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新機能物質・材料創製研究の最前線

磁気的純化されたエルビウム希薄添加酸化物結晶の作製と光物性 ―― 量子情報操作プラットフォームをめざして

希土類元素であるEr(エルビウム)は通信波長帯光子による量子情報操作のプラットフォームとして期待されています。しかしEr添加母体結晶の高品質エピタキシャル成長が困難なことや量子操作の性能を決定する量子情報の保持時間が理論的に予測されるものよりはるかに短いことなどが問題でした。本稿ではErの母体結晶として相性の良い希土類酸化物、特に量子情報保持時間の短寿命化の主要因である核スピンを除去(磁気的純化)した母体酸化物結晶(CeO2:酸化セリウム)に着目し、その薄膜のSi基板上への高品質エピタキシャル成長と光学的性質について紹介します。

俵 毅彦(たわら たけひこ)/ 稲葉 智宏(いなば ともひろ)

NTT物性科学基礎研究所

Er希薄添加酸化物とその量子状態操作プラットフォームとしての応用

均一な固体結晶中に添加された希土類原子は、母体材料の違いなどの外部環境や温度に左右されない確定的、離散的かつ揺らぎの少ない理想的なエネルギー量子準位を形成することが古くから知られています。これは希土類原子特有の電子配位、すなわち外界から電気的に遮蔽された4f 電子軌道を有するためです。近年このような優れた希土類原子の量子準位を、量子情報通信における量子情報操作デバイスのプラットフォーム、特に光量子メモリ等へ応用する研究がさかんに行われています。ここで量子情報操作とは、量子情報の伝達を担う光子をいったん物質中の電子に転写し、その電子状態に何らかの演算を加え、再びその情報を持つ光子として放出するものです。このとき情報が転写される物質の電子状態(量子準位)は、エネルギー的な揺らぎが小さい(量子情報を失うまでの時間が長い)必要があります。この要請を満たす物質として希土類原子は優れているのです。特に希土類元素の1つであるEr(エルビウム)は唯一通信波長帯光(波長1.55 μm)との相互作用が可能です。そのため既存の光ファイバ網を用いた量子光通信を考えた場合、量子情報操作デバイスのプラットフォームとしてEr添加結晶は非常に有望であるといえます(1)。
では具体的にどのようなEr添加結晶が求められるでしょうか。まずErは“希薄”に添加される必要があります。その理由は添加されたEr原子どうしの距離が近いとEr原子間でエネルギー、つまり量子情報のやり取りをしてしまい、瞬時に情報を失ってしまうからです(2)。そのため十分にEr原子間の距離を離す(希薄化する)必要があります。またErを添加する母体結晶は、Erの量子準位の形成、特に量子準位の揺らぎの程度に強く影響を与えます。例えば母体結晶を構成する各原子が核スピンを持つ場合、大きな磁気的揺らぎが発生し、量子準位の揺らぎは大きくなります。これも量子情報を短時間で失ってしまう要因です。さらに効率的な量子情報操作をするためには、母体結晶に光を強く閉じ込めErとの相互作用を高める必要があります。これにはSi(シリコン)フォトニクスで培われてきた光回路(光共振器、導波路、合波・分波デバイス等)作製技術が有用です。そのため母体結晶はSi基板上に薄膜として形成されることが望まれます。
このような磁気的揺らぎが少なく、かつSi基板上に薄膜として結晶成長可能な材料候補として希土類酸化物薄膜があります。希土類酸化物の結晶構造はSiと同じ立方晶構造をとり、しかもその格子定数がSiのちょうど2倍に一致します。これはSi基板上にエピタキシャルに成長できる可能性があることを示しています。さらに数多くある希土類原子の中でもCe(セリウム)は、唯一核スピンを持ちません(図1)。すなわちCeは磁気的揺らぎがなくErの量子状態に影響を与えない優れた特徴を持ちます。ちなみに酸素も核スピンを持つ同位体の天然存在比は非常に小さいため、希土類酸化化合物であるCeO2(酸化セリウム)がSi基板上でのEr添加母体結晶としてもっとも有望であるといえます。しかしCeO2は研磨剤や還元触媒などとして研究されてきた物質であるものの(3)、これまで量子情報操作プラットフォームをめざしたErの添加母体結晶として、かつSi基板上のエピタキシャル結晶薄膜としての研究例はありませんでした。

図1 各原子の核スピンを持つ同位体の天然存在比率

Er希薄添加CeO2薄膜の結晶成長

Er希薄添加CeO2はMBE(Molecular Beam Epitaxy:分子線エピタキシー)法を用いて、表面が清浄化されたSi(111)基板上に640 ℃で30 nmの膜厚で成長しました(4)。また希土類原料は高純度(>99.99%)のErおよびCe金属を用い、O*(酸素原子ラジカル)で酸化することにより希土類酸化膜を成膜しました。添加母体となるCeO2の高品質結晶を得るためには、形成された薄膜が化学量論的組成(ストイキオメトリ、今の場合Ce:O=1:2)を持つように、CeとO*の供給比を調節する必要があります。そのため一定のO*供給量の下、Ceの供給量を変化させ結晶品質を調べました。結晶成長後のRHEED(Reflection High-Energy Electron Diffraction:反射高速電子回折)を図2に示します。Ce供給量が少なく酸化力が過剰な場合(図2(a)、(b))ではアモルファス状態を示すハローパターンを、またCe供給量が多く酸化力不足となっている場合(図2(d)、(e))では多結晶状態を示すリングパターンが現れています。一方で図2(c)では表面が平坦かつ単結晶成長していることを示すストリークパターンが観察され、このCe供給量でストイキオメトリに近い薄膜が形成されていることが分かります。またこのCe/O*供給比を一定に保ったまま、それぞれの供給量を増やした場合(図2(f))においても、ストリークパターンが維持されることも分かりました。このため、Erを希薄添加する際に、母体CeO2結晶の結晶成長速度を変えることによって、結晶品質は一定に保ったまま、Er濃度を変化させることができます。
CeO2には私たちがターゲットとしている立方晶fluorite構造CeO2だけでなく、立方晶bixbyite構造Ce2O3や六方晶構造などの複数の結晶構造が存在します。上記のRHEEDではこの結晶構造の違いまでは判別できないため、X線回折法(XRD)とX線光電子分光法(XPS)を用いて、結晶構造をさらに詳細に調べました。図3(a)のXRDスペクトルから見積もられる結晶格子間隔は3.11 Å(オングストローム)*となり、これは立方晶CeO2に一致し、六方晶構造は存在しないことを示しています。さらに結晶が均一かつ原子レベルで平坦に成長できている際に観測される周期的なサテライトピークの間隔から、成長した酸化セリウムの膜厚が26.4 nmであることが分かり、これは想定した成長膜厚とほぼ一致します。また図3(b)のCe 3d軌道のXPSスペクトルから見積もられるCe原子の荷電状態はすべてfluorite構造CeO2の場合のCe4+であり、bixbyite構造Ce2O3の場合のCe3+は存在しないことを示しています。以上のことから成長したCeO2薄膜は所望の立方晶fluorite構造のCeO2であることが実証されました。
成長したEr添加CeO2の断面TEM(Transmission Electron Microscopy:透過型電子顕微鏡)像を図4に示します。この結果から、表面が非常に平坦であることに加え、結晶欠陥や異なる結晶構造相のない非常に結晶品質の高いEr添加CeO2薄膜結晶が得られていることが分かります。このように高品質Er添加CeO2の薄膜結晶のSi基板上へのエピタキシャル成長が初めて実現されました。

* オングストローム:原子、分子の大きさや、可視光の波長などを表わす長さの単位。1 Å=10-10 m

図2 結晶成長後のRHEED像

図3 CeO2の構造特性

図4 成長したEr添加CeO2の断面TEM像

Er添加CeO2薄膜結晶の光学特性

高品質Er添加CeO2薄膜結晶の光学特性について調べました。PL(Photoluminescence:フォトルミネッセンス)の励起波長依存性のカラープロットを図5に示します。PL測定は試料へレーザ照射することでエネルギーを与え試料中の電子を高いエネルギー(励起)状態に遷移させ、この励起電子が低いエネルギー状態に戻るときに発する光を観測するものです。ここでは添加Er濃度は4%(図5(a))から1%(図5(c))まで変化させ、温度4Kで測定しています。いずれのEr添加濃度においても、励起波長(縦軸)1512 nmに対してPL波長(横軸)1533 nmに鋭い発光が出現していることが分かります。これは希薄添加されたEr原子が母体CeO2結晶中のCeサイトを確かに置換するとともに光学的に活性化していることを表しています。言い方を変えれば、このEr濃度範囲ではEr原子が結晶格子間に存在したりErクラスタを形成したりしていないことを意味しています。複数の発光ピークが現れているのは、CeO2母体の持つ結晶場により添加Erのエネルギー準位が分裂しているからです。
この発光スペクトルを詳細に比較したものが図6(a)です。いずれのEr濃度においても同じ波長に発光ピークが現れていると同時に、Er濃度が低くなるほど発光強度は増大しています。これはEr濃度が低くなるにつれEr原子どうしの距離が離れ母体結晶中で孤立化することで、Er-Er原子間相互作用によるエネルギー移動を伴う非発光過程が抑制される(発光効率が増強される)ためです。この添加Erの希薄化による非発光過程の抑制は発光寿命にも変化をもたらします。発光寿命のEr濃度依存性を図6(b)に示します。発光寿命は照射する励起レーザをパルス化し、レーザ照射後に現れる試料からの発光の強度変化を時間領域で測定するものです(図6(b)の挿入図)。図6(b)からEr濃度の減少に伴い発光寿命が長寿命化しているのが分かります。また図中の点線はこれまでに量子光学結晶として用いられてきたYSi2O5母体結晶に0.001%の極希薄Erを添加したときの発光寿命(約11 ms)を示していて、Er-Er原子間相互作用を無視できる固体中のErの真の発光寿命と考えられます。今回用いたEr添加CeO2ではEr最低濃度が1%でしたが、あと一桁程度添加濃度を下げることでEr-Er間相互作用を完全に抑制し、Er原子を固体中で完全に孤立化させることができると考えられます。このように発光特性においても、確定的なエネルギー状態の形成やEr濃度低下による発光効率の増強と寿命の長寿命化などが観測され、結晶構造的だけでなく光学特性的にも高品質なEr希薄添加CeO2薄膜を得ることに成功しました。

図5 PLの励起波長依存性のカラープロット

図6 発光スペクトルと発光寿命のEr濃度依存性

今後の展開

今回得られた高品質Er希薄添加CeO2薄膜では量子情報の保持時間が従来の添加母体結晶に比べ長寿命化していることが期待されます。今後結晶表面に光導波路構造等を作製することにより、この保持時間を評価するとともに通信波長帯光によるオンチップでの量子状態操作の実現をめざします。

■参考文献
(1) T. Tawara, H. Omi, T. Hozumi, R. Kaji, S. Adachi, H. Gotoh, and T. Sogawa:“Population dynamics in epitaxial Er2O3 thin films grown on Si(111)、”Appl. Phys. Lett., Vol.102, No.24, 241918, 2013。
(2) T. Tawara, Y. Kawakami, H. Omi, R. Kaji, S. Adachi, and H. Gotoh:“Mechanism of concentration quenching in epitaxial (ErxSc1-x)2O3 thin layers、”Opt. Mat. Express, Vol.7, No.3, pp.1097-1104, 2017。
(3) E. J. Schelter:“Cerium under the lens、”Nat. Chem., Vol.5, No.4, p.348, 2013。
(4) T. Inaba, T. Tawara, H. Omi, H. Yama-moto, and H. Gotoh:“Epitaxial growth and optical properties of Er-doped CeO2 on Si(111)、”Opt. Mat. Express, Vol.8, No.9, pp.2843-2849, 2018。

(左から)稲葉 智宏/俵 毅彦

希土類原子は私たちの周りでさまざまなかたちで利用されていますが、その量子光学応用は比較的新しい研究分野です。希土類原子の持つユニークな特徴がどのように活かされ、この研究分野がどこまで発展していくのかとても楽しみです。

問い合わせ先

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