2025年6月号
For the Future
量子コンピュータで社会やビジネスはどう変わるか-後編-
- 量子コンピュータ
- 商用化
- ビジネスモデル
量子コンピュータ技術は発展途上にありますが、量子コンピュータが新たなビジネスになることを見越して、現時点の技術を活用して、量子コンピュータを商用化する動きがみられます。また、海外の大手IT企業、ベンチャー企業、また日本企業なども商用化に向け積極的な動きをみせています。本稿では、上記のプレイヤの動向を紹介するとともに、現状でのビジネスモデルについて整理します。また、量子コンピュータの具体的な利用シーンに触れ、実用化に向けた動きがあることを紹介します。
はじめに
前編では、量子技術の概要や実用化に向けた課題、また量子技術が社会や経済に与えるインパクトが明らかになったことによって、各国政府が先を競うように量子技術実用化に向けた政策を策定していることなどを概観しました。その中で、量子技術の本格的な実用化はまだ先であることを紹介しましたが、海外の大手IT企業など一部の企業では、量子コンピュータのサービスの提供を開始しています。
本稿では、一部の先行する企業がどのようなサービスを展開しているのか、またどのようなビジネスモデルを検討しているのかについて紹介します。
量子コンピュータの実用化に向けた動き
海外では、米国を中心とした大手IT企業やベンチャー企業が量子コンピュータの商用サービスをすでに開始しています。今回紹介する多くの企業がクラウドを通じた量子コンピューティングリソースの提供というかたちでビジネスを展開しています。ここでは、まず量子コンピュータ提供に向けて動きをみせる大手IT企業の動向について紹介します。
■IBM
IBMは比較的早期(2016年ごろ)から量子コンピュータをクラウドを通じて提供した企業です。同社は「IBM Quantum Platform」という名称で、クラウドを通じた量子コンピュータへのアクセスを提供しています。現在では前編でも紹介したように、433量子ビットの「IBM Quantum Osprey」などを開発し、2025年に1092量子ビット以上の量子プロセッサを開発する計画を発表しています。また、クラウドサービスだけでなく、量子コンピュータを利用するための開発環境である「Qiskit」というフレームワークの開発、提供も併せて行っています。
IBMの量子コンピュータのクラウド利用では、無料で限定的な利用ができるものと、従量料金制など有料の料金設定が行われるなど幅広いプランが提供されています。無料プランによって利用者を引き付け、計算量や実現したい内容の高度さに応じて料金プランを設定することによって、一部の大企業だけでなく幅広い層を同社のクラウドサービスに取り込もうとしていることがうかがえます。
また、IBMは各国に据置型の量子コンピュータ「IBM Quantum System One」を設置し始めており、日本では東京大学、川崎市の量子イノベーション拠点などで稼動しています。これにより各地域で企業や研究者が低遅延でIBMの量子リソースにアクセスできる環境を整備しています。
■Amazon
Amazonは同社のクラウドサービスAWS(Amazon Web Services)上で提供する「Amazon Braket」を通じて、量子コンピュータのサービスを展開しています。同社の特徴としては、後述する他社の量子コンピュータのハードウェアを利用できるようになっている点です。例えば、IonQ、Rigetti、Oxford Quantum Circits(OQC)、QuEraといった複数の企業の量子コンピュータを同社のクラウドサービスを通じて利用できるようになっており、Amazon Braketの利用者は目的などに適したプラットフォームを利用することが可能です。
Amazon Braketを利用する際のサービスは従量料金制であり、基本料金や月額料金などは不要となっています。AWSサービスと組み合わせて利用することもでき、これがAmazonの強みとなっています。
また、2021年にカルフォルニア州のパサディナに「AWS Center for Quantum Computing」を設立し、独自の量子コンピュータの開発にも乗り出しています。クラウドサービスの提供だけでなく、量子技術の研究開発も進めている点が注目されます。
■Microsoft
MicrosoftもAmazonと同様に自社のクラウドサービスである「Azure」上に「Azure Quantum」というクラウドサービスを提供しています。Amazonと同様にIonQ、Quantinuum、Pasqalといった他社の量子コンピュータのハードウェアを利用することができます。
これらのサービスを利用する際には従量料金が基本となっています。
同社の強みはハードウェア、ソフトウェア、利用のための学習リソース、コミュニティなどを形成している点であるといわれています。特に「Quantum Development Kit」や「Q#」というプログラミング言語の開発に注力し、量子ソフトウェア開発環境の整備を進めています。
また、2023年には「Azure Quantum Elements(1)」という、AI(人工知能)と高性能コンピューティング、量子プロセッサを組み合わせて分子シミュレーションや計算化学、材料科学の計算を行うプラットフォームも発表しています。これは量子コンピュータの性能がまだ限定的である現状において、既存の手段(計算資源)と組み合わせることで、実用的な問題解決を図る現実的なアプローチとみることができます。
GoogleもAmazonやMicrosoftと同様に「Google Cloud Marketplace」を通じてIonQの量子コンピュータを利用できるようにしています。他社と比較すると、現時点では自社でハードウェアや量子アルゴリズムを開発するといった研究開発主導の色が濃く出ています。
Googleは2019年に「量子超越性(Quantum Supremacy)」を達成したと発表(2)し、注目を集めました。これは特定の計算において、量子コンピュータが世界最速のスーパーコンピュータよりも高速に処理できることを示したものです。「シカモア(Sycamore)」と呼ばれるプロセッサを用いて、世界最速のスーパーコンピュータでは1万年かかるとされる計算を約200秒で実行したと発表しています。
また、同社は量子エラー訂正にも力を入れており、2023年には論理量子ビットの実装に成功したと発表しています。量子ビットのエラー率を下げることは、実用的な量子コンピュータの実現に向けた重要な課題であり、この分野での進展は業界に大きなインパクトを与えています。
海外ベンチャー企業
上記では大手IT企業の量子コンピュータのビジネス動向をみてきましたが、海外のベンチャー企業も商用サービスの提供を開始しています。以下では一例を紹介します。
■D-Wave Systems
カナダのD-Wave Systemsは世界で初めて、量子アニーリング方式を用いた量子コンピュータを商用化したパイオニアといえるでしょう。量子アニーリングは特定の最適化問題を解くのに適した方式であるため、同社がターゲットとする顧客層は、複雑な組合せ最適化問題を抱える企業となります。
同社の量子コンピュータは、ロッキード・マーティンやNASAなどが採用したことにより注目を集めました。2020年には5000量子ビットを搭載した「Advantage」システムをリリースし、「Leap」というクラウドサービスを通じてアクセスを提供しています。Leapでは開発者向けに月に一定時間の無料利用枠も提供し、追加利用は課金制となっています。
実際に同社の量子コンピュータが活用された近年の事例としては、日本ではNTTドコモが基地局の混雑解消の研究に活用したこと(3)が挙げられます。
■IonQ
IonQは米国のベンチャー企業で、イオントラップ方式の量子コンピュータを開発しています。ビジネスモデルとしては当初からクラウド経由での量子コンピューティング提供に注力しており、「Quantum as a Service (QaaS)」モデルと呼ばれるようなモデルを展開しています。2021年にはNYSE(ニューヨーク証券取引所)に上場し、量子コンピュータ企業として初めての公開企業となりました(4)。
IonQのビジネス上の特徴は、Google、Microsoftなどクラウド基盤を持つ大手IT企業に量子コンピューティングサービス提供しています。また、IonQは独自にエンタープライズ向けクラウドも運営しており、直接契約して使うことも可能で幅広いユーザにリーチしています。
IonQはさまざまな企業や研究機関とのコラボレーションを進めています。例えば自動車メーカのHyundaiとはバッテリ材料の最適化で協業(5)し、金融分野ではGoldman Sachsなどと量子アルゴリズムのPoC(Proof of Concept)を行った例(6)があります。政府系では2025年に米国空軍研究所と量子ネットワークに関する契約などを締結(7)しており、公的セクターにも顧客を広げています。
今回ですべての企業を網羅的に紹介したわけではありませんが、現在市場から注目を集めるような企業はクラウドを経由してサービスを提供しています。各社が提供する量子クラウドサービスでは、ユーザはインターネットを通じてリモートの量子コンピュータを活用するようなかたちです。量子コンピュータは極低温環境など特殊な設備を要するため、自社にこういった環境を整備するよりも、クラウドを利用することが現実的だと考えられます。
日本企業の量子コンピュータ商用化の動向
上記では、海外で商用化を進める企業を紹介してきました。それでは日本の企業における商用化の状況やビジネスモデルはどのようになっているのでしょうか。
■日本電気(NEC)
日本電気(NEC)は、2019年12月に量子コンピューティング領域に本格参入することを公表(8)、また2020年6月にはD-waveへの出資および協業することを公表(9)しています。NECはD-waveが提供する量子アニーリングサービスを通じて、最適化問題の解決を促進するようなソリューションの展開を行うとともに、量子コンピューティングの概要が学べるコースや、アニーリングマシンのツールや使用方法を学ぶ実践コースなどを提供し、人材育成などを行う「量子コンピューティング教育サービス」も併せて提供していることが特徴です。
量子ゲート方式の量子コンピュータ開発においては、大阪大学と共同で超伝導量子ビットの研究を進めており、2021年には基礎研究の成果として、高精度な量子ゲート操作の実現に成功したと発表しています。
■富士通
富士通は、理化学研究所と2021年に「理研RQC-富士通連携センター」を設立(10)し、超伝導量子コンピュータの実用化に向けた開発を進めています。また、2023年10月には、富士通が理研のノウハウをベースに開発した国産超伝導量子コンピュータ2号機と量子コンピュータシミュレータを組み合わせた法人向けのサービス「Fujitsu Hybrid Quantum Computing Platform(11)」の提供も開始しています。同プラットフォームは、量子コンピュータと高性能コンピュータ(HPC)を組み合わせたハイブリッド環境を提供しています。これにより、現在の量子コンピュータの制約を補いながら、実用的な問題解決に取り組むことが可能になっています。
■NTT
NTTは2023年3月に理化学研究所ほかとともに開発した超電導量子コンピュータをクラウドで公開し、外部からの利用が可能となったことを公表(12)しました。また、共同研究において、NTTは、NTTコンピュータ&データサイエンス研究所によって研究されている量子ビットの制御技術を提供しています。さらに、2024年11月に理化学研究所ほかとともに、「汎用型光量子計算プラットフォーム」の開発に成功したことを公表(13)しました。光方式による量子コンピュータは室温で動作し、また高速かつ大規模な量子計算が可能になることが期待されています。共同研究において、NTTは、NTT先端集積デバイス研究所によって長く研究されている超高速通信用光デバイスを基に開発した量子光源を提供しています。
■日立製作所
日立製作所はシリコン量子コンピュータの実用化に向け、理化学研究所や東京工業大学と連携した研究開発を行っています。同社が開発するシリコン量子ビットは半導体技術の応用が可能な点が特徴で、2024年6月には量子ビットの寿命を100倍以上延伸する新技術を発表しました(14)。
日本政府の「ムーンショット型研究開発事業」では、2025年までにシリコン量子コンピュータによる64量子ビット演算の実証や小規模回路での量子ビット演算の実証を目標に掲げ、2030年の実験的クラウドサービス提供を見据えた開発ロードマップを策定しています。
日本企業の量子コンピュータへの取り組みは、今回紹介した海外企業と比較すると、ハードウェア開発そのものよりも応用技術やソリューション開発に重点が置かれている傾向がみて取れます。また、理化学研究所などの研究機関との連携が盛んであり、産学連携による技術開発が進められていることが大きな特徴といえるでしょう。
ビジネスモデルとしては、量子コンピュータを直接提供するよりも、量子技術を応用した特定の問題解決や、既存のITサービスとの統合に焦点を当てたアプローチが多くみられます。
商用化動向に関するまとめ
前編でも紹介したように、量子コンピュータの本格導入は、技術面からはまだこれからであると考えられます。本稿では、その一方で、量子コンピュータの将来性に期待し、現状利用可能な技術を活用して、商用化を試みる企業の一部の動向について紹介してきました。
まだ、揺籃期ともいえる量子コンピュータ市場について概観をまとめることは早すぎるかもしれませんが、現在の量子コンピュータ市場の概観を以下のようにまとめました(図1)。
この図は、量子コンピュータの市場動向を大まかに把握することを目的として、量子コンピュータを商用転換する際に必要な機能を中心に単純化してまとめたものです。今後、量子コンピュータの技術や市場、利用シーンが拡大されることによって、図1は大きく変化していくことが考えられます。
上記で紹介してきたように、海外の大手IT企業、ベンチャー企業は図1ではハードウェアやインフラストラクチャーを中心に展開していると考えられます。これらの企業の量子コンピュータを提供する際のビジネスモデルは現状ではクラウド提供となります。量子コンピュータを稼動させるためには特殊な設備が必要であり、自社ですべてを準備することは容易でない企業も多数存在すると考えられることから、このようなビジネスは今後も継続することが考えられます。また、IBMやMicrosoftに代表されるように、自社のクラウドプラットフォームを活用した開発を支えるソフトウェアの開発環境の提供を無料で行っていることがあげられます。開発環境を無料で提供することにより、自社クラウド利用へより多くの開発者を引き入れるための1つのビジネス戦略であるといえるでしょう。
一方、国内企業も研究機関との連携に基づき、ハードウェアなどの開発に注力していますが、海外の大手IT企業やベンチャー企業と比較するならば、アプリケーションやサービスを開発・提供する傾向がみてとれます。
量子コンピュータのメリットを最大限に活用するためには、ハードウェアだけでなく、ソフトウェア分野の発展が必要不可欠になるでしょう。現状では、ソフトウェアの開発環境は整いつつありますが、そのほかにも容易に利用することが可能なアルゴリズムのライブラリやアルゴリズム自体の開発が必要不可欠であると考えられます。また、前編で触れたように量子コンピュータはノイズに弱いという性質を持っているため、今後はエラーの訂正や緩和を行うようなソフトウェアの開発が必要不可欠であると考えられます。現状でも量子コンピュータの利用シーンは拡大しつつありますが、今後は、さらなる利用拡大にハードウェアと併せてこのようなソフトウェア分野での発展が期待されています。
また、今後は自社で量子コンピュータ自体の開発を行うわけではありませんが、今回紹介した企業のハードウェア、インフラストラクチャー、ソフトウェア(開発環境など)を活用して、企業の課題解決を行うコンサルティングサービスも拡大していくことが考えられます。
量子コンピュータの利用シーン
以上のように、国内外の企業において、量子コンピュータの活用、ビジネスの展開が進んでいます。それでは、具体的にどのような分野での活用が行われているのでしょうか。
国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、「量子・古典ハイブリッド技術のサイバー・フィジカル開発事業」において、量子コンピュータ活用の糸口となる情報提供を目的として、国内企業を中心とした量子コンピュータのビジネスでの利活用事例56事例を公表(15)しました。この資料の整理を援用するほかに、他社の事例を参考として、量子コンピュータの主要な応用分野、ユースケースについて紹介します。
■製造・組み立て(ユースケース:物流最適化)
物流業界では、配送ルートの最適化、倉庫内の在庫配置、積載効率の最適化など、多くの組合せ最適化問題が存在します。量子コンピュータ、特に量子アニーリングマシンは、これらの問題に対して効率的な解を提供することができます。図2は株式会社アイシンが、量子コンピュータを用いて輸送の最適ルートを割り出す技術を開発した際のイメージ図となります。物流においては、効率化のために、トラックに積む荷物の量、目的地までの最短経路、荷物を届けるのに必要な最小トラック台数などを反映した最適なルート設計が効率化を実現するために必要不可欠になりますが、上記の条件を反映し、最適なルートを導くためには膨大なデータ量を計算する必要があるといわれています。この計算を従来のコンピュータ(古典コンピュータ)で行うには、年単位の時間を要することもありますが、量子コンピュータでは秒・分単位で結果を得ることができるため、量子コンピュータが適しているのです。
■製造・プロセス(ユースケース:材料設計)
量子コンピュータは、複雑な分子構造のシミュレーションに強みを持ちます。従来のスーパーコンピュータでは計算が困難だった大規模な化学計算が可能になることで、新素材の開発や医薬品の設計が加速されると期待されています。
2021年5月、三菱ケミカルグループは慶應義塾大学、日本IBM、JSRと共同で行った研究において、有機EL発光材料の性能予測を、量子コンピュータを用いて高い精度で計算することに成功したと公表しています(16)。
■創薬・医療(ユースケース:タンパク質の分子シミュレーション)
創薬のプロセスは、候補化合物の探索から臨床試験まで、多くの時間とコストがかかります。量子コンピュータは、分子ドッキングシミュレーション(薬剤とタンパク質がどのようにフィットするかをコンピュータ上で試すもの)など、創薬の初期段階で活用されることで、創薬の際に有望な候補を短時間で絞り込むことができるなど、プロセスの大幅な短縮が期待されています。
2024年11月にはデロイトトーマツと中外製薬がコンピュータ上で薬物の作用を原子レベルで再現し、シミュレーション結果に基づいて新しい薬を設計する薬物デザインに量子コンピュータを活用することを公表しています(17)。
■金融(ユースケース:リスク管理とポートフォリオ最適化)
金融業界では、資産配分の最適化、リスク計算、デリバティブ価格計算など、多くの複雑な計算が必要とされています。量子コンピュータは、これらの計算を高速化し、より精度の高い金融モデルの構築に貢献することが期待されています。
三菱総研DCSほかは2024年1月に、金融リスク管理を主な対象として、量子コンピュータの導入に関する研究開発を開始しました。金融リスクの予測に要する計算量は膨大で、非常に多くの計算時間を要します。同社は金融領域で量子コンピュータを使って計算量を大幅に減らせると期待されている「VaR(バリュー・アット・リスク)」を実装していくプロジェクトを進めています(18)。
■交通(ユースケース:都市交通最適化)
都市の交通管理は、信号制御、公共交通機関の運行スケジュール、交通量予測など、多くの要素が絡む複雑な問題です。量子コンピュータは、これらの要素を総合的に考慮した最適化を行うことで、渋滞の緩和や交通効率の向上に貢献することが期待されています。
量子コンピュータを用いた交通の最適化のイメージは図3左のようになります。2台の車がそれぞれS1からG2、G1からG2に移動する場合、最適化前は2台の車が重なって走行する区間が多く、混雑することが想像できるでしょう。一方、最適化後を見てみると、重なる経路は一部でありその結果、混雑も少なくなることが考えられます。2025年3月には、NECが東北大学との共同研究の一環として、量子コンピュータを用いた交通量最適化の取り組みを行ったことを公表しました(図3右)。この研究では、最適化に関するアルゴリズムを改良し、これまで量子コンピュータ(アニーリング方式)で解かれていた「交通量最適化モデル」では、単純に各車両の経路がお互い重なっていればいるほど交通渋滞とみなした「経路重複率」だけを評価指標としていたものから、各車両の移動速度と交差点通過時刻を時系列データとして組み込んだものになっています。さらなる最適化を求め、経路の重なりだけでなく、車両の移動速度や交差点通過時刻のような複雑な計算にも対応することが可能であることがこの事例から理解することができます。
■エネルギー(ユースケース:電力網の最適化)
電力業界では、発電所の運用スケジュール、電力需要予測、電力取引価格の最適化など、多くの最適化問題が存在します。特に再生可能エネルギーの導入が進む中、天候による発電量の変動を考慮した電力網の安定運用は重要な課題となっています。
ドイツのエネルギー企業E.ONとIBMは、天候変動などによりコストが変動する多数の再生可能エネルギーの導入によって生じた電力網の複雑化に対応する目的で量子コンピュータを活用しています(19)。量子コンピュータの導入により、複雑な問題の解決が可能となり、電力網の柔軟性と効率性の向上が期待されています。
■AI(ユースケース:量子機械学習)
量子コンピュータの計算能力を機械学習に応用する「量子機械学習」は、従来の機械学習よりも高速かつ精度の高い学習が可能になると期待されています。AIで用いられているニューラルネットワークは人間の脳を模してデータをAIに処理させるもので、データの入力および出力を繰り返しながら重み付けを変更し、モデルの精度を向上させていく仕組みになっています。モデルの精度向上には大規模なデータセットの処理や、複雑なパターン認識などが必要不可欠であり、大きな計算量を必要とするAI分野において、量子コンピュータが優位性を発揮する可能性があります。従来(古典)の機械学習と比較したイメージを図4に示します。
まとめ
本稿では、量子コンピュータの実用化に向けた動きと、具体的な利用シーンについてみてきました。
IBMやGoogleなどが開発する量子コンピュータ(量子ゲート方式)は、数10から数100量子ビットの規模であり、限定的な問題に対しては従来のコンピュータを上回る性能を示すケースもありますが、汎用的な実用化にはまだ課題が残されています。日本でも、実証実験を含め企業などでの具体的な利用が始まっています。
量子コンピュータの実用化は段階的に進んでいくと考えられます。今後5~10年の間に、特定の分野(材料設計、創薬、最適化問題など)での実用化が進み、その後、より広範な分野への応用が広がっていくことが予想されます。
現在の主なユーザは、国の研究機関や大学といった研究機関、金融、製薬・化学、素材、自動車、物流、エネルギーなど、計算力が競争力に直結する業種の大手企業となっていることが多いです。また、民間企業の中でも大手のコンサルティングファームやSIerは顧客企業向けに量子活用支援を行っている事例も注目に値します。
日本企業にとっても、量子コンピュータは単なる技術トレンドではなく、今後の産業競争力を左右する重要な技術基盤となる可能性があります。グローバルな技術開発競争の中で、日本の強みを活かした独自のポジショニングを構築し、量子時代の産業発展をリードしていくことが期待されます。
■参考文献
(1) https://news.microsoft.com/source/features/innovation/azure-quantum-elements-chemistry-materials-science
(2) https://blog.google/intl/ja-jp/company-news/technology/2019_10_computing-takes-quantum-leap-forward/
(3) https://dwavejapan.com/app/uploads/2025/01/NTT-Docomo-Case-Study-JapaneseV9.pdf
(4) https://ionq.com/news/october-01-2021-ionq-listed-on-nyse
(5) https://ionq.com/news/ionq-and-hyundai-motor-company-expand-quantum-computing-partnership
(6) https://investors.ionq.com/news/news-details/2021/Goldman-Sachs-QC-Ware-and-IonQ-Demonstrate-Quantum-Algorithms-Proof-of-Concept-That-Could-Revolutionize-Financial-Services-Other-Industries/default.aspx
(7) https://ionq.com/news/ionq-announces-new-usd21-1-million-project-with-united-states-air-force
(8) https://jpn.nec.com/press/201912/20191220_01.html
(9) https://jpn.nec.com/press/202006/20200618_01.html
(10) https://pr.fujitsu.com/jp/news/2021/04/1.html
(11) https://pr.fujitsu.com/jp/news/2023/10/5.html
(12) https://group.ntt/jp/newsrelease/2023/03/24/230324a.html
(13) https://www.riken.jp/pr/news/2024/20241108_2/index.html
(14) https://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2024/06/0617.html
(15) https://www.nedo.go.jp/content/800020904.pdf
(16) https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/files/2021/5/26/210526-1.pdf
(17) https://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/about-deloitte/articles/news-releases/nr20241119.html
(18) https://www.dcs.co.jp/knowledge/report/ryoushi_computer/
(19) https://www.ibm.com/case-studies/eon

主任研究員 三本松憲生
■監修
NTT物性科学基礎研究所
畑中大樹/樋田啓