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特集

IOWN構想特集-デジタルツインコンピューティング-

ヒトDTCの挑戦と今後の展望

ヒトDTC(ヒトデジタルツインコンピューティング)は、ヒトの外面に関するデジタル表現だけでなく、内面までのデジタル表現をめざします。ヒトの人格や思考といった内面を含む情報をデジタル化することで、今までにない価値を生み出すことができると考えています。本稿では、ヒトDTCを用いた特徴的なユースケースとして、集団の合意形成、共感と他者理解、未来予測と成長について紹介します。また、社会へヒトDTCを浸透させるための課題など、これからのヒトDTCプロジェクトの方向性について述べます。

戸嶋巌樹(としま いわき) /小橋川哲(こばしかわ さとし)
能登肇(のと はじめ) /倉橋孝雄(くらはし たかお)
廣田啓一(ひろた けいいち) /小澤史朗(おざわ しろう)
NTT デジタルツインコンピューティング研究センタ

はじめに

DTCにおけるヒトのデジタルツインは、ヒトの活動範囲を実世界からサイバー空間まで拡大することを可能にします。自分とサイバー空間上のあらゆるデジタルツインとのインタラクションは自らのデジタルツインを通じて行われます。さらに、その結果を実世界の自分にフィードバックさせることで、サイバー空間での活動から得られる経験を実世界と同様に得ることが可能となります(図1)。この時、身体的・生理学的な特徴といったヒトの外面に関するデジタル表現だけでなく、内面までのデジタル表現をめざします。ヒトの個性・特徴を再現するモデル(例えば、行動傾向、性格、価値観をモデル化した人格・思考モデルや、知覚、知識、言語能力、身体能力などをモデル化した能力モデルなど)はデジタルツインの振る舞いを規定し、サイバー空間における他者からの働きかけに対してあたかも本人のように反応することに加え、仮想社会において自律的に駆動させることで、本人のように他者に対して働きかけを行うこともできるようにします(図2)。このようにヒトのデジタルツインを発展させ、利用可能とするシステム全体について、ヒトDTC(ヒトデジタルツインコンピューティング)と定義しています。
本稿では、最初にヒトDTCのもたらす価値を整理し、その価値に対応する具体的なユースケースについて説明します。次にDTCを実現するうえで避けて通れない社会に受け入れられるために必要な検討について整理し、最後にプロジェクトの長期的展望について述べます。

ヒトDTCの価値

ヒトのデジタルツインは状態や行動を表すデータだけでなく、判断や行動の傾向といったヒトの個性や感情を表現するモデルも有することで、仮想社会における他者とのインタラクションや自律的な活動を、あたかも自分自身のように行うことを可能にします。このことは、本質的に3種類の価値をもたらすと考えています。1番目は、物理的制約を超えて、さまざまなタスクを代替可能とすることです。中でもサイバー空間におけるコミュニケーションでは、実在のヒトどうしのコミュニケーションで行われるような実時間処理を超えて、膨大な処理を高速に行うことができます。2番目の価値は、感情を表現するモデルを持つことで、感情をそのまま伝達することが可能となることです。この世界では、ニュアンスをそのまま伝えることができるため、想いがすれ違わない世界を創ることができます。最後の価値は、社会的側面や多様性に基づくインタラクションが実現できることで、ヒトの個性まで考慮した精密な分析、そして未来の予測が可能となることです。本人の行動変容の参考にするなど、さまざまな使い方が考えられる価値です。これらの価値の根源は、ヒトの個性を実装し、感情のモデルを実現することにあります。ヒトDTCにおいては、この「ヒトの個性」を扱うことをもっとも重要な課題の1つととらえて研究開発を推進します。

ヒトDTCのユースケース

■集団の合意形成
ヒトのデジタルツインは、個人の知識や経験などの記憶を持ち、まるで本人と同じような個性や価値観を持ちながら、思考・判断を行うことができるため、実世界の本人に代わり、さまざまなタスクに従事させることが可能です(図3)。特にDTCでは、実世界で行われるものと同じコミュニケーションをデジタルツインが代替することで、複数の人とのコミュニケーションを必要とするような高度なタスクを実行できるようになります。その代表的な例は会議における合意形成です。DTCを活用した合意形成では、実世界の人を介さず複数のデジタルツインからなる集団の考え方の傾向をシミュレーションしてタイムリーに可視化したり、その場にはいない有識者のデジタルツインからの働きかけにより個人の内面にある暗黙知を引き出したりすることで、その集団ならではの新たなアイデアの創発や意思決定がスムーズに実現できることが期待できます。また、DTCではデジタルツインの「複製」によって、実世界の状態とは関係なく同時に複数の仮想社会にデジタルツインを存在させることができるため、実世界では時間・空間の制約上ではこれまで不可能であった超多人数の合意形成が瞬時に可能になると考えています。

■共感と他者理解
感覚や感情のデジタル化も、ヒトのデジタルツインを生み出すための重要な要素です。本人のスキャン情報からデジタルツインとして復元した感覚・感情を、DTCを用いて相手の理解できるかたちに変換し、現実空間にフィードバックすることにより、お互いに分かり合えている共感状態を生み出すことができます(図4)。感覚や感情を用いた共感が役立つ例として、診察室での患者に対する医師の診断が挙げられます。現実の診断では、患者は医師に対して痛みのような感覚や不安といった感情を言葉で定性的に伝えることのみができます。また痛みを定量化できたとしても、個々人が得る感覚や感情は人によって異なります。そのため、患者は医師に正しく伝えることができたのか、また医師は患者が正しく説明しているのかを判断することは困難です。DTCによる診断では、デジタル化した痛みの感覚や不安な感情をDTCにより相手に伝わるかたちに変換してからフィードバックすることにより、相手への正しい伝達を可能にします。ヒトのデジタルツインを用いた共感の実現は、今までのコミュニケーションを大きく変革し、言葉にしたことが相手に分かるように伝わるだけでなく、言葉にできない・しないことも相手に分かるように伝わる世界を実現します。

■未来予測と成長
DTCにおけるヒトのデジタルツインでは、個々のヒトに対するミクロなレベルのシミュレーション結果を、自身の行動などを決定するために利用することも可能です(図5)。「融合」や「交換」によって、新たな知識や能力を付与した派生デジタルツインを用いることで、もし新しい知識を身に付けたらどうなるのか、といった別の未来の可能性を予測し、社会や自身を成長させるために利用することが期待できます。自身を成長させるという例として、新たな語学の学習などが挙げられます。自己の成長は、自身の動機付けや目標設定があり、それを実現するための身体的活動や知的活動での経験を通じて得られるものです。DTCにおけるヒトのデジタルツインでは、自己の派生デジタルツインを複数創生し、習得したい語学すべてをそれぞれの派生デジタルツインを用いることでシミュレーションすることができます。英語やドイツ語、フランス語などを仮想社会内の他者デジタルツインとの交流を通じ、実践的な学習に加え、指導を受けることや、交流を実際に体験したときの感情や感動も得ることができます。これらシミュレーション結果を用いて、自身が習得しやすい言語、感動をより得やすい国などの新たな知識を実世界の自身にフィードバックし成長を促進・サポートするのです。

ヒトDTCの社会受容性とセキュリティ

これまで述べたように、DTCはヒトの能力を拡張し、有益な結果をもたらすことが期待されます。一方で、私たちがこの恩恵を受けるためには、DTCの世界観に対する社会受容性についても十分に考慮されなければなりません。自分と同じ外観と思考を有するヒトDTCがつくられることに対する心理的な抵抗感、自分に関する多様な情報が集約されることに対するプライバシ意識など、認知度と個人の受容性を高める啓蒙が不可欠です。また、ヒトDTCが既存の人と同じような経済活動をすることで、法制度の運用、あるいは法制度そのものの変容をもたらすかもしれません。ヒトDTCが人の知識・能力を倍化し、人の何倍もの活動を提供することによる、社会的影響や経済的影響は大きなパラダイムシフトを引き起こすことでしょう。こうしたDTCの実現と普及が現実社会にもたらすさまざまな影響について、哲学や倫理学といった人文学的な分野、法学、社会心理学や行動経済学といった社会学的な分野などの有識者と議論を交わしながら、DTCのあるべき姿を模索していく必要があります。
また、ヒトDTCやモノDTCが現実社会の情報をすべて反映したものであるとする場合、そこから起こり得る脅威やリスクはさまざまであり、それらに対するセキュリティを十分に検討し、技術的・非技術的にかかわらず、さまざまな側面から対処を行う必要があります。倫理規定や法的な概念を導入し、現実世界と同等の秩序あるDTC世界を実現するとともに、これまで長年培ったセキュリティ技術とサイバーセキュリティの活動から得られた多くの知見を基に、セキュリティバイデザイン、プライバシバイデザインの考えにのっとったDTCのセキュリティをつくり上げていきます。

おわりに

ヒトDTCに関する研究は、本稿で挙げたようないくつかのゴールを思い描き、まさにスタートしたばかりです。しかし、ベースとなる技術、例えば音声・言語・画像等の認識や生成技術はAI(人工知能)によって大きく進化しています。これらの技術に対して、ヒトの個性に着目したり、よりヒトの内面に踏み込んだりすることで、DTCの研究開発を加速したいと考えています。また、個性や内面への踏み込みの観点や社会への浸透の観点では、AI分野の技術以外にも、脳科学をはじめとした生物・医学分野や、倫理・哲学から行動経済学のような人文系分野など、工学を離れた分野や、学際領域的な分野にも広げる必要があります。私たちヒトDTC研究チームは、自らの研究を進めるだけでなく、これらの非常に幅広い分野の研究を、私たちがハブとなって結びつけることで技術的な実現を推進するとともに、世界に対してDTCがもたらす価値を共感してもらうことで、それが受容される社会規範の変容をもたらすことが大きな役割だと考えています。

(上段左から)戸嶋 巌樹 / 小橋川 哲 / 能登 肇

(下段左から)倉橋 孝雄 / 廣田 啓一 / 小澤 史郎

ヒトのデジタルツインコンピューティングは、将来に向けて大きな可能性があります。一方で、実現には技術的、非技術的にさまざまな課題があり、社内外と積極的に連携して解決に取り組み、強力に挑戦してまいります。

問い合わせ先

NTT デジタルツインコンピューティング研究センタ
第一グループ
E-mail:dtc-office-ml@hco.ntt.co.jp