と比較して必要な量子ビット数(ハードウェア数)を1~2桁程度減らすことが可能になります。ただし、エネルギー準位が非常に多いため、これを制御するのは非常に困難であり、その制御がボソニック量子ビットの課題です。
これまで、アルミニウム製の3次元(空洞)共振器を試作し、先行研究と同等以上の 108を超えるQ値〔共振回路の良さ(共振回路の損失の少なさ)を表す指標〕が得られました。さらに、ボソニック量子ビットの設計を最適化し、補助量子ビットの特性の向上にも成功し、ボソニック量子ビットを実装する環境が整いました。そして、第1段階として、記憶キャビティ中の光子数に応じた補助量子ビットのスペクトル分裂を観測することに成功しました。
このようにボソニックコードのエンコーディング等の成果が出始めた状況であり、今後はさらにブラッシュアップをしていくことで、共振器にbinomial codeを実装するとともに、並行してさらなる高いQ値の実現をめざして、ニオブ製共振器の試作も進める予定です。
レッドオーシャンの研究領域の先を見据えたアプローチで研究に取り組む。その共同研究には人のつながりが大切
研究者として心掛けていることを教えてください。
超伝導量子コンピュータは研究人口も増えてきており、研究も活発に行われている、いわばレッドオーシャンです。その中心では、海外の豊富なリソースに支えられた研究者により、関連技術のメインストリームの研究が行われています。リソース等で圧倒的な差がある中、正面突破することは相当なる困難を伴うことになるので、その先を見据えた少し異なるアプローチ、まだ新しくて面白くて可能性があるところを狙う、例えばボソニック量子ビットのような、将来逆転できる可能性のある領域をテーマとするよう心掛けています。前回のインタビューでは、現状分析して自分の強みを活かして新規性ができるようなテーマを探るというお話をしましたが、それをさらにパワーアップしています。
さて、前述の2準位欠陥の話ですが、当初はスピン検出の感度を上げて実際に電子スピンを検出することを目標としていたのですが、感度が足りなくて電子スピンの検出ができなかったところに、予測していない現象が検出されました。そこで、ポスドクの研究員と、この方法で逆に何が検出できるのか、という逆転の発想で考えたところ、高周波数の2準位欠陥が検出されたことが分かりました。さらに、私たちの強みである周波数可変の磁束量子ビットを使ってそのスペクトルをとることによって、量子ビットと同じ形を示すスペクトルとその2倍の周波数の形を示すスペクトルを発見し、原点に帰って2準位欠陥をベースとしてハミルトニアンを計算すると、欠陥を検出・識別できていることが分かりました。想定と異なる結果が出てきても、視点を変えながらさらに深堀することを心掛けて実践してきたことが、新たな発見に結びついたのだと思います。
さらに、この結果を「超伝導の量子計算機とアルゴリズム」という会議の招待講演で発表後、2準位欠陥の理論の研究者が寄ってきて、彼らも2種類の欠陥の識別に関する実験を繰り返してきたが結果が出なかったところにこの発表を聴いて、この結果のすばらしさに感嘆してくれました。私が心掛けてきたことがこうした結果として花開くとともに、将来的にさらに研究が進んで理論的な裏付けが必要になったときに、連携や共同研究のチャンスが生まれたことを大変うれしく思います。
後進の研究者へのメッセージをお願いします。
人とのつながりを大切にしてほしいと思います。
「超伝導磁束量子ビットによる神経細胞中の鉄イオン検出」においては、超伝導量子ビットと生体試料の組み合わせで成果を出すことができましたが、NTT物性科学基礎研究所では、メカトロニクスと光の組み合わせによる成果をはじめ、最近異分野間のハイブリッドな組み合わせによりさまざまな成果が出てきています。これはプロフェッショナルな研究者どうしのつながりで共同研究が進んだ結果で良い成果が出ているのです。さらにNTTのみならず外に目を向けると、日本国内には大学等に優秀な先生方がいらっしゃって、NTTの中にはない研究をしている方もいるので、アンテナを高くして共同研究できそうなチームを見つける、あるいは海外に目を向ければさらにそのチャンスが広がります。このチャンスを活かして、自分の研究の広がりを持たせるためには、こうした研究者とのつながりが重要になってきます。
そして、何事にも積極的にチャレンジするといいと思います。例えば、ムーンショットプロジェクトやJSTのCREST等の大きなプロジェクトにチャレンジしてみることもいいと思います。応募の手続きは結構手間がかかる部分もありますが、研究の目的や計画が明確化されますし、採択されるとそこに人も集まってきます。まさに、人とのつながりをつくるいいチャンスにもなります。
さらに、海外での研究経験も、日本とは違う研究文化に触れることのほか、海外の優秀な研究者と人のつながりができるので、ぜひ積極的に飛び込んでほしいと思います。