2026年3月号
特集2 主役登場
インフラを原子から理解し、未来を守る

木内 康平
NTT先端集積デバイス研究所
研究員
通信鉄塔などのインフラ設備は、風雨や海塩に長年さらされ続けています。高度経済成長期に集中的な整備が行われた結果、建設50年以上の設備が膨大な数に達し、老朽化は社会全体の課題となっています。記憶に新しい道路陥没事故が象徴するように、インフラは目に見えない部分から静かに傷み、突然、事故として表面化します。中でも腐食によって生じる錆は、構造物の安全性を蝕む存在です。従来の補修現場では、工具や薬品などで錆を除去してきましたが、粉塵や廃液に加え、高所作業のための足場設置など、現場では大きな負担となっています。
この解決手段として、近年レーザクリーニング技術が注目されています。高出力レーザを照射して錆や塩分を蒸発させることで、鋼材下地を残しつつ腐食物を選択的に除去できる技術であり、薬品フリーで環境負荷を低減できる点や、非接触施工のため自動化に適している点が特長です。さらに鋼材の単なる「洗浄」だけにとどまらず、レーザ照射で生じる酸化鉄の性質を活用し、防食性向上につながる表面改質を行える可能性も指摘されています。研究途上ではありますが、私たちはこの「表面の設計」としての応用性に着目し、レーザ照射後の酸化鉄形成メカニズムの解明を進めています。また、この酸化鉄の防食性を解明し、照射条件によって酸化鉄を選択的に形成できれば、耐久性向上につながると期待しています。
では、どのような酸化鉄が望ましいのでしょうか。防食性の高い酸化鉄の理解には、原子レベルでの反応をミクロな視点でとらえる必要があります。ミクロな反応性を評価できる手法として第一原理計算が有効です。一方、対象となるインフラ劣化はミリメートル程度のものが秒〜年単位で変化するマクロ現象であり、ミクロの知見がマクロ現象の理解に直結するとは限りません。ミクロの集合体がマクロであり、ミクロどうしの相互作用が現象を支配することも多いためです。さらに、第一原理計算は当初、完全結晶の物性物理分野で大きく発展した手法で、土木分野への適用は少なく、スケールのギャップを埋めるアプローチが必要となっています。近年は、第一原理精度を保ちながら計算の高速化・大規模化を可能にするMLP-MD(Machine Learning Potential Molecular Dynamics:機械学習分子動力学法)などが登場し、インフラ材料の現実スケールの課題とミクロな理解をつなぐ研究が現実味を帯びつつあります。
私たちスマートメンテナンス技術研究グループでは、現場でのレーザクリーニングのメカニズムを、ミクロとマクロをつなぐかたちで理解することに取り組んでいます。レーザ加工を電子・原子レベルで解明し高度化する研究の多くは、フェムト秒程度の超短パルスレーザを対象に、非熱的な極短時間現象を扱う第一原理手法(時間依存密度汎関数理論)が検討されています。一方、実現場では、コストを重視し連続波レーザが用いられ、長時間にわたる温度上昇と構造変化が支配的な熱的な状態変化が起こります。こうした現場特有の制限は、既存の超短パルスレーザ向けの理論とは異なるアプローチを必要とします。
こうした中で私は、原子の振る舞いを解析できる理論がありながら、実構造物で起こる現象を理解できていないと痛感しました。この理論と現実の隙間を橋渡しすることこそ、インフラ業界に身を置きながら原子に興味を持つ自身が取り組むべきテーマだと確信しました。さらに、MLP-MDを知ったとき、これならミクロとマクロの壁を越えられるかもしれないと強く惹きつけられました。
そこで私は、第一原理計算で得られたミクロな反応性を基盤にしつつMLP-MDを組み合わせることで、現場条件に対応した現象の解析に挑戦しています。こうした取り組みにより、レーザ照射による材料の表面改質を理解し、インフラ長寿命化に貢献できると考えています。
インフラ事業への実装を考えると、施工手順や装置には制約が生じます。一方で、制限の中で、あるいは意図的にルールの境界を押し広げながら解決策を探し出していくことに、企業研究ならではの面白さがあると最近強く感じています。
現場の課題を出発点に、原子レベルの見えない世界から根本を理解しつつ、今見えているインフラの現状と未来に寄り添うことを使命に、インフラを守る研究を進めていきます。同じように、世の制約と理想の間とで悩みながらも両者をつなごうとしている皆さんと、一緒にこの橋渡しに挑戦できれば嬉しく思います。
