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光量子コンピュータチップ実現に向けた高性能量子光源の開発に成功

NTTは,国立大学法人東京大学と共同で,室温動作可能な将来の汎用光量子コンピュータチップに必須となる高性能な量子光源(スクィーズド光源)を実現しました.スクィーズド光とは量子ノイズが圧縮された光で,これを用いることで量子もつれをつくることができます.光量子コンピュータチップ実現には広い帯域と高い圧縮率を持った連続的なスクィーズド光が必要とされています.

スクィーズド光は非線形光学結晶に励起光を照射することで生成されます.従来手法の多くは,鏡を用いて結晶の中で光を往復させることで量子ノイズ圧縮率の高いスクィーズド光を生成していました.しかし,その帯域は構造上の理由から高々ギガヘルツオーダに制限されていました.そこで,結晶中に光の通り道をつくり,励起光が1回通過する間にスクィーズド光を生成する手法が広帯域なスクィーズド光源として期待されています.この手法ではギガヘルツの1000倍にあたるテラヘルツオーダの帯域が期待できるものの,これまで連続的な光として報告されている量子ノイズ圧縮率は37%程度にとどまっていました.

今回,NTTで研究開発を進めてきた高性能な非線形光学結晶デバイスと東京大学の有する高度光制御・測定技術により,75%以上の量子ノイズ圧縮に成功し,本手法における世界最高値を更新しました.この値は,任意の量子計算を実行できる量子もつれ(2次元クラスター状態)の生成に必要となる65%を超える値です.また,得られたスクィーズド光はテラヘルツオーダの帯域を有することが確認できました.これは飛行する光量子ビットの間隔をおよそ300ミクロン程度に短縮し,NTTが光通信応用に開発してきたような光学チップ上での光量子計算を可能にします.さらに計算のクロック周波数を上げることができることから,高速な量子コンピュータの実現も期待されます.

本成果は,2020年3月30日(米国時間)に米国科学誌「APL Photonics」に「Featured Article」として掲載されました.また,AIP(米国物理学協会)のハイライト(Scilight)に選ばれました.なお,本研究の一部は,科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)の支援を受けて行われました.

研究の背景

量子コンピュータは従来のコンピュータでは解くことが難しい特定の問題を高速に解くことができることから,世界各国で開発が進められています.なかでも,大規模な汎用量子計算の実現に向けて,一方向量子計算という手法を利用する光量子コンピュータに期待が高まっています.この手法ではあらかじめあらゆる量子計算の重ね合わせとなる汎用的な量子もつれ状態(2次元クラスター状態)を用意しておき,量子ビットを順次測定していくことで残りの量子ビットを操作,任意の計算を実行する手法です.近年,飛行する光を量子ビットとし,光学的遅延線による時間領域多重方式を利用することで室温下において1万量子ビット以上の量子もつれ状態が実現されました.

この方式では量子性を有した光(スクィーズド光)が用いられます.特に連続的に飛行し,かつ広帯域なスクィーズド光は,時間軸上に短い間隔で情報を載せることを可能にし,量子もつれ状態の大規模化や情報処理の高速化および光学的遅延線の短縮(小型化)に有用となります.例えばテラヘルツオーダのスクィーズド光は,約300ミクロンの光学長を有する量子ビットを定義可能にするので,時間領域多重に必要な光学的遅延線が光チップ内に集積可能な長さで済みます.また,テラヘルツオーダのクロック動作を可能にするので量子コンピュータ自身の処理速度も高速になります.

研究の成果

将来の汎用光量子コンピュータチップの実現に必要となる,高性能な量子光源の開発に成功しました.光量子コンピュータの量子光源に求められる性能として,広帯域性と高いノイズ圧縮性の両方が必要となります.これまでの研究ではこの2つを同時に満足するものはありませんでした.今回,NTTがこれまで研究開発を行ってきた非線形光学デバイス()により,この2つの性能を兼ね備えた量子光源を実現しました.今回の結果である広帯域性により,飛行する光量子ビットの長さを300ミクロン以下に短縮でき,光チップ内での操作が可能になります.また,同時に光コンピュータ自身のクロック周波数を上げることが可能になるので,高速な量子計算が期待されます.さらに今回達成したノイズ圧縮率は,大規模な量子もつれ状態の生成に十分な圧縮率であり,今後の光量子コンピュータ研究開発を大きく加速するものです.

今後の展開

今回実現したのは光量子コンピュータの光源部分にあたります.今後,この広帯域なスクィーズド光を活用して,これまで以上の大規模量子もつれ状態の生成および汎用量子コンピュータ実現に向けた各種光量子操作を実証します.また,現状これらの実験は光学定盤上でミラー,レンズなどの多数の光学部品とともに実験されており,非常に大きいシステムとなっています.今後はNTTで培ってきた光集積デバイス技術を駆使し,小型の光チップ上で光量子コンピュータを実現するための技術開発を行っていきます.

 

問い合わせ先

NTT先端技術総合研究所
広報担当
TEL 046-240-5157
E-mail  science_coretech-pr-ml@hco.ntt.co.jp
URL https://www.ntt.co.jp/news2020/2003/200330b.html

研究者紹介1

全光学式量子コンピュータ実現をめざして

古澤 明

東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授

 

今回の成果は,私の夢である全光学式量子コンピュータ実現への記念すべき第一歩となっています.私はこれまで,光量子コンピュータのための量子もつれ光源として,光パラメトリック発振器を作製・使用してきました.光パラメトリック発振器から放出されるシグナル光とアイドラー光は,量子もつれの関係にあるからです.しかし,光パラメトリック発振器は非線形光学結晶を共振器内に置く構造であるため,動作帯域は共振器の帯域で制限されてしまいます.そのため,量子コンピュータを広帯域で動作させるための障害になっています.量子コンピュータは,ショアのアルゴリズムなど特定のアルゴリズムに関しては高速なアルゴリズムが知られていますが,一般的に使われているアルゴリズムが高速になるわけではありません.私は光の持つ広帯域性を利用し,普通のアルゴリズムでも高速に動作する量子コンピュータをつくるのが夢です.もう少し具体的に言うと,室温で動作し,クロック周波数10 THzでマルチコアのスーパー量子コンピュータを創るのが私の夢です.

今回の量子もつれ光源では,NTTの皆様がこれまで開発してこられた高性能導波路光パラメトリック増幅器を使わせていただきました.光パラメトリック増幅器であるため共振器がなく,それによる帯域制限もなくなり,2THz程度の量子もつれ光を生成することができました.夢の実現に大きく近づいたと思います.

研究者紹介2

社会に還元される光量子技術をめざして

柏﨑貴大

NTT先端集積デバイス研究所 機能材料研究部 異種材料融合デバイス研究グループ 研究員

 

入社以来,私は長距離通信やコヒーレントイジングマシンに向けた非線形光学デバイスの研究に携わってきました.非線形光学とは光と物質や,物質を介した光どうしの相互作用に着目し,多彩な現象を扱う分野です.空気中では干渉しないような波長の異なる光どうしが相互作用を引き起こすので,光で光を制御することも可能です.

粒子的に見ると非線形光学デバイスは2つの光子を1つにしたり,1つの光子を2つに分けたりします.これを利用することで一般的なレーザ光とは異なった非古典的な光を生成可能です.今回のスクィーズド光も非古典光です.20世紀半ばのレーザの実現以降このような非古典光の生成は数多く実証されてきましたが,光源として商用化された例は多くありません.私は入社当時からこの研究に取り組みたいと考えていたのですが,当時のデバイスレベルおよび私の知識・経験は未熟なものでした.そこから約5年あらゆる作製工程を見直し,改良を行ってきました.このようなときに光量子分野の最前線でご活躍される古澤教授と共同研究させていただけたこともあり今回の成果につながりました.

世の中には光量子技術がまだ浸透していないように思えます.これは手軽に扱える量子光源がないからだと考えています.かつてレーザの実現によりさまざまな光産業・研究分野が発展してきたように,社会に還元される光量子技術の発展に向け,高性能で使いやすい量子光源の研究開発に挑んでいきたいです.