2026年2月号
明日のトップランナー
光通信の限界を突破する、InP系半導体の極広帯域アナログIC

増大する通信トラフィックを支える通信環境の進展は、デジタル信号処理や集積回路の性能改善によって支えられてきました。しかし昨今、ハードウェア性能の制約で抜本的な改善が見通せない状況が顕在化しつつあります。この問題に風穴を開けるのが、「極広帯域アナログIC」技術です。この新技術によって、従来のシリコン系半導体の微細化による性能改善だけに頼った方法からの脱却が可能となります。今回はこの「極広帯域アナログIC」のトップランナー、長谷宗彦特別研究員にお話を伺いました。
長谷宗彦
NTT先端集積デバイス研究所
特別研究員
PROFILE
2005年上智大学 理工学部3年時に飛び級で同大学院理工学研究科に進学。2007年修士課程修了。同年、日本電信電話株式会社入社。フォトニクス研究所、デバイスイノベーションセンタを経て、先端集積デバイス研究所、未来ねっと研究所に所属。超高速アナログICの研究開発に従事。2021年上智大学 博士(工学)取得。2022年文部科学大臣表彰・若手科学者賞、前島密賞・奨励賞、2025年IEEE Tatsuo Itoh Award、電子情報通信学会・エレクトロニクスソサイエティ賞など受賞。
「極広帯域アナログIC」がこれからの光通信の進展の鍵となり、未来を切り拓く
■極広帯域アナログICの研究を開始されたきっかけやこの技術が求められる背景を教えてください。
高精細映像配信などの普及や拡大を中心に世界的に通信トラフィックは増加の一途を辿っています。特にコロナ禍を経て在宅でのリモートワークやオンライン会議などの需要も急激に拡大し、生成AI(人工知能)の普及なども重なって、今後もこの通信トラフィックの増加は続く見込みです(図1)。こうした社会背景から、2012〜2013年ごろにデジタルコヒーレント*と呼ばれる新しい技術が商用導入され、シリコン系半導体の微細化の進展とともに、大規模なデジタル信号処理回路(DSP:Digital Signal Processor)、デジタル/アナログ変換器(DAC:Digital to Analog Converter)やアナログ/デジタル変換器(ADC:Analog to Digital Converter)の性能改善が進み、当初は1波長当り100Gbit/sの伝送容量だった光通信が、現在は400Gbit/sを超え800Gbit/sまでに進展しています(図2)。
こうした伝送容量の拡大は、上記のDSPやDAC、ADCなどの集積回路(IC:Integrated Circuit)の性能改善に大きく依存しているのですが、昨今はこうした半導体の微細化・高速化の物理的な限界が危惧されています。現在、実用化されているシリコン系半導体のテクノロジノードは3nmとされ、ニュースなどでも取り上げられているように2nmの量産化に向けた技術開発が活発化しています。この微細化により、回路の集積密度や信号処理効率の改善は期待されるものの、速度性能面の改善は限定的であり、特にDACやADCといった回路の帯域性能(速度性能)については、抜本的な改善が難しい状況となっています。そこで今後の伝送容量増大に対応するために、このようなシリコン系半導体の微細化だけに頼らない新しいアプローチが求められています。
私は2007年にNTTに入社してフォトニクス研究所に配属されてから、光通信向けの高速アナログIC、特に受信器向けの増幅器やADCの研究開発に携わっていました。その後は送信器側の増幅器やDACの研究開発も行ってきました。2014年ごろにこうしたそれまでの経験や知見から、これら回路のハードウェアとしての性能限界を予見して、この問題を解決する新しいアナログIC技術の研究に着手しました。それが、現在取り組んでいるアナログマルチプレクサ回路(AMUX:Analog Multiplexer)およびアナログデマルチプレクサ回路(ADEMUX:Analog De-Multiplexer)などの「極広帯域アナログIC」技術となります。


■デジタルの通信容量を増やすためになぜアナログ技術が必要になるのですか。
デジタル信号処理というのは「0」と「1」の組合せで信号を処理する仕組みです。初期の光通信では、レーザの点灯と消灯を組み合わせその信号を送っていたわけです。ただ、それでは効率が悪いため、その中間の状態でも信号を送ることを可能にする技術が生まれました。電灯の明るさで例えると分かりやすいですが、もっとも明るい状態と完全に消えた状態以外に、光量を抑えたかたちでの点灯も電灯なら可能です。この中間の「0.8」とか「0.6」とか「0.4」といった異なる強度の明るさでも信号を送ることができるようにしたのが、現在の「デジタルコヒーレント」光通信技術です(厳密には光の強度だけではなく、光の波としての位相や偏波にも情報を乗せています)。この「0」でも「1」でもない中間状態に信号を乗せるために、デジタル信号をいったん「アナログ信号(=多値の信号)」に変換する必要が生じます。これを送信側で行うのが前述のDACであり、送られてきたアナログ信号を受信側で再びデジタル信号に変換するのがADCというわけです。このように「0」でも「1」でもない中間の状態でも情報を送ることが可能となったため、伝送容量は格段に上昇しました。
私の研究は、このDACやADCの部分に周波数変換などの複合的な機能を備えた「極広帯域アナログIC」を加えることで、さらに飛躍的に伝送容量を上昇させようというものです。
■極広帯域アナログIC技術について教えてください。
私が提案している「極広帯域アナログIC」には、送信側に設ける「AMUX」と受信側に設ける「ADEMUX」があります。これらのICはアンプ(増幅)とミキサ(周波数変換)、そしてコンバイナ(合波)などの機能を併せ持つICです。これらのICを従来のDACやADCと組み合わせて使用することで、従来の光送信器や光受信器が有している帯域性能面での制限要因をなくし、限界を突破しようと考えています(図3)。
現在の汎用的なICにはシリコン系半導体(CMOS:Complementary Metal Oxide Semiconductor)が主に使われていますが、2019年の段階ではNTTが長年研究開発を進めてきた「InP HBT(リン化インジウム系ヘテロ接合バイポーラトランジスタ)」という高速トランジスタ技術を活用したICを設計し、作製しました。このInP系半導体は、シリコン系半導体に比べて集積規模(多機能性)や量産性などいくつかの不得手な部分はみられるものの、高速性や高耐圧性においては目覚ましい向上を図ることができます(図4)。その結果、世界に先駆けて110GHz帯域を持つAMUXおよびADEMUXを実現しました。
これ以降も、NTT未来ねっと研究所と連携して1波長当り1Tbit/sを超える長距離光伝送の実証に成功し、さらに同研究所との連携を推し進めて前人未到の200GHz帯域性能を実証、世界レコードを更新する1波長当り2Tbit/sの光伝送にも成功しました。
これらの「極広帯域アナログIC」についてはハイエンドの計測・実験用途として製品化・実用化を進めているのが現状です。そして、この状況に甘んじることなく10年後には300GHzを達成目標に、この技術をさらに進めていきたいと考えています。


■研究で苦労された点や今後のご研究に向けた課題点を教えてください。
AMUXやADEMUXは、これまでにない機能を持つ全く新しいアナログICです。そのため光通信システムへ組み込むにあたって、どの程度の性能が必要になるかといった性能要件が全く不透明な状況から手探りでスタートせざるを得ませんでした。完成した試作品を実際の光伝送実験などへ適用し、その結果からフィードバックを得るという試行錯誤を繰り返し、多岐にわたる回路特性がどうあるべきかを導き出し、何度も試作を重ねて改善を加えてきました。また実験への適用も、一朝一夕にはいきませんでした。ICの中核回路が完成しても、それをパッケージに格納して同軸ケーブルなどでほかの装置と接続できるモジュール形態に仕上げなければ実験に使用できませんし、ユーザにも使ってもらえません。まだ世に出ていない帯域性能のICを格納するための低損失な高周波パッケージも当然ありませんでしたから、新たに専用の高周波パッケージを作製するのに数年がかりとなりました。
こうしたテクニカルな面はもちろんですが、グループ会社でのこの技術の製品化においては、研究開発の早い段階から潜在ユーザと対話を重ね、ふさわしい適用領域を決定する必要もありました。また、私1人でできることには限界があるため、周りの人たちと目標を共有し協力していただくことが大変重要でした。まだかたちになっていない段階から、労を惜しまず協力していただいた皆さんには本当に感謝しています。これまで本研究開発にかかわってくださった方のどなたか1人でも欠けていたらここまで進めることはできなかったと思います。
私たちの目的は「持続的な通信の進展を支える」ことなので、本技術が真に通信で必要となったらタイムリーに技術展開できるよう、今後さらに研究開発を進め技術を磨いていくつもりです。技術的には、さらなる広帯域化(200GHzを超える帯域)と機能集積化を進め、電力・サイズ共に厳しい制約がある光送受信器により適合するよう技術を仕上げていく予定です。また、実用展開の側面では、ボリュームをさばく必要がある通信応用では製造性、量産性の改善がポイントになりますので、協力していただける仲間をさらに増やしていく必要があります。
光量子コンピューティングにも手を伸ばして、新たなアプリケーションの世界へ
■この技術によって実現される事象や応用先について教えてください。
現状、この「極広帯域アナログIC」技術のメインの応用先は光通信になりますが、すでに研究開発用のハイエンドな実験や計測分野での実用化に着手しています。現段階でもこの技術の潜在的なニーズは広く存在し、「無線通信」や「センシング」など広帯域信号を扱うほかの分野への展開も視野に入れています。また、NTTが近年力を入れて取り組んでいる「光量子コンピューティング」の分野では今後この技術が求められる可能性があるため、応用先は通信だけにとどまらず、これからは新たなアプリケーションの開拓にも挑んでいきたいと考えています。
NTTがめざすIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想では、光通信のシステム容量を今まで以上に拡張していく必要があります。本技術は伝送容量を改善するための手段の1つとして役立てることができます。また、IOWNの描く世界では光電融合技術をベースとして、現在は電気配線が主流となっている近距離接続まで光に置き換えていくことをめざしていますが、広帯域な光デバイスと帯域に制限のある電子デバイスの間ではどうしても性能ギャップが生じるため、電気から光への変換部の効率については改善余地があるととらえています。私たちが本研究テーマで提案する技術は、この電気から光への変換部分の効率改善にも大きく貢献できるはずです。
■研究にあたって大事にしていることや理念などはありますか。
今回のインタビューで改めて考えてみると、誰もやっていないこと、誰もやれていないことに挑戦することを常に意識して研究開発に臨んでいるということです。
一言で言うなら「進取果敢」でしょうか。ただ、それが独りよがりなものにならぬよう、現在使われている技術やその動向を正しく理解、分析し、まだ誰も気付いていない問題や潜在的な課題をいち早く見つけ出し、新たな解を導き出すという流れで研究をしてきました。そして行動するときには決断力を持って大胆に。これからもトレンドに乗るのではなく、新たなトレンドを生み出すような仕事をしていきたいと思います。
■所属されているNTT先端集積デバイス研究所について教えてください。
NTT先端集積デバイス研究所は、事業や社会で新たな展開や大きなインパクトを産むような競争力あるデバイス技術の研究開発を進めています。例えばフォトニクス(光)、エレクトロニクス(電子)、マテリアルサイエンス(材料科学)、バイオサイエンス(生物科学)の領域で、驚きを創出する新技術の創出をめざしています。
またNTT研究所では全社的に実施されている実践的な育成システムがあります。入社1年目は研究者としての基礎的なトレーニング期間ですが、2年目からは自分でテーマを立案し、そのテーマに沿って、指導者(入社10〜15年目の先輩社員)や複数名のアドバイザー(それぞれの研究内容に則した専門家)のもと、主体的に研究を進めていきます。さらに3年目には、研究経過や成果を数百人規模の研究者たちの前で発表する機会があります。これによって研究の着手の仕方や進め方、どのように課題設定しその課題に対してどのようにアプローチしていくのか、などを具体的に学ぶことができます。また、私自身もそうですが、入社後に博士号を取ることも奨励されています。特に海外の学会などでは、博士号を取得すると大きく扱いが変わりますので、大変有効な施策だと思います。このような育成システムを徹底することによって、海外でも通用するプロフェッショナルな研究者を数多く輩出し続けています。
■研究者・学生・ビジネスパートナーの方々に向けてメッセージをお願いいたします。
私は2007年にNTTに入社してから、すでに20年近く研究者として過ごしてきました。今回は現在比較的順調に進められている研究テーマをお話しさせていただきましたが、過去には研究から開発、実用化への移行に失敗し、道半ばで断念せざるを得なかった経験もあります。その研究が断念に至った理由はさまざまですが、研究をスタートした時点と断念した時点での社会的ニーズの変化を上手にとらえきれなかったことが一因であったと今では理解し、反省しています。この私の経験のように、研究は決して自己完結させるものではありません。成果を具体的な価値として社会に提供することが重要で、そのためには協力者や潜在的なユーザなど他者との議論や協力が必要となります。その時々に何が求められているかを理解し、時節に合わせて認識を随時アップデートしていくことが不可欠となります。私も過去の反省を活かして、現在の研究ではことあるごとに今の研究の価値とは何か、今の取り組みが誰の役に立つのかを客観的に考え、他者とも議論しながら進め方を見直すことを意識的に行っています。
最後になりましたが、NTTには多岐にわたる技術領域において、一線で活躍されている研究者が数多く在籍しています。研究から実用化までを一気通貫で主体的に取り組める環境もあります。また、1950年の吉田五郎初代所長の言葉、「知の泉を汲んで研究し実用化により世に恵みを具体的に提供しよう」というメッセージが、まさに私たちの進むべき方向を示してくれています。私も引き続き、皆さんとも意見を交換しながら、「世に恵み」を具体的に提供すべく研究開発に邁進していきたいと思います。
そしてこれからの若い方たちに1つだけ伝えたいことは、何事も臆せずに「進取果敢」にチャレンジしてほしいということです。誰もやったことのない誰もやれていないことの中に何か大事な発見があるのだと私は信じています。

